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それよりも、なんとか千古に連絡を取ろうと考えていた。電話番号もメアドも分からない。それを調べる方法が一つだけあるが、それは気が進まなかった。裕也の携帯を調べてみる事だ。おそらく裕也は千古の電話番号かメアドを登録しているだろう。人の携帯なんてのぞき見るのは嫌だったが、しかし悩んでいる暇はなかった。
「すみませんお母さん、ちょっと相談したい人がいるので裕也君の携帯を借ります」と言って、机の上にある携帯を手に取る。パスワードがかかっているが、裕也の後ろの席にいる水音はそれを知っていた。「悪いね裕也」水音は裕也の方を向いてそう一言いうとアドレス帳を開き、さらさらとスクロールする。
そしてすぐに水音は千古の電話番号もメアドもしっかり登録されている事実を確認する。
水音は受信メールや送信済みメールを見たくなったらどうしよう、と十分後の自分を恐れたが、その気持ちを抑え込んで、そのまま裕也の携帯から千古に電話した。
「はい。千歳です」
「…………」水音はドキドキして最初は声が出なかった。
「もしもし?どなた様でしょうか」
「千古さん?水音です」
「あっ、水音さん、これ水音さんの携帯ですか」
「いいえ、違うんです。ちょっと裕也の携帯を借りて電話してます。ごめんなさい」
「えっ、そうですか。どうしました?」
「裕也が、……眠ったまま起きないの」
水音はちょっと涙声になった。
「そうですか。やっぱり行動が早いですね」
「ご両親は病院に連れて行くとおっしゃっています」
「水音さん、部屋に何か見えますか?」
水音は心を落ち着けて部屋を見回したが、何も霊は見えなかった。
「いえ、何もいませんよ。裕也の霊気も出ていないの」
「そうですか。連れて行かれてますね。私のせいです」
「どうしたらいい?ヴァイオリンを弾いてもだめだと思う」
「そうでしょうね。……今私は学校にいますから、とりあえずこちらに来ませんか?それで対策を考えましょう。今は裕也さんの身体の近くにいても、意味はないと思います」
「……」
「裕也さんの身体は病院に運んでもらってもかまいませんよ」
「紗木子は来ている?学校に」
「いえ、たぶん今日は来ていないと思います」
それから水音は両親に「対策を考えるから。必ずなんとかするから」と言って裕也の家を出て渋音に向かった。
学校に着くとすぐに本館の事務室に行った。千古が出てくる。
「誰にも見られないところに行きましょう。教室がいいかな」
二人が教室棟に行くと、練習室からショパンが聞こえた。紗木子のピアノだ。
「紗木子、来ているね」
「そうですね。来たようですね」
「あの演奏を止めさせればいいんじゃない?」
「だめです。彼女が裕也さんの心をどこか自分の世界に連れて行ってるんです。今いきなり紗木子さんを呼び戻したら、裕也さんが迷子になります」
「でも、たぶん朝から昏睡状態だよ。ずっとピアノを弾きっぱなしじゃないでしょ」
「そうですか……じゃあ、どこかに裕也さんを閉じ込めて、自分がたまにそこに行っているんですね。結構ひどいですね」
「なんとかしよう」
水音は千古を引っ張って練習室の方に行こうとしたが、千古は抵抗した。
「だめですよ。最初に裕也さんを連れ戻さないと。紗木子さんの邪魔をしても裕也さんは戻ってきませんから」
「……」
「落ち着いてください。人のいないところに行きましょう。じゃあ、水音さんの教室に行きましょう」
二人はエレベーターで四階に行き、一年生の水音の教室に行った。
夏休みの教室には、当然の事ながら誰もいなかった。最初は非常に蒸し暑かったが、千古がエアコンを入れるとすぐに涼しくなる。水音が少し落ち着いて、裕也の様子や両親から聞いた事を千古に言うと、千古は謝った。
「今回の事は私の責任です。私が裕也さんと紗木子さんを会わせて、そこに自分が立ち会ったのに、眠らされてしまったので……」
「いや、私がいけないんだよ。昨日、裕也を一人にして帰ってしまったから」
「私が紗木子さんの心の世界に行って裕也さんを取り戻してきます」
「でも、千古さんじゃまた眠らされてしまうかもしれないじゃない。あっちの世界で眠らされたら帰れなくなってしまうんじゃないの?」
「もうそんな失敗はしませんよ」
「私が行くよ。千古さん。……私に行かせてください」
水音は急に思いつめたような口調になって言った。千古は、こういう事には慣れているはずの水音が急に思いつめた態度になった事にとまどったようで、めずらしく曖昧な返事を返した。
「まあ、それでもいいですけど……」
「千古さん聞いて。私は昨日、恋人宣言をしたから。一方的だったけど。ここで私が助けにいかなきゃ、宣言が嘘になるでしょ。紗木子にもはっきりと私が助けに来たことを見せてやりたいし」
「まあ……、そうですね」
水音はかつて見せた事が無いような真剣な眼差しで、一つ一つ噛みしめるような言葉を続ける。
「でもね、千古さん、言っておかなければならない事があるんだ」
「……なんでしょう」
「実は私は戻って来れないかもしれない……」
「……」
「千古さんは気が付いているかもしれないけど、この身体は借り物なんだよ。二年前に飛行機事故で一度死んで、気が付いたらこの身体に入っていたんだ」
「まあ、私も水音さんを見て普通の人間ではないなとは思っていましたけど」
「だからこの身体から離れたら、もう二度と戻って来れないかもしれない。この身体の本来の持ち主の意識が復活するかもしれないし」
「じゃあ、やっぱり私が行った方がいいです」
「でも私に行かして。もしも戻って来れなかったら、それが運命なんだよ。でも、そうなっても絶対、裕也だけは助けてくる。昨日、恋人宣言をしたんだから。最後ぐらい裕也にいいとこ見せたいから」
「いや、そんなに思いつめなくてもいいんじゃないですか。それより困りましたね。戻って来ようという非常に強い意志がないと本当に戻って来れませんよ」
「……」
「裕也さんがいるのは紗木子さんの心の世界ですから、そのままでは紗木子さんの方が圧倒的に強いですよ。何が何でも裕也さんを連れて自分も戻るんだと思わないと。……これは『思い』の強さの戦いです」
「千古さん分かった。頑張る。裕也のためだ。やってみるよ」
水音は決心がついたようにそう言うと、教室の棚からコピー用紙を四枚取り出して何か呪文のようなものを書きつけると、それを教室の四方の壁に貼った。それから八個の机を向い合せに並べ、その上に仰向けに横になり目をつぶった。
そして水音の心はすぐに離れた。
千古がつぶやく。
「見事ですね。水音さん。ちゃんと身体はお守りしますよ」




