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水音が裕也の家に来たのは午後一時ごろ、まだ裕也の家族は誰も帰ってきてなかった。裕也は今日の出来事、紗木子との会話を仔細に説明した。水音は言う。
「裕也、一つ聞いていい?紗木子が裕也の事を私の彼氏って言った時に、否定しなかったの?」
「おまえ、今突っ込むところそこじゃないだろ。……別に否定しなかったよ。だって否定したら紗木子からよけいに迫られるじゃないか。悪い?」
「いや、別にかまわないよ。私は」
「一応、謝っておくよ。悪かった」
「だから謝る必要はないよ」
「そう。……」
その時、呼び鈴が鳴って千古が来た。裕也と水音がそろって迎えに行き、三人はリビングで話した。裕也が関心する。
「すごい早いじゃない。どこに帰ったの?」
「それは秘密です」
「千古さん、その服すてきね。いつもトラッドだけど、そういうのも似合うわね」
千古はダボダボの赤いTシャツに男物のようなこれもダボダボのジーンズの裾をまくってはいていた。
「それ、今買ったの?」裕也が聞く。
「まあ、そんなところです」
「まあいいや。深く追求はしない」
「千古さん、失敗したってどういう事なの?」
「水音さん、謝らなければなりません。私がついていながら紗木子さんが裕也さんに取り憑く切っ掛けを与えてしまいました」
「だからなんで水音に謝るんだよ。謝るなら僕にだろ?」
「裕也、今突っ込むポイントそこじゃないだろ?」
「…………」
「で、どうなるの?」水音が聞く。
「わかりませんね。でもまずは裕也さんの様子を見に来るでしょう」
三人はしばらく何もしゃべらず、沈黙を紛らわすようにクッキーを食べてコーヒーを飲んでいたが、やがて水音が口を開いた。
「ちょっと別の話していいかな」
「……」
水音が続ける。
「裕也が誰と付き合おうと、誰とキスをしようと勝手だって前に言ったかもしれないけど、あれ取り消すよ。保護者目線じゃ悪いからな」
「……」裕也も千古も、水音が何を言い出したのか分からず唖然としている。
「だから裕也、誰とキスしたか言ってよ」
「あのさあ、水音が誰と付き合ってもいいって言うから、ちょっとデートしてみたんだよ。今更取り消されてもさ」
しかし水音が続ける。
「まあ、いいよ。私が言いたかったのそこじゃないんだ」
そこに千古が口をはさんだ。
「水音さん、ちょっとお聞きしたいんですけど、『誰と付き合おうと勝手だ』って言うのは保護者目線で、そう言わないのが保護者目線じゃない、って言っていましたが、それは逆じゃないですか?」
「千古さん、そう思うよね。私も裕也が最初にそう言っているのどうしてだか分からなかった。でも裕也が誰かにキスした話を聞いて思ったんだ。本当に裕也の親とかなら相手が変な女かどうか気になるけど、嫉妬はしないでしょ。しかし彼女だったら大問題だよね。冗談でも『誰と付き合おうと勝手だ』なんて言えないよね。そういう事を裕也が言っているんだなってやっと分かって、今回の紗木子に着け狙われる事件もあって、私も覚悟を決めたんだ」
「そうですか。では私はそろそろ帰ります」千古が帰ろうとして立ち上がると、裕也は訳が分からずに茫然としていたが、水音は千古を部屋から送り出しながら小声で言った。
「千古さん、大人だね。気を利かせてくれてありがとう」
千古が帰ると、裕也は水音に聞いた。
「で、何が言いたいの?」
「裕也、今までごめんね。保護者か彼女か自分の立場を決めなくて、悪い事したよね。……私、裕也の事好きだから。これからは可愛い彼女になるよ」
「……」
「だからもう他の誰ともデートしちゃだめだよ」
「お前、一方的だな」
それから水音は立ち上がって、あたりを見回しながら言った。
「紗木子、見ている?私も宣戦布告したよ」
水音は宣言をした時は少しこわばった表情をしていたが、それから少し落ち込んだようになり、それから裕也に「じゃあ帰るね」とだけ言って帰って行った。
* *
しかし翌日の午後、水音はまた裕也の家に来ることになる。朝から何通もメールを送っているに全然返事が無く、電話にも出なかったからだ。家に着いて呼び鈴を押すと裕也のお母さんが出てきたが、眼を真っ赤にして泣いている。
「水音さん、これはいいところに来てくれました。実は水音さんに連絡を取ろうと思っていたのですが、連絡先が分からなくて困っていたところです。どうぞ、おあがりください」
水音がリビングに行くと裕也のお父さんもいた。両親そろって水音に真面目な顔をして切り出す。
「その日の朝から裕也が起きない。おかしいと思って部屋に行くと、熟睡している。いくら身体をゆすっても、顔を叩いてもまったく起きない。まるで五歳の時の昏睡状態のようだ」という事だった。両親はその時の状態に裕也が戻ってしまったのではないかと思い、取り乱していた。今から病院に連れて行くという。ただ、丹羽子の弟子だという水音なら、十年前に丹羽子がやったようにヴァイオリンを弾いて裕也を目覚めさせる事ができるかもしれない。そう思って水音に必死で連絡を取ろうとしていたのだった。
水音は裕也の部屋に通された。確かに裕也は熟睡している。というか、これが昏睡というのだろう、と思われるように、寝ているというよりは意識を失っているように見えた。水音はいつもヴァイオリンを持ち歩いているので、この時も持ってはきていたが、この時は両親に頼まれても全く弾く気になれなかった。ヴァイオリンを弾いても裕也が目覚めるとは思えない。




