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旅の始まり(五)

「……終わりだ、王子……」

 荒い息を静めながら、イリュカは緑色の瞳を騎上の少年に向けた。

 砦から掛け付けてくる傭兵たちに、刺客は一目散に撤退をした。

 きらめく緑の炎に目を奪われていたテールは、我に返る前に馬を降り、イリュカの手を取り唇を触れさせた。

 熱を帯びた青い瞳は、軍神を崇める詩人の色。

 イリュカは頬を赤くし、黙って剣の柄を差し出した。

「……あなたが無事で良かった」

 瞬きし、テールはすべての終わりを悟った。

 二人の間にあるものは、第三王子が父王から与えられた品である。

「君の、今夜の闘いぶりは忘れることはないだろう」

 傍らに控えた、ラシールの従者にも短く礼を言い、テールは掛け付けるケイオンたちを迎えた。

「ご無事か、イステュール王子」

「あなたの娘御に命を救われました。

 深く礼を言います」

 ケイオンは、テールの背後、一歩下がって控えるイリュカを一瞥した。

「お役に立てて何より。手塩に掛けて育てた甲斐があったというものです」

 テールは強く頷いた。

「身の危険を忘れるほどの見事な剣技。

 名高い女戦士となる日は、約束されたも同じですね?」

 イリュカは、びくりと肩を跳ね上げた。

「それは、親であれ仲間であれ、他の者が決めることではありませぬ。

 己が一存で決すればよいこと。

 一身賭する覚悟があるならば、どの道を選ぼうと悔いはありますまい」

 ケイオンは、親も道理と付け加え、清々としてテールを見た。




 髪をきつく編み直し、イリュカは渡された蜜酒をたずさえ、ケイオンの居室へ向かった。

 湯で割った蜜酒は体を暖める。

 冷え切った体の一同へ杯を回し、イリュカは戸口で、盲目の青年の従者とともに控えた。

 円卓を囲むのは四人。ケイオンと腹心のノーゼン、盲目の青年楽師ラシールと、その主イステュール。

「王が第三王子の行方を探索していることも事実なら、極秘にされていることも事実です。

 供の少年の一人が刺客の手に倒れ、追っ手から逃げ伸びた王子はここに匿われた。

 ということでよろしいですね、王子?」

「……ああ」

有無を言わさぬ口調のラシールに、テールは静かに頷いた。王城で第三王子に竪琴の手ほどきをするたおやかな楽師というだけでなく、ラシールは知性と才気をもって、今は大切な主の為に最善を尽くすつもりだった。

「ケイオン殿。重ね重ね頼みがあります。

 王都まで、警護に兵をお貸し下さい。

 出立は明朝にて」

「……明日……?」

 テールは小さく、ラシールに問い返した。

「王妃様がご心配なさっておいでです。

 表向き、病床に伏せっていることになってはおりますが、どこまで欺けるかは不安があります。あらぬ噂が立たぬうちに、一刻も早く」

「……わかった」

 瞼を伏せ、テールははっきりと頷いた。

「承知。すぐに手配はいたす」

 ケイオンは、ノーゼンに耳打ちし、意を受けた壮年兵は席を後にした。

「! いいえ。

 明日はだめ。もう一日……」

「イリュカ……! 言う必要はない」

 テールはこの部屋に来て初めて、イリュカに視線を向けた。

「……どうして……? もう少しじゃない?」

 立ち上がり、テールはイリュカに歩み寄った。

「いいんだ……。

 君に会えただけで十分だ。君の強靭さは、僕の目を開かせた。

 何があろうと、僕は生き延びるだろう。

 数多の生を背負って、行き着くところまで向かうよ」

 まだ何か言いたげなイリュカの肩を揺さぶり、テールは席に戻った。

「竪琴は、お持ちではないのですか?」

 ラシールが、流れる沈黙を破った。

「あれか。そういえば、すっかり忘れていた。

 あれは、弦がすべて失われてしまったのだ」

 テールは軽い口調なのに、青年の穏やかな顔立ちは強張った。

「いわれの通り。悪しき心によって、竪琴は閉ざされた。

 僕の心が歪んでしまったばかりに、いとも簡単に切れていってしまったよ」

 蜜酒を取り上げ、そちらの方が大事というふうに、テールは杯を傾けた。

「お見せ下さい」

「見せたからといって、どうということもないだろう?」

 動く気の無い主。ラシールは従者に、誰かにもってこさせるようにと言い付けた。

 在処はクレナもマーリカも知っている。イリュカは黙って、テールを見守り続けた。

 テールは覚めた態度を見せている。それが、イリュカには不安だった。

「……。あれはもう無用だ」

「どういう意味ですか?」

「第三王子としての勤めに専念するつもりだ。

 体を鍛え、兄上方の礎として琢磨する。

 母上の憂いの種であった、詩人の真似事など、この度の侘びに捨ててしまうのだ」

「王子」

 詰問する口調に変わった。

「その方が良いのだ。

 皆の期待は、僕には重荷だ。こんな僕が予知者であるわけがない。

 ……あんなものがあるばかりに、僕は自分の本当の立場を忘れ、逃げ出してしまった」

 言葉の後悔より、冷淡な感情のない顔立ちの方が雄弁だった。ここに居る誰もが、言葉と心は裏腹だと汲み取っているのに、気付いていないのは王子ただ一人だった。

「考え違いをなされるな。

 そうさせたのは、竪琴ではありますまい。

 あれは、あなたの心を写す役目をしたまでのこと」

 決め付けられ、一時テールの瞳が、視線の置き場を失った。

 だがすぐに、感情を凍らせた眼差しを取り戻す。イリュカはそれに肩を落とした。

 従者が戻り、ラシールは革袋を受け取った。

 中から、傷一つなく優美な曲線の、16弦の弦穴が穿たれた竪琴が取り出された。

「16弦は見事にあなたの心を写し出しました。

 その結末まで、描いているではありませんか」

 指で穴の一つ一つを確かめ、弦の無い姿を悲しむのか、ラシールは沈んだ声で言った。

「?」

「ロズウィーン王子のことは、しばらくお忘れなさいませ」

「な……、なぜだ……?」

 驚いて、否定することを忘れたテールに、ラシールは懐から一枚の手紙を差し出した。

「王子にしては、そそっかしいことでしたね。

 あなたの部屋で、拾い上げたのが私で幸いでした」

 文字は読めなくとも、その手紙にある封蝋は指で触れればよくわかる。それがエトルリオン王家の印であることを。

 手のうちに収め、テールは感謝と怪訝の入り混じった目をラシールに向けた。

「会うべき時がくれば、おのずとその竪琴がお二人を導くでしょう。

 のぞましいことならば、竪琴は喜び」

 テールの胸に、弦無き惨めな16弦の竪琴を押し当てた。

「弦が、崩れることはありえなかったでしょう」

 微かに、楽師の眉も悲痛を堪え震えた。

 非情ではあるが、これは16弦が告げる運命と、ラシールは読んだのだ。

「……。予知したというのか?

 僕らの。会ってはいけない運命を?」

 掠れたテールの声が、包み隠さぬ胸の内をさらけ出す。

「少なくとも、今は、と告げるのでしょう」

「……今は……」

 予知。16弦に秘められた力が、本当に放たれたのかどうか、誰も確かめることはできない。

 所有者ですら困惑し、打たれたように、手の中を見下ろすばかりだった。

「ラシール。あなたはどうしてここがわかったのだ? 他に、誰か来ているのか?」

 それも解せないと、テールはとまどいを隠しきれず尋ねた。

「この砦のことを、以前、あちこちにお尋ねになっていたでしょう? 冷静なあなたが、ずいぶんと気が急いておいでだった。

 もしやと、他の者が心当たる前に、私一人でここに参りました」

 不自由な身で旅することによって、二重の失態を庇ってくれた青年を、テールは感謝の想いで手を取った。

「私は、あなたがご自分で山をお降りになるまで、待つ心積もりでありました。

 今夜掛け付けたのは、不穏な輩の跡をつけてきたためです。彼等さえ動かなければ、あなたが何をしていようと、目をつぶっていられたでしょうが……。

 こうして、竪琴が弦を裁ってまで会うなと語るのであるならば、今はそれに従うことがよいかと存じます」

「わかった。……そうしよう」

 胸騒ぎとして感じていた不安を、16弦が否定し警告するのなら、やむを得ないとテールは受け入れた。

「16弦を手放すなどとおっしゃられるな。

 期待するもの、せぬ者とおりますが、彼等など打ち捨てておけばいいのです。

 あなたは、ご自分の真実をお探しなさい。

 16弦とともにあるあなたが、真実のあなたなのかもしれますまい。

 どちらが真か明らかになるまで、切り捨て封じることも、道理に反します」

 弦無き友を見下ろすテールは、在るべき弦を求め、指で空中をかいてみた。

「ラシール。弦を張ってはくれないか?

 世話になった人々へ、ささやかだが礼をしたい」

 王子の願いに、青年は静かに頭を下げた。

「よろこんで。

 ここでなら、存分にあなたは歌うことができましょう。どうぞ思うままに」

 手早く弦が張られるのを待って、テールはこの夜中、16弦を奏で続けた。

 歌声も交え、時折、手拍子や掛け声をうながし、三神の英雄譚によって、贅沢で満ち足りた夜を具現させた。

 得難い一夜をもっとも楽しみ、全身で喜びを示したのは、他の誰でもなく銀髪の吟遊詩人。王子であること、予知者と期待されることも忘れ、彼は16弦と一体になる。

 幸福な輝かしさに満ちたテールから、イリュカは片時も目を放すことができずにいた。




 夜明け前。テールは眠りに沈む館内を歩き回り、一人で出立の準備を確かめて回るケイオンの姿を探し当てた。

「ケイオン殿。

 イリュカを護衛の部隊に加えるのですか?」

 意外な問い掛けに、ケイオンは一度眉をひそめた。

「ご存知の通り、剣の無い身ですので、考えてはおりませんでした。

 ですが、しばらく出立を遅らせていただけるなら、一刀届くのですが」

「いえ。彼女は外して下さい。

 僕についてこないよう、ケイオン殿からも口添えをお願いしたい」

 言い募るテールに、ケイオンは低く唸った。

「あなたなら、願ってもない主と思っていましたが。あれも、考えは同じでしょうに」

「僕は望みません。彼女はここで、思う通りに生きてほしい」

「さて、人の気は変わるものですが」

「変わったとしても、僕は聞く耳ありません」

「頑固な方ですな」

 テールはあくまでも涼しい顔を守った。

「そうでしょうか? ケイオン殿のやり方に比べたら、僕の性格などまだまだです」

 胸のうちを見透かされていることを、ケイオンは思い知らされた。

「あれを怒らせたのは、いずれランドックでは手狭になるであろうという過ぎる期待と、いらぬ世話を焼いた手段の一つです。

 あれは家族や仲間といった因習の殻を被り、目の前が見えなくなっていました。

 お若い王子にはまだわからぬでしょうが、それを破らせるまでが、親の最後の役目というものです。

 その先は、勝手に選べばいいのです」

「ケイオン殿……」

「生半可な道では、己の器量をくすぶらせ、それもまた不幸の種。すべてを得るか失うか以外、剣を選ぶほど業の深いあれには、辿る道はありますまい」

 この推察に、テールは顔を曇らせた。

「あなたのおかげで、思いのほか早く、親の呪縛から逃れてくれるでしょう」

 それが何よりの救い、希望であると、ケイオンは言う。

 その深い期待、信頼。父親の大きな愛情に、テールは弱く微笑んだ。ケイオンに尋ねてよいか、迷う。

 ケイオンは、テールがイステュールであるとわかっても、王子に対する敬意を示しつつも、独立集団であるランドックの頭領として、悠然と向き合っている。それは、テールがここに現れた時からも、同じだった。ただ一人の人として、齢を重ねた男として、目の前に居た。

「……父親とは、皆、そういうものなのですか……?」

 こんな問いを、あの広く沢山の僕たちのいる城で、口にしたことは無かった。

「お二人が、羨ましい。……僕は、あんなふうに父と、ぶつかりあうことなんて。

 考えたこともなかった」

 少し困り顔で、テールはケイオンを見上げた。

「あなたの父上は、偉大な方だ。強大で磐石。そうしてまだ、欲しておいでだ、すべてを」

 そう。自分は、そんな父王のただの手駒でしかないと、テールは諦めていた。

「だが、時は流れる。時代は、変わるものです」

 ……変わる……?

「今はまだ若くても、その力が変えてゆく」

 テールは、ケイオンの強い視線に胸を突かれた。

「あなたは、呼んだのではないのですか?」

「え?」

「イリュカも、七つの時、お二人の王子方が出会った日に、あの場に居ました。

 あなたは歌ったはずだ。若いファルドに。我らに続けと」

「……。いえ、そんな……、そんなつもりでは……」

 うろたえた。あの歌は、自分がロズウィーンを追いかけたい、共に居たいという気持ちが、考えもせずに言葉に乗っただけ。もっともっと高くと……?

「あの時、あなたを狙った刺客を我々が阻みました。引き上げるその刺客から、イリュカは剣を渡された。

 その剣で、心を無くした予知者を断てと」

 あの日から、イリュカと出会うことは、約束されていた。ケイオンはそう告げた。




 何人にも等しく、朝が訪れる。

 傭兵たちは完璧な統制をもって、王城までの旅支度を整えた。

 ラシールが持参した、彼に相応しい衣服に着替えて、テールは一団が粛々と待つ広場へ現れた。

「少し、待ってくれ。すぐに戻る」

 言い残し、崩れた城壁を乗り越え、まっすぐ塀の外を伝ってゆく。

 イリュカが、まるで昨夜の彼のように、陽だまりで峰を見渡していた。

「残念ね。彼は間に合わなくて」

「……うん。どうやら、やり方がまずかった。

 置き手紙でもしておけば、もう少し放っておいてもらえたかもしれない」

 生真面目に言うテールに、くつくつとイリュカは笑い出した。

「そんなことをしたら、砦はあっという間に軍隊に囲まれるわ。そんなの迷惑よ」

 まったくだ。テールも声を上げ笑い返す。

 イリュカは、様変わりした少年をつま先から眺め上げてから、腕を組んだ。

「こっちの方が似合ってるわ。あんなに汚い服を、どうやって手に入れたの?」

「通りすがりの子供と交換したんだ。こんなじゃ目立つだろ?」

「ええ。どこからでもよくわかる。

 もう行きなさいよ。下の見張り台で見送るわ。これならよく見付けられるもの」

 白い光沢のある布地に、銀の刺繍。押さえた色の緑の縁取りと同色のサッシュが、冷淡な白と銀の色使いを穏やかな印象に変えている。

「行っては、いけないんでしょう?

 ついて行きたくても、あたしには剣が無いわ……」

 ケイオンは、己が望む道を選べとイリュカを突き放したけれど。今は何を目指したらいいのか分からなくなっていた。

 テール以外、イリュカには目に入らないのに、その王子はまるで望まない、厳しい目をしてイリュカを見ている。

「君の気持ちはわかる。感謝している。

 けれど、いつか言った通りだ。

 君を僕の運命に、巻き込むことはできない」

 目を伏せたまま、力ないイリュカ。

「イリュカ? 自棄にはなるな。

 君の夢を思い出せ」

 ようやく、頭を横に振った。

「……どんな道を選ぶにしても、あたしは剣の道からは逃れられないわ」

 剣を失い戦士の道が裁たれるよりも、テールと引き離されること方がつらいというのに、彼は気付かぬふりをしている。

「いつか二人目の緑の炎の名を、聞くことになるだろうね」

「これからは、背中に竪琴を引くしか脳の無い子供が居ると思って、剣を抜くわ……」

 ……言い過ぎた、かもしれない。

「光栄だ。絶対に、討たれそうにないな」

 イリュカが顔をあげる前に、テールの腕が肩に回される。

「! 汚れるよ……、服が……」

 思いがけなくかすれた声が、白地に跳ね返ってくぐもる。

「また、どこかで会おう……。

 イリュカ?」

 何度もうなずいて返すと、テールはゆっくりと腕を解いた。足速に、来た道を引き返す。

 泣いてない。イリュカは火照った頬を撫でて確かめた。

「テール!」

 振り返る。白銀の剣士が。




 盲目の青年は、引き返してきた王子の発言に、頬を綻ばせた。目に見えずとも、主が一回り大きくなったようで、その変化を素直に喜ばしいものと受け止めた。

「ラシール。レンドヴェールの次期領主が、その領地を視察するということは、そう異例なことではないだろうね」

 言外に、他国の王子が次期領主になるよりはと、揶揄さえしている。

「王子がお体を大切になさり、当日寝込むことになりさえしなければ、実現することは難しくはないでしょう」

 至極率直な、最も的を得た忠告に、王子は完敗した。

「耳に痛いな。十分に節制し、身を鍛えることにしよう」

 そう返す王子の腕には、優美な16弦の竪琴がある。竪琴も、第三王子としての地位も、生涯の友人も、彼は手放すつもりはなかった。

「帰ろう。我が家へ」




 テールは、クレナが探していたと言っていた。

 あの子はよく転ぶから、居場所は教えないでと、イリュカは答えた。

 本心は、誰にも顔を見られたくない。

 張り出した見張り台なら距離があるから、追いかけられない自分に、諦めがつく。

 下へ降りれば、出て行く王子を拾った岩場。

 あの時は、不思議な音がして……。

 なぜか今は、柔らかな竪琴の音色と歌声が、山道を抜け風にあおられ届けられる。

「……一晩中歌っていたくせに、まだ足りないの……?」

 微笑んだつもりが、泣き出しそうになる。

 聞き覚えのある、マウリッカへ捧げられた歌の一つ。

 カインベルト国王が、守護者として生きる道を選んだ彼女の未来を案じ、静かに彼女への想いを語る名曲である。

「……おい。なんなんだ、あれは。

 あいつは逢引にきたのか、私に会いにきたのか、どちらだと思う?」

「王子が、お待たせしすぎたのでしょう」

 下の岩場で、一人の少年らしい若い声と、中年と思しき男の会話が唐突に始まる。

 男の返答は、やや息を切らしぎみで、あわれにも聞こえた。

「見たところ、正規軍ではなさそうだ。

 取り返すぞ」

 呆れ返った吐息を、男は少年に向けて大きく吐いた。

 驚いてイリュカは、大声を張り上げた。

「殺されにいくようなものだわ。ランドックを甘く見ないで!」

 答えの代わりに、ガサガサと枯れ草を掻き分けて、輝く金髪を持つ少年が姿を現した。

 素早い身のこなしで、イリュカの立つ見張り台へと登ってくる。

 背はテールとほぼ同じ。違うのは、健康的で日に焼けていること。意欲的で行動力を感じる青い目は、明るい夏空の色だ。

「お前は?」

「傭兵よ」

 ジロリとイリュカを眺め、少年は言った。

「剣を持たない女傭兵か?」

 つかつかと歩み寄って、イリュカは彼のふっくらとした頬を平手打ちした。

 きょとんとする少年を、追ってきた従者らしき中年は唖然と見守っている。

「テール、いえイステュールね。ルードナール王国第三王子からの伝言よ。

 あなたの友人を危険に晒すようなことは、二度としないでほしい」

 伝言を受けて、もう一人の王子は、まったくもって不機嫌といった渋面を作った。

「……で、あいつは私を殴りにここまできたわけか。

 スレヴィアが討たれたと聞いて、泡を食って出てきたのに、この様だ」

「拗ねた顔も似合いだわ、ロズウィーン王子」

「イステュールの好みはわからんな。美人で気が強くて、物騒だ」

「バカな勘ぐりはしないで! あたしは彼と……」

「と……?」

 言葉に詰まるイリュカに追い討ちをかける。

「……彼の……。……を、助けただけよ……」

「なるほど。その方が身分相応だな」

「! あなた、他に聞きたいことはないの?

 あたし、不愉快だわ!」

「帰るのか? イステュールの姿は、まだ見えるぞ」

「……」

 峠を下る白い服の旅人。

 マウリッカへの歌に続き、何かを思い出すように、テールは一弦だけを、びいんと弾いている。

「やっと、私を思い出してくれたらしいな」

「……そうね。あの音色、覚えているわ」

 何かを感じ取り、ロズウィーンは、彼方を眺めるイリュカをチラと振り向いた。

 どこか怯えたような畏怖と、焦がれた想いを含んだ、低い響きであった。

 人の心に恐れと高揚を感じさせ、静かに煽り立てる、緊迫した音色。

「飛翔の弦だと、たしか言ったな」

 七年前。夢のファルドが飛び立つ為に使われた、羽ばたきの最初の一音だった。

 姿も、一弦の音色も遠のいてから、ロズウィーンは、傍らの男に帰還を告げた。

「待って。

 いつかきっと必ず会おう

 伝言は、これで終わりよ。意味がわかる?」

「ああ。私も同じだ」

 落胆の陰りは隠せないが、王子は威厳を掻き集めて重々しくうなずいた。噂にたがわぬ、王者にふさわしい気性だ。

「お前はなぜついてゆかない?」

「彼は来るなと言ったわ……」

「イステュールらしいな。だが、馬鹿な男だ。

 スレヴィアの居ない今、まったく孤立してしまった。救い出してやるつもりだったが、運命は変えられんのだな」

 イリュカは、ここに居ることを責められているような気がした。

「……孤立とは、どういうこと?」

「過ぎた期待が、あいつを苦しめているんだ。

 母親である王妃すら、その愛情ゆえに竪琴を取り上げようとしているらしい。

 二人の兄王子は論外だ。父王に至っては、下劣な策士でしかない。

 あいつの心を守れる人間は、周囲には一人も居ない……!」

 己の無力さを悔いるように、王子は一瞬感情をほとばしらせた。

 その感情のまま、イリュカに詰め寄った。

「いいことを教えてやろう。女傭兵。

 腕を磨くことだ。心も技も。すべて鍛えれば、あいつへと道はつながる。

 きっとそんなお前の力を、イステュールも必要とする時がくるだろう」

「でも……! 彼は頑固だ……。

 自分に向けられる刃は、自分で受け止めたいと言い張る……。

 あたしは……」

 口ごもるイリュカに、ロズウィーンは挑むように問い質した。

「どうしたい……?!

 お前は、どうありたいんだ?!」

 一瞬。イリュカは、ロズウィーンの声に自分の体から、心だけが突き放された気がした。

 解放。

「彼の手足となり、彼の一部になりたい。

 空気のように感じて、振り返ってくれなくてもいいから、彼を守る盾になりたい……」

 心の底に淀んでいた想いが、唇を突いた。

 守りたい……。

 剣も、体さえなくとも、そう願う。

「ああ。お前に、相応しい姿だ」

 我に返り、イリュカはロズウィーンを見た。

 彼の、人を高揚させる力が不思議だった。

「ただし、そういう考えが通じない奴なんだ……」

 己の半身の強すぎる自制が、ロズウィーンにはもどかしい。

 イステュールは、人と距離を置きすぎる。

 相手を傷つけまいとする感情が、他人と距離を置こうとする傾向を作っていた。逆にそれは、深い思いやりからとわかるので、人は彼に引き付けられる。ロズウィーンもその一人だった。

「いつか、思い知らせてみせるがな」

 悪戯っぽく、半ば本気をこめて、王子は自信ありげに笑った。

 彼も、同じ気持ちなのか……。

 守る。複雑な、血の因習から、イステュールを。

 イリュカは、自分の名を呼ぶ細い声に砦の方向を振り返った。

「! クレナ。来ないでって言ったのに……」

 転ばないよう慎重に、手にする品を差し上げて、クレナは道を向かってくる。

「だって、これを速く渡したかったの!」

 イリュカに差し出された、極上の絹に包まれる細長い品。剣であろうことは、一瞥でわかる。だが、包む布に大きく記された紋章らしき刺繍は、何か気にかかる。

 イリュカは素早く布を払った。

「……あたしの……?」

 鞘は白地に銀細工の意匠。どこか、違和感はあるが紛れもなく七年前、イステュールを狙った若者から手渡された剣だった。

「あーっ!! 」

 ………。

 耳元で叫ばれて、イリュカは硬直した。

 その隙をつき、剣が先に取り上げられる。

「やられたな。意匠を造り替えたのか」

 イリュカは思い当たる。銀細工は元は竪琴のみだった。今は竪琴を操る手が加えられ、紋章であったそれをただの飾りに変えていた。

「こんなところにあったとはな。

 そういえば、お前も黒髪に緑の瞳だったな」

「返せ! 私の剣だ!」

 一々に横柄な態度だ。

 イリュカは苛々として、怒鳴りつけた。

「私の叔父が渡した剣だ。

 これは、司祭家に伝わる剣の一本だった。

 皆に問い詰められて叔父きは白状した」

『女の子にくれてやった。黒髪に緑の瞳の珍しい取り合わせの子供だ。年は七つ。探すには楽だろう』

「その後投げやりに、固辞していたはずの司祭次長の地位につき、祈り三昧の生活に入ってしまわれた」

 若者の記憶はあまりないが、意外なまでに高位の人間だったことに、イリュカは驚いた。

「手に入れたのは、友和条約締結式の時か?

 お前、わたしたちを刺客から救った男と、どこか似た顔立ちをしているな……」

「それは、傭兵集団ランドックの頭領ケイオン。

 私の父だ」

「なるほど。改めて礼を言う。記念すべき日に、血を流さずにおいてくれて感謝している」

 礼を正すロズウィーンに、イリュカも習った。

「あなたの言葉は、父に伝えよう」

「では、これはお前に。

 その剣をもって、ケイオン殿のように、我々を守れ」

 差し出された細剣を、イリュカはためらいながらも手にした。

「私に、ついてくるか?」

 ロズウィーンが問う。

 黙って二人を見守っていたクレナが、イリュカの腕にすがった。

「イリュカだめ!

 迎えが来てるの。これを持ってきた女剣士が、イリュカを待ってるの!」

 ……あの時の?

 それが七つの時であった女剣士だとしても、ケイオンは強要するまい。

 どの道も、自分で選ぶ時が来たのだ。

「雪が解けたなら、私は正門から王城ルナディーンに入ってみせるぞ」

「そして、すぐに別れるの? 

 会わせても、もらえないかもしれないのに?」

 静かに切り返され、王子は空を仰いだ。

 勢いはいいが、やや短慮な王子だ。頑固なテールと組めば、どんな世界を彼等は創り上げてゆくだろう。本当に楽しみだ。

「いいことを教えてくれてありがとう。

 私は、私のやり方を選ぶわ」

 ロズウィーンに、イリュカは明るく微笑みかけた。

「ほんとうに、付いていかなくて、いいの?」

 ロズウィーンたちを見送って、クレナは泣きそうな顔で尋ねた。

「あたしは、時間をかけても、彼の側にたどり着くわ。強くなってみせる……。

 でも、すぐにでも飛んでいきたいよ……!」

 クレナをぎゅっと抱きすくめて、イリュカは囁いた。

「翼が手に入るなら、それは鋼の翼で。

 大きく広げて包み込んであげたい……」

「……イリュカ……?」

 それは恋とは呼べず、ただの強い憧れだ。

 高みを目指すファルドを追いかけたいだけ。

 もう旅支度はできてる。

 少し遠回りでも、確かな師が欲しい。

「……ごめんね」

 両親や仲間たちとは、道を違えてしまうけれど。育ててくれた恩は返せないけど。

 行かせて……。

 去ってゆく王子は、二人とも同じような笑みで、イリュカを称えてくれた。

「頼もしいな」

 それが一番の近道。

 孤独な王子へとつながる、険しい旅の始まり。



『旅の始まり 完』




そして最後の一弦は、あなたの為に響く

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