旅の始まり(二)
砦においてやってもいいわ。だとか、帰れば美味しいスープがある、とか。大見得切ったものの、イリュカは砦には帰りづらかった。
思案の末、クレナに泣きつくことにして、乳姉妹の立場は一時逆転した。
「昼食を二人分だなんていうから、あたし驚いたの。それに男物の服を一揃え、古い長剣もだなんて、てっきり砦を出ていくのかと思ったんだから!」
言い付けの品が入った大きな皮袋の口を絞め直して、イリュカはむくれているクレナの後についた。
「……だからって、馬や、あんたの有り金全部もってくることはないのに……」
取り出した重みのある小さな皮袋は、クレナの手に押し込んだ。重くても中身は小銭ばかりで、大した金額ではないはずだ。それでも、クレナが苦心して溜めた貯金である。
「旅には路銀がつきものなのっ! 戦いにはイリュカは聡いけど、こういうところは抜けているから、一人にするのは心配よ」
「……だ、誰も、出ていくなんて言ってないじゃない。そっちが勝手に、誤解したんじゃない……」
体力は無くとも、クレナは生きるためのしたたかな一面を身につけていた。裏方家事全般となると、彼女は強気になれる。
「第一、剣でなんでも解決できるなんて思ったら大間違いよ? おばさんが零してたわ。
イリュカはこうと思ったら人の言うことを聞かない。頑固で一人決めするところは頭領とそっくりだって」
「やめてよ……、あんなに酷くないよ」
「いーえ。どんどん似てくるわよっ。顔だけじゃなく、性格もねっ」
「…………」
何も言い返せない。目元や顔立ちは、父親似だとよく言われる。自分でも、ちょっとは頑固なところも似てるかなあっ、とケイオンを見る度、あそこまで偏屈になるまいと反省はしているのだ。
「テールの髪ってきれいねぇ。三神のサガに出てくる白き魔使いたちと同じね」
テールが岩陰でボロ服を着替えている間、クレナは有頂天に容姿を褒めまくっている。
「物欲しそうに大きな声を出さないでよ。聞こえるわよ」
「聞こえてもいいわよ。
ねえ? あなたは白き魔族の人なの?」
着替えを終えたテールは、何のことかという顔をした。清水で顔と手の汚れを洗い落とした今は、素直に育った端正な顔立ちがさらに際立っている。
「いいえ。僕は未熟な旅の詩人ですよ」
「でも、生まれはエトルリオン王国でしょ?」
銀の髪は、エトルリオンにのみ住む、白き魔族の遠い末裔である印しだ。
「三人の天上神に誓って、ぼくはこの国で生まれた者です。この国のことなら、隅から隅まで、よく知っていますよ」
ふーんと、クレナはテールの否定を受け入れた。
「まあね。この国は広いから、遠い遠い血筋が流れてきていても不思議は無いのかもね」
皮袋から布きれを取り出して、イリュカはテールに渡した。
「その髪じゃ、今の説明を何度でもしなければならないよ。これで覆った方が、気楽だろ」
「そう? 何も隠す必要ないと思うけど」
クレナは不審がるが、テールはほっとした様子をみせる。
「ありがとう。助かるよ」
「それと、これ。形だけは詩人らしいだろ」
イリュカは袋から最後の品を取り出した。
古ぼけて胴が傷だらけの9弦の竪琴。
見るなり、テールの顔は曇っていった。
「イリュカ。ほんとに戻ってきてね」
「わかってる」
念を押すクレナを後に残し、イリュカはたずなを引き、愛馬を馬道に誘った。
見送るクレナの両腕には、しっかりと口を結ばれた大きな皮袋が抱えられている。中にはテールが人目を避けてしまいこんだ、彼の竪琴が大切そうに入っている。
預けた竪琴を、一度惜しむように振り返り、テールは正面を向いた。
「砦で、何かあったのかい?」
「あんたには関係ないわ」
そっけない返答に、テールは口をつぐんだ。
二人は一頭の馬の背に揺られ、麓の村をめざし道を下っている。
テールが詩人らしいところを見せたくても、竪琴は応えてはくれなかった。長い間使われなかったので、弦が簡単に切れてしまうのだ。
弦を買うために、彼等は山を降りてゆく。
「この剣、君には重すぎるね」
馬の脇腹のベルトに差し込んだ長剣を、テールは指している。
「まあね。ないよりはましよ。
……落ち着かないもの」
これは、イリュカの掛け値ない本心だった。
麓の村には小間物屋は一軒きりだった。
その真向かいの、間口の狭い客もまぱらな茶店には、長い亜麻色の髪を襟足でゆるく束ねる、盲目の青年が泰然と腰掛けていた。
閉ざされた世界に生きる青年にとって、耳から入ってくるすべてが彼の視界といえる。
さびれた村の人通りの少なさは、そんな彼の助けになった。
「ご主人。今、表に出てきた二人連れが、そこから見えますか?」
「ええ。若い男女のことですかね?」
「そう。足取りが軽い。少年と少女ですね」
青年の代わりに、年取った主人は目を凝らし、向かいの店を後にする二人を見送った。
「何か金属のような、重い音がありましたが、少年は剣士か戦士ですか?」
「いいえ。剣を下げてるのは女の方ですよ。
あれは、上のデールフェン砦で越冬するランドックの頭領の娘ですよ。女だてらに傭兵になろうっていう、はねっかえりで」
「ほお。女傭兵ですか。
しかし、傭兵というのは、あまりに危険な仕事ですね。できれば、貴族にでも仕え剣士として生きる方がよいでしょうに」
「そんな道は考えちゃいないでしょう。
親の背を見ていれば、ああなりたいと願うのは子の孝行というものですよ」
「なるほど。それはみあげた心がけですね」
青年は、心底感心したふうにうなずいた。
その様子に、老主人は饒舌になった。
「腕はあの年にしては、大したものだそうですよ。頭領に似て頭も切れるという話しで。
その上あの見掛けだ。黒髪に緑の目をして、マウリッカの生まれ代わりかと、この辺りでは大層評判の娘ですよ」
己のことのように、年寄りは自慢した。
「それは、末の楽しみな女戦士ですね」
手探りで目の前の茶碗をさぐる青年に、主人は茶碗を手渡した。どこか高貴な風情が、つい手を添えたくなる引力を発していた。
「それで、少年の方はどんなふうでしたか?」
「見掛けない子供ですな。フードを被って、痩せた少年で」
「竪琴の弦を買っていったようですね」
機嫌よく、薄い茶をうまそうに飲む青年を、主人はまじまじと見返した。
「耳はいいのです。あちらの店のご主人と少女の会話が聞こえました」
穏やかな顔立ちが、にこりとする。
「砦までは、ここからどのくらいですか?」
「お一人で行きなさるのか?」
もう一度、青年の年寄りの気遣いに感謝するように微笑んだ。
「いえ。供が一人おります。もうしばらくすれば、ここに戻りますゆえ、その者に、道順を教えて下されば」
青年は傍らの革袋を引き寄せ、中から上品な意匠を凝らした9弦の竪琴を取り出した。
あまりに見事な品に、あっけに取られた老人は、つまびかれる音色にまた目を見張った。
「ご主人にはお礼に、この店を客で一杯にして差し上げますよ」
数刻後、類い稀なる音色が流れ始めると、青年の言葉通り店の中といわず店先も人だかりで一杯になった。人々は争って茶代を投げ込み、次の歌を促すほど、この一角は思わぬ賑わいに湧いた。
盲目の青年が茶をすすったのと、まったく同じ頃。
同じ小間物屋の店先に背を向けて、その場を離れる旅装束の小男が一人いた。
人気のない路地裏に入るなり、跪き、男は己の崇める神にひとしきり感謝の祈りを捧げる。カッと目を見開き、漏らす笑みは残酷な喜びにどす黒く染まっていた。
「見つけたり。魔族の子よ。
エトルリオンには逃さぬぞ」
小男は、万の一つの確率で、竪琴の弦を求める白い肌、銀髪碧眼の少年の訪れを待っていた。髪は確認できないが、布とフードで隠した不審な身なりに、疑う余地はない。
「イステュール王子の後を追い、我が主グエン神にその血を捧げるがいい……!」
王城ルナディーンでの惨劇の折り、暗殺者の狙いは二人の銀髪の少年にあった。
一人は人民の希望、末は予知者と名高いイステュール王子。
もう一人は、王子に半年前ほどから仕える供の少年。彼はエトルリオン王国の出身で、銀の髪が示すとおり、イステュール王子同様、白き魔族に連なる血筋の者と、この男たちは調べあげていた。
この少年もまた、イステュールに感化されたのか、歌と竪琴の腕は優れ白き魔族の片鱗を噂されるので、グエン教の狂信者たちには目障りこの上なかった。
「せいぜい、今生のさえずりを楽しむがいい」
イステュール王子は幼少から脆弱で公式の行事を欠席することが多く、供の少年もまた、行動を共にするゆえ、二人とも、その顔立ちを知る者は少ない。だが、この国には珍しい銀の髪だけで十分。加えて、竪琴を手放すことのない癖と、エトルリオン王国へ逃げるにはデール山を抜けることが王都からは最短という地の利を推察した、小男の読みは的中した。
逃した生け贄を手の内に認め、男は足速にその場を立ち去った。
冬近い日が早くも傾き、夕暮れを告げる頃。イリュカとテールは砦に帰還した。
出迎えるように、一羽の鷲が鋭く一声鳴いて、見上げる二人の頭上を飛び立っていった。
そう……だ。
もやもやとしていた古い記憶が、イリュカの中で一つの形を作った。
そうだ、きっとそう。
頭の中がぼうっと熱くなる。動揺をテールに悟られるまいと、イリュカは頬を引き締め、砦の城門を抜けた。
皆に紹介されたわけでもないので、テールは所在なく広場に面した館の軒下で、弦の張替えにかかった。
横長の広場の一角では、男たちが忙しく立ち働いている。
多少長めの旅支度のようだった。
調達した食料を確認し、砦内部に運び込む一団もある。一部は館の軒先に積み上げられ、会話の内容から、それらは旅に使用されるらしい。
あの様子では、出立は近々だ。
小さな子供たちが彼等の間を走り回り、邪魔だと叱られては、甲高く言い返している。
薪割りの音、館や砦の石組みを修復する鎚の音。洗濯物を叩く音。
冬が間近なこの時期は、明るい日差しはとても貴重で、彼等にはより忙しい時間だった。
「あの人たちはどこかへ行くのかい?」
馬屋から姿を現したイリュカに、テールは尋ねる。
テールが指すのは、馬たちを磨き上げ、他の男たちとは違う気配で賑やかにしている一団だ。彼等は若い、少年や青年たちだった。
チラリと眺めたイリュカは、付いてこいと指で合図して、先に館へと歩き出した。
張り終わらない竪琴を抱え、慌ててテールは後を追う。
「ここを出るのよ。
砦の越冬準備が終わったら、冬の間だけルードナール全土に散らばって、あちこちの砦や領主家に雇われるの」
「どうして?」
テールはなにげなくイリュカをのぞき込んだ。が、キッと睨まれて、つい立ち止まってしまった。
イリュカは、苦い声で教えた。
「一人前の傭兵たちは、雇われた先で剣術の腕を指南する役につくわ。あたしたちランドックは、随分と腕を買われているから引く手数多なの」
剣技の腕が優れているだけではない。ケイオンが率いるランドックは、集団の統制と結束が固く、それが彼等の評判を高くしていた。
……その頭領のたった一人の血を分けた子供なのに、あんな扱いってある……?!
再燃したイリュカの胸のうちの叫びが、テールに届くわけがない。
「あそこで支度をしているのは、若い傭兵よ。
冬の間に腕前を落とさないよう、修行がてらに指南役についていくの」
「ランドックなら、評判は聞いているよ。
そんなふうに努力しているから、君達は剣技では並ぶ者がないと言われるんだね」
褒め言葉は、わずかにイリュカの感情をなだめた。だが。
「もしかして、イリュカも行くのかい?」
……聞いてはならないことを、テールは軽く尋ねた。
振り返ったイリュカは、冷淡に吐き出そうとした言葉を飲み込んだ。はっきりと、テールの顔には心細いと書いてある。
「……行かないわ。行けないの……!」
悪気のない一言でイリュカを怒らせてしまったのを悟り、テールは驚いた顔をした。
顔を背けたイリュカは、耳鳴りを感じるほど、苛立ちで一杯になった。
今朝、出立する傭兵たちの顔ぶれがすでに決まっていることを、イリュカは知った。
その中に、自分は居ない。
去年は、剣を貰って一年目だからと、黙ってこらえた。今年は違う。七年前から体は鍛えてあり、修行に耐えられる自負がある。
問い質したイリュカに、ケイオンは公然と言い放った。
『お前には必要ない』
イリュカの役目は、男たちの留守を守ることであるとまで、頭領は言い置いた。
心変わりだと、イリュカは受け止めた。
優れた傭兵となって、前線の一助になることを期待されていたのだと、信じてきたのに切り捨てられた。
なにより。周囲に望まれる以前、幼い頃から、強い戦士になることをイリュカは望んでいた。
それは、誰に言われたわけでなく、胸のうちから炎のように噴き登る感情だった。
他人が囁くように、もしかしたら、自分の体の中には、女戦士マウリッカが息づいているのかもしれない。
イリュカは漠然と感じ続けてきた。
その感情を、ケイオンは封じようというのだ。
イリュカが行き倒れの吟遊詩人を拾ったという話しは、根回しのいいクレナから皆に伝わっていた。口止めされたので、勿論テールの銀髪のことは黙っていた。
イリュカの母マーリカは、朗らかにテールを迎え入れてくれた。問題は、頭領だ。
断らないわけにはいかないので、イリュカはケイオンの前にテールを連れていった。
広間には先に仕事を終えた男達が、夕食を待つ間、時間をつぶしている。ケイオンとテール、イリュカを見比べ、無関心なふりをしながら、彼等は息を詰めていた。
険悪な対面劇に、クレナははらはらしながら後についてきた。
「話しはクレナから聞いた。
頭領は、見合った働きをみせるなら、好きなだけここで暮らしていいそうだ」
側近である壮年のノーゼンが、ケイオンに代わりテールに声をかけた。
「はい。ご好意に、礼を尽くせるよう努力いたします……」
と言ったものの、テールはむっつりと視線を合わせない親子の間にはさまれ、理由がわからず、天井を仰いだ。
ケイオンは、濃い青の注視を浴びせるのみ。
布で頭を覆い、フードを被るという異様な風体に、眉一つ動かしはしなかった。
追求されずに済んだことだけ、イリュカは内心ほっとしていた。
一言でも口に出されたなら、今朝の喧嘩の続きを蒸し返す気まであった。
そうなったなら、自分のプライドに賭けて、剣を取り返すため、決闘も辞さないつもりだった。
しかし。顔を見れば、一言切り返したい欲求がフツフツと湧いてくる。
じいっと、顔色をうかがっていたクレナが、イリュカの腕を掴んで暴発する前にその場から引き離した。
「テール。あんたの腕前を聞かせてよ。
初仕事、初仕事」
場を取り繕おうと苦心するクレナは、ばしばしとテールの細い背中を叩いた。
「え……、ええ。そうですね。
何をお望みでしょうか?」
クレナの意図を汲んで、にこやかに求めに応じるが……。
彼女の上げる流行歌は何一つ知らないと、テールは申し訳なさそうに答えた。
「……。あんた、それでどうやって今まで食べてきたのよ……」
呆れ返るクレナに、イリュカは言った。
「いいじゃないの。クレナ、諦めなよ。
こちらはどこぞのお屋敷のお抱え詩人でもあったんでしょうよ。
下々の歌とはまるきり無縁。無骨な傭兵に聞かせる歌はないって言いたいのよ」
「そんなつもりはない、イリュカ」
「黙ってなよ。どうしても稼ぎたいんなら、里の大層な方々を相手にすればいい。
あんたの歌なんて、聞きたくもないよ!」
きつい物言いに、テールは黙り込んだ。
青い目を伏せ、しばらく考えた後、テールは首を振った。
「ここで世話になるのに、知らない顔はできない」
「わからず屋の男だね。歌うなって言ってるんだよ?!」
噛み付きかねない剣幕のイリュカを遮り、クレナは促した。
「黙ってるのはイリュカの方よ。それで、何が歌えるの?」
「なんでもいいからやってくれ」
「優男の歌なんぞいらんぞ」
「俺たちは傭兵だ。景気のいいのを頼むぜ」
好き勝手に、男たちははやしたてる。
「三神のサガなら、全て歌えるよ」
これだけは自信ありげに言い切った。
三神とは、予知者フィーレの呼び掛けに応え地上に降り立った三人の天上神のこと。三神のサガは旅する詩人にとっては基本芸だ。
これさえ完璧に歌えれば、そこそこ食えるはず。ただし、基本芸はとてつもなく長く、覚えにくい。なので流行の恋歌や牧歌、舟歌、即興などで食いつなぐ詩人も多かった。
「それなら大したものじゃない」
よほど歌えるのが嬉しいのか、テールは始めてみせる、晴れ晴れとした笑みを作った。
一興は、弦を張り終えた後にと約束して、テールはその場を離れていった。
イリュカは、顔もあわさずふくれていた。