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旅の始まり(一)


 惨劇は、霧に乗じて幕が上がり、一瞬の後に幕を下ろした。

 ルードナール王国の中枢部、王城ルナディーンは、秋の終わりにありがちな、うっすらとした霧に足元を包まれていた。

 迷路じみた広い中庭にも、乳白色の霞みが流れ込み、びいんと規則的に弾かれる竪琴の音色をくぐもらせていた。

「御身、イステュール王子か?」

 背後の、足音を殺した気配が言葉を発した。

 16弦の竪琴を脇に置いて、すらりとした痩身の少年は振り返らずに立ち上がった。

「……いかにも」

 誰何する男の不穏な企みを察知し、彼は慎重に返した。

 毅然とした態度だが、その身には一振りの剣もない。近くに彼を守るべき近衛兵の気配もない。あったとしても、彼等に命はすでになかった。

「グエンの神の名において、白き魔族の末裔を征伐いたす!」

 黒衣の男が吼えると、他六つの影が現れ、少年に迫る。

 グエン神! 忌まわしき暗黒の神。

 その望みは、あらゆる魔族の抹殺、ロズウェルからの消滅。己の死を顧みない狂信者たちが、その手足となり大陸に散っていた。

 妄執の刃が、横に走り出す銀髪の少年を追い詰める。

 大願の成就。グエンの名を挙げながら、狂気の男たちは、生け贄を血祭りに挙げた。




 大股で道なき道を進むイリュカは、追ってくる小さな足音を突き放すつもりで足を早めた。

「イリュカ! 待ってよ!?」

「こないで、クレナ。誰の顔も見たくないの。

 一人にしといて!」

 振り返らず言い放っても、クレナは諦めない。同じ年だが体の鍛え方が違うので、弱弱しい体のクレナは、泥と露に濡れる下草に何度も足を滑らせている。

「!」

 ……また、転んだ……。だから、ついてくるなって言ってるのに……。

 イリュカは引き返し、泣きべそ顔のクレナをまじまじと見た。

「……泣きたいのは、あたしの方なのよ?」

 見下ろされて、少女は肩を寄せた。

「心配なのよ。自棄を起して、今にも砦を飛び出していきそうなんだもの。

 あたし頭領に頼んでみるから、イリュカももう少し落ち着いてよ? これ以上頭領を怒らせたら、今度はどうなるか……」

「どうなったっていいわよ……!

 出ていけって言われるなら、喜んで出ていくわ」

 クレナを立ち上がらせ、イリュカは深い緑の瞳を鋭くした。

「! そんなこと言わないで。あたしたちはみんな家族みたいなものなのよ? 一人で飛び出したって生きていけないよ」

 仲間は血縁のない親子兄弟。幼いうちから身に染み付けられた絆である。定住を拒否した、生命の危険と隣り合わせの傭兵集団は、鋼の絆を頼りに助け合い生き延びてきた。

 両親を早くになくしたクレナは、頭領夫婦に引き取られ、イリュカとは乳姉妹として育った仲だ。妹のようなクレナの泣き顔には、イリュカは弱い。

「わかってるよ……、自分がひよっ子なことくらい」

 イリュカは唇を噛んだ。

「わかってないよ、イリュカは。

 イリュカは頭領の娘なんだから、勝手な真似を許したら、仲間にしめしがつかないんだ。

 イリュカが盾突いたら、頭領にはああするしかなかったのに。どうしてそれがわからなかったのよ。

 お願いだから我慢してよ。きっと頭領には考えがあるよ……」

 ランドックは規律と統制がとれていることで、評判の傭兵集団である。それは家族的な繋がりが深いためで、己の命を預けあい、明日が不確かであるからこそ、絆と結束が強まる傾向によって支えられてきた。

 集団の中での頭領の地位は家長であり、たとえ女子供、頭領の実の一人娘であることさえ意味は無く、絶対服従である。

 家長の決定に異を唱えることは、許されない。許しては集団の統制は崩れ、分裂を招き、傭兵集団の機能は皆無となる。

 それは、彼等の死を意味するのだ。

「父さんの考えは、あたしをお払い箱にしたいってことよ。

 剣をくれて、仕事にも連れていってくれて、自慢話しを聞かされて。あたしを有頂天にさせておいて、女だからって今度は全部取り上げる気なのよ!」

 けしかけてきたのは、絶対に向こうの方が。

 イリュカは十分冷静に判断していた。

「あたしは強い戦士になりたいの。

 傭兵の娘が、同じ傭兵になることのどこがいけないの? あたしはそれだけの能力を鍛えてきた自信があるわ。

 剣をくれたのは父さんなのに、今更どうして取り上げられなきゃならないの?!

あたしは部隊の留守を守るだけじゃ嫌なの。

 戦場に出たいのよ。助けになりたい、そう思って今までやってきたのに、理解しろっていう方が無理よ……!」

 たったさっきの仕打ちを思い出すと、肩から腕、指先までが怒りで震えてくる。

 戦士には命である剣を取り上げたのだ。イリュカの父、傭兵集団ランドックの頭領ケイオンは。

「よくわかるよ。剣をもってる方が、あんたには様になってもん。誰よりも相応しいよ。

 でも、頭領を怒らせて今日みたいな目にあったら、全部無駄じゃないか。……つらいけど、時を待たなきゃ……。

 頭領が、きっとうまくしてくれるよ」

 そうは思わない。もう期待はかけない!

 胸深くに移し変えられた反抗心が、イリュカの表情を冷淡なものに変えた。

「……。あんたの言う通り、頭を冷やしてくるから、ついてこないでよ」

 涙をこすりあげるクレナが渋々うなずくのをまたずに、イリュカは踵を返した。

 砦にはしばらく戻る気にはなれない。

 傭兵仲間の目前で屈服させられて、イリュカの自尊心は傷つけられていた。

「……かならず、取り返してやるから……!」

 剣は二年前、イリュカの細腕に合わせ、ケイオンが普通よりも剣身を細く、軽く造らせたものだった。

 父やその仲間たちのように強い戦士になったようで、体が震えて熱くなるほど嬉しかった。それが、12歳になった春のこと。

 今日の一件は、あの頃、半ば手のうちにしたと確信していた女傭兵になる未来を、取り上げられたようなものだった。

「今更、どういうつもりよ……!」

 冷えた風が、上気した頬をなぶってゆく。

 冬を前にした季節には珍しい、済んだ青空を顔をしかめて仰いだ。

 ひどく空が近い。

 もっとも高地に築かれたせいで、昔は『空の砦』と呼ばれたこともあるという話しだ。

 国境沿い、デール山中腹にある砦は、放逐されて長いので荒れるにまかされてきた。

 おかげでここは、留守家族の女子供や、すぐ下の村の守護に冬だけ雇われる傭兵たちの、冬の住処に毎年使われるようになった。

 イリュカは真新しい轍と馬道とは反対の、古い見張り台の方向を選び降りてゆく。

 そこに。

 不思議な音が、耳を打って過ぎた。

 どこか怯えたような畏怖と、焦がれた想いが弾け飛んだような、低い響きであった。

 ためらわず、イリュカは岩場をするすると降り、音の余韻を追った。

 一音限りでしんと静まった中を、枯れかけた草をかきわけ緩い傾斜の岩場に出た。

 目を凝らすと、岩場を這うようにして幹を伸ばす潅木の根元に、人がうずくまっている。

 うつむいて、深く被ったフードやマントは、これ以上ないほど埃と汚れにまみれている。

 対照的に、その下から投げ出された手は、まぶしいほど青白くほっそりとしていた。

 竪琴らしき物にかかる右手が微かに動いた。

 生きているのだと、イリュカはほっとした。

 そっと踏み出した足元で、カランと石ころが音を立てた。

「!」

 がばっと、フードを跳ね除けるように顔を上げ、同時に白い手が異様な素早さをみせ、抱えていた物をマントで覆った。

 突然の行動に驚きはしたが、イリュカはさらに安心した。これだけの元気があれば、すぐに死ぬわけがない。どうみても、相手は道に迷った行き倒れだ。

 マントの裾からのぞく、なめらかな竪琴の腹を見下ろしながら、少年の真正面に立った。

 つぎはぎだらけの衣類とマント。投げ出された足のブーツだけは上等な品だ。

 警戒心を慎重に向ける瞳は、沈み込んだ感情のせいで陰りは見えるが、明るい泉の青。

 神秘的な取り合わせの、青の瞳に淡く光りを弾く銀の髪。この国では珍しい髪だ。

 もっとも、イリュカも黒髪に深い緑の瞳という希少な取り合わせではあった。

 ふいに、少年のまなざしが、警戒を忘れ大きく見開かれる。

 向けられる純粋な驚きに、思わずイリュカは吸い込まれるのかと思った。

「……かの人の瞳は深い森の色で、かの人のまなざしは誠実で激しい。

 逆巻く緑の炎を両眼に灯し、カインベルトの穏やかな王を愛し抜き。あらゆる邪なる念より守護し、盾となる……」

 高貴な声音で、流れるように音律のないまま、少年はある歌の一遍を唱え上げた。

「どうして……、そんな歌を歌うのよ……」

 かろうじて問い返す。イリュカは一瞬、山奥の岩場にいることを失念した。

 この歌は吟遊詩人に会う度、傭兵たちが好んで求めるので、よく聞かされてきた。

 この涼しげで、包むような抑揚のある歌声も、これは初めてではない……気がする。

「君の姿は、緑の炎と呼ばれる最高の女戦士マウリッカを連想させたから。つい。

 同じだね。瞳と髪の色が」

 緑の炎と呼ばれ、もっとも名を馳せた最高の女傭兵マウリッカ。

 彼女は高い剣技と知略をもっていた。その能力のすべてを注ぎ、愛しぬいた一人の国王との物語は、多くの詩人によって歌に編まれ、二人の死後もこの世に残っている。

「……あたしは彼女じゃない。一族を見殺しにしても、たった一人の他人を選ぶなんて真似は、絶対に出来ないわ……」

 有名な、マウリッカに関する逸話の一つだ。

 一族を盾に、カインベルト国王を裏切るよう脅迫を受けても、彼女は決然と拒否をした。見せしめにおきた悲劇にも、彼女の決意は変わることがなかった。

「ぼくは勇敢な女性だと思っているよ」

 真摯な感情に、イリュカは身構えた態度を解いた。

「マウリッカはあたしのひいおばあさんよ。この色は、先祖返りだって話し」

 誰かに似ている……。

 記憶を照らしながら、イリュカは少年を観察した。同じ年か、一つ二つ年上に見える。

 少年は必要以上に肉の薄い頬と、疲労で落ち窪んだ目をしている。

「こんなところで商売になるの?」

 少年は、イリュカの中にまだマウリッカを見ているのか、憧れる暖かい視線を向けてくる。

 こうまであからさまだと、気後れするのはイリュカの方だ。

「あんた吟遊詩人なんでしょう?」

 少年の顔色が落胆に変わった。

「……。たった、さっきまでは」

 イリュカに敵意のないのを悟ってか、彼は無用心なまでにあっさりと緊張を解いた。

 足元に散らばる、切れた弦を無念そうに見下ろした。

「最後の弦が切れたんだ」

「その音。さっきの、ビインって音?」

「そう。飛翔と名づけられた弦だった。

 滅多に使わない弦だから、最後まで持ち堪えられたんだろうね」

 イリュカは、弦の一本一本に名前がつけられているということなど勿論知らなかった。

「? 古いものだったの?」

「……そういうわけではないよ。

 たぶん、僕のせいだ。

 いわれの通り、悪しき心によって竪琴は閉ざされた……」

 そんないわれがあるということも、イリュカには初耳だ。少年は自嘲ぎみに、自分を責めている。そうされるに値する悪人には、イリュカには見えないのだが。

「こんなに簡単に切れるなんて思わなかった。

 まるで綿屑か蜘蛛の糸みたいに弱って、心を打ちのめすような音で切れていった……」

 落胆する顔立ちは、荘厳な光りを放つ銀髪には、イリュカが苛立つほど似合わなかった。

 長さは肩に触れる程度。前髪は眉で切り揃えられていただろうが、櫛をとおしていないせいで乱れきって、まるで浮浪児だ。

「買う金がないの? 三倍で返すなら、貸してやってもいいわよ」

唐突な高飛車な取り引きに、一瞬何のことか分からず、彼はすぐに首を振った。

「街で買えるようなものじゃないんだ」

「なら、一角獣のたてがみか、ドラゴンの髭でも探しにゆく?」

 少年の丁寧な言葉使いには、浮浪児や無宿者には思えない非現実的な響きがあった。

 それを揶揄するイリュカに、彼はクスリと笑みを作った。

「そんなに大層なものじゃないよ」

「だったら、どこにあるの?

 そのままじゃ、飢え死にするだけじゃない。

 支払いは後にしといてあげる。手を貸すわ」

 はっきりと物を言い、何にも物怖じしないのは、周囲が認める彼女の長所だ。

 少年は一瞬戸惑い、あまりの決断の速さ、大胆さに呆気にとられた。

「君は何? ほんとうはここは天国で、マウリッカ本人なんじゃないのか?」

 興味深そうな、やや生気の戻った瞳が、イリュカの服装に注目する。

 もの珍しがる視線には慣れている。

 肩を保護するため、肩と背中に鋼を仕込んだベストを胴着の上に羽織っている。それが、肩幅を広く見せていた。上衣は膝丈だが、動きやすいよう裾の切り込みが両脇にある。もちろん、男たちと同じ足通しで、長いブーツはきっちりと編み上げている。

 くやしいのは、腰のベルトに下げる剣がなくて様にならないこと。黒っぽい意匠のない鞘で、半人前の印だが、無いよりはましだった。

「天国じゃないけど、あたしも傭兵よ」

 少年は予測はしていたらしい。きつく編んで背に垂らす長い髪は、男女とも傭兵のトレードマークの一つといってよかった。

「……。いくつなの?」

「女の年を聞くもんじゃないわ。

 どうするの、財布ごとあたしを雇う?

 決めなさいよ」

「……弦は、家にある」

 曖昧に口ごもった。

「家出? 敷居が高くて帰れないんだ。

 窮屈なものよね。家って」

 辟易した声に、少年は怪訝な顔をした。

「君はもたないの、家を」

「ないわ。そんなの邪魔になるだけよ。

 家はこの国中よ。仲間と一緒なら、どこでだって眠れるわ。

 しばらくは、この上の砦になるけどね」

 勢い良く自慢したものの、今年は居ずらくなりそうな気配が濃厚で、イリュカは密かに気落ちした。

「砦って、デールフェン砦?」

 身を乗り出す顔が、ぱっと輝いた。

「え、ええ」

「そうか……! 方向は間違っていなかったんだ!」

 天を仰ぎ、力なく背後にもたれながらも、少年は歓声を上げた。

「砦に用があるの? 何かの依頼? 仕事?」

 疑わしい目で、イリュカは喜びを見守った。

 どうしても、どこで会ったのか思い出せない。懐かしさを覚えるのだが、誰となるとベールがかかったように曖昧になる。

 はっと、すぐに少年は我に返った。

「君たちは砦に住んでいるのか?

 ……誰もいないはずじゃなかったのか?」

「冬の間は移動せずに、ここに住むのよ」

「……そうか。知らなかった」

 一転して気落ちした少年に、迷惑そうな気配をイリュカは感じた。

「あんた誰? なんの用なの?」

「僕は……、テール」

 その続きは沈黙だ。これ以上会話をする気も無いらしい。自分だけの思案に暮れている。

「あたしはイリュカ。本当の詩人だっていう腕を見せるなら、砦においてやってもいいわ」

 迷う顔をするので、続けて誘った。

「あんた喉が渇いてない? 帰れば美味しいスープがあるんだけど?」



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