ヴァンパイアフィリア
この短編は『吸血病・好血病・ヘマトフィリア・ヴァンパイアフィリア』に属する症状を題材としています。
こういったものに偏見を持たれる方は読まないでください。
彼は吸血鬼だった。
ある日、彼は自分が吸血病だということを私に告白してくれた。恋人として付き合い始めて2ヶ月ぐらいの頃だった。
吸血病というのは、どうしようもなく人や動物の血液を欲しがってしまう病気らしい。彼の場合、栄養としては血液は必要ないはずなのにどうしても衝動で血液が飲みたくなってしまうのだ。
彼は私の血が飲みたいと言った。私は意を決して自分の手首を切って彼に差し出した。
自分で自分を傷つけるのは初めてだったから正直怖かった。でも一度傷つければそれほど大したことはなかった。
彼は酔った様に私の血を飲む。私はその妖艶な姿に魅入られてしまっていた。
「・・・どうしたの?どんな味か気になる?」
私の視線に気づいて、彼は微笑んだ。私は凄くどきりとして、そして気がついたら頷いていた。
彼はそっと私の手を私の前に戻す。目の前には未だ真っ赤な血を噴き出す私の手首。
私は彼がやっていたように自分の手首を銜え、自分の血を啜った。
口の中に温かい熱と鉄の香りが広がる。そのあまりの強烈さに私は咳き込んでしまった。
「大丈夫!?」
ごめんね、悪ふざけが過ぎちゃったよ、と彼は私に謝る。ううん、いいの、と私は言う。悪いのは私、自分の血でさえ飲めなかった私。
その後、彼は丁寧に私の手首に包帯を巻いてくれた。包帯と同じくらい白い、病弱そうな色の手で。
それからも、彼は私から血をもらった。私はその光景をずっと目を離さないように見つめていた。
彼と一緒にいる時間の中で、私はこの瞬間が一番好きだった。一番自分の心拍が大きくなって、どきどきするこの瞬間が好きだった。
「凄く、美味しいよ」
彼はいつも、私の血を美味しいと言ってくれる。そして私は時々、自分の心臓の奥のどこかが疼くのを感じた。
―血は美味しい、なら、彼の血も美味しいんだろうか。
そう思ってしまったとき、やっと私は自分の衝動の正体に気がついて、恐ろしくなった。
それから、私は必死で自分の衝動を抑えようとした。彼にも言えなかった。言ってしまったら、彼がどんな反応をするのか怖かったから。
でもある日、私は自分の衝動を抑えきれずに気づいた時には彼に包丁を向けていた。
彼は包丁を持った私に気づいても逃げなかった。彼は怯えもしなかった。ただ、悲しそうに私の名前を呼んだ。
名前を呼ばれて私はビクリとした。自分が今何をやっているのか、私は恐怖と後悔と衝動でパニックになっていた。
私は彼の腕を包丁で傷つけた。彼の腕からは私と全く同じ赤い色の血が噴き出した。
私はそれを見てすぐにその場所へ齧り付いた。包丁はどこかへ放り投げてしまった。口の中には自分のものじゃない熱と鉄の香りが広がる。今度は咳き込まなかった。
ふと、頭に優しい感触があった。彼が自由な方の腕で私の頭を撫でていた。
「大丈夫。大丈夫だよ」
私は急に悲しくなって涙が出た。ごめんなさい、傷つけてしまって本当にごめんなさい。
それでも、私の口は彼の腕を離れなかった。本当の血の味を知って離そうとしなかった。
彼は私にとって吸血鬼だった。
薄暗い研究室で実験動物は口を開く。
―わたしの心はあなたに囚われた。
あなたはわたしを逃がさない。わたしはあなたから逃げられない。