表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

世界樹の国

世界樹の国~武力の公爵家~

作者: 山百合
掲載日:2026/04/03

 この国の中央には世界樹が生えている。その姿は隣の領地の山に登れば見える。

 広がる枝葉により、キノコのようなシルエットをしている。

 世界樹の周りには聖域とされた森が広がっている。

 世界樹には、5人の精霊様が座っている。

 世界樹の花びらを保管しているのが王家である。

 その王家に初代から仕えているのは五大公爵家である。

 その筆頭は王都の隣にある領地の森を守る公爵家である。

 その森を中心に東西南北へ公爵家がそれぞれ領地を持っていた。

 北の領地は魔力に優れている。

 東の領地は知恵に優れている。

 西の領地は武力に優れている。

 南の領地は癒しの力を持っている。


 西の領地を持つサエリア公爵家には、3人の子供がいた。

 長男はまもなく成人を迎える年齢だ。彼の婚約者は、ユミール伯爵家の次女、アロエナである。


 王都には数代前から始まった学園があった。貴族の令息令嬢が通うその学園は小さな社交界と呼ばれている。

 子同士の仲により、家同士の交流が生まれる事もある。

 元々親族など交流のあった家は、さらなる交流を求めて深く信頼を育んでいた。


 アロエナは、この学園の2年生だ。学園には4年通う。学園に通う時期は春と秋の3ヶ月ずつである。それ以外の季節は社交や、領地の経営に宛てがわれる。

 学園では色々な分野を教えていた。

 1年生は礼儀作法を中心に授業が行なわれている。

 2年生になれば、領地経営、魔術、歴史、馬術、剣技、淑女教育などそれぞれが望む授業を取る。

 騎士を望むものは馬術と剣技など。もう少し深く学ぶならば歴史の授業も選択肢としてあり得る。

 

 アロエナは、淑女教育を中心に領地経営の補佐のために授業を組んでいた。そして王族とも近しい身分となるため、一年生の頃に学んだ延長線上の礼儀作法も受けていた。

 将来公爵夫人になるため、1年の頃の礼儀作法はトップクラスの成績を収めた。

 学園へ入った頃に比べ、心から笑うということは無くなってしまった。

 自然に見える笑顔を心がけ、常に当たり障りのない会話をしていた。

 

 その中でも仲のよい友達は居た。タウンハウスで時折お茶会をしては遠回しな言葉でお互いの愚痴を言い合っていた。

 歴史の授業が途中眠気と戦うことになる。寝てしまっては淑女失格であるため何とか寝ないで済む方法はないものか、など。

 

 アロエナは彼女たちを友達として思っており、彼女たちもまたアロエナは友達であると思っている。

 取り巻きなどでは一切ない。

 将来の公爵夫人だからと媚びを売る人たちはさりげなく遠ざけた。相手の目を見つめると少しだけ視線を逸らすのだ。

 心から友達になりたいと思っているものは目を合わせれば嬉しそうに笑ってくれる。

 

 アロエナの婚約者であるトゥエル・サエリアは今年3年生である。武力の公爵家ゆえ、剣技と馬術を習っておりその成績はトップクラスである。

 サエリア家に受け継がれる赤い髪を長く伸ばし後ろの高い位置でくくっている。瞳の色も、赤色である。

 薄い緑の髪を持つアロエナと並べば1つの赤い薔薇の花のように二人の色合いは親和性が高かった。

 

 アロエナが1年生の頃は、2人並んで仲睦まじい姿が学園では見られていた。中庭で語らう姿、食堂で一緒に食事をする姿。

 学園の帰りは時折公爵家の馬車に乗り込む二人の姿も見られた。

 

 アロエナが、2年に上がり暫くするとトゥエルはその姿を見る機会が減った。

 学園には通っているようだ。だがアロエナの前に姿を見せることが少なくなった。

 週末のタウンハウスでのお茶会も三回に一回ほど断りが入るようになった。

 時折一緒に帰っていたその誘いも、この一ヵ月では一度もない。

 

 アロエナが不思議に思っている頃に、噂が流れ始める。

 トゥエルが新しく入った子爵令嬢と仲睦まじく中庭で語っていたという。

 その噂は学園の中だけでなく、貴族の中で囁かれ始めた頃にやっとアロエナの耳に入った。

 学園の前半期が終わる2週間前のことだった。

 

 学園内のサロンでお茶会をしていると、友人のミシェルがその噂を心苦し気に告げた。

 その噂を聞いたアロエナは一瞬だけ顔を強ばらせた。かちゃ、と手元にあるカップが皿とぶつかる音が響く。そのような音を響かせるのは、淑女としては許されない。

 赤いソファーへ隣同士に座り、お茶会は先ほど始まったばかりだ。その噂を聞くまではお茶会に参加している令嬢達の話声がそこら中で咲いていたというのに、その噂を知らせることを前もって知っていたのか。それともアロエナのいつもと違う態度に気づいたのか、アロエナの周辺だけが、静まり返る。


 

 噂を聞き流し、3ヶ月の休みに入るか、今問いただすのか。どちらを選ぶかが、アロエナの頭の中を駆け巡る。

 噂になるほどに逢瀬は繰り返されたのだろうか。私を放置して?

 


 アロエナは数分押し黙ったままだった。カップはすでにテーブルの上に戻されている。ぎゅっと両手で扇子を握りしめ何事か考えを巡らせていた。

 噂を聞いたのが、お茶の時間だったため周囲に人が多く取り乱すことはできなかった。座っていたことが幸いした。周りの令嬢達は心配そうにしているが周りに気づかれぬようにと、会話に花を咲かせ始めた。

「わたくし、直接聞いてみますわ」

 少しだけ震えたか細い声がこぼれる。押し殺されているのは悲しみか、怒りか。そっと、隣に座っていたミシェルが肩を撫でた。落ち着いて、と小さな声が聞こえる。

「大丈夫よ。……えぇ、大丈夫。」

 自分に言い聞かせるように、アロエナは繰り返す。みしり、と手の中の扇子が悲鳴をあげる。

 ミシェルは、その音を聞いて諦めたようにそっと肩を撫でてから手を引いた。

 こうなってしまっては止めることは叶わないだろう。

 

「行ってまいりますわ。」

 言うが早いか、立ち上がったアロエナが息を吐く。そして笑顔を作った。目が笑っていないその笑顔に場が凍りつく。

「い、今からですか?」

 なんとか解凍できた一人が声をかけた。その声の主にアロエナは目を向けてにっこりと、笑いかける。

「もちろんですわ。善は急げと言いますでしょう?」

 ころころと、鈴が鳴るような笑い声を零しアロエナが歩き出す。

 令嬢たちは、善なのか?と疑問になりながらもアロエナの姿を見送る。

 その後ろをアロエナの侍女が後ろを着いて歩く。

 

 姿が遠ざかるとアロエナの周りが揺らめいて見えた。闘気。相当怒りを抑えているようだ。

 ひっ、と令嬢の一人が口元を抑えて漏れ出る声を抑えた。

 部屋を出れば侍女は控えの場にいたフットマンへ伝言を頼む。宛先はアロエナの実家である。


 何も知らぬトゥエルは今日も今日とて、中庭で愛らしい少女と一緒のベンチに座り語り合っていた。

 中庭にある東屋は白を基調としたアンティークな雰囲気のある建物だ。その周辺には薔薇が植えられ、今の季節に咲く赤やピンクの薔薇が一つの絵画のようである。

 ベンチに座る二人の距離は人が一人分入るほど空いてはいる。その距離が今の二人の近づける限界の距離だ。

 あぁ、早くこの少女を抱きしめたい。

 そんなことを考えながら紳士の顔を崩さないのはさすが公爵家の長男と言うべきか。

 

 ぞくっとした。

 急に空気が冷たくなったような、そんな恐怖から来る背筋の冷たさに視線が忙しなく周りを見渡した。そして1点で止まる。東屋の外に向けた視線に映るのは、一人の少女が立っている姿だ。

 目が合うと、満面の笑みを扇子で隠し石が敷き詰められた道をヒールの音を響かせて歩いてくる。

 冷たい汗が背中に流れるのを感じた。トゥエルは恐怖に笑顔が引き攣る感覚を覚える。

 頭の中は警笛が流れている。ただ一人の年下の少女に対して怯えているのだ。

 

「トゥエル?何をしている?」

 扇子の下から淑女とは程遠い低い声が零された。

「こ、これはぁ!」

 声を裏返しながら、必死に言い訳を考えていた。

 爵位はトゥエルの方が上だ。単純な力比べならば彼の方が勝っている。だが、この怯えは……幼少期のトラウマから来ている。

 

 トゥエルとアロエナは幼き頃に婚約が調った。その頃当主であった公爵の妹の娘の娘である。二人ははとこ関係だった。武力の公爵の直系に近い血の上、アロエナの父は魔術の公爵家の三男である。魔術と武力のハイブリッドがアロエナである。

 

 魔術の公爵家で余らせていた伯爵位を継いだのがアロエナの父である。

 

 このハイブリッドな血を欲して調った婚約だ。本人たちの相性が悪くなかった事も、後押しした。

 相性は確かに悪くなかった。ただ、武力の公爵家の長男というプライドは、自分より幼い少女に折られた。

 トゥエルが10歳になったばかりの頃だ。

 魔法を搦手に使い自分の力を底上げし、木刀に炎を纏わせる。そんな少女を前にトゥエルは膝を地面に着けた。

 同年代はもとより、成人したての騎士にすら負けなかった少年が、負けたのだ。それだけでなく、少女はにっこりと笑う。「あら、か弱いのですね。」と。

 トゥエルのプライドは折られ、アロエナが少しでも不機嫌になると怯えた。また、地に伏せられる、と。

 アロエナは理不尽に不機嫌になることはなかったので、そのトラウマが発動するのは1年に2度ほどではあった。どれも、トゥエルがやらかした時だけだ。

 

 16歳という思春期も終盤。幼い頃より婚約者がいた為、恋を知らぬままなのは嫌だなぁ、と朧気に考えていたトゥエルは新入生の子爵令嬢の可憐さに心惹かれた。

 これが、恋……!と浮かれた。

 そして、その浮かれた心はトラウマを押さえつけた。理性はこんな事していると、アロエナに怒られるぞ!と叫んでいた。なのに、子爵令嬢を前にすれば浮かれた気分がその叫びを容易く押さえつけた。大丈夫、大丈夫!などと根拠の無い自信が浮かび上がる。

 幼き頃よりも鍛えたのだ。きっと今なら負けないだろうという楽観的な気分もあった。

 だというのに、植え付けられたトラウマはまだ克服できていなかった。

 アロエナの怒りを表すようにゆらゆらとアロエナの周りの空気が揺れている。

 

「あ、こ、これはぁ……」


 先程と同じ台詞を零しながら語尾は徐々に消えていく。

 子爵令嬢はアロエナの覇気を感じられていないのだろう。不思議そうに二人を見比べていた。ある意味この場で一番幸せな少女である。

 子爵令嬢が立ち上がり、拙くスカートを持ち頭を下げた。

 声がかかるのを待つように。

 子爵令嬢は確かに淡い恋心をトゥエルに感じていたが、それはそれだ。マナーを破るほど溺れてもいないし、頭の出来も悪くはない。だがこの場面で、言い訳をしたところでどうにもならないと悟っていた。

 

 大体、人気の少ない中庭に彼女が現れた時点で詰んでいるのだ。私もまた、隠そうとしなかったのはいずれトゥエル様と結ばれたらなーなんて、淡い期待があったからだ。

 ここで決着をつけても良い。

 トゥエル様と一緒にいられるならば、平民になる覚悟だってできている。と、言うのに。隣で彼は狼狽えるだけだ。

 その姿を見ていると淡い恋心が霧散していきそうだ。なんとか、かき集めながら頭を下げる。

 

 その子爵令嬢の姿を見て、アロエナは目を細める。そして、ふーん。と小さく呟いた。

「いいわ、これはあなたにあげる。」

 扇子で、これ、とトゥエルが指された。

 

 声をかけられた子爵令嬢が頭をあげた。ちらりと、トゥエルを見れば驚愕の表情を浮かべている。

「な、なぜだ?!私は君の婚約者だろう?!そりゃ、ルル嬢に心は惹かれたが!結婚は君と、……っ!」

 アロエナの持つ扇子の先がトゥエルの顎先に突きつけられた。

「惹かれた?今そうおっしゃいました?」

 ふふふ、と小さな笑い声が零れた。

「面白いことをおっしゃるのね?」

 突きつけられていた扇子でトゥエルの顎が持ち上げられた。

 

「歯を食いしばりなさい?」

 その声と同時に、風を切る音が響いた。扇子が空気を切り、そのすぐ後びしっという重い音が響く。

 トゥエルの頬に数秒後、赤い殴打痕が浮かぶ。

 

「ルル様と仰いましたよね?この方の本音がこのようですが、どう思いまして?」

 アロエナの視線が子爵令嬢であるルルリアへと移る。ルルリアは茫然としたままアロエナと視線を交わした。

 

 目の前で淡い恋心を持つ相手がぶたれた。通常であればアロエナへと怒りを向けるかもしれない。

 けれど、その前に吐かれた言葉がルルリアの頭の中でこだまする。

 結婚は君と……?

 

「つまり、わたくしは、遊び、だったと?」

 ゆっくりと、確認するようにルルリアが言葉を零す。その声が徐々に震える。

 

 トゥエルは二人の少女を交互に見た。違うと叫びたかったのだが、アロエナの冷たい目が言葉を発することを許さなかった。

「……いり、ません。」

 ルルリアは首を横に振った。そしてアロエナをまっすぐに見つめた。はっきりと言い直す。

「こんな男、いりませんわ!」

 

 淡い恋心は砂となり、淡いまま、さらさらとルルリアの心の中から零れ落ちていく。そして残ったのは嫌悪感だ。

 ルルリアの言葉にトゥエルが茫然と彼女を見つめる。先程まで、二人で淡い恋心を確かめ合っていた。二人の距離は人一人分空いていたが、それ以上に心は寄り添いあっていたはずだ。

 

 呆然と見つめていたままのトゥエルにルルリアが目を向ける。その目は先ほどまでの淡い恋心を乗せた視線ではなく、冷たく、虫を見るような目だ。

「ルル嬢……」

 絞り出すように名を呼んでみるが、その声を厭うようにルルリアは目をそらした。そして、アロエナへと再度謝罪の意を込めて頭を下げた。

 

「アロエナ・ユミール様。申し訳ございませんでした。わたくしが、浅はかでございました。」

 

 こんな男と将来を過ごしたいなどと思っていた数分前の自分がどれだけ愚かだったか。恋に浮かされていたなどと恥ずかしい限りだ。

 アロエナへの仕打ちもまた自己中心的であり、彼女は何も悪くないというのに彼女の評判にも、心にも傷をつけてしまうものだった。

 頭を下げる程度の謝罪で許されることではないだろう。当家への非難も受けるかもしれない。けれど今ここでできることは、頭を下げることしかなかった。

 

「いいえ、よろしいのよ。まだ学園に来て数か月ではありませんか。……悪いのは、トゥエルですわ。」

 ルルリアに向けられるのは、優しい声だった。そしてその瞳は慈悲に満ちたものだ。

 

「いいえ、わたくしはトゥエル様に婚約者がいることを知っていながら……このような場所で逢瀬を繰り返してしまったのです。」

 熱に浮かれるように、婚約者がいると知ってなお恋心を止めることなく易きに流れた。

 振り返ってみれば、自分の浅はかさに恥ずかしくなる。ぎゅ、と自分のドレスのスカートを握りしめた。その手をそっと撫でられる。

「あなたはまだ、幼いんですもの。今ならばまだ、間違いを正すことができますわ。そしてあなたは間違いを正せたのですわ。」

 

 スカートを握る手を取られそっと撫でられる。

 世界が桃色に色づいた気がする。

「アロ、エナ……様……!」

 ルルリアの目に涙が浮かぶ。そして高揚して頬が赤く染まり、今にもアロエナに抱き着きそうなほど体を寄せた。それを受けるように、そっとルルリアの背に手を回してそっと背を撫でた。アロエナは扇子をポケットへと納め代わりにハンカチを取り出した。そっとルルリアの目元をぬぐう。

 

 もう、二人の世界だ。放置されているトゥエルは茫然とその姿を見ていた。

「トゥエル、……私の父にももちろんですけど、あなたのお父様にもこのお話はすでに連絡しておりますわ。」

 冷たい声が宣告する。お前はもう終わりだ、と裏の意味を持つ言葉を。

 「な、ぜだ?私が学園にいる間、それだけの……」

 何とか絞り出した言葉がさらに少女二人の心を冷やしていく。

 

「さぁ、まいりましょう……。美味しいお茶でも飲みましょうね?」

 アロエナはルルリアから体を離しそっと背を撫でてこの場を離れようと促した。

「アロエナ様……お姉さまと、お呼びしてもよろしいですか……?」

 アロエナから借りたハンカチを握り締めルルリアは問いかける。その目はもう、ハートマークが浮かんでいそうである。

「まぁ、かわいい子。よろしくてよ?」

 アロエナがにっこりと笑って受け入れる。そして二人は、その場を後にした。トゥエルを残して。



 その年の夏。中庭での事件があった時間から言えば一ヵ月後。10年に一度の花祭りが行われる。

 花祭りの前日に、五大公爵家の各当主と後継者の候補は守り人の公爵家へと足を運ぶ。

 その場に、アロエナは居た。武力の公爵家からは当主と、二人の子供。そしてアロエナが参加していた。

 

 守り人の公爵家は、五大公爵家の中では小ぶりな屋敷だった。白い柱に赤いレンガの可愛らしいお屋敷だった。そして、屋敷の隅々まで暖かさに満ちていた。

 守り人の公爵家の皆様は、優しく私たちを出迎えてくれる。

 

 この場での出来事は他言無用であると言い含められる。

 到着した日の夜、王太子が世界樹の元から持ち帰った白い大きな花びらに浮かぶきれいな水を見る。キラキラと光を反射してその白い花びら自体が発光しているようだった。

 

 その時、トゥエルが叫ぶ。

「どうしてっ!」

 意味も分からずアロエナは彼を見た。

「この水が見えぬのだろう……?お前は後継者としての資格を失った。」

 

 この水が、見えない……?

 アロエナが不思議そうに首をかしげた。こんなに並々と注がれた水だ。透明度が高いといえど水が見えないようには見えないのだ。

「アロエナ、この水はね。後継者を選定するものなのだ。」

 当主が言葉にしながら水をすくって見せた。そして一口、口に含む。

「ユーリア、お前も試しなさい。」

 愕然とした表情のトゥエルの後ろに控えていた次男のユーリアが一歩前に出る。そっと花びらの中に手を入れるがその手は水に触れることができなかった。手を持ち上げてみても煙の中を通ったように、水が滴ることもなくユーリアの手が濡れていることもなかった。

「父上、私はまだのようです。」

 不思議なその光景を眺めていたら、そっとアロエナの背が押された。


 公爵家の当主は母のいとこである。おじさま、と小さなころは呼んでいた。その小さいころと同じように優しい目で私に頷いてみせる。

 恐る恐る手を伸ばしその白い花びらの中の水に触れる。とても、冷たい。そっと掬い上げれば一口分の水が手のひらに収まっていた。口に含めば甘く、優しい香りが広がる。

 体の奥へと、その冷たさが落ちているのにその奥が熱い。体が燃えるような、そんな力を感じた。


「当家の後継者は決まった。」

 おじさまが、言葉を発する。

 私が、将来女公爵へとなることが決まった瞬間だった。

 水が飲めること、が条件だったのだと気づく。

「水を見ることも叶わないものを公爵家に置いておくわけにはいかない。アロエナ、君がよければユーリアを傍に置いてもらえないか?」

 婚約者変更の打診だ。思わずユーリアのほうを見れば困ったような、でも嬉しそうな顔をしていた。

 

「アロエナ、アロエナ、見捨てないでくれ……!」

 トゥエルが足元へと転がってきて、縋り付いてきた。その手をぴしゃりと叩く。

「あなたはわたくしを裏切ったのですよ?なぜ助けてもらえると思っておいでなのかしら?」

 自分でも驚くほど冷たい声が出る。我が家で、行儀見習いという名目で働き始めたルルリアを思い出し眉根を寄せた。あの少女を弄んだこの男を許せるわけがない。

「ですがあなたを放り出すのも気が進みませんわ。昔のよしみで、下位貴族の称号だけは与えます。あとは自分で何とかなさい。」

 平民へと落としても、公爵家という場所で育った男はどうせ野垂れ死ぬだけだ。そんなことはさすがに望んでいないので、子爵か男爵位を与えて生活だけは面倒を見るつもりだ。

 どちらかと言えば、魔術の公爵家に近い私の血ではあるが、魔術の公爵家にはすでに後継者が居た。

 

 武力の公爵家を継ぐことが決まったことに戸惑うが、王太子曰く「精霊様は気まぐれだから」と笑っていた。

 血よりも心で選ばれたのだと、思いたい。そしてユーリアを見てから微笑んだ。

「ユーリアは裏切るんじゃありませんよ?」

 それは婚約を受ける返事にしては乱暴であったが、ユーリアはもちろんと大きくうなずいたのでそのまま婚約者は変更された。

 諸々の手続きは花祭りが終わってからとして、今宵は武力の公爵家の後継者が選ばれたことに対する祝宴をあげることとなった。


 その後を少し語れば、ルルリアはアロエナの侍女の一人となり、末永く公爵家でアロエナに仕えた。

 公爵家で余らせていた男爵位を譲られトゥエルは一代限りの男爵となった。彼が年老いて亡くなればその男爵位は公爵家に返還される。働きに応じてそのまま男爵位を受け継がせることもできるのだが、そのことを伝えることはしなかった。

 そしてアロエナは、夫のユーリアに支えられながら武力の公爵家として生きる。アロエナの代は女性騎士を多く輩出した。

 

 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
以下、ヘルプセンターより引用。 ハイファンタジー:現実世界とは異なる世界を主な舞台とした作品。 ローファンタジー:現実世界に近しい世界にファンタジー要素を取り入れた作品。 本作はハイファンタジージ…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ