第7話「牙の残響と、森の奥へ」
獣道の空気は、昨日よりも重く湿っていた。
「……におい、もっと濃い」
ミルが鼻をひくつかせ、耳を動かす。背中の毛が逆立っている。
「モモン、偵察頼む」
「ぷに!」
レイルの指示に、スライムのモモンが地面を滑るようにして進む。草の間をすり抜け、音もなく森の先へと消えていった。
数分後――モモンが跳ね戻ってきた。
「……大型の……牙犬?」
ミルが表情を引き締める。
異常だった。牙犬は通常、小型で単体行動が基本。それがこの森に、明らかに大型化・変色した個体で存在している。
やがて、視界が開けた先に、牙犬の死骸があった。
冒険者の剣、崩れた野営具、血の跡。
「……人間の、血痕……?」
誰かが戦い、そして敗れた痕だった。
その瞬間だった。
「ギャアアアアアア!!」
突如、木陰から飛び出してきたのは、黒く染まった牙犬の変異種。通常の倍近い体躯に裂けたような口、泡立つ唾液、目は真っ赤に染まり、理性のかけらもない。
レイルは叫ぶ。
「モモン! 《囮スライム》!」
「ぷにっ!」
《囮スライム》――
仲魔のスライムを利用した撹乱戦術。敵の視界と動線を塞ぐように跳ね回ることで、短時間だけ敵の注意を逸らすテイマーの基礎スキルの一つ。だが、タイミングと相性が合わなければ、すぐに見破られる諸刃の剣だ。
スライムが敵の前を飛び交い、牙犬が一瞬迷う。
「ミル! 首輪スキル《フォースバインド》!」
「うんっ!」
青白い鎖が地面から伸びて牙犬の前脚を拘束――
だが牙犬は筋力でねじ切り、ミルを突き飛ばした。
「ミルっ!」
レイルはナイフを握り、咄嗟に牙犬の口へ突き立てた。
ザクッ――
喉奥に届いた手ごたえと同時に、牙がレイルの肩を抉る。
「がっ……!!」
血が噴き、痛みで視界が霞む。
「ぷにぃぃぃいいいっ!!」
モモンが膨張し、牙犬の頭部を包み込む。
「今だ……ミル……!」
「やるっ!」
立ち上がったミルが首へ飛びつき――
――裂く。首筋から骨ごと、肉が引き剥がされ、血が飛ぶ。
牙犬が崩れ落ちる。森は、ようやく静寂を取り戻した。
⸻
◆ 戦闘後 ― 包帯と代金
森の木陰で、レイルは自分の肩に布を巻きつけていた。血で湿った上着は脱いで、応急処置の包帯と薬草を取り出す。
「……っ、くそ、沁みる……」
ミルがじっとそばに座っている。
「……私が飛ばされなければ」
「バカ言え。お前がいなきゃ、とっくに俺が首ごと食われてた」
手持ちの薬草は最後のひとつ。包帯もこれで尽きる。
(ギルド支部でまた買い足しだな……20ルム以上は確定か)
財布の軽さが頭をよぎるが、命があるだけで十分だと自分に言い聞かせる。
⸻
◆ 村に帰還
農産業組合長バロックが出迎える。
「……異常個体の痕跡、間違いないな。報告書も立派なものだ」
ざわ……と周囲が騒めく。
その中に――ベルトンがいた。
「ふーん。嘘つこうと思えば、いくらでも盛れる内容だな」
周囲が凍りつく。
「仲魔使って魔物誘導→討伐→“偶然遭遇しました”って言えば、見栄えは整うからな」
「証拠なら提出します」
レイルは淡々と答える。
「報告も正確に。……現場の痕跡も、記録とともに処理済みです」
「フン、所詮は特別依頼(笑)だろ。下っ端の演技に騙されるほど俺は甘くない」
レイルは返さなかった。ただ背を向け、静かにギルド支部へ戻る。
その背中を、数人の冒険者が黙って見送っていた。
ほんの少しだけ、視線に“認める”色が混じっていた。
レイルの財布事情(第7話終了時点)
所持金(前話繰越)
420ルム
支出:応急処置道具(包帯・薬草)
-22ルム
支給:非常食と支援品(ギルド支給)
0ルム
収入:特別依頼(近日支給予定)
0ルム(未受領)
残額
398ルム
第7話では、変異牙犬との本格戦闘を通じ、
レイルと仲魔の実力が試されました。
命懸けの戦いの末、見せた連携と覚悟。
だが不遇職への偏見は、簡単には崩れない。
むしろ評価され始めたからこそ、妬みや嫉妬が露骨になる。
それでもレイルは言葉で争わず、ただ事実と行動で示し続ける――。