第2話「夜の森と、一人の狩人」
村の広場は、すっかり夜の帳に包まれていた。
日暮れの鐘が鳴り終え、屋台は引き払われ、民家の明かりも一つ、また一つと落ちていく。
「ぷにぃ~……(眠いもん)」
「すまん。けど、行くぞ」
肩の上でスライム――モモンがぷにっと鳴いた。
レイルは背に小さな袋を背負い、ギルド宿の裏口からそっと出る。
くたびれた麻のシャツに、古布を重ねただけのマント。
腹部を覆うのは、ドロックの端材から作った“硬化樹皮の胸当て”。
腰には刃こぼれのナイフ一本。足元のブーツは片方が破れ、もう片方にはお手製の布を巻いてある。
──これが、“不遇職”の現実。
それでも、今夜もまた歩き出す。
「昨日の牙狼……あれは、斥候だった。群れが近くにいる」
村の防壁は低く、夜間の警戒は甘い。
もし群れがそのまま入り込めば、被害は免れない。
だが、誰に話しても信じてもらえないだろう。
なぜなら、レイルは“Fランクの不遇職”で、“スライム使い”で、“誰とも組んでいない”から。
──だから、自分で行く。
「誰にも気づかれず、誰も傷つけずに片付ける。……それが一番だ」
「ぷにっ♪」
モモンが跳ねながら頷いた。
⸻
◆
森は闇に満ちていた。
だがレイルの目は、月のわずかな明かりと、空気の揺らぎを捉えていた。
(いた。前方15メル。複数。……5体、いや、6体)
──牙狼の群れ。
斥候とは違い、これは“本隊”だ。
「モモン、いくぞ。第二形態」
「ぷに~っ!」
モモンの身体が闇に溶け、輪郭がぼやけ、影のようなスライム――「モモネグラ」へと変化する。
牙狼の一体が気配を察して吠えるが、それが合図だった。
「っ……来る!」
一体が右から飛びかかってきた――モモンが脚を巻き、木に激突させる。
二体目の牙狼に向かって、レイルのナイフが喉元に突き立つ。
三、四体目が挟撃に回り込むが、モモンが体を膨張させて突き飛ばし、バランスを崩させる。
レイルは駆け、跳ね、間合いを見極めて一撃を加える。
「……残り、二体!」
モモンの触手が一体を絡め取り、もう一体をぶつけてまとめて気絶させる。
──所要時間、90秒。
⸻
(……誰かに褒められるわけでもない)
(評価も上がらない。ランクも、報酬も、何も変わらない)
それでも、レイルは牙狼の死体の処理を手伝うモモンを見下ろしながら、自分に問いかけた。
──じゃあ、なぜ俺は戦っている?
かつては分からなかった。
ただ“なんとなく”、そうしなければならない気がしていた。
けれど最近、少しだけ答えが見えかけている。
思い返すのは、薬草を届けた時の、エマの笑顔。
「レイルさんの薬草、きれいで好き」――あの言葉を、嬉しいと思った自分がいた。
報酬が少ないことに気づいて、こっそりパンを一つ余計に包んでくれた。
「内緒だよ?」と笑って去っていく、あの背中。
無口な鍛冶屋・ドロックもそうだ。
名も告げずに素材を渡しても、質問一つせず、値段をつけてくれる。
誰かの“狩りの成果”を買い叩くこともせず、適正価格で受け取ってくれる。
言葉はなくても、あの目が――
「分かっている」と伝えてくれていたような気がする。
誰からも認められなくてもいい。
それでも、俺の“成果”を受け取ってくれる人たちが、この村にはいる。
(だから……この村だけは、守りたい)
⸻
「ぷに……」
モモンが、ひとつの影の前で立ち止まる。
他の個体と違う、小さい。震えている。
毛並みはボロボロで、体に傷も多い。
「……牙狼の子か」
通常ならとどめを刺す。それが“依頼”のルールだ。
だが――その目が、違った。
レイルと視線が合った瞬間。
『……たすけて』
声にならない“声”が、心に直接響いた。
「お前……言葉を持ってるのか」
牙狼の子は、ぐったりした体を引きずりながら、そっとレイルに近づいた。
そのとき、何かが脳裏をよぎる。
“この子は、契約できる”――それも、普通じゃない方法で。
レイルはそっとポーチから魔石を取り出し、目を閉じた。
「……俺の仲間になれ。今すぐじゃなくていい。
でも、誰かに命を握られるより、俺の隣で眠ってほしい」
魔石が光る。
牙狼の子の体が淡い白い膜に包まれていく。
次の瞬間、小さな少女の声が――
「……わたし、ミル。ミルって、よんで……」
「……ああ。よろしくな、ミル」
牙狼の子――ミルは、足元に身体を預けて、そっと頭を擦り寄せてきた。
モモンがぷに~っと嫉妬気味にくっついてくる。
「はいはい、お前もだ」
レイルはふたりの仲魔を交互に撫で、静かに夜の森をあとにした。
⸻
この夜の戦いも、
この村の誰にも知られることはない。
だが、それでも構わない。
──自分には、守る理由があるのだから。
メルはメートルです。よろしくお願いします。