第五十六話 情報共有とその後
大広間でカール国王陛下が健在ぶりを示した後、朝の緊急集会は解散となった。
衛兵も侍従も、胸のつかえが取れたような顔つきで各自の持ち場へ戻っていく。
(毒騒動は、これでとりあえず沈静化できたみたいだ……)
レインはほっと一息つき、幼馴染たちと一緒に魔法研修場へ向かおうとした。
が、そのとき不意に背後から呼び止められた。
「今から陛下の執務室で情報共有を行う。君たちも来なさい」
マシュー文書館長の声色はどこか緊張感を帯びていた。
こうして、レインたちは陛下の執務室に集められた。
そこには側近たちが勢揃いしており、さらに昨晩から陛下を看病していた医官も呼び出されていた。
最初に話し始めたのはその医官だった。
医官からの報告は、夜更けの病室で起きた不可解な出来事を知らせる内容であり、レインの胸の奥にあった疑念──なぜ陛下が猛毒から一夜で回復できたのか?という謎に関係していた。
だが、聞けば聞くほど疑念は深まるばかりだった。
なにしろ医官の話には不可解なことが多すぎた。
──夜更け、病室に“誰か”が突然現れた。
その者は陛下の額に触れ、次の瞬間、白い光が陛下の全身を包みこんだ。
そして朝になれば毒の症状は跡形もなく消えていた──。
あまりに荒唐無稽な内容に、医官自身も信じきれていないようだった。
慎重すぎるほど慎重に言葉を選び、たどたどしく報告が続いた。
そのあいだ、カール陛下も側近も眉をひそめていた。
レインも例外ではない。
(また……奇妙な光か)
奇妙な光といえば、これまでにも心当たりがある。
文書館の東壁の魔法を解いたときの光──シリウス殿下が使ったあれ。
そして、マーガレットが取り調べからの逃走の際に放った光。
今回の光も、それらと同じ性質のものなのだろうか。
だとしたら、病室に現れた者の正体はいったい……。
レインが思考に耽る中、カール陛下がおもむろに口を開いた。
「その者が何者かはわからないのか?」
その問いかけに対し、医官は申し訳なさそうに顔を伏せた。
「す、すみません。どうしても顔を思い出せなくて……」
「いや、責めるつもりはない。夜通し看病をしてくれただけでも十分だ。報告もご苦労だった。もう下がりなさい。ゆっくり休むといい」
医官は深々と頭を下げ、重い足取りで退出していった。
その背中が扉の向こうへ消えるのを見届けると、執務室にはわずかな緊張の余韻が残った。
続いて、マシューが昨夜の取り調べ内容をカール陛下へ報告した。
陛下は静かに耳を傾けていたが、容疑者の名がマーガレットだと告げられた瞬間、その表情がわずかに揺らぎ、ほんの一瞬、陰が差した。驚きと悲しみと──信じたくないという感情が混ざり合ったような、複雑な表情だ。その顔を見て、レインは胸の奥がぎゅっと痛んだ。
その後、アレク騎士団長からマーガレットの捜索状況が共有された。
昨夜、王宮内を隅々まで探したものの発見には至らなかったらしく、今は王都全域へと捜索範囲を広げているという。しかし、その声の端々からは、見つけ出すことの難しさがにじんでいた。
さらに、レイチェル医局長が、毒茸を食わされた別の人物──おとといの夜に陛下の執務室を見張る予定だった二人の衛兵の容態について説明した。昨晩、彼らの部屋を訪れた時には、どちらも激しい腹痛と頭痛に苦しんでいたらしい。すぐ医務室へ運んで治療を行った結果、今は安定しているとのことだった。
また、毒見役の女性とスカーレット料理長も、回復の兆しが見えてきているという。
(……今回の件で、誰一人死なずに済んだのは、不幸中の幸いだな)
レインは胸の奥で静かにそう呟いた。
気づけば、窓から差し込む光はすっかり昼の明るさに変わっていた。
「情報共有は以上だな。今日はここで解散としよう」
カール陛下が穏やかに告げる。その声にはいつもの威厳が戻りつつあるように聞こえた。
その直後、グレナがレインたちへと声をかけた。
「もうお昼になってしもうたな。今日は魔法研修の時間が取れなかったが、また明日からよろしく頼む」
そしてレインの耳元に顔を寄せ、ひそりと囁く。
「“幻覚魔法を解く魔法”の訓練がしたいと言っておったろう? 忘れてはおらんぞ。明日は必ずやるからのう」
レインは思わず頬を引きつらせた。
(あ……そういえば、そんな話もしたっけ……)
むしろ完全に忘れていたのは自分の方だった。
さらに続け様に、マシューがレインの肩をぽんと叩いた。
「そういえば、王国議会での弁論の準備は進んでいるかな……?」
(あ、やばい……!)
そちらも完全に頭から抜け落ちていた。
イスリナ神教の国教化に対する反対意見を述べるように陛下から命じられていたんだった……!
さすがにぶっつけ本番ではまずいよな……、ちゃんと準備しなければ。
「えっと、これから準備するつもりです」
なんとか取り繕って返事すると、マシューが愉しそうに口元をゆがめて言った。
「史官試験の勉強のほうはどうかな……?」
「それは、その……」
言葉が喉に引っかかった。
本当に、やるべきことが山積みで、頭の中が飽和状態だ。事件続きで、元々の課題に割く時間なんてほとんど取れていない。
そういえば、王国議会の前日には南部領主ウォーター卿との面会の予定もあったよな……。
予定を書き出して整理しておかないと……。
レインが頭をくしゃくしゃに掻き毟ると、マシューが声をあげて笑い出した。
「はははっ。まあまあ落ち着きなさい。今日の午後は文書館に来なくていい。自室で弁論の準備と史官試験勉強を着実に進めなさい」
(……神のようなお言葉!)
ありがたすぎて泣きそうになる。
レインが素直に「はい」と返事すると、マシューは満足そうに微笑んだ。
こうしてレインは午後の臨時休暇を勝ち取り、心なしか足取りも軽く、幼馴染たちと食堂へ向かった。
食事をしているあいだ、案の定というべきか、幼馴染たちのちくちく攻撃が始まった。
「いいなぁ、レイン。午後休みとか羨ましすぎ」
「サボったらダメだからね!」
「いや、レインは普段から頑張ってるし……少しくらいサボったっていいよ?」
最後の囁きだけ、妙に甘い。
レインは目を細めてパンを噛み、さらりと聞き流した。
(……いや、その誘惑に乗ったら絶対あとで後悔するやつだ)
そして四人が食べ終わる頃、ランドリーが言った。
「じゃ、今日は夕飯も一緒に食おうぜ。食堂集合だ、レイン! 午後に何勉強したのか、ちゃんと報告してもらうからな!」
「はいはい。サボるつもりなんて元々ないってば」
レインが呆れたように笑うと、ランドリーとサラとシトラスはそろって満足げに笑った。
◆◆◆
食堂から自室へ戻る途中、レインはふと立ち止まった。
──自分の部屋でやるより、文書館でやったほうが集中できるんじゃないか?
そう考えた瞬間、足はもう別方向へ向いていた。
長い地下階段にもすっかり慣れ、その道のりが苦ではなくなっていた。
本に囲まれたあの静かな空間が待ち遠しい──。
レインは軽い足取りで階段を降りていった。
◆◆◆
さて、夕飯の時間──。
食堂にはランドリーとサラとシトラスが揃ったが、肝心のレインが姿を見せなかった。
「あいつ、遅いな……」
「部屋で寝ちゃったとか?」
「いや、さすがにそれはないと思うけど……」
三人は待ち続けた。
しかし、すっかり日が沈み、食堂の喧噪が少しずつ落ち着いていく頃になっても、レインの席はぽつんと空いたままだった──。




