第五十三話 深夜の取り調べ(3)
グレナとレイチェルがマーガレットを呼びに行っている間、執務室に残るレインは、一つ気になっていたことを口にした。
「そもそも王宮案内人という役職は、具体的にどんな仕事をしているんですか? マーガレットさんは、初日に私たちを案内してくれましたけど、普段は何を?」
その素朴な質問に、アレクが笑みを浮かべて教えてくれた。
「ははは……その質問は彼女の前では少し失礼かもしれませんね。王宮案内人は立派な役職ですよ。新任者の案内はもちろん、来客の待遇も担います。日常的には守礼門の先の受付所で、商人や貴族の応対に追われて、多忙なはずです」
マシューが頷き、補足する。
「マーガレットは優秀じゃよ。人の顔と名前を覚えるのが得意だし、仕事も手際が良い。私も信頼している。だが……実は少し気になることもある」
レインたちは思わず眉を寄せた。
「昨夜に不審な人物の出入りがなかったかについて、今朝、彼女に尋ねに行ったのだが、彼女は休みを取っていてな。事前申請もあって不自然ではないのだが……シトラスさんは今朝、中庭で彼女を見たと言う」
その言葉を聞いて、レインも違和感を共有した。
(休みの日なら、ゆっくり部屋で寝ているか、あるいは王宮の外に出かければ良いのに……どうして早朝に中庭へ? まるで、そこへ行く理由があったみたいだ)
レインが思考に沈んでいると、廊下から三人の足音が近づいてきた。
グレナとレイチェルが、マーガレットを連れて戻ってきたようだ。
室内の空気が一気に張り詰める。
改めて壁際にレインたち四人が並び、扉の傍らにはアレクが控えた。
マシューは扉に近い側のソファの前に立った。
やがて扉が開き、マーガレットが現れる。
彼女は初対面の時と変わらず、赤縁の丸眼鏡を掛け、黒髪を整えていた。
その胸元で、ペンダントが月光を受けてかすかに光った。
イスリナ神教の紋様が刻まれたそれは、レインたちが身につけているものと似ている。
(あれ……? 以前から付けていたかな?)
レインは少し首を傾げた。これまで見過ごしていただけかもしれないが、今夜はいやに目を引いた。
マーガレットは礼儀正しく一礼し、正面に立つマシューをまっすぐ見据える。
横の壁際に並ぶレインたちには視線を一切向けなかった。
「あの……陛下の噂は耳にしていますが、その件でしょうか?」
マーガレットの問いかけに、マシューは頷き、柔らかい口調で応じた。
「そうだ。少し事情を聞かせてもらいたい。まずは座ってくれ」
彼女がソファに腰を下ろし、相対する形でマシュー、グレナ、レイチェルも座った。そして、本格的に聴取が始まる。
「さて、君は例の件について、どんな噂を耳にしている?」
マシューの探るような問いに、マーガレットは天井を仰ぎながら答える。
「ええっと……。陛下が夕食で毒を口にしてしまって、医務室に運ばれたと聞きました。それ以上は、詳しく知りません」
「そうか。実は中庭の一角に毒茸が生えていたのだけれど、それも初耳かな?」
マーガレットは目を見開く。
「……初耳です。中庭に毒茸なんて……! 陛下はそれを召し上がってしまったのですか?」
その反応に、レインは眉をひそめる。
(中庭に毒茸が生えていた噂くらい、もう広まっていそうなものだけど、それも知らないのか? 逆に知らなすぎるのでは……? 単に仕事を休んでいたせい?)
胸の奥に、小さな違和感が確かに残った。
マシューも同じ感触を得たのか、表情を変えぬまま嘘を織り込んだ。
「そうなんだ。スカーレット料理長が間違って収穫してしまってね。美味しそうに見えたのだろう」
するとマーガレットはますます驚いた表情を見せ、さらりと言った。
「なるほど……木陰に生えていた茸を摘んで、料理に混ぜてしまったのですね」
マシューが声を低く落とす。
「……木陰に生えていたなど、私は一言も言っていない。どうしてそれを知っている?」
一瞬だけ黙り込んだ後、マーガレットは動じる様子を見せずに答えた。
「茸といえば木陰かなと思って、勝手に付け加えてしまいました。実際、そうだったのですね」
「……」
重い沈黙が流れる。
今のやり取りを経て、マーガレットへの疑惑が一気に深まった。
沈黙の後、マシューが少し話題を変えた。
「今日は一日、何をしていたのかな?」
マーガレットは穏やかに微笑む。
「まるで私を疑っているみたいですね……。休みでしたから部屋でのんびりしていましたよ。朝だけは中庭に行きましたけど」
「休みの日にわざわざ早起きしてまで中庭へ? それに部屋で休むだけなら、事前に休暇を申請するほどのことでもないはずだが」
「毎朝、中庭に行くのが日課なので、いつものように早朝に目が覚めてしまって、中庭に行っただけのことです。休みの日の過ごし方は、私の自由ではありませんか?」
そう言われては、返す言葉がない。
マシューは顎に手を当てて、別の質問をした。
「では昨夜はどうだ? 何をしていた?」
「普通に寝ていましたよ。ぐっすり」
マーガレットはあっさりと即答する。
先ほどの「木陰」の言葉以外に隙は見られず、聴取は行き詰まったかに思えた。
その時、レインの隣に立っていたランドリーが口を開いた。
「……最初から一度もこちらを見ませんね。俺たち、何か気に障ることをしましたか? 少し顔を向けてもらえませんか」
マーガレットの横顔に、ほんの一瞬、影が差したようにレインには見えた。
だが次の瞬間には、何事もなかったかのように、にっこりとした笑みをこちらへ向けた。
「ただずっと聴取の相手の顔を見ていただけです。あなた方は、初日に案内しただけですし……。まあ、中庭で庭師のお嬢さんには何度かお会いしましたけど」
そう言って彼女はシトラスを一瞥し、次にランドリーへ視線を移した。
「それで、私の顔を正面から見て、満足したかしら?」
ランドリーの顔が強張った。低い声がこぼれる。
「……その眼鏡を、外していただけますか?」
一瞬、空気が張りつめ、マーガレットの瞳の奥が鋭く光った。
不気味な沈黙の後、彼女は唇の端をわずかに上げて答えた。
「えぇ、もちろん」
彼女が眼鏡を外した。
──その刹那、ランドリーが小さく身を震わせ、隣のサラも青ざめた顔を浮かべた。二人は反射的に剣の柄に手を伸ばしていた。
「……あら、やっぱり気づきましたか」
マーガレットは笑みを崩さないが、その瞳の奥は笑っていない。
ランドリーが掠れた声で告げる。
「昨夜、陛下の執務室に侵入したのは……あなたですね?」
その言葉に、場の全員が息を呑んだ。
マーガレットは、ついに化けの皮を脱ぎ捨てるように、にやりと口角を上げた。
扉の傍らに控えていたアレクも腰の剣に手をかける。
一方、マーガレットは、剣を携えておらず、無防備である。それにもかかわらず、彼女は余裕な表情を保っていて、かえって不気味さを増していた。
彼女は、降参したように両手を掲げ、語り出した。
「眼鏡を外せば、さすがに見破られてしまいますよね。……あの間抜け剣士さんはともかく、あなた方二人は昨夜私の目をじっと見ていましたからね。今日、この場であなた方と再会してしまった時点で、私に勝ち目がないことは分かりきっていました。先ほどまで慎重に言葉を選んでいた自分が、馬鹿らしく思えてきますよ」
堰を切ったように、彼女は自白し始めた。
「陛下の執務室への侵入も、毒茸の件も、全部私です。ちなみに昨晩の執務室の見張り予定だった二人には、先に毒茸を食べさせたんですよ。……忘れられているようですが、彼らも早く処置してあげないと、まずいんじゃないかしら。まあ、私の知ったことではないけれど」
彼女はふっと笑うと、話を続けた。
「それで、せっかく見張りを交代させて隙を作ろうとしたのに、代わりに入ったあなた方二人、新人のくせに想定以上に強くて、冷や汗をかきましたよ」
マシューが低い声で問いかける。
「毒茸を中庭に埋めたのも君の仕業か?」
マーガレットは静かに頷いた。
「そうよ。執務室を抜け出した後、中庭の木陰に毒茸の培地を埋めました。こんなに早く気づかれるのは想定外でした。毒茸だと気付かれないままたくさん収穫してもらって、陛下の食事だけじゃなく、食堂の料理にも混ざり込んで、王宮中を混乱させるつもりでしたけど……残念、庭師のお嬢さんに邪魔されましたね」
シトラスが声を震わせる。
「今朝、私に幻覚をかけて……毒茸を見せなかったのね?」
「ええ、そうよ」
続いてレイチェルが問う。
「陛下の料理には、どうやって混ぜ込んだの?」
マーガレットは愉快そうに笑う。
「そんなの簡単よ。あらかじめ培地から回収しておいた茸を、今朝、食材を運ぶ商人と廊下ですれ違う時にすり替えただけ」
「……」
そこで一度やり取りが途絶え、室内に静寂が広がる。
「もう十分でしょう?」
マーガレットは不敵な笑みを浮かべ、皆を見回した。
「それじゃあ失礼します。──悪いけど、おとなしく捕まるつもりはないので」
皆の顔が険しく引き締まる。
(この状況で逃げられるはずがない……!)
レインは距離を詰めて、彼女を捉えようとする。
マシュー、グレナ、レイチェルも同様に彼女の体を掴もうと動く。
ランドリー、サラ、アレクは同時に剣を構えた。
だが──次の瞬間。
彼女の両手から閃光が弾け、白い光の筋が四方へ放たれた。
眩さに視界が焼かれ、誰もが動きを封じられる。
真っ白な光の奥で、レインは一瞬だけ彼女の不気味な笑みを捉えた。
(どうして……!? この部屋は結界で魔法を封じていたはず……!)
答えを探す間もなかった。
閃光の消失とともに、そこにいたはずのマーガレットの姿も跡形もなく消えていた。
前言撤回です。小編(毒騒動編)の完結に向け、あと一話追加します。本日中に投稿予定です。




