第五十一話 深夜の取り調べ
深夜の医務室では、「これからザハムート公、アイリー、マーガレットの聴取をどのように行うか」について、打ち合わせていた。
やがて、聴取の場所はマシュー館長の執務室に移そうという意見がまとまった。
医務室には急患が運ばれてくる可能性があるし、夜勤の医官たちが出入りすることもある。そんな場所で、毒騒動の核心に触れる話を続けるのは望ましくないと、マシューら重臣四人が判断したのだ。
スカーレットは少し残念そうに声を上げた。
「私もその三人の話を聞きたいけど、ベッドごと運んでもらうのは、さすがにダメですかぁ……」
レイチェルが柔らかな笑みを浮かべながら、宥める。
「真相を知りたい気持ちは分かりますが、あなたも毒を口にしたわけですから、そろそろ寝て、体を労わるべきです。医務室にひとり置いておくのも心配ですから、陛下と同じ病室に移しましょう。……事件の真相は、後で必ずお伝えしますよ」
スカーレットは小さく肩をすくめ、「仕方ないですね……。でも真相はちゃんと聞かせてくださいね」と呟いて、承諾した。
彼女のベッドを病室へ運び終えると、陛下の側近の四人と、レインたち四人は、そろってマシューの部屋へと向かった。
場所は変わって、文書館長マシューの執務室。
「さて、どうする? 三人まとめて聴取するよりも、一人ずつ順に聴取する方が良いだろうか?」
マシューが低い声で言った。その問いは他の重臣三人に向けられたものだ。
レインたちが口を挟む雰囲気ではない。
本来なら、自分たちがこの場に同席すること自体、微妙な立場である。しかし、マシューが許可を与え、他の重臣たちも異を唱えなかったため、レインたちはここに残っている。
(一人ずつの方が良さそうだな……。聞くべき内容は少しずつ違うし、証言の食い違いから真相が浮かび上がることもあるかもしれない)
レインが密かに考えていると、程なくしてマシューらも同じ結論に達した。
順番に一人ずつ呼び出すことになり、最初に呼ぶのはザハムート公と決まる。
アレク騎士団長が席を立ち、呼びに行こうとした時、グレナが口を開いた。
「念のため、魔法を使えないように特殊結界をこの部屋全体に張っておこう。いざというときに、瞬間移動魔法で逃げられたらたまらんからな」
グレナは、部屋中に大きな結界を張り巡らせるように両手を動かした。
しかし、透明の結界のようで、見た目には何の変化もない。
「信じられぬなら、各自で魔法を試してみよ」
グレナが得意そうに言う。
レインたちは手を動かしてみるが、何の魔法も発動しない。
マシューが“灯光“を点す仕草を試しても同様だった。
「うまくキャンセルできておるじゃろう!」
グレナは笑みを深めると、さらに懐から掌に収まる黒猫の顔型の小物を取り出した。猫の両目が怪しく光を放つ。
「もうひとつ。取り調べには記録も必須じゃ」
そのアイテムをデスクに置き、目の部分だけを残して書類で巧みに隠す。どうやら猫の目を通して映像が記録されるらしい。
「……これで準備万端じゃ」
グレナは満足げに頷いた。
アレクはその様子を見届けると、ザハムート公を呼びに執務室を後にした。
やがて、アレクに伴われてザハムート公が姿を現した。
マシュー、グレナ、レイチェルは、扉に近い下座側のソファ前に並び立ち、彼を迎え入れた。アレクは扉を背にして直立し、出口を塞ぐ。
レインたち四人は壁際に控え、その様子を見守っていた。事前に「必要なら発言してよい」と許可は得ているものの──ザハムート公が現れた瞬間、空気は一気に張り詰め、口を開く余地などなかった。
最初に声を発したのはマシューだった。
「ザハムート公爵閣下。夜分遅くにお呼び立てし、恐縮です。至急確認せねばならぬ件がありまして」
ザハムート公は冷徹な眼差しを向けながら、低い声で応じる。
「……このような時間に私を呼び出せるのは、本来ならカール国王陛下か、シリウス殿下のみ。……しかし、今回は許そう。用件は察している。陛下が毒を口にした噂は、私の耳にも届いている。それに関することだな?」
「はい、その件です。さすが、話が早い」
マシューが部屋の奥側のソファを示すと、ザハムート公は険しい表情のまま腰を下ろした。それに続いて、マシューらも腰を下ろす。
「……随分と聴衆が多いな」
ザハムート公が壁際のレインらを一瞥して、呟いた。
マシューは淡々と答える。
「彼らも毒事件に多少関わりがある当事者でして。お気になさらず」
「……」
ザハムート公は無言のまま、鋭い視線をマシューに戻す。
その視線に臆することなく、マシューは不敵な笑みを浮かべた。
「単刀直入に伺います。今日の夕方、中庭の一角で毒茸が発見されました。閣下はよく中庭に姿を見せるそうですが、不審な人物や行動を見かけませんでしたか?」
「……知らんな」
即答だった。口数が少なく、余計なことを言う気配はない。
マシューは話題を少し逸らしてみる。
「では、そもそも閣下が中庭をよく訪ねる理由をお聞きしても良いでしょうか? シトラスの証言によれば、いつも夕方に池のほとりにいるそうですが、間違いないですか?」
「ああ。夕方に行くのが日課だ。あの池は落ち着く。……ただの休憩にすぎん」
やはり言葉は必要最低限。しかし黙秘ではない。そのわずかな応答に、突破口の予感が漂う。
マシューはさりげなく問いを重ねた。
「夕方以外に行かれることは?」
「……質問の意図が分からんが、行くのは夕方だけだ。それ以外はない」
その瞬間、マシューの瞳が鋭く光る。
レインは顔を動かさぬまま、横目でシトラスの様子を窺うと、彼女の目は微かに揺れていた。レイン自身、必死に表情を保ちながら、胸の鼓動が速まっていくのを感じた。
マシューは微笑みを湛えたまま淡々と質問を続ける。
「ところで……池のほとりに長椅子が置かれたようですが、それはどう思いますか?」
ザハムート公はわずかに眉を動かし、指で小刻みに机を叩いた。
その態度には、困惑と苛立ちが混ざっているように見えた。
「……わざわざ呼び出しておいて、雑談かね? 毒茸の件を聞きたいのではないのか?」
「少しくらい雑談をしても良いではありませんか? それに、その長椅子には毒茸を埋めた犯人も腰を下ろしたかもしれないのですから──必ずしも無関係とは言えません」
マシューの声音は揺るがず、余裕の笑みを崩さない。
その尋問官らしい姿に、レインは内心で舌を巻いていた。
そこでザハムート公は大きくため息を吐き、呆れたように答える。
「……長椅子は素晴らしいと思ったよ。昼間に置いてくれたみたいで、今後はもっと休憩しやすくなるだろうねぇ」
マシューがさらりと返す。
「長椅子は夜に置いたらしいですよ」
「いや、そんなはずはない。夜にはなかった」
その瞬間、マシューがにやりと笑った。
そのあまりに鮮やかな追い込みに、レインは感嘆を通り越し、マシューに恐ろしさすら感じる。
(……『長椅子は夜に置いた』なんて嘘を、よくもあんな自然に言えるもんだな)
ザハムート公の顔には明らかに焦りの色が浮かんで見えた。
「どうして断言できるのですか? “夜にはなかった”と。閣下は、夕方しか中庭に行かないと、先ほど仰いましたよね?」
マシューの追及に、ザハムート公は狼狽し、シトラスを指差しながら言った。
「いや、長椅子は昼間に置いたと──この娘がそう言ったんだ!」
そこで、マシューはまた淡々と嘘を重ねる。
「いいえ。あなたが“昼間に置いたのか”と詰問したから、怯えた彼女が咄嗟に“そうだ”と答えてしまっただけ。実際には、夜に長椅子を運び込んだとき、中庭で閣下を見かけたそうですよ」
一瞬の沈黙──。
レインたちは、このままザハムート公がさらに墓穴を掘る、と期待した。
だが、不意にザハムート公が笑い出した。
「ふふっ……ふふふ……」
「……?」
予想外の反応に、マシューが首を傾げる。
ザハムート公は口元を緩め、落ち着いた調子で言った。
「昨夜は月が綺麗でね。それを眺めたくて中庭に出ただけだ。先ほど“夕方しか行かない”と答えたのは、あくまで日課としての話。昨日は例外的に夜にも中庭に行ったのだよ。そのとき長椅子はなかった。……おそらく、その後に置かれたのだろう」
彼は冷徹な目をシトラスに向け、続けた。
「まさかとは思うが、あなたは夜に長椅子を置いたとき、私が毒茸を埋めるところを見た……とでも言うつもりかい?」
ザハムート公の視線は、彼女を射抜くように逸れない。
シトラスは凍りつき、声を失っていた。
マシューがすぐさま割って入る。
「彼女を脅すのはやめてください。彼女は、中庭で閣下が毒茸を埋めるところを確かに見た、と話していました」
しかし、もうザハムート公が隙を見せることはなかった。
「マシューよ。黙っていてくれるかな? 私は彼女に直接訊いているのだ。君は本当に、私が毒茸を埋めるのを見たのかね? もし“はい”と答えるなら、それは嘘の証言で私を陥れようとしていることになるが」
シトラスは震え出し、目に涙を浮かべて顔を伏せた。
その様子を見て、マシューが口調を変え、謝罪した。
「彼女は悪くありません。申し訳ありません、今のは私の虚言でした。彼女が見たのは、満月を眺める閣下のお姿だと、申していました。貴殿の仰る通りです」
ようやくザハムート公はシトラスから視線を外し、マシューに顔を向けた。
その顔は不気味に笑っている。
「ほう……、マシューよ。つまり君は、公爵たる私を貶めるために嘘をついたのだな? しかも自分の証言ではなく、少女の証言をねじ曲げてまで。その罪は重いぞ。王国議会で君の地位剥奪を提案してもいいほどだ」
あっという間に主導権は逆転し、ザハムート公の手に移った。
レインは恐怖で胃の奥が締め付けられるのを感じる。
マシューは表情を崩さぬよう必死に堪えつつ、謝罪を重ねた。
「……誠に申し訳ありません。毒茸の犯人を突き止めようと必死になるあまり、あらぬ疑いを閣下に向けてしまいました。どうか寛大なお心でお許し願います」
ザハムート公は満足げに笑みを深める。
「よろしい。それでは寛大な心で、水に流すとしよう。さて……他に私に聞きたいことはあるかな?」
マシューはもはや口を開かなかった。
代わりに、隣のグレナが発言した。
「昨夜、中庭におられた閣下は、毒茸を見たり、不審な人物を見かけたりはされませんでしたか?」
その質問に意味がないことは、グレナを含め皆がよく分かっていた。
「うーん、記憶にないねぇ」
ただ乾いた答えだけが返される。
ザハムート公はにやりと笑うと、「さて、もういいかな?」と呟いて立ち上がった。扉の前にはアレクが控えていたが、無言で道を開けるしかなかった。
ザハムート公はゆっくりと扉を開け、そのまま静かに執務室から去っていった。
室内は静まり返った。
「……すみません、私がうまく調子を合わせられなくて……」
シトラスが震える声で謝ると、マシューがすぐに首を振った。
「いや、君が謝ることはない。私こそ、すまなかった。ザハムート公を相手に、少し強引に出すぎた。一時は追い込めたと思ったんだがな……」
隣で、グレナがマシューの肩を軽く叩いた。
「惜しかったな、マシューよ。しかし収穫もあった。ザハムート公の一時の焦りようは本物だったし、昨夜中庭に出ていたことまでは認めたわけだ。それに、“私が毒茸を埋めるところを見たのか?”とシトラスさんに詰め寄る姿は、わしから見れば、自白しているも同然じゃった。決定打こそ逃したが、犯人の目星がついただけでも大きな成果よ。……それにしても、あの切り返しは、敵ながら見事じゃな」
横からアレクが厳しい声を飛ばす。
「感心してる場合ではありませんよ。ザハムート公こそが毒茸を埋めた張本人でしょう。陛下の命を危険に晒した罪は万死に値します。確かな証拠を掴まねば……。残る二人も協力者かもしれません。取り調べを続けましょう」
マシューが深く頷き、呟いた。
「……そうだな。次は、アイリーに訊こう」
取り調べは、まだ終わらない。
怪しい影は一つとは限らないのだ。
一話で三人分の聴取を終える予定だったのですが、とてもじゃないが収まりきらないので、三話に分割することになりました(笑)
残り二人の聴取も、本日中に投稿予定です。
引き続きお楽しみください。
*三人の聴取が終わると、小編(毒騒動編)は完結です!
*第二章【王国陰謀編】自体は、議会が終わるまでまだまだ続きます!




