第五十話 犯人探し
真っ青な顔のスカーレット料理長が突然、医務室に姿を見せた。
ふらついた足取りで中に入るなり、そのまま床に倒れ込み、その場は一時騒然となった。
部屋の隅に立っていたレインたちはすぐさまスカーレットの元に駆け寄る。
このとき、室内にいる医官は、レイチェル医局長を含めて四人。
二人ずつに分かれて、カール陛下と毒味役の女性の治療にあたっており、すでに手一杯の様子だった。
それでも、レイチェルは素早く冷静に声を張る。
「陛下の処置は私ひとりで大丈夫だから、あなたはスカーレットさんを!」
指示を受けた若い医官が即座に動き、彼女の容態を確認した。
肩を叩きながら呼びかけても、反応はない。
胸の動きを確かめ、手首に指を当てた。
医官は小さく息を吐き、報告した。
「意識は混濁していますが、呼吸も脈もあります」
安堵の息が医務室に広がる。
すぐに、彼女をベッドに移すことになり、レインたちも手を貸した。
レイチェルを筆頭に、医官たちは手際よく治療を施していく。
慌ただしさに包まれた医務室は、やがて少しずつ落ち着きを取り戻していった。
──それから数刻が経ち、夜も深くなった頃。
カール陛下と毒味役の女性は、医務室から程近いところにある六人用の病室に移され、静かな眠りについた。二人の容態は安定しているようだったが、念のため交代で医官が付き添うことになった。
医務室に残った患者はスカーレット一人。
一時は誰よりも危険な状態にあったが、今では意識も戻り、会話もできるほどに持ち直していた。
その場には、いつもの顔ぶれが揃っていた。
陛下の側近たち──レイチェル、マシュー、グレナ、アレク。
そして、レイン、シトラス、ランドリー、サラ。
夜勤の医官たちは別室で休息しており、医務室は彼らだけの空間になっている。
そろそろ、毒騒動の情報を共有するのにちょうど良い頃合いだった。
静まり返る室内。
その沈黙を破り最初に口を開いたのは、ベッドに横たわるスカーレットだった。
「……私のせいです。陛下には申し訳が立ちません」
か細い声でそう切り出すと、潤んだ瞳のまま途切れ途切れに語り始めた。
「茸のスープはあらかじめ用意していた料理でした。でも……中庭から戻った後、さすがに気になって、念のため味見はしました。味は問題なく、その時点では体調にも異常はありませんでした。だから、大丈夫だと思って、そのまま陛下にお出ししてしまったのです……」
「でも、私とシトラスが陛下のもとに駆けつけたとき、あなたの姿はなかったわ。どうして?」
レイチェルの問いに、スカーレットは小さく身を震わせながら答える。
「……陛下が食事を始められた頃、自分のお腹が痛み出して……。単純に、トイレに行こうと一時退出しただけなのです。その時は、まさか毒茸のせいだなんて思わなくて……。退出する前に、陛下の食事を止めていれば、こんなことにはならなかった……」
「……」
「トイレに入ると、気分が悪くなって嘔吐しました。そこで初めて、腹痛の原因が毒茸のせいだと気づいて……。すぐに執務室に戻ろうとしたけれど、苦しくてしばらく動けなかったんです。少し痛みが和らいだあと、とにかく誰かに知らせなければと思い、近くの医務室を目指しました……」
そこで、シトラスが口を開いた。
「危険な状態でしたけど、毒茸を吐き出せたからこそ、スカーレットさんは早く回復できたのかもしれませんね。……無事で本当に良かったです。それに、毒茸の症状に時間差があることを前もって伝えられなかった私にも、責任があります」
重苦しい沈黙が落ちかけたところで、マシューが割って入った。
「……ちょっと待ってくれ。すまないが、時系列を整理して、最初からきちんと報告してもらえないだろうか。毒茸が陛下の料理に混入したことは分かった。しかし、それ以前に何があったのか、なぜシトラス君やレイチェル殿が陛下の執務室にちょうど居合わせていたのか……不明な点が多すぎる」
マシューの言葉をきっかけに、会話は「時系列の整理」に移っていく。
まず、レイチェルが報告した。
「それでは、時系列に沿って説明しましょう。……まず夕方、シトラスが医局長室にいた私を呼びに来たんです。『中庭で毒茸が見つかった』と。最初に発見したのは、スカーレットさんでした。シトラスと一緒に料理向けの草花の採集をしていたところ、その休憩中に、木陰に群生する茸に目が留まったようで」
シトラスとスカーレットが小さく頷き、レイチェルは説明を続けた。
「土を掘り返したところ、外から持ち込まれたと思われる培地が見つかりました。つまり、何者かが意図的に毒茸を仕込んだということです……。とにかく私とシトラスは、毒茸を回収し、陛下に報告するため執務室へ向かったんです。スカーレットさんは、陛下の夕食を出すために我々より先に中庭を離れました」
ここで、スカーレットが口を挟んだ。
「私は、茸のスープを中庭に行く前から用意していました。作り慣れた料理でしたので、調理中は味見をしていませんでした。でも、中庭から戻ったあと、茸という具材にちょっと不安を感じて、配膳の直前に味見しました。その後、時間差で腹痛に襲われたのです。……使用した食材は今朝、厨房に届けられたもの。王宮御用達の商人が運んできたはずですが、おそらくその時点ですでに毒茸が混ざっていたのでしょう。調理や配膳中の警備は厳重でしたが……今思えば、そもそもの食材自体に対する警戒が甘かったのかもしれません」
「……しかし、食材を含め、あらゆる荷は守礼門でしっかり確認されているはずだ。そうであろう、グレナ殿?」
マシューの問いかけに対し、グレナがすぐに応じる。
「あぁ、魔法師団の者が必ず検査しておる。食材の毒の検知も含めてな……。その検査を通過したということは、王宮内で厨房に届けられる過程で、毒茸が入り込んだのじゃろうな」
「……つまり、王宮内の何者かが、中庭の毒茸を事前に採集し、食材に紛れ込ませたということか?」
マシューが眉間に皺を寄せながら呟いた。
レイチェルが険しい表情を浮かべて言葉を返す。
「中庭の毒茸とは限りません……。培地が中庭に埋められたのは昨夜の可能性が高いと睨んでいますが、その頃には毒茸の一部はすでに十分な大きさに育っていたと思われます……。つまり、中庭に埋める前に収穫された茸が、食材に混ぜられた可能性もあります」
「ふむ……だが、犯人の立場から考えると、こっそり培地で育てて食材に混ぜるだけで事足りる。わざわざ中庭に埋めた理由が見えん」
マシューの追及は鋭い。
しかし、レイチェルはすでに考えをまとめていたようで、淀みなく答えた。
「スカーレットさんに収穫させ、罪を着せようとしたのかもしれません。あるいは、土を掘り返されることまでは想定しておらず、ただ『自然に生えた毒茸が誤って収穫され、食材に混入したように見せかける』ための偽装工作だったのかも」
「なるほど。真意は犯人を捕らえて尋ねてみるしかないが、中庭に埋める道理はあったということか……」
マシューが腕を組んで考え込むと、医務室全体がしばし静寂に包まれた。
しばらくして、マシューが再び口を開いた。
「──ならば、次の問題は『誰が、いつ埋めたのか』だ。レイチェル殿は、昨夜の可能性が高いと言ったな。その根拠を聞かせてもらいたい」
レイチェルは周囲を一瞥した後、重々しく答えた。
「昨夜は月が明るく、照明なしで人目につかずに作業できたことでしょう……」
その語尾はわずかに濁っていた。
レインは即座に、その含みを感じ取った。
昨夜といえば、「月明かり」以外にも特別なことがあった。
──陛下の執務室への侵入だ。
その時レイン自身は眠っていて立ち会ってはいなかったが、側近たちが皆、執務室に集められていたことは、グレナから聞いて知っている。つまり、昨夜は中庭の警戒が完全に手薄になっていたのだ。
レイチェルがあえて言葉を濁したのは、スカーレットにはまだ執務室の件を伏せているからだろう。
当のスカーレットが気に留めた様子はない。
一方、彼女以外の面々は、言外の意図を悟り、静かに視線を交わした。
そして、ここまで沈黙していたアレクが質問を投げかけた。
「……確かに、日中に毒茸を埋めるのは目立ちすぎますね。夜の可能性は高そうです。しかし、昨夜よりも前から埋められていた可能性はないでしょうか?」
シトラスが柔らかい口調で答える。
「私が毎朝、水やりをしていますし、中庭には常連さんもいますから……もっと以前から庭に生えていれば、私あるいは他の誰かがもっと早く気づいたと思います」
短い沈黙が流れた後、今度はグレナが口を開いた。
「だが、もし昨夜に埋められたとして……今日の夕方まで、誰も気づかなかったというのも少し不自然じゃな?」
シトラスは申し訳なさそうに目線を下げ、小さな声で答える。
「すみません……。朝の水やりでは、茸が群生する場所のすぐ近くも通ったはずなんですけど、気づけませんでした。昼に中庭へ来たときも、長椅子をレインと運んでいて……周囲をきちんと見ていなかったから」
「……長椅子?」
グレナが怪訝そうに聞き返す。
シトラスは少し照れたように顔を赤らめ、長椅子を運んだ経緯を説明した。
「そういえば、夕方、スカーレットさんと合流する前に……ザハムート公に声をかけられたんです。『あの椅子は、昼間に君が置いたのかね?』って。すごく怖かったんですけど、そのあと『実に良いことだ』って褒めてくださって……」
シトラスは嬉しそうに付け加えたが、その話は明らかに本筋から逸れていた。
グレナが咳払いをすると、シトラスも話の脱線に気づいた様子で、恥ずかしそうに口を噤んだ。
だが、その話の中に、レインは何か引っ掛かりを覚えた。
シトラスの言葉を頭の中で反芻し、違和感の正体を探る。
「……ザハムート公が中庭に現れるのはいつも夕方だって前に聞いたけど……。なのに、どうして『昼間に置いたのか?』なんて言ったんだ……? ザハムート公の視点に立てば、椅子が置かれたのは昨夜かもしれないし、今朝かもしれないのに……」
レインが小さく呟くと、シトラスがはっと息を呑み、興奮気味に応じた。
「……それだ! きっと、ザハムート公は別の時間帯にも中庭に来ていたんだよ! 夜のうちか、私たちが午前の魔法研修を受けている間に……。そのとき椅子を見かけなかったから、無意識に『昼間に置いたのか』って、時間を限定する言い方になったんじゃないかな?」
レインも同じ考えにたどり着いており、胸の鼓動が速くなるのを感じていた。
(もしや……ザハムート公が昨夜、中庭に毒茸を埋めた……!?)
そのとき、グレナが落ち着いた声で会話に割り込んだ。
「なるほどの。ザハムート公の発言は確かに少し変かもしれぬな……。だが、いずれにせよシトラスさんが朝の水やり中に気づかなかった理由がよく分からんな。──朝、中庭には他に誰かいたか?」
シトラスが声の調子を落として答える。
「……朝は、王宮案内人のマーガレットさんと、偵察部隊長のアイリーさんを見かけました。マーガレットさんは池のほとりにいて、アイリーさんは中庭の端の方にいました。二人とも茸が群生していた木陰の近くにいた訳ではないです。だから……やっぱり中庭全体を見回っていた私が気づくべきでした……」
シトラスが肩を落とす一方、グレナは腕を組んで考え込むような仕草をした。
やがて、ゆっくりと顔を上げる。
「……単純な見落としとは限らんぞ」
「……?」
シトラスは首を傾げた。
他の者たちの表情にも疑問が浮かんでいた。
しばしの沈黙の後。
グレナはにやりと笑みを浮かべると、シトラスだけでなく、レイン、ランドリー、サラにも視線を送った。
「思い出さんか。研修でわしが掛けたではないか? 幻覚魔法じゃよ」
その一言に、シトラスは目を大きく見開き、ランドリーとサラも息を呑んだ。
レインもすぐにその先を理解し、胸の鼓動がさらに速まる。
グレナは笑みを深め、話を続けた。
「わしが施したのは扉を隠す幻覚じゃったが……同じ理屈で毒茸を覆い隠すことも容易い。もし朝の水やりの時、近くにいたマーガレットかアイリーが一時的に幻覚魔法をかけていたのなら……シトラスさんに毒茸が見えなかったとしても不思議はない」
その言葉には、レインたち四人だけでなく、マシュー、アレク、レイチェルの顔にも一様に驚愕の色が浮かんだ。
やがてマシューが、低く厳かな声で告げる。
「……今すぐ、マーガレットとアイリーに事情を訊かねばならんな。そして、ザハムート公も呼び出そう。いったい中庭で何があったのか、その真相を明らかにする時だ」
静まり返った医務室に、その言葉が重く響き渡った。
誰もが互いの顔を見交わす。
疑念と不安、そして決意が交錯する視線の中で──。
(いよいよ、核心に迫る……)
レインの胸に、静かな緊張が広がっていた。
次回、毒騒動編、完結──!




