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第四十三話 ランドリー・エバンス

 魔法研修四日目が始まろうとした、まさにその時。

 研修場の扉が開き、その日は休みのはずだったランドリーが姿を現した。


「俺も、研修受けます」


 その声には、どこか覚悟の宿る力強さがあった。

 昨日までとは何か明らかに違う雰囲気を(まと)っている。


 グレナは目を細め、じっと彼を見つめた。


「休めば良い、と昨日あれほど言われておったのに……どうしたんじゃ?」


「昨晩、診察のあと、サラ(あいつ)が泣いたんです。“お兄ちゃん、私……ほんとはすごく怖かった。……死ぬかと思った”って。俺は、もう二度とあいつを泣かせないって誓ってたのに……俺が弱くて、不甲斐なくて、ちゃんと守ってやれなかった。休んでる場合じゃないんです。もっと強くならなきゃいけないんです」


 その言葉を皮切りに、ランドリーは堰を切ったように語り始めた。

 昨晩の出来事。そして、兄と妹、二人だけの幼い頃の記憶を──。



 ◆◆◆



 医務室までライルを運んだあと、レイチェルさんは俺に言いました。

「搬送を手伝ってくれてありがとう、ランドリー君。もう宿舎に帰っていいよ」


 だけど、俺は(あいつ)のことが心配だったので、怪我の診察結果を聞くまでは残ることにしました。

 俺が「ここに残ります」と言った時、妹はほんの少し顔を赤らめたけれど、何も言い返してきませんでした。正直、その時点でちょっと珍しいな、って違和感があったんです。


 そのあと、レイチェルさんは妹の怪我の具合を丁寧に診てくれました。特別な魔道具か何かで、頭の中の様子を調べるようなこともしていました。……俺には詳しくは分からないんですけど。


 診察の結果、レイチェルさんは静かに言いました。

「大丈夫、特に異常はありません。グレナさんの治癒魔法できちんと傷も塞がっていますし、頭の中も問題なしです。でも、今日はここで寝てください。暗い中、遠くの宿舎まで歩かせるのは心配ですから。……ランドリー君はどうしますか?」


「もう少しだけ、妹のそばにいます」


 俺はそう返しました。サラの様子が、まだいつもと違っていたからです。

 普段なら「恥ずかしいから帰って!」と怒るはずなのに、その時は、小さく「……えっ」と(つぶや)いただけでした。


 レイチェルさんは微笑んで、

「君の好きにしていいよ。空いてるベッドで寝てもいいから。私は一度、自室に戻るけど、何かあればすぐに呼びに来てね」

と言って、静かに医務室を出ていきました。


 ライルは穏やかな顔で寝ていました。

 実質、俺と妹の二人きり。


 ベッドで横になった妹が、ぽつりと呟きました。

「お兄ちゃん、私……ほんとはすごく怖かった。……死ぬかと思った」

 その一言で、張り詰めていたものが切れたのか、妹の目から涙がこぼれました。

 細い手が震えていた。俺はその手を取って、しっかりと握りました。


「大丈夫。俺がついてる。絶対に、お前を守る」


 するとサラは、涙を浮かべたまま微笑んで、こう言いました。

「懐かしいな……。昔も、そうやって私の手を握ってくれたよね。私、あの頃はすぐ泣いちゃってたから」


 俺も、その言葉に引かれるように、思い出していました。

 ハルシュ様に拾われるより前のこと。

 妹の小さな手を握りしめて、「泣くな」と言った、あの夜のことを──。



 ──俺は八歳、妹は五歳の時。

 俺たちは、親に捨てられました。


 ある日突然、父も母も家に帰ってこなくなったんです。

 妹はずっと泣いていました。

「ねえ、パパとママは、いつかえってくるの……?」


 そんなこと、俺に分かるはずがありません。

「だいじょうぶ、だいじょうぶだよ。もうすぐ帰ってくるから」

 そう答えるしかありませんでした。


 何日かして、俺は悟りました。

 ──ああ、もう帰ってこないんだ。俺たち捨てられたんだなって。

 でも、妹はまだ理解できずに、手を震わせながら泣いていました。


 だから、震えるその手を握って、言いました。

「お兄ちゃんがいつもついてるから、もう泣くな」って。


 やっと妹は泣き止んでくれました。

「もう泣かない。だけど、お兄ちゃんは、ぜったい、いなくならないでね」


 そう言った妹に、俺は幼いながらも心の中で強く誓ったんです。


 ──二度と、妹が辛い涙を流さないように、俺が守るって。


 それから妹は、あれほど泣き虫だったのが嘘のように、泣かなくなりました。

 寒い夜も、空腹の夜も、元気はなかったけど、泣くのだけは我慢していました。


 しばらくして、空腹で市場をふらついていた俺たちを、ハルシュ様が拾ってくれました。ハルシュ様は本当にお優しい方で、俺たちの親代わりになってくれました。いや、「親代わり」と言っては失礼ですね。ハルシュ様は俺たちにとって本当のお父さんです。


 妹も元気を取り戻したし、俺も心に余裕ができました。

 三年ほど前、ハルシュ様から「剣術をやってみないか?」と言われました。

 そのとき、俺は本当に嬉しかったんです。

 剣を身につければ、いざという時、ちゃんと妹を守れる、って思いました。

 まさか妹も一緒に習うとは思ってなかったですけど……。

 でも、とにかく、俺なりに一生懸命、鍛錬を積んできました。


 レインとシトラスという大切な仲間にも出会えて、俺たちの日々は順調そのものでした。


 ……だけど昨日、俺は、妹を守りきれませんでした。


 俺が弱かったせいで、妹に怖い思いをさせ、怪我まで負わせてしまった。

 そして──また泣かせてしまった。


 あのとき誓った覚悟を、俺は忘れかけていた。

 そう痛感しました。


 だから、もう一度、心に誓ったんです。

 三度目は、絶対にないって。

 もう二度と、妹にあんな思いはさせない。今度こそ、必ず守り抜くと。


 それに今は、剣だけじゃない。

 魔法という力の存在も知りました。

 どんな手段であっても、妹を守れる(すべ)を磨いて、鍛えていきたい。

 昨日の不審者もまだ捕まっていない状況で、のんびり休んでいる余裕なんてありません。


 だから俺を、研修に参加させてください。



 ◆◆◆



 ランドリーの話が終わり、場内に静寂が流れた。

 やがて、グレナが口を開く。


「……昨日は、ちゃんと眠れたか?」


 ランドリーは明るい声で答えた。


「妹が寝付いたあと、隣の空きベッドで休みました。あいつは、今もぐっすり寝ていますけど、俺もそれなりに眠れたんで、心配いりません」


「そうか……君は本当に、優しくて強いお兄ちゃんじゃのう」


 グレナが穏やかな声でそう言うと、ランドリーは首を横に振った。


「強くなかったから、今困っているんです。昨日、あいつのことをちゃんと守れなかった。だから、もっと強くならなきゃいけない。俺に、妹を守るための魔法を、もっとたくさん教えてください。精一杯、努力します。どうか、よろしくお願いします」


 ランドリーが深く頭を下げた。


 グレナは、ふっと微笑む。


「見上げた根性じゃ。君自身が否定しようと、あえてもう一度言おう。君は、優しくて強いお兄ちゃんじゃ。そしてこれから、もっと強くなれる。わしは応援するぞ」


 グレナは一拍置いてから、そっと告げた。


「では──研修四日目を、改めて始めようかの」


 ランドリーは顔を上げて、ふっと笑みをこぼした。

 レインとシトラスも、優しい眼差しでランドリーを見つめた。


 温かな空気が研修場を包み込み、魔法研修の四日目が始まった。


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