第四話 教会での出会い
レインが物心つく頃には、すでに両親はいなかった。父は兵隊として遠方の戦争に駆り出され、戦死した。帰ってきた遺体を見て咽び泣く母の姿はうっすらと憶えている。その後すぐに、母も病気を患って亡くなってしまった。
行く宛もなく街中を彷徨っていたところ、王都の端にある教会の神父ハルシュ・ワーグナーに拾われ、それ以降、レインは教会に寝泊まりするようになった。ハルシュは白髪の老人で白い髭を伸ばしている。笑顔の絶えない優しい神父であり、レインの親代わりとなって、たくさんのことを教えてくれた。
最初に教えてくれたのは、イスリナ神教についてだった。
ハルシュは、イスリナ神教の紋様のペンダントをプレゼントしてくれて、レインに優しく諭した。
「これを肌身離さず付けて、時々で良いから節目節目にイスリナ神に感謝を述べると良いよ。イスリナ神がレインをいつも守ってくれるはずだから」
やがて、ハルシュはレインに文字の読み書きを教えてくれるようになった。そして、読み書きの基礎を一通り習得すると、今度は色々な本を与えてくれるようになった。これをきっかけに、レインは王国の伝説を記した歴史書や、勇者の冒険譚のような小説に熱中するようになっていった。
幼馴染三人と知り合ったのも教会である。ハルシュに拾われて教会に来た頃、既にランドリーとサラが教会で生活していた。レインは彼らの境遇についてまだ詳しく聞いていないのだが、彼らも教会以外に身寄りがなく、ハルシュが親代わりになっているようだった。
ランドリーとサラは、内向的なレインを気にかけて明るく話しかけてくれた。
「一緒に散歩に行こうよー」
そう言って、昔からこの河川敷によく連れ出してくれた。剣術を習い始める以前の彼らは駆けっこ遊びが好きで、レインもそれに巻き込まれて一緒に走る羽目になった。足の遅いレインはいつもすぐに捕まってしまっていたが、それでもとても楽しいことに変わりはなかった。二人の優しくて明るい性格がレインにとって眩しくて羨ましかった。
三年ほど前、元気に遊び回る二人を見て、ハルシュは「剣術をやってみないか?」と声をかけた。ハルシュ自らが剣術を指南し、二人はメキメキと上達していった。
剣術素人のレインから見て、二人の上達速度は驚きだったが、それ以上に驚いたのはハルシュの剣技の腕前だった。剣の構えの隙の無さや、無駄のない所作は、年老いた神父のものとはとても思えなかった。実際、ランドリーもサラも、ハルシュとの打ち合い稽古で未だ一度も勝てていない。
シトラスが教会に初めて来た日のこともよく憶えている。
それは今から二年前、ざあざあと激しい雨が打ちつける日だった。教会の礼拝堂では、神父ハルシュがイスリナ神教の経典を読み上げ、十数人の信者が静かに祈りを捧げていた。レイン、ランドリー、サラもその中に混じり、お揃いのペンダントをぐっと握り締め、瞑想に耽っていた。
不意に礼拝堂の後方の重い扉がぎぃと鈍い音を出して開き、すぐにばたっと人が倒れたような音がした。何事かと皆が振り向くと、紫色の髪の少女がずぶ濡れになって床に倒れていた。その少女がシトラスだった。ハルシュはいち早く異常事態を認識し、慌てて少女シトラスの元に駆けつけた。
「すみません! 今日の儀式は中止します。誰かこの子を包む布とか厚めの衣服を持っていたら貸していただけますか?」
「レインとサラは、食糧庫から何か口に含みやすい食べ物を持ってきて。ランドリーは、街のお医者様を呼んできて」
ハルシュが矢継ぎ早に的確な指示を出し、それを聞いて周りの皆が慌てて動き出した。
数刻が経った頃、シトラスは教会の一室のベッドで無事に目を覚ました。
だが彼女の目は虚ろで、声も出せないようだった。ハルシュはイスリナ神教の紋様のペンダントをシトラスの首にかけ、「すぐによくなるはずです」と優しく呟いた。そして四六時中、付きっきりで看病し、イスリナ神教の経典を唱えながら、祈りを捧げ続けた。
それからさらに数日が経って、シトラスは回復して声も出せるようになった。「助けていただいてありがとうございました」と小声で丁重に礼を述べ、ややぎこちない笑顔を浮かべた。
ハルシュは、ふぅーと長く息を吐き、ようやくひと安心した様子だった。
レイン、ランドリー、サラも、「良かったー」と声をあげて喜んだ。
どうやら彼女も身寄りがないようだったので、そのまま教会で一緒に暮らすことになった。
教会に来る前に彼女の身に何があったのか? レインは何も知らない。そういうことは向こうから話を切り出さない限りは聞かないようにしようと決めているし、彼女が前を向いて生きているのなら別に過去を掘り起こす必要もない、と思った。もしかしたらシトラスはハルシュには全て打ち明けたのかもしれないが、ハルシュから何か知らされるということは特段なかった。
シトラスが元気を取り戻したころ、ハルシュはシトラスにも文字の読み書きを教えるようになった。そして、レインと同様に、色々な本を渡すようになった。シトラスはあまり小説には興味を示さなかったが、その代わり植物や薬草の図鑑に強い興味を示し、物凄い勢いでそれらを読み漁るようになった。
◆◆◆
どれくらいの時間が経っただろうか?
本を読んでいたはずが、いつからか意識が本の世界から抜けて、回想に耽っていたことに気づく。開いている本のページを確認すると、読み始めてからまだ三ページしか進んでいなかった。
不意に、シトラスが声を掛けてきた。
「レインは読書がホントに好きだねぇ。今日は何を読んでいるの?」
シトラスの目には、レインがずっと読書に没頭していたように映ったようだ。
レインがシトラスの方を見やると、彼女は青色の花を両手に抱えるほどたくさん持っていた。
「今読んでいるのは、『王国創始記リバイバル』の第四巻だよ。全部で五巻あって、今はちょうど佳境に近づいているところだけどちょっと難しい内容で、今は本とは違うことに意識が飛んでいたかな……」
君と出会った時のことを思い出していた、とはちょっと恥ずかしくて言えない。
「ところで、両手に抱えている花、とっても綺麗だね」
話題をシトラスの方に向けると、彼女は笑みを浮かべ、花を抱えたまま両手を前に出してレインによく見せてくれた。
「これは水月華という名前で、とても珍しいんだよ。私も実物を見たのは今日が初めてなんだ。図鑑によれば、東の森の一部だけに群生しているってことなんだけど、なんでこの河川敷にこんなにたくさんあるのか不思議なんだよねぇ」
「誰かが移植したとか?」
「人が勝手に移植して上手くいくことなんて滅多にないよ。東の森とここでは、環境が全然違うはずだし……。意図的ではなく、たまたま東の森と王都を行き来する人の服に種がくっついて、ここまで運ばれてきたのかなぁ。それに、去年から涼しい天候が続いていたから、この河川敷でも都合よく生長できたのかも」
東の森というのは先住民シルヴィ族が住んでいるところのはずだ。その森と王都を行き来するような人はあまりいないと思うけどなぁ、とレインは本で得た知識をもとにしながら思案する。
レインは他にも気になることがあった。
「たくさん花を集めているけれど、持ち帰って鑑賞用として生けるつもりなの?」
シトラスは、花を探し回るのは好きだが、普段はあまりむやみに取ったりしない。そんなにたくさん集めるなんて珍しいな? とレインは少し引っかかっていた。
「鑑賞のために花を摘むなんてしないよ。鑑賞だけなら、この河川敷に来れば済むだけだし、花は自然の中に生えているのが一番だからね。今集めている理由は、新しい薬を作るためなんだ! ちょっと前に読んだ薬草図鑑に、この花の成分が風邪薬になるって書いてあったから」
レインはそれを聞いて得心したが、まさかこんなに綺麗な花も薬の材料になるとは驚きだった。レインにとって、薬の材料といえば緑色の草ばかりだと思い込んでいたのだ。
シトラスに言われるまで、採集目的が創薬である可能性に気付けないなんて、自分はまだまだ抜けているな、とレインは少し反省する。シトラスが鑑賞のためだけに自然の花を大量に摘むような人間でないことは分かっていたはずなのに。
すると、シトラスは、レインの心の中を見透かしたように、笑顔で補足した。
「レインが、薬のことに気付けなかったのは当然だよ。まさかこんな綺麗な花から風邪薬ができるなんて、普通思わないよね!」
シトラスはいつもこうやってさりげなくフォローをしてくれる優しい子なのだ。レインは温かい気持ちになって、シトラスに微笑み返した。
すると不意に、ランドリーの声が飛んできた。
「何だ! 二人でにこにこ見つめ合って相思相愛だな!」
軽くからかい口調で笑いながら、彼がこちらに近づいてくる。その後ろにはサラも付いている。どうやら木刀試合の決着が付いたようだ。
「今日の打ち合いはもう済んだのか? どっちが勝ったんだ?」
レインが一応聞いてみるが、二人の表情を見れば確認するまでもなく明らかだ。
「俺が勝ったに決まっているだろ。サラはスタミナがまだまだ足りないからな。最後の方は隙だらけで余裕だったよ」
「いやいやお兄ちゃんも最後の方はかなり疲れているように見えたよ。最後にやられたのは、川縁の石にちょっと足を取られただけだから!」
「川縁の石なんて自然に転がっている物を負けの理由にするのか? 石に足を取られたのは、スタミナが切れて集中力が欠けていたってことだろ」
兄妹の言い争いはまだしばらく続きそうな様子だったが、今日のところは兄が威厳を示したと見受けられる。
シトラスは兄妹の言い争いには我関せず、のんびりとした声で提案する。
「じゃあそろそろ教会に帰ろうかー」
ランドリーは満足そうな笑顔でみんなを見回した。
「そうだな。そろそろ帰ろう」
◆◆◆
こうして、春の陽気な一日がごく普通に終わる……はずだったのだが。
ここから一波乱も二波乱も起きることになる。
一波乱目は、四人が河川敷を背に、教会へ帰ろうとしたまさにその時に起きた。
「その泥棒を捕まえてー!!」
川の向こう岸から、女性の叫び声が聞こえた。
向こう岸を見ると、宝石商らしき女性から大量の宝石を奪い取ったと思われる屈強な大男が、川を横断してこちらに渡って来ようとしていた。
大量の宝石を奪ったと分かったのは、男が左肩に掛けていた鞄の口が少し空いていて、その中からじゃらじゃらと宝石がはみ出していたからだ。一部の宝石は川に落ちて流れていってしまっている。
泥棒は、腰のあたりまで水に浸かりつつも、川の流れを物ともせず、どんどんこちらに近づいてくる。
レインたちは目を見交わし、互いの意志を確かめ合う。
こちらに迫ってくる泥棒を見過ごす気など、誰の顔にも浮かんでいない。
小さく頷き合うと、四人は静かに身構えた。




