第三十九話 作戦会議(後編) 深まる混迷と希望の光
作戦会議は、なおも続いていた。
カール陛下が口を開く。
「王国議会について理解するには、通称『議会玉条』──すなわち『王国議会に関する掟』を読むのが一番だ」
「議会玉条……?」
レインは首を傾げる。
カール陛下は、机の上に『王国掟全書』を広げ、その冒頭を指し示した。
「『金科七条の其の五』を覚えているかい? “王国議会は、掟の制定を担う唯一の機関とする。その具体的な権能及び構成員の選定方法は、別の掟によって定める”という条文だ。ここで出てくる“別の掟”が、『議会玉条』のことだよ」
そこにマシューが横から補足する。
「金科七条と議会玉条──これらを合わせて、“金科玉条”と呼ぶ。それは南の大陸の古語で、“最も大切にして守らなければならない規則”を意味する言葉だ。つまり、この二つの掟こそ、王国の掟の中で最も重い位置付けにあたる」
マシューが語っている間に、カール陛下は『王国掟全書』をめくり、該当する箇所を示した。
レインは、昨晩は読み飛ばしてしまった、その頁に目を向けた。
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【議会玉条 抜粋】
第一条【議員定数および資格】
王国議会の議員定数は30名とする。内訳は、王族(国王を除く)および中央貴族から10名、聖職者代表1名、地方領主3名、大臣職(魔法師団長・騎士団長・医局長・文書館長)4名、公選議員12名で構成される。
第二条【特別職】
議員30名とは別に、特別職として、議長および書記官を1名ずつ置く。原則、議長は国王が務める。書記官は、王宮文書館の史官より選任する。なお、議長および書記官の2名は、議案に対する投票権を有しない。
第三条【議員任期】
公選議員の任期は五年とする。それ以外の議員は終身とする。
第四条【議会の召集】
国王は、月に一度、定例議会を召集する。また、議員の過半数の要請があった場合、臨時会をただちに召集しなければならない。
第五条【採決】
金科七条の改正を除くすべての議案は、議員投票の過半数で決する。可否同数となった場合に限り、議長が裁決を下す。また、同一議案の再投票は、同日中には一度だけ認められる。
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レインは、その頁に視線を落としたまま、小さく呟いた。
「議員は30名……。つまり、『国教化案』を否決するには、15名以上の賛同が必要ということか。仮に賛否同数の15名になったとしても──最後に議長であるカール陛下が裁決する。つまり、それで否決に持ち込めるはず……」
だが、その見解に対して、マシューが首を横に振った。
「君の言葉には、一つ見落としがある」
そう言って、彼は第二条の後半部を指差した。
──書記官は、王宮文書館の史官より選任する。なお、議長および書記官の2名は、議案に対する投票権を有しない。
その一文を目にして、レインはすぐに自分の見落としに気づいた。
(今、王宮文書館の史官は、館長のマシューさん一人だけ。つまり……書記官はマシューさんが務めることになる。そして書記官には投票権がない──)
思考をそのまま口に出すと、マシューは複雑な表情で応じた。
「正解だ。議員という立場を失うわけではないから、発言は可能だ。しかし、票を投じることは許されない。実はこの解釈をめぐって、過去に少しだけ揉めたこともあったが、最終的にはこの運用に落ち着いた……つまり、現状、王国議会で投票権を持つのは29名ということになる」
そして、カール陛下が言葉を付け加えた。
「マシューの投票権がないのは、我々にとっては痛手だが…… “賛否同数にはならない”という意味では分かりやすい。15名が反対票を投じれば、その時点で我々の勝ちだ」
にやりと笑みを浮かべると、さらに続けた
「イスリナ神教の国教化案は、これまでに三度、審議されている。その採決結果は、それぞれ10対19、12対17、13対16……。少しずつ賛否の差は縮まってきている。そして、今度の票読みについては、マシューの見立てによると、賛成で固いのが10名、反対で確実なのが9名、残り10名が中立で票が読めないというわけだ」
その説明に、マシューは静かに頷いた。
だが、レインはどうにも腑に落ちなかった。
「あの……その票読み、具体的にはどんな内訳なのでしょうか?」
するとマシューは、白い紙を一枚取り出し、説明を加えながら、丸印を30個書き出した。そして、賛成に投じると見込まれる者には二重丸(◎)をつけ、反対派の丸は塗りつぶした(●)。それ以外の者には単なる丸(◯)をそのまま残した。
王族・中央貴族 ◎◎◎◎◎◎◯◯◯●
聖職者 ◎
地方領主 ◎◯●
大臣 ●●●
公選議員 ◎◎◯◯◯◯◯◯●●●●
マシューが静かに解説を始める。
「王族・中央貴族の中では、シリウス殿下、ザハムート公、王弟派を支持する他4名──計6名が賛成で固い。我々の協力者のスフェンサー卿は、反対票を投じるはずだ。聖職者枠のレイフェルド司祭は、イスリナ神教の高位聖職者。当然、賛成に回る。地方領主のうち、西部のテルマ卿は王弟派の筆頭だから賛成、東部のシルヴィ族長シドニーは反対。南部の港町を治めるウォーター卿は態度保留の中立だ。大臣職にあたるグレナ、アレク、レイチェルの三人は、言うまでもなく反対派。そして──最も重要なのは、公選議員12名の動向だ」
そこで、レインは口を挟んだ。
「公選議員というのは、具体的にはどういう方々なのですか?」
マシューは落ち着いた口調で応じる。
「公選議員は、地方ごとに選出される。西部、南部、東部、王都──それぞれから3名ずつ、計12名。これは長年の慣例だ。東部の3名はいずれもシルヴィ族の出身で、イスリナ神教の影響を危惧しており、反対で固い。南部の一人は私の知己で、彼も国教化には反対の立場を取っている。一方、西部出身のうち2名は、領主テルマ卿の影響下にあり、賛成に回ると見ていいだろう」
その説明に、レインは頷きつつも、どこか釈然としなかった。
そして、意を決したように口を開く。
「あの……僭越ながら、少し読みが甘いのではないでしょうか?」
その一言に、マシューの眉がわずかに動く。
カール陛下は、何か面白いことが始まりそうだとばかりに、口元に笑みを浮かべて見守っていた。
レインは、さらに話を続けた。
「直近の裁決結果は、13対16だったんですよね。マシューさんの票読みでは、賛成10、反対9、不明10となっていますが、その不明な票のうち3票は、前回“賛成”に回った方々ということになりますよね? 一度賛成した議員が、今回は反対してくれるかも、というのは少々楽観的な見立てではないでしょうか」
カール陛下は静かに一言、呟いた。
「……うむ、まったくその通りだな。マシュー、賛成に回った者をそのメモに書き足してくれ」
そう命じられ、マシューは渋い顔を浮かべながら、中央貴族の丸印2つ、公選議員の丸印1つを、二重丸へと書き換えた。
王族・中央貴族 ◎◎◎◎◎◎◎◎◯●
聖職者 ◎
地方領主 ◎◯●
大臣 ●●●
公選議員 ◎◎◎◯◯◯◯◯●●●●
マシューは低く声を落として、レインに向けて説明した。
「前回、中央貴族はほぼ賛成に回った。公選議員の賛成3人は、いずれも西部出身者だ。その中の1人は、審議中は反対の態度を見せていたが、テルマ卿の顔色をずっと窺っていて、結局、投票時には賛成に回った。おそらく、何らかの圧力を受けていたのだろう」
レインは、マシューの描いた票読みの図を見つめながら、小さく唸った。
(……前回は、この白丸がすべて反対に回ったから、13対16で否決できたわけか。だが……これは危うい)
ほんの2人が寝返っただけで、賛成が15、反対が14となり、法案は可決されてしまう。
中央貴族のうち、前回は反対した2名ともが今回も同じように反対してくれるだろうか? 協力者の1票は固いとしても、もう1票は果たして……。
それに──
(南部の領主、ウォーター卿……。彼がどちらに転ぶかで、同じ南部出身の公選議員たちの判断も左右されるのでは……?)
レインは慎重に言葉を選びながら、南部領主の動向について、自身の懸念を率直に伝えた。
その瞬間、カール陛下とマシューの顔に動揺の色が走り、視線を交わし合う。
やがて、マシューが静かに口を開いた。
「……それも、たしかに君の言う通りだ。本当の鍵を握っているのは、ウォーター卿なのかもしれない。すでに王弟派が彼と接触し、何らかの働きかけをしている可能性も否定はできない……。陛下、どうなさいますか?」
カール陛下は、顎に手を当てて考え込む。
その間、マシューが陛下に向けて話を続けた。
「議会当日の論戦だけでは心許ないですね。事前に根回しする必要がある……となると、まずは手紙を出してみますか? いや、それだけでは足りないかもしれませんね……」
そこで、レインが口を挟んだ。
「国王陛下の代理として、使者を送るのはいかがでしょうか?」
その言葉に、カール陛下はゆっくりと首を横に振った。
「……あからさまに動くわけにはいかない。こちらの動きが王弟派に漏れないようにしなければ……。それに、前にも言ったが──このような大任を安心して託せる者は、あまりに少ないのだ。……マシュー、君が行けるか?」
一瞬の沈黙ののち、マシューは声を落としながら答えた。
「……港町までは距離があります。仮に早馬で向かっても、片道二日。往復すれば四日です。その間、私が王宮を離れれば、王弟派に不審を抱かれるでしょう」
マシューの言葉に、場の空気が一瞬、重く沈んだ。
──そのときだった。
レインの脳裏に、ふと閃くものがあった。
「……あの、ウォーター卿は議会に出席するために、王都へいらっしゃるのですよね? であれば、議会前日か、当日の朝には王都入りするはずです。そのタイミングで接触することも可能なのでは……?」
その提案に、カール陛下が目を細め、口元を緩めた。
「──まったくその通りだ。やはり若い頭は柔らかいな……。わざわざ港町まで使者を送る必要はなかったか。ウォーター卿は、王都にある別邸に滞在するはずだ。そこでの極秘接触を図ろう。マシュー、至急ウォーター卿がいつ王都入りするのか、調べてくれ」
カール陛下の指示に、マシューは少し目を見開いた。
「承知しました。ウォーター卿の動向は私の方で調査します。ただ……肝心の接触役は、誰が務めるのでしょう? まさか陛下ご自身が動かれるわけではありませんよね? とはいえ、私が王宮を離れるのも不自然です。議会前日は、議事案の精査など、書記官としての業務が立て込んでいますから……」
レインは黙って思考を巡らせた。
(──王都で接触を試みる発想自体は悪くない。だが、動ける人がいないのでは話にならない)
そこで、また別の案が浮かんだ。
(……いっそ、ウォーター卿を堂々と王宮に招き、事前に会談してはどうか?)
だが、その案を口に出す前に、自分の中で落とし穴に気づいた。
(会談の情報が事前に漏れれば、王弟派は陛下より先に何か策を講じてくるだろう。やはり今は、極秘裏に接触すべきか……)
最善の一手を見出せないまま黙考していると、不意にカール陛下が笑い声をあげた。
「ふふっ……いや、妙案があるぞ、マシュー。私はまた思いついてしまった。議会前日に目立たず自由に動けて、なおかつ、我々が信頼している人物がいるではないか」
(──誰のことだろう?)
レインは首を傾げたまま考えたが、まるで見当がつかない。
だが次の瞬間──ふと、カール陛下と視線が合った。
陛下の笑った目が、まっすぐレインを捉えていた。
「君のことだよ、レイン君。君なら打ってつけだ。……もちろん、君一人に任せるわけではない。君の幼馴染たち、あの三人と動いてもらおう。議会前日は、四人そろって休暇ということにして、王都で自由に遊んでいるふりをしながら、ウォーター卿と接触してもらいたい。君たちなら、私も安心して任せられる」
思いがけない人選に、マシューも堪えきれず吹き出した。
「ははっ……さすが陛下です。そうですね、彼ら四人なら最適です。速やかにウォーター卿の到着予定を探ります。おそらく議会前日には王都入りしているでしょうし。あわせて、四人には休暇を与える旨を、アレク、グレナ、レイチェルにも伝えておきます」
レインは、ただその場で呆然と立ち尽くすしかなかった。




