第三十六話 魔法は真実を照らす
(なんだ、二人ばっかり成功して……)
微笑ましい様子の二人を見つつも、レインの胸はほんの少しざわついていた。
そこへ、グレナが微笑みを浮かべて近づいてくる。
「感情が揺れておるようじゃな。それでは魔法は扱えぬ。まずは心を落ち着けるのじゃ。君は昨日、文書館で高度な魔法をたっぷり浴びたであろう。そうした経験は、自分の魔法を引き出すヒントにもなるはず。昨日の経験を思い出しつつ、まずは魔法に集中するがよい」
「……はい」
レインは小さく返事をして、いちど深呼吸した。
そして、頭の中に昨日の光景を思い浮かべた。
──宙を舞う青龍、壁一面に咲き誇った花々、濃霧に包まれた森。
外から差し込んだ光の一閃とともに、森の木々は一瞬輝きを放ち、そして跡形もなく消え去った。
レインの心に強く残っていたのは、東壁の魔法よりも、シリウス殿下が最後に放った光だった。幻想の中で見た、あの神々しい煌めきは、実に美しかった──。
再び、レインは手首をくるりと回す。
──その刹那、手元に小さな光が灯った。
それは微かな光ながらも、ほんのりと温かな黄色を帯びていた。
レインはふっと顔を綻ばせる。そこに皆の視線が集まった。
「ほぅ……美しい光じゃ。君の魔法属性は、間違いなく“光”じゃな」
グレナが優しく微笑み、そっと囁く。
周囲の三人も、それぞれの笑顔でレインを祝ってくれた。
「レイン、おめでとう!」
「とってもきれいな光だねぇ」
「いいな〜、光の魔法かぁ……。どうやったら出せたの?」
最後にサラが羨ましそうに尋ねてきたので、レインはその問いに答えた。
「昨日、シリウス殿下が放った光魔法を強くイメージしてみたんだ。たぶん、それがきっかけだったと思う」
すると、サラが不思議そうな顔を浮かべた。
それを見て、レインはふと思い当たる。
(そういえば、文書館での昨日の出来事について、まだ三人に話してなかったな……)
昨日は夕飯の時間がばらばらで、出来事を共有できていなかった。
いきなり「シリウス殿下の光魔法」と言われても、三人にしてみれば、何のことやら分からないのも当然だ。
レインは、昨日の出来事を簡単に説明しようとした。
だが、その前にグレナが口を開いた。
「やはり、シリウスは光魔法を使っていたのか……? 昨晩、本人に確認したときには、『火属性の魔法を使った』と言っておったがな。光というのは、君の見間違いではないか、と申しておった」
「見間違いのはずがありません。僕は、あのとき、確かに“光”を見ました」
レインはきっぱりとそう言い切った。
グレナはさらに問いただす。
「君がその記憶をもとに光魔法を発動できた以上、シリウスの魔法を“光”と認識していたことは確かだろう。だが、そのとき君の意識は、青龍の魔法によって混濁していたはずだ。その状態で見たものを、本当に正しく認識できていたと言えるか? 彼が“火”を使わなかったと、自信を持って言い切れるのか?」
そう言われると、レインは一瞬だけ言葉に詰まる。
たしかに、あのときの意識は朦朧としていた。
……シリウスは実際には火の魔法を使っていたのだろうか?
レインは改めて記憶をたどり、しばらく考え込んだ。
そして、見間違いではない確かな理由を見つけた。
「シリウスが火を使ったはずはありません。それは断言できます」
「……ほぅ。根拠を聞こうか」
「青龍は、木々を操ると同時に、風を巻き起こしていました。もし、あの場で火を使っていれば、木々は焼き尽くされ、風にあおられて火は燃え広がったはずです。……さっきシトラスとランドリーの魔法が重なり合った時のように」
その話の結末に気づいたのか、グレナの目が見開かれる。
レインは淡々と続けた。
「そうなれば、文書館の書棚や床には焦げ跡が残り、大事な本の何冊かは燃えていたでしょう。ですが、僕が魔法から覚めたとき、周囲は何ひとつ変わっていませんでした。書棚も、床も、本も、すべて無傷だったんです。グレナさんも、昨日、焦げ跡なんて見ませんでしたよね?」
グレナはしばし沈黙し──やがて、感心したように深く頷いた。
「言われてみれば、たしかに君の言う通りじゃ。わしが自分で気づけなかったのは恥ずかしい限りじゃが……これでシリウスの嘘がはっきりしたの」
レインはそっと頷き返した。
だが、すぐに新たな疑問が頭に浮かび、首を傾げる。
(……シリウス殿下は、どうして嘘をついたんだろう?)
魔法の属性をごまかすことに、いったいどんな意味があるのか。
あのとき見た光の魔法には、何か特別な事情でも隠されているのだろうか──。
レインと同じく、グレナもしばらく考え込む様子で、腕を組んで目を伏せた。
やがて、彼女はふっと腕をほどき、明るい声をかけた。
「まあ、シリウスの件は陛下に報告しておこう。続きはあとでゆっくり考えるとするよ。まずは、君たちの魔法の習得が優先じゃ。そろそろ、次の魔法を教えてみようかの」
その言葉に、レインの胸が弾んだ。
周りの三人も、期待を顔に滲ませた。
グレナはにっこりと微笑み、言葉を続けた。
「今度は、防御魔法をやってみよう。これは、自分の前に“盾”を作る魔法じゃ。属性によって、盾の性質が変わる。たとえば火属性なら炎の盾、光属性なら光の盾が現れる」
そう言って、グレナは、ランドリーとレインに温かな視線を向けた。
そして次に、シトラスへと目を向ける。
「火・水・風・土・光・闇──六大属性の中で、風だけは少し様子が違う。風の場合は目に見える盾は現れず、自分を中心に小さな竜巻が発生し、攻撃魔法を弾く仕組みになっておる」
続けてグレナは、サラに向き直った。
「サラさん。あなたの属性はまだ分からんが、灯光に手こずっているところを見るに、火や光ではないのかもしれん。闇も極めて稀な属性じゃから、たぶん水か風か土じゃろうな」
そして、グレナは四人の顔を改めて見回し、魔法の盾の手本を見せた。
まず、両手の拳を前に突き出す。
次に、手を大きく開き、右手を右へ、左手を左へ──水平を保ったまま、素早く同時に広げ、両腕が横に伸びた状態を作る。
最後に、左右の手のひらを同時にぱっと閉じる。
その一連の動作と同時に、グレナの体の前に、黒紫色の網目模様をした盾が現れた。盾は横長に広がり、網目からは禍々しい気配がじわりと滲み出している。
「これは闇属性の盾じゃ。……まぁ、わしはどの属性の盾も出せるがの」
そう言って、今度は先ほどの動作を逆にたどるように手と腕を動かすと、盾はふっと消えた。
彼女は優しい口調で言葉を付け加えた。
「動作の滑らかさと、豊かな想像力が鍵じゃ。目の前に、自分の属性に合った盾の存在を強く思い浮かべながら、手を動かしてみなさい」
そのひと声をきっかけに、四人は見様見真似で盾の練習に取り掛かった。
(今度は僕が一番乗りしてやる……!)
レインは心の中でそう意気込みながら、横目でランドリーの様子を窺った。
彼は真剣な表情で、習った通りの動作を繰り返すが、まだ盾は現れていない。
(よし……今のうちに!)
レインも集中し、頭の中で“光の盾”のイメージを描きながら手を動かす。
だが、すぐに形になるほど甘くはなく、数回の空振りが続いた。
そのとき、レインの頬に冷たい水飛沫が飛んできた。
驚いて首を振り、辺りを見回すと──サラの前に、水の盾が出来上がっていた。
透明な水の塊が宙に浮かび、体を隠すほど大きいしずく型の盾を形作っている。
その表面は、鏡のように周囲の景色を映し出していた。
サラは、目の前に広がる光景が信じられないのか、口をぽかんと開けたまま立ち尽くしていた。
そんな彼女に、グレナは満面の笑みを浮かべて声を掛けた。
「ふふふっ……。実に素晴らしいの。これは、“水鏡の盾”じゃ。水の盾にはいくつか種類があるが、なかでも水鏡の盾は、あらゆる魔法を跳ね返すことができる優秀な盾といえる。灯光には苦戦しておったが、水属性ならそれも納得じゃな。……もっと早く防御魔法を試してみればよかったの」
サラはふぅーと息を吐き、心から嬉しそうな笑顔を浮かべた。
ようやく「自分も魔法を使えた」という実感が湧いてきたのだろう。
彼女は一度その盾を閉じると、再び盾を展開してみせた。
その長い両腕をしなやかに広げる所作は、誰よりも優雅で、美しかった。
グレナは快活な声で言った。
「これで四人それぞれが、少なくとも一種類の魔法は使えるようになったの。組み合わせも変幻自在じゃし、ここまで来れば、あとはスイスイ進むはず。いろいろと“遊びがい”があって、これからきっと、魔法がもっと楽しくなるぞ」
その言葉に、レインたちの表情がぱっと明るくなった。
そのあとは和やかな雰囲気のまま、盾の練習に集中する時間が続いた。
そして気がつけば、あっという間に昼食の時間を迎えていた。
「では、明日もまたよろしくの」
グレナはそう言い残すと、すっと一瞬でその場から姿を消した。
◆◆◆
四人だけになると、まるで見計らっていたかのように、ランドリー、サラ、シトラスが、レインに向かって矢継ぎ早に質問を飛ばしてきた。
「さてと、レインにはいろいろ聞かせてもらわないと!」
「昨日、文書館で騒ぎがあったって噂では聞いてたけど、一体なにがあったの?」
「今朝は、もしかしてそのことでマシューさんに怒られてたんじゃないのぉ?」
レインは、いきなりの質問攻めに面食らった。
しかも、どうやら何か誤解されている節がある。
「いやいや、怒られてたわけじゃないよ」
レインは慌てて手を振りながら、笑って言った。
「ご飯食べながらちゃんと話すから、とりあえず食堂に行こう」
三人は笑顔で頷き、みんな仲良く、食堂へと向かった。




