第三十五話 魔法は心を映す
マシューからの呼び出しの前に、魔法研修三日目の様子をお届けします。
レインは息を切らしながら、魔法研修場へ飛び込んだ。
そこには、グレナ魔法師団長も含め、レイン以外の全員がすでに揃っていた。
皆の視線がレインへと注がれる。
「どうしたんじゃ。もしかして寝坊でもしたか?」
グレナがにやにやと笑いながら声をかけてきた。
レインは大きく首を横に振った。
「いえ、朝早くにマシュー館長の執務室に行って話し込んでいたら、つい時間を忘れてしまって……。遅れてごめんなさい!」
深く頭を下げると、グレナから陽気な笑い声が返ってきた。
「ふふふっ。別に謝る必要などないぞ。ぎりぎりだが、時間にはちゃんと間に合っておる」
レインは顔を上げて、研修場の壁時計に目を向けた。
たしかに、針はまだ開始時刻の少し手前を指していた。
安堵とともに額の汗を拭い、ふうっと息を吐いた。
すると、グレナがぽつりと呟いた。
「……そもそも、わしはちょっと遅れたくらいで怒ったりせんよ」
少しだけ口を尖らせたグレナの様子に、レインたち四人は思わず微笑んだ。
そしてランドリーが明るく声を弾ませた。
「四人とも揃いましたし、グレナさん、今日もよろしくお願いします!」
グレナも笑顔で応じた。
「うむ、こちらこそ。それでは、今日も張り切っていこう」
「はいっ!」
四人は声をそろえて、元気よく返事した。
その声に押され、レインの心にやる気が漲る。
(今日こそ魔法を成功させてみせる……!)
拳を握りしめ、ぐっと力を込めた。
そして、今日の研修も“灯光”の練習から始まった。
レイン、シトラス、サラの三人は、何度も手首を回してみたが、どうしてもうまくいかなかった。
「やる気だけじゃ、どうにもならないか……」
レインはそう小さく呟いた。
一方、ランドリーだけは余裕の表情で、軽やかに手を動かしながら、灯光を自在に出したり消したりしてみせた。
「だいぶ安定してきたの。コツがあれば、三人にも教えてあげるとよい。どうもわしは感覚派なので、うまく言葉にできんのでな」
グレナの言葉に、ランドリーが笑い声を上げた。
「ははっ……俺も“感覚派”ですよ! 言葉で説明するのは無理です!」
「ちょっと腹立つんだけど。調子に乗らないでよ!」
サラが口を尖らせて、兄の背中を軽く小突いた。
ランドリーの言葉に少しむっとしたレインも、その一撃に内心すっとした。
それでも当のランドリーは、どこ吹く風とばかりに、にやけ顔を崩さなかった。
そんな彼を、シトラスは少しだけ離れたところから、どこか羨ましげな眼差しで静かに見つめていた。
その後、灯光の練習は静かに続いた。
──不意に、優しい風がレインの頬を撫でる。
(窓は開いていないはずなのに……どこから?)
レインは風の出どころを探して、ゆっくりと視線を巡らせた。
風は──シトラスの手のひらから生まれていた。
「ほぅ……風を起こすのに成功したようじゃな。そこに“火種”のイメージを加えれば、火が灯るはずじゃ……」
グレナが目を細めながら、囁くように言った。
そして、何かを思いついたように手をぽんと打った。
「そうじゃ。試しに、ランドリー君が灯光を出して、シトラスさんは風を送ってみなさい」
名前を呼ばれた二人は、顔を見合わせる。
それを見て、グレナは優しく言葉を添えた。
「シトラスさん、自力で火を灯すのはまだ難しいかもしれんが、すでにある火を大きくするのは案外やりやすいはずじゃ。昨日も言ったように、風で火を育てるイメージを持つといい。ランドリー君も、風を受けて火が大きくなる様子を思い浮かべてみなさい」
「分かりました。やってみます」
「了解ですっ!」
シトラスとランドリーが明るく返事した。
そしてランドリーは表情を引き締めると、手首をくるりとひねって、もう一度小さな火を灯した。
シトラスは、その火をじっと見つめる。
──そのとき、風が再び吹き始め、火がそっと揺らめいた。
ランドリーもまた、その火にじっと目を凝らした。
──二人の想いが重なった瞬間、シトラスの風魔法とランドリーの火魔法が呼応した。ふたつの魔力が重なり合い、火はたちまち大きく膨れ上がる。
その光景に、二人……いや、四人ともが目を大きく見開いた。
その隣でグレナはにっこりと笑った。
「すごい、すごい! もっともっと大きくなれ!」
その弾んだ声に、シトラスとランドリーは顔を見合わせ、嬉しそうに微笑んだ。
火はさらに燃え広がり、もはや照明どころではない。
勢いよく立ち上った炎は、天井に届かんばかりの高さにまで成長した。
危うく火の粉が降りかかりそうになり、レインとサラは慌てて後退した。
「そこまでじゃな」
グレナが小さく呟き、手をひと振りした。
その瞬間、大量の水が空中に現れ、激しい水柱となって炎に降り注いだ。
爆ぜるような音とともに火は押し流され、辺りには白い蒸気が立ちのぼる。
やがて、炎はすっかり姿を消し、床にはわずかに焦げ跡が残った。
湯気が引くと、グレナが満足げに拍手し、言った。
「素晴らしい! 二人の相性はぴったりじゃな。これなら照明どころか、敵に炎で攻撃することもできよう。派手な魔法を教えるつもりはなかったが……まさか、あんなに大きな炎を作れるとは……!」
その言葉に、シトラスとランドリーは嬉しそうに笑い、再び視線を交わした。
ふと、レインの脳裏に、ある記憶がよみがえった。
──八日前、河川敷でたまたまシトラスと目が合ったとき、ランドリーが「相思相愛だな!」とからかってきたっけ。
(……あれの仕返し、今がちょうどいいかもな)
冗談半分の軽口でも投げて、にやりと笑ってやろう。
そう思って、レインは口を開きかけ──そして、止まった。
レインの視線の先。
シトラスは、普段よりもずっと柔らかな笑みを浮かべ、ランドリーをじっと見つめていた。
ランドリーは、その視線を受けてほんのりと頬を赤らめ、照れ臭そうに目線を逸らした。
(……あれ? もしかして?)
不意に、レインの胸の奥に静かなざわめきが走る。
目の前の光景は、ただの幼馴染同士の笑顔ではなかった。
それ以上のものが二人の間に芽生えるのを感じた。
レインは隣にいるサラへと視線を向ける。
彼女も、ランドリーとシトラスの様子を見つめ、わずかに表情を緩めていた。
そしてレインと目が合うと、意味ありげに、静かに頷いた。
その後ろでは、グレナが目を細めながら微笑んでいた。
その表情は、魔法以外の何かを見抜いたような、深い含みを持っていた。




