第三十二話 読書の夜(2)二冊の書物と新たなる謎
月明かりの夜、宿舎の個室にて、レインは再び『王国創始記リバイバル』の読書感想文に向き合っていた。といっても、四巻の感想までは日中のうちに書き終えており、残すは第五巻の感想だけである。
まずレインは、読みかけになっていた第五巻を、最後のページまで一気に読み進めた。そのラストシーンは、建国式典。
初代国王アルベルト・アステニアは、王都の中央広場に集まる民衆に向けて、高らかにこう宣言した。
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──今日は、記念すべき、アステニア王国の第一歩の日だ。
辛く大変な犠牲を伴った魔族との戦い、美しき大地を洗い流そうとした水龍神との決闘、突如この中心地を襲った巨大神殿〈ラスタンディア〉の脅威──。それらを乗り越え、今ようやくこの地は平穏を取り戻した。それは決して私一人の力ではない。信頼の置ける仲間たち、そして懸命に復興に汗を流した民たち皆の尽力があってこそだ。あらためて皆に感謝する。
そして、今ここに集う皆とともに願いたい。この豊かで美しい王国が、千年先も続くように。私は、その実現のために、今できることを一つずつ、こつこつと積み重ねていきたいと思う。皆も、千年先の平和に思いを馳せ、ともに未来の形を描こうではないか。
万雷の拍手が広場にこだました。
こうして、アルベルト・アステニアは、千年先まで続く国家の礎を築き上げた。
終
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レインは静かに本を閉じた。
胸の奥に、じんわりと温かな感動が広がっていく。
最初に王宮を見学した時、"原典"の最終巻を覗いたシトラスが感激していたのも、よくわかる気がした。
読了の余韻に浸りながら、レインは静かに噛み締めた。
──今、自分たちは、アルベルト・アステニアが思いを馳せた千年先の未来を、まさに生きているのだ、と。
建国千年の節目となる年は、来年に迫っている。
──なるほど、この建国宣言があったからこそ、マシューは、建国千年を目前に控える今、この建国史を民に知らせたかったのか。
“リバイバル”には依然として多くの謎が残る。それでもレインは、マシューの想いの一端を理解できたような気がした。
そして、レインはさらに思いを巡らせる。
──来年には、建国式典のように、盛大な催しが行われるのだろうか?
王宮に来る以前、そしてこの本と出会う前まで、レインは「国のかたち」などという大きな事柄について、深く考えたことはなかった。両親を失ってからは、目の前の一日を生きるだけで精一杯だった。その後、ハルシュに救われ、素敵な幼馴染にも出会えたことで幸福を感じていたが──街には今も、親を亡くした子どもたちが溢れている。お金や仕事を失い、盗みに走らざるを得ない者も後を絶たない。そして、王宮内では、静かながらも確かに権力対立が渦巻いている。
(……これが果たして、アルベルトが願った千年先の未来なのだろうか?)
そんな物思いに耽りつつ、心に浮かぶことをとりとめもなく原稿用紙へと書き綴った。気づけば、四百字詰めの原稿用紙は、とうに十枚を超えていた。
『今の世の中を平和と呼べるかは分からないけれど、これから千年先、少しでも悪くなることなく、できれば今より明るい未来が待っていますように』
そう最後に書いて、読書感想文を締めくくった。
そして、原稿用紙の束をトントンと整え、机の端にきれいに揃えて置いた。
◆◆◆
レインは、感想文を書き切った達成感に浸りながら、続いて、文書館から借りてきた『王国掟全書』をそっと開いた。
『王国掟全書』
この書物には、およそ五百本にわたる王国の掟が記されている。
冒頭には、数ある掟の中でも最も重要な位置付けとされる“金科七条”が書かれていた。その内容は、次の通りだった。
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其の一 国王は、アルベルト・アステニアの血統を継ぐ者から選ばれ、掟および王国議会の民主制の原理の下に、アステニア王国を統治する。
其の二 すべての臣民は、個人として尊重される。生命の安全、個人の自由および幸福を追求する臣民の権利は、王国の政において最大限尊重されなければならない。
其の三 すべての臣民は、掟の下に平等であって、人種、信条、性別、地位、出身地により、差別されてはならない。
其の四 何人に対しても信教の自由を保障し、一切の宗教的迫害を禁ずる。
其の五 王国議会は、掟の制定を担う唯一の機関とする。その具体的な権能及び構成員の選定方法は、別の掟によって定める。
其の六 金科七条の改正には、王国議会の構成員の三分の二以上の賛成を要する。
其の七 金科七条は、王国の最上位の掟であり、これに反する一切の掟、王命、及び政治的行為は、その効力を有しない。
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レインがこうして掟の内容にじっくり目を通すのは、これが初めてだった。
その内容に、思わず感心する。
(人々の自由と平等、そして王の統治原理まで……ここまでしっかり整えられているとは……)
とはいえ、全体で五百本にも及ぶ掟を一夜ですべて読むのは到底無理だ。
“金科七条”を熟読したあとは、ぱらぱらとページを捲り、興味を惹かれる項目を拾い読みしていった。
そして、『王国掟全書』の最終頁には、千年前の建国当時の“金科七条”の原文が古代文字で記されていた。
(……これはまだ読めないな。古代文字も勉強しないと……)
そう思った瞬間、頭の奥底で、何か引っかかるものを感じた。
レインはしばし熟考に耽り、その引っかかりの正体を懸命にたどる。
やがて、ひとつの新たな疑問に行き着いた。
(なぜ、自分たちは、あの時『王国創始記』の原典を読めたんだ?)
王宮に招待されたあの日、レインたちは『王国創始記』の“原典”の閲覧を許された。その時は、一巻だけ空白の巻になっていたことや、初代館長クシュナーの名が登場しないことに意識が向いていたが……
そもそも、なぜ自分たちはあの本を普通に読めたのだろう?
言い換えれば──なぜ、千年前に書かれた原典が「古代文字」ではなく、「現代文字」で記されていたのか?
背表紙の巻数表記には、確かに古代文字の数字が使われていた。ならば、中身も古代文字であるのが自然ではないか?
──『王国創始記』の内容そのものを見直すべきかもしれない。
そんなシリウスの言葉が、ふと思い出された。
レインは再び原稿用紙の束を手に取り、最後の一枚の余白にこう書き足した。
『最後に、リバイバルの内容ではなく、原典の謎についても一言だけ書き留めておく。第四十一巻が空白であることも大きな謎ではあるが、そもそも、なぜ原典が古代文字ではなく現代文字で書かれているのだろうか? 私は、原典の謎にも今後迫っていきたいと思う』
そう記し終えた後、レインは机を離れて、ベッドへと向かった。
そして静かに目を閉じ、やがて安らかな寝息を立てはじめた。
本話に込めた作者の想いを、活動報告(「王国創始記リバイバル」第32話投稿! 千年先の平和に思いを馳せてみる話)に記させていただきます。




