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第三十一話 霧の晴れた後

 青龍の紋様の近くに、『王国掟全書』が三冊、整然と並んでいた。


「運よく、本が見つかって良かったよ。レイン君、手伝ってくれてありがとう」


 シリウスはにこやかに笑った。


(何が、運よくだ……。最初から、狙っていたのでは……?)

 レインは、やはりシリウスを完全には信用できなかった。

 彼へと向ける目線が自然と冷たくなる。


「そんなに(にら)まないでくれ。君も見るかい? 『王国掟全書』を」


 その誘惑には逆らえず、レインは黙って小さく(うなず)いた。


 シリウスは軽く手を払って魔法を発動させ、棚から二冊をふわりと引き寄せた。一冊は自分の手元へ、もう一冊はレインの前へと送った。


「どちらも同じ本だよ。私は十日借りる予定だけど、君も借りるかい?」


 レインはここも素直に頷くしかなかった。

 これは、史官試験の勉強に使えるかもしれないのだ。


「……あの、本を借りるのは初めてなんですけど、どうすれば……?」


 礼を失せぬよう心がけながらも、レインの口調にはやや(とげ)が残っていた。

 問いかけに対して、シリウスは、にやりと笑った。


「何もしなくていいよ。全部、魔法で管理されているからね。誰がいつ何を借りたかは、自動で管理名簿とやらに記録される。しかも、借りてから十日を過ぎると、問答無用で、本が勝手に元の書棚に戻る仕組みになっている。延長できないのは不便だけど、返却の手間がないのは助かるね」


 それを聞いたレインは、思わず目を見開いた。


(すごい……!)


 あらためて、魔法の便利さに驚かされる。

 魔法の力があってこそ、この文書館は機能しているのだ。

 そしてようやく理解できた気がした──なぜ、文書館員が不在でも、マシューひとりで支障なく運営できてきたのか。


 だが同時に、もしこの魔法が止まったら……きっと混乱は避けられない。

 レインは、昨夜、陛下の執務室で耳にした話を思い出し、ふと視線を伏せた。


 その時、ふとシリウスが表情をわずかに(ゆが)め、ぽつりと(つぶや)いた。


「もう気づかれたか……」


 レインが怪訝(けげん)な面持ちで彼を見返す。

 シリウスは、にやりと笑って、あっけからんと告げた。


「さっきの東壁の魔法発動が兄上たちに感知されたみたいだ。すぐにここまで来るだろうね。説明するのも面倒だから、私は退散する。ありがとう、君と話せて楽しかった。後のことは任せたよ、よろしく!」


 レインが言葉を返す間もなく、一瞬にして、彼はその場から姿を消した。



 ◆◆◆



 すぐに入れ替わるようにして現れたのは、カール陛下と、マシュー館長、グレナ魔法師団長。

 三人とも険しい表情で、東壁の前に無傷で立つレインに視線を注いだ。


 一瞬の沈黙ののち、グレナが低い声で問いかける。


「……いったい何があったのじゃ。東壁の魔法の発動信号を受け取って、ここに駆けつけてみれば、何事もなく収まっているが……」


 立て続けにマシューが厳しい口調で問いただした。


「君ひとりで東壁に近づいたのか。危険だから控えるようにと、私ははっきり言ったはずだ!」


 怒気を帯びた叱責に、レインが言葉を失いかけたとき、カール陛下がマシューを(なだ)めるように言った。


「まあ、まずは彼の話を聞きましょう」


 カール陛下は、レインに穏やかな笑みを向けた。

 レインは小さく頷き、静かに語り始めた。


「私は南壁沿いの机で、マシューから課された課題に取り組んでいました。そこに、シリウス殿下が現れたんです。『王国掟全書』を一緒に探してくれないかと頼まれて……断ることもできず、一緒に本を探しているうちに、東壁まで来てしまいました」


 一呼吸おき、レインは言葉を慎重に選ぶように続けた。


「途中で青龍の話になり、『一度、実物の魔法を見てみるといい』とシリウス殿下が仰って……。気づいた時には、殿下が私にかけてくれていた防御魔法を、一時的に解いていて……それで、東壁の魔法が発動してしまったんです」


 一瞬の沈黙。

 グレナ、マシュー、カール陛下の三人は、互いに顔を見合わせ、険しい表情になる。


「……シリウスめ」


 低く(うな)るように言ったのはマシューだった。


「で、奴はどこへ消えた? 君はどうやって魔法を止めたんだ?」


 語気を強めて問い詰めるマシューに、レインは弱々しい声で答えた。


「青龍の吐息のようなものに襲われた直後、シリウス殿下が光の一閃を放ち、霧を払ってくれました。……殿下はしばらくこの場にいたのですが、御三方がここに来ることを察知したみたいで、『説明が面倒だから、後は任せる』と言い残して、姿を消してしまいました」


 その言葉に、三人はほぼ同時に息を()いた。

 レインに向ける表情は(やわ)らぎ、怒りの矛先はこの場にいないシリウスへと向けられる。


「まずはレイン、君が無事でよかった」


 カール陛下が柔らかな声で言い、グレナも黙って(うなず)いた。

 先ほどまでレインに厳しい態度をとっていたマシューは、申し訳なさそうな表情を浮かべた。


「……問題はシリウスだ。いったい何を狙っていたのか? 奴とはどんな話をした?」


 カール陛下が重ねて問いかけてきた。


 レインは、少し思案する。

 本来なら、シリウスとの会話をすべて正直に話すのが筋だろう。だが、彼の言葉の端々には、どこか誠実さと、兄である陛下への私的な想いも(にじ)んでいた気がした。それに──「カール陛下やマシューを信用しすぎるな」という忠告も含まれていたことを、ふと思い出す。


 レインは、少し言葉をぼかしながら、慎重に答えた。


「イスリナ神教に関する話が中心でした。私個人と話したかったようですが、王弟派に勧誘されたわけではありません。あとは、東壁の装飾について少し話した程度で……。目的は、単純に『王国掟全書』の捜索だったのかもしれません……。多少、怪しさは残りますが」


「……ふむ」


 カール陛下が考え込んだところで、グレナが小さく手を挙げた。


「わしからも一つ聞きたい。魔法を払ったとき、シリウス殿下が光の一閃を放ったというのは間違いないか?」


 質問の意図を測りかねながらも、レインは慎重に答えた。


「……はい。私は霧の夢の中だったので、記憶は曖昧ですが、たしかシリウス殿下の振り上げた手から眩しい光が放たれました。それが霧を払ったのだと思います」


「……なるほどのう」


 グレナは黙り込み、しばし(あご)に手を当てたまま、静かに続けた。


「シリウス殿下の魔法属性は“火”のはずじゃ。……多少は光属性の魔法も扱えたのかもしれんが、少し引っ掛かるのう」


 なるほど、属性が合わないというわけか。グレナが考え込む理由は理解できたものの、その疑問に対する答えはレインには分かりようがない。


「……直接、殿下に聞いてみればよろしいのでは?」


 レインの提案に対し、グレナは静かに頷いた。

 隣にいたカール陛下とマシューも小さく頷き返す。


「まあ、いずれにせよ、シリウス殿下には色々と確認せねばなるまい。『面倒だから説明をレインに任せる』などという言い訳で逃げてもらっては困る」


 マシューが、きっぱりとそう言い切った。


 その後、話し合いはひと段落し、先にグレナとカール陛下が立ち去った。



◆◆◆



 その場に残ったマシューは、先ほどまでの緊張を振り払うように、どこか晴れやかな笑みを浮かべた。


「いずれにせよ、君は運よく『王国掟全書』を手に入れたみたいで、良かったじゃないか。……昨日は、“史官試験勉強のために文書館の書物に頼るな”なんて言ったかもしれないが、それはあくまで、特別な資料の扱いについての話だったからね。その本は市中にも出回っているし、きっと掟の勉強にうってつけだろう」


 マシューの視線は、レインの手元の『王国掟全書』に向けられていた。

 そして、ふとレインの目を見ると、付け加えるように言った。


「あとは読書感想文。提出期限は明日だったね。楽しみにしているよ」


 軽やかに笑うと、マシューもその場を後にした。






 こうして、王宮勤めの二日目は、騒がしくも学び多い一日となった。


 その夜、レインは再び感想文に向き合う。

 そして、いよいよ史官試験の勉強へと本腰を入れ始めた。



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