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第二十八話 文書館に不審な来訪者

 文書館の南壁に沿って、東へ進んだ先。

 そこには、グレナから聞いた通り、閲覧用の机が置かれていた。


 レインはそこに腰掛けると、内ポケットから昨夜のメモ用紙と原稿用紙を取り出し、机の上に並べた。そしておもむろに、読書感想文を書き始める。


 昨夜のメモを頼りに、一巻から順に感想を書いていく。

 (疑問点の指摘ばかりになってしまうな……)

 そう思いながらも、手は止めなかった。


 それは、マシューが言っていたからだ。

「なんでも気づいたことを書けば良い。君が“これは読書の感想だ”と主張すれば、それは立派な読書感想文である」と。


 それに今朝、ランドリーに言われた言葉も、レインの気持ちを軽くしていた。

 (──僕はまだ、清掃員にすぎないんだ)

 感想文の内容でとやかく言われる筋合いはない。

 そう自分に言い聞かせながらも、それはあくまで“最終的な逃げ道”に過ぎない。

 内容自体は妥協したくない。それが、レインという人間だった。


 静まり返った文書館の中、レインはひたすら執筆に没頭した。


 どれほどの時間が経っただろうか。

 第四巻の感想まで書き終えて、ようやく一息ついたそのとき──

 不意に、重々しい扉の開く音が、かすかに耳に届いた。


(今日は文書館に来ないはずのマシューだろうか? それとも……別の来訪者?)


 レインは静かに顔を上げ、出入り口の方に目を向ける。

 だが、姿はあまりに遠く、誰なのか判別できない。

 それでもその人影は、ゆっくりと、確かにこちらへ向かってくる。


(……誰だ? 隠れて様子を(うかが)うべきか……?)


 周囲を見回すが、都合よく身を隠せる場所は見当たらなかった。

 なにしろ、レインは南壁から不用意に離れられない。

 仮に少し離れた書棚の陰に一時的に隠れたとしても、その周辺にどんな魔法が施されているかは分からない。もしかしたら、中央通路と同様の幻覚魔法が仕掛けられているかもしれないのだ。


 レインはひとまず、机の上のメモ用紙と原稿用紙をそっとポケットにしまい込んだ。そして息を殺して、その場に身を潜める。

 近づいてくる人影を見極めようと、じっと目を凝らした。




 ──その姿には、見覚えがあった。

 シリウス王弟殿下である。


 彼は南壁の本棚を、上から下まで丁寧に目で追いながら、ゆっくりと横に移動している。どうやら、何か特定の本を探しているらしかった。


 レインがどう対処しようか迷っているうちに、彼がこちらに気づいた。

 本を探すのを止めて、笑みを浮かべながら、まっすぐこちらへ歩み寄って来る。


「やあ、また会ったね。確か、レイン君だったかな?」


 その声は穏やかで優しく、昨夜に感じた威圧的な空気はいくらか(やわ)らいでいた。


 ──だが、レインの胸には、強い警戒心があった。

 昨夜、カール陛下とマシューから聞かされた話を思えば、それも当然だった。


 レインは小さく頭を下げて、慎重な口調で応じた。


「はい、レイン・オリバーと申します。文書館の清掃員です」


 そう名乗りながらも、ふと気づく。

 今、自分の手には掃除道具がひとつもなかった。

 掃除は、感想文を書き終えてから始めるつもりだったのだ。


「掃除中には見えないけどね。……こんな場所で、机に向かって何をしていたのかな? 本も手元にはなさそうだが」


「掃除とは別に、マシューさんに頼まれた課題があって。ついさきほどまで本を読んでいたんですが、ちょっと片付けたところで……」


 レインは咄嗟(とっさ)にそう答えて取り(つくろ)った。

 必死に頭を巡らせる。

 課題の中身を尋ねられたら、どう答える? 

 読んでいた本の題名を聞かれたら、どうする……?


 だが、幸いにもシリウスは、それ以上詮索(せんさく)する様子はなかった。


「なるほど。つまり、掃除をサボっていたわけだ。まあ、そこは問い詰めないことにしよう。……それよりも私はね、一度、君と二人きりで話してみたかったんだ。いやぁ、まさかこんな好機が訪れるとは」


 その言葉に、レインの警戒心は一段と強まり、無意識のうちに表情がこわばる。


 シリウスは、意地の悪い笑みを浮かべて口角を上げた。


「……ふふ。顔に出てるよ、レイン君。君は、ずいぶん私を警戒しているようだ。さて、昨夜──カール陛下から、どんな話を聞かされたのかな?」


 レインは内心で「しまった……!」と叫び、慌てて笑顔を作った。

 だが、それがすでに手遅れであることは明白だった。


 シリウスは、くすりと笑った。


「無理に取り繕わなくてもいいさ。兄上が私をどう見ているかなんて、おおよそ察しがつくからね。……君も、これから少しずつ、感情を顔に出さない(すべ)を身につけていくといい。とはいえ、今の君の素直さも悪くない。少年には、そういう率直さがよく似合う」


 そう言いながらも、彼の外見はかなり若々しく、レインとの間にさほどの年の差は感じられなかった。

 レインは気恥ずかしさから、少しだけ顔を赤らめた。


 その反応を、シリウスは(たの)しそうに、じっと見つめていた。


「実はね、ちょっと探し物をしていて。よければ、君も一緒に探してくれないか? その間、話もできるし。私と一緒にいれば、魔法防御もばっちりだよ?」


 王弟シリウスの申し出を、清掃員のレインが断れるはずもなかった。

 警戒を解いてはいけないが、それでも──

 文書館の中を再び散策できることには、どこか胸の高鳴りを覚えていた。


「はい。私でよければ、お手伝いします。……どんな本をお探しですか?」


「君は、『王国(おきて)全書』という本を知っているかな? たしか、この文書館にも何冊か収蔵されていたはずなんだが……場所を、どうにも思い出せなくてね。マシューに聞けば手っ取り早いんだろうけど、あいにく、彼にはちょっと聞きづらくて……」


 やはり、政治的に対立する立場にあるマシューには頼りづらいのだろうか?

 あるいは、『王国掟全書』を探している事情を探られたくないのかもしれない。


 レインは、その書名には心当たりがあった。

 町の書店でも見かける本で、黒一色の装丁に金色の文字で『王国掟全書』と刻まれた分厚い書物だ。価格も高く、そうそう手が出せるものではない。レイン自身も、まだ一度も手に取ったことはなかった。

 だが、史官試験をひと月後に控える今となっては、自分もぜひ目を通しておきたい一冊だった。


「黒い装丁で、辞書のように分厚い本ですよね。その存在は知っていますが……この文書館のどこにあるかまでは、ちょっと分かりません」


 そう答えると、シリウスはわずかに目を見開いた。


「おお、その若さであの本の存在を知っているとは……いや、感心したよ。本好きという噂は本当のようだな。それじゃあ、一緒に探してもらえるかな?」


 どこか探るような眼差しを含んだ申し出に、レインはわずかに間を置いてから、小さく(うなず)いた。


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