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第二十五話 密命

 カール陛下の執務室。

 シリウス王弟とザハムート公が退出し、レインたち四人とマシュー文書館長が残った。


 カール陛下はふっと表情を緩め、ようやくレインたちのよく知る穏やかな顔を見せた。だがその目元には、どこか疲労の色も滲んでいた。


「……ふう。やはり、あの二人がいると息が詰まるな。君たちも察しただろうが、弟のシリウスとザハムート公は、極めて厳格な性格でね。冗談のひとつも通じんのだよ」


 隣で控えていたマシューが口を挟む。


「冗談が通じない、というだけではありません。彼らとは、政治的にも微妙な関係にあります」


 そう言って、マシューは国内の政治的な対立構造を、簡潔に説明し始めた。

 カール国王派とシリウス王弟派との権力争い。それは議会の勢力図にも波及し、背後には宗教的対立が潜んでいるという。

 レインたちはその構図を完全に理解できたわけではなかったが、先ほどの二人の様子から、微妙な距離感や静かな対立をだいたい察していた。


 そこで、ランドリーがふと尋ねた。


「──ハルシュ様は、あの二人とどういう関係だったんですか? 同じイスリナ神教徒のようでしたが」


 マシューが静かに応じた。


「ハルシュは、確かに昔からイスリナ神教のペンダントを身につけていたが、宗教について語ることはほとんどなかった。少なくとも私との会話では。おそらく、それは陛下の前でも同じだったことでしょう」


 そう言ってから、マシューはちらりとカール陛下を見る。陛下は無言で頷き、続きを促した。


「王宮を去ったあと、教会の神父になったと聞いて、正直驚いたものです。今回、彼が聖地に向かったと聞いて、また驚きました。執事をしていた頃の彼は、決して宗教色を表に出すような人ではありませんでしたから」


 そこで、陛下が静かに言葉を引き取る。


「ハルシュは私に多くのことを教えてくれたが──イスリナ神教を勧められた記憶は一度もないよ。シリウスともたまに言葉を交わしていたが、宗教の話ではなかったと思う。もっと日常的な、些細な雑談だった」


 マシューが頷きながら言葉を継いだ。


「そうですね。親しいというほどではありませんでしたが、少なくともシリウス殿下とは穏やかに接していました。……ただ、ザハムート公との関係は、まったく違いましたね。彼らはよく対立していて、激しく口論している場面も何度か目にしています」


 レインには、あの温厚なハルシュが誰かに声を荒らげる姿など、とても想像できなかった。ましてや、あの冷徹なザハムート公と、どのような言い争いを交わしていたというのか。


 レインがしばし思考を巡らせていると、カール陛下が口を開いた。


「……君たちを引き留めたのは、昔話の続きをするためではない。君たちの耳に入れておいて欲しいことがあるのだ」


 そう前置きしてから、カール陛下は声を潜め、真剣な眼差しで四人を見つめた。


「先ほどマシューが触れた通り、現在の王国の政治情勢は、決して安定しているとは言えない。我々“国王直轄派”と、弟シリウスを中心とする“王弟派”との間では、表面上は平穏を装いながらも、水面下で静かな緊張状態が続いている」


 言葉を選びながら、カール陛下はさらに続けた。


「そうした中、王宮内において、不可解な出来事が短期間に立て続けに起きている。偶然の連続か、それとも……何かの兆しか。確信は持てない。だが、見過ごすにはあまりにも不自然なのだ」


 その説明は、マシュー文書館長が引き継いだ。

 老練な口調で、淡々と語り始める。


「ひとつは、この執務室で繰り返される小さな異変です。夜の間に誰も入った形跡がないにもかかわらず、朝になると机上の資料の配置が微妙に変わっていることがあるそうです」


 その言葉に、カール陛下は無言で頷いた。

 マシューは話を続ける。


「もちろん、陛下の思い違いという可能性も検討しました。しかし、何度も同じことが起きており、陛下ご自身も“確信がある”とおっしゃっている。となれば、夜のうちに何者かが執務室へ侵入していることになります。しかし警備の衛兵たちは、“誰も出入りしていない”と証言しているのです。それに、書類や宝飾など、何ひとつ盗まれた形跡はありません」


 ランドリーやサラの表情がこわばり、シトラスは眉をひそめた。

 レインもまた、眉間にしわを寄せた。


(陛下の思い違いとは考えにくい。だとすれば、何者かが夜の執務室に忍び込んだことになる。……だが、衛兵の証言が正しいとすれば、どうやって侵入したのか。それに、何も盗まれていない以上──いったい何が目的だったのか)


 マシューは四人の表情を(うかが)いつつ、言葉を重ねる。


「次に、ひと月ほど前の話ですが、陛下の食事において、数度ほど味が著しく薄かったり、反対に塩辛すぎたりしたことがありました。毒味役の証言で発覚し、調理人も含めて再確認が行われました。確かに味には異常がありましたが、毒物は検出されませんでした。調理人たちはまったく心当たりがないそうです」


 眉間のしわはそのままに、レインの顔には次第に緊張の色が濃くなっていった。

(毒は検出されなかったにしても、味の異常が続いた事実は変わらない。調理人の過失にしては頻度も傾向も不可解だ。……誰かが意図的に味を変えたとすれば、その真意はどこにある?)


「その件以降、調理と配膳に関しては警備が強化され、異常は再発していません。……しかし真相は不明のままです」


 マシューの声音には、警戒と苛立ちがはっきりと滲んでいた。

 そして、語気を一段と落としながら、三つ目の出来事を語り出す。


「つい十日前にも、異変がありました。……古代魔法によって制御されている、王宮文書館の入退出記録が、丸一日機能しなくなったのです」


 レインたちは目を大きく見開いた。


 マシューの説明によれば、文書館では誰が・いつ・どの書物を閲覧して借りたのか、さらには出入りの時間までもが古代魔法によって記録・管理されており、それらの情報は、“管理名簿”に自動で記載される仕組みだという。その名簿はマシューと陛下の二人だけが保管場所を知っていて、それを閲覧できるそうだ。


「しかし十日前のその日だけ、名簿に一切の記録が残りませんでした。何者かの魔法操作による可能性も疑い、私はグレナ魔法師団長にも協力を仰ぎました。彼女は名簿を閲覧する権限はありませんが、“魔法の痕跡”を解析する技術に長けておりますので、私の指示のもと、調査を依頼したのです。……が、結局、怪しい痕跡は見つかりませんでした。翌日には、記録機能が何事もなかったように復旧したため、(おおやけ)には“古代魔法の一時的な障害”として処理されました。幸い、その一日の間に、書物の紛失などの文書館内の異常は何もありませんでした。しかし、私には今なお釈然としないものが残っています」


 執務室を沈黙が包む。

 レインの胸の内には濃い霧のように疑念が立ち込めていた。


(記録の欠落が、単なる魔法の不調だと片付けられるような出来事とは思えない。痕跡を残さず、翌日には元通りとは……。その空白の一日を狙って、何者かが文書館の中で“何か”を行った可能性は、捨てきれない……)


 しばらくして、沈黙を破るように、カール陛下が口を開いた。


「──これらの異変は、ばらばらの出来事に見えて、根は一つだと私は見ている。王宮の内部に、“何者かの意志”が潜んでいる。影のように、静かに、我々の目の届かぬところで動いているのではないか」


 レインの心の底に、ひやりとした重みが沈み込む。

 それは、漠然とした不安とは異なる。見えざる敵が、確かに王宮のどこかに潜んでいるという確信にも似た感覚だった。


 陛下の言葉は、まさに的を射ている。

 執務室の異変、料理の味の異常、文書館記録の一日停止。

 それぞれは一見些細な出来事に見えるかもしれない。だが、こうも短期間に重なったとなれば、もはや偶然の連続や個別の不備では片付けられない。どこかで、何者かの意図が静かに働いている気配がある。


 もし、連続する異変がカール陛下や国王直轄派の動揺を誘うために仕組まれたものだとすれば──

 疑うべきは、対立勢力。すなわち、王弟派の者たちだ。

 シリウス王弟やザハムート公が、直接関与している可能性も否定できない。


「……シリウス殿下やザハムート公が関わっている可能性もある、ということでしょうか?」


 レインがカール陛下の見解を確かめると、カール陛下は小さく頷いた。


「可能性は……ある。だが、三件の異変はいずれも、彼らが王宮を離れていた時期に発生している。裏で糸を引いていることは考えられるが、直接手を下したとは思えない。真相は、彼らから指示を受けた者による仕業か、あるいは彼らの信条に感化された者の独自の動きによるものか。……単独犯か複数犯かすら、いまだ掴めていない」


 レインの胸には、もうひとつ大きな疑問が芽生えていた。

(──そもそもなぜ、このような話を、王宮に来たばかりの我々に明かしたのか?)


 思案に沈むレインの隣で、ランドリーが同様の問いを口にした。


「なぜ、王宮に入ったばかりの私たちに、これほど重要な話を……?」


 カール陛下は、その問いを待っていたかのように、わずかに口元を緩めた。


「──だからこそ、だよ」


 言葉にこもる重みが、空気を引き締める。


「今の王宮では、誰が味方で、誰が敵か……それを見分ける手立てがない。私の近くにも、王弟派の影響を受けつつある者がいないとは限らない。だが、君たちはこの王宮に足を踏み入れたばかりの新任者だ。王弟派に取り込まれるいとまもなく、少なくとも敵ではないと、私は信じている。そこで、君たちに、王宮内の異変についての調査・報告を命じたいのだ」


 一拍置いて、陛下はそっとマシューの方へ視線を移す。


「私が心から信頼を寄せる側近たち──マシューをはじめ、アレク、レイチェル、グレナには、王宮内の異変についてすでに調査と警戒を命じている。だが、事件の首謀者は、彼らの動きを注視し、容易には尻尾を見せないだろう。だからこそ、犯人の “死角”となり得る君たちにこそ、託したいのだ。これからも、予期せぬ異変が起こるかもしれない。その時、君たちの周囲で──誰かが思わぬ(ほころ)びを見せる可能性がある」


 ランドリー、サラ、シトラスは覚悟を決めたように深く頷き、レインも動揺を押し隠しつつ、彼らに続いて小さく頷いた。

 四人の緊張を察したカール陛下は、微笑みを浮かべながら、明るい声を掛けた。


「初日早々、重い話をしてしまってすまなかった。しかし、そんなに身構える必要はない。普段通り研修を続け、時折周囲に注意を払ってほしい。そして、些細なことでも構わないから、何か異変に気づいたら、すぐに私に報告してくれ。それだけでいい。あまり重く受け止めすぎずに、普段通りに過ごしてほしい」


 そこで、マシューが言葉を継いだ。


「まずは七日後、王国議会が開かれる。その際、君たち四人には傍聴席で議会の様子をよく観察してもらいたい。もしシリウス王弟派が何かを画策しているのなら、今から七日間のうちか、議会の当日に動くはずだ。そこまで警戒を怠らないでほしい」


 四人は声を揃えて「はい」と返事した。

 その後は、初日の研修について短く雑談を交わし、四人は執務室を後にした。


 ◆◆◆


 執務室には、カールとマシューの二人だけが残った。

 その空間には、二人きりの妙な安堵感と、先々への憂いが同居していた。


「さて、今夜も一杯飲むかい?」


 カールが微笑みを浮かべつつ、執務室の隅に据えられた小さなワインセラーから、一本のボトルと二つのグラスを取り出す。


「では、一杯だけ」


 マシューは控えめに応じ、主の手から差し出されたグラスを受け取った。

 二人は応接用のソファに向かい合って腰を下ろし、ゆっくりと赤い液体を傾けながら、先ほどの会話を思い返す。


「まさかこの時期に、ハルシュが聖イスリナ神教国へ向かうとは……本当に、何を考えているのやら。やはり貴方(あなた)の忠告通り、彼には注意を払うべきなのだろう」


 カールの(つぶや)きに、マシューは静かに頷いた。


「彼の真意は掴めていませんが、単なる聖地巡礼とはどうも思えません……。レインの話では、今日教会を出発したばかり、とのことでしたから、国境に至るまでに数日は要するはずです。今のうちに、偵察要員を数人用意して、跡を付けさせたほうがよろしいかと」


「……ふむ。シリウスやザハムートと裏で通じている可能性はあると思うか?」


「否定はできません。レインがハルシュの出立を話した際、彼ら二人の反応は違いました。シリウス殿下は驚いた表情で、純粋な反応には見えましたが、演技だったかもしれません。ザハムート公はいつも通り無表情……わずかに眉が動いた程度です。何を考えているのか、本当に読めない人物です」


 カールは重々しく頷いた


「……ハルシュが我々の味方であれば心強いのだが。彼がこちらに一言も通さず動いているのが、どうにも怪しく感じてしまう……。レインたちを推挙してきた意図も不透明なままだしな。いずれにせよ、貴方の提案通り、追跡を始めよう。アレクとグレナとも相談の上、明日中には動ける体制を整えてくれ」


 マシューが軽く頷き、グラスの縁を指でなぞった。

 しばし沈黙が流れたのち、カールがふと思い返すように口を開いた。


「そういえば──シリウスが去り際にレインらへ放った言葉、『ペンダントを大切にするといい』。あれは、どう捉えるべきだろう?」


 マシューはグラスを傾けたまま、少し考え込んだ。


「言葉通り、信仰を大切にせよという意味にも思えますが……」


「グレナが以前語っていた、“ペンダントに宿る力”について、シリウスとザハムート公にはまだ知らせていなかったはずだよな?」


「ええ。私の口からは伝えていません。グレナ本人が話していなければ、彼らは知らないはずです。ただ──」


 マシューは一瞬沈黙し、表情が曇った。


「……もしもシリウス殿下がすでに何らかの方法でそれを知っているとすれば、あのペンダントを渡した張本人であるハルシュと、何か計り知れない繋がりを持っているのかもしれません」


 静かな夜の空気に、ふたりの沈黙が落ちた。

 赤い液体が、グラスの底でゆっくりと揺れる。


 その余韻の中、カールはグラスを見つめたまま、誰にともなく呟いた。


「……王宮に差し込んでいる影は、思った以上に深いものかもしれん」


 窓の外、闇に沈む王都の空に、冷たい風が静かに吹いていた。


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