第二十三話 それぞれの研修内容
王宮の食堂には、柔らかな夕陽が斜めに差し込み、黄金色の光が静かに卓を照らしていた。日が傾くにつれて、従者たちの姿も次第に増え、室内は賑やかな声と笑い声に包まれてゆく。
その片隅で、レインたち四人もまた、穏やかに食卓を囲んでいた。
「騎士団の研修とか医局の研修って、どんな感じだった?」
レインの問いかけに、ランドリーは湯気の立つスープをそっとかき混ぜながら話し始めた。
「午後いきなり、騎士団の“定例会”ってやつがあってさ。騎士団員全員が武道場に集まったんだ。ざっと千人はいたかな」
「えっ、千人も!?」
レインが目を丸くする。
「前に見学したときは百人くらいの剣士しかいなかったろ? でもあれは、剣士隊っていう一つの部隊に過ぎなかったんだ。実際には、弓矢部隊や槍兵部隊とか、いくつも専門部隊があってさ。今日はその全部隊が揃ってたんだよ」
ここで、今度はサラが口を開いた。
「私たちは剣士隊の最後列に並んでいて……そのままアレク騎士団長のお話を聞いていたの。団長は壇上に立って、周辺国の動向や、鍛錬の大切さについてじっくりと話してくださったんだけど……。途中でいきなり私たちの名前が呼ばれたの。『ランドリー・エバンス、サラ・エバンス。前へ』って」
「えっ、それは……緊張したでしょ」
シトラスが息を呑みながら小さく言った。
「うん。膝が震えたよ」
ランドリーが苦笑しながら言った。
サラも頷きながら話を続ける。
「千人の視線が一斉に向いてきて……心臓が止まりそうだった。でも、壇上で名乗ったらすぐに拍手が起きたの。ちゃんと歓迎してもらえたって、そのとき思えた」
サラの言葉に、テーブルを囲む空気が柔らかくなる。
「定例会の後は、部隊ごとに移動して、私たちは剣士隊だけで稽古。素振りや一対一の打ち合いもやったけど、一番印象に残ってるのは、休憩中のことかな」
ランドリーが笑みを浮かべて話を繋いだ。
「そうそう。どんどん剣士たちが寄ってきてね。『やっとふたりと話せる!』って。俺たちが四日前に団長と試合した時は、団長から『口を挟まず黙って見ているように』って言われていて、みんな我慢してたんだって。それで、今日は、『団長の一撃を防いだのが凄かった!』とか、『どこで剣を習ったの?』って、いろんな声をかけてもらったよ」
サラは照れたように笑いながら加勢する。
「『団長を壁際まで追い詰めた人なんて滅多にいないよ』って言われたときは……さすがに、ちょっと誇らしかったな」
レインとシトラスは、時折小さく頷きながら、二人の話に聞き入っていた。
「で、稽古が終わったあと……」
ランドリーがふいに声を落とし、腰に携えていた鞘を外して机の上に置いた。
それはレインたちが見慣れたものとは違う、深い艶のある黒革の鞘だった。
「これを、アレク団長から渡されたんだ。中に収まっているのは、木刀じゃなくて真剣だよ」
「えっ、もう真剣を?」
シトラスが驚きの声をあげる。
サラが静かに頷く。
「『稽古では木刀で構わない。だが、それ以外のときは常に帯刀しておくこと。街でも王宮でも、不測の事態はいつ訪れるか分からない』──そう言われたの」
「それから……」
ランドリーが言葉を継ぐ。
「『守るべきものがあるなら、剣を抜く覚悟を持て。時にはその手で、人を斬らねばならないこともある』って」
その声音は低く落ち着いていたが、そこには確かな重みがあった。
一瞬、食卓を囲む空気が静まり返った。だがそれは重苦しさではなく、言葉の重みを受け止めたときに生まれる、敬意に似た沈黙だった。
やがて、レインが穏やかに声をかける。
「……二人とも、本当に“騎士”になったんだね」
サラは、ゆっくりと頷いた後、やわらかな笑みを浮かべる。
「うん。その実感が、ようやく少しだけ、湧いてきたところ」
そう言いながら、サラはふと思い出したように言葉を継いだ。
「“騎士”といえば……明日からはしばらく騎馬訓練があるの。アレク団長にそう言われたわ。だから、当面の課題は……馬に慣れること、かな」
サラの隣で、ランドリーもにっこりと微笑みながら首を縦に振った。
やがて、話題はシトラスへと移った。
食後の茶を一口すすると、彼女はゆっくりと、自らの研修について語り始めた。
「私は最初、医局に案内されたの。全体で五十人くらいだったかな。うち二十人ほどが医官で、残り三十人くらいが医官見習いという立場の人たちだったわ」
彼女はそこで少し言葉を切り、湯のみの底に沈んだ茶葉を眺めながら、そっと苦笑した。
「私の場合、大勢の前で自己紹介するような場はなかったんだけどね。ただ、レイチェルさんに医局の中を案内されている間中、ずっといろんな人に見られてて……ちょっと落ち着かなかった。歓迎というより、“誰、この子?”っていう視線ばかりで」
その様子を想像し、三人は思わず心配そうな表情を見せた。
「えっ、じゃあ薬師は誰もいなかったのか?」
ランドリーの問いかけに、シトラスが今度はふっと微笑んだ。
「それについてはね、医局の案内がひと通り終わったあとに、医局長室へ通されて……レイチェルさんと二人きりになったの。それで、こんなふうに聞かれたの。『あなたを薬師として採用したけれど、念のために確認しておきたい。医官を目指す気持ちはあるのかしら?』って」
「それで、どう答えたの?」
サラが前のめりになって尋ねると、シトラスは迷いのない声で応じた。
「私はあくまで薬師の道を究めたいって、はっきり言ったわ」
そして、少し照れたように笑みを浮かべながら、続けた。
「そしたらレイチェルさん、安心したみたいに微笑んでね。教えてくれたの。『実は、王宮薬師っていう役職は今回新しく設けられたもので、今のところあなた一人だけなのよ』って」
その言葉に、レインたちは目を見開いた。シトラスはその反応を可笑しそうに眺めながら、さらに言葉を重ねた。
「医官を目指す人たちは、まず“医官候補試験”に合格して、見習いになって……その後に、ようやく医官試験を受ける資格が得られるんだって。でも私は、それとは別の形で、医局長の推薦を受けて、“薬師”として直接任命されたってわけ。だからね、繰り返しになるけど──薬師は、今のところ私ひとりだけなの」
語尾に少し誇らしさが滲むその声に、三人の表情も自然とほころんだ。
その様子を確認した後、シトラスはふと表情をやわらげ、再びレイチェル医局長との会話を思い返すように、話を続けた。
「薬師として、ついでに“庭師”としても、中庭の管理はすべて任せるって言われたの。新しい薬草を植えるときだけは事前に相談してって言われたけど、それ以外は、基本的に私の裁量でやっていいんだって」
どこか嬉しそうに語るその声には、自分の居場所を見つけたことへの安堵が滲んでいた。
「もちろん、他の医局員たちは、まだ私のことを半信半疑みたい。でも、レイチェルさんが言ってくれたの。『これからちゃんと仕事ぶりを見せていけば、皆いずれ納得するはず。焦らずに頑張りなさい』って。優しく背中を押してくれたの」
シトラスの穏やかな表情を見て、三人も自然と笑みを返した。
気づけば、外はすっかり暗くなり、食堂に残る人影もまばらになっていた。
それでも四人の卓には、初日の喜びと希望が余韻として漂い、会話はまだ尽きそうになかった。
……と、その時。
背後からかすかな足音が近づき、レインたちはそちらへと視線を向けた。
「……失礼するよ」
現れたのは、マシュー文書館長だった。
表情は穏やかだが、その眼差しにはどこか読み取れぬ静けさがあった。
レインたちは思わず背筋を伸ばし、マシューの言葉を待った。
「楽しく会話しているところを邪魔してしまって申し訳ないが──陛下が、君たち四人を執務室にお呼びだ。私も同席するようにと仰せつかっていてね。……ご足労願えるかな」
声音はいつもと変わらず丁寧で柔らかい。
だが、その言葉の節々には、どこか含みを持たせるような間があった。
不意の呼び出しに、四人の表情が一瞬引き締まる。
それでも、レインが冗談めかした口調で笑いをこぼす。
「初日の研修、お疲れ様って伝えたいのかもね」
サラも肩をすくめるようにして頷いた。
「うん。陛下なら、そういうこと、普通にありそう」
親しみやすく、時に茶目っ気すら覗かせる国王。
その人柄を思えば、この呼び出しも深刻なものではないだろう──四人はそう受け止めて、席を立った。
マシューはそれに応じて、ふと小さく笑みを見せた。
しかしその表情には、どこか遠くを見つめるような翳りが混じっていた。
彼はそれ以上、何も語らず、ただ静かに彼らを先導した。
やがて一行は、王宮の奥にある執務室の前で足を止めた。
執務室の扉が音もなく開いたとき、そこに広がっていた空気は、四人の予想したものとはまるで別物であった。
奥の席に座すカール陛下は、柔和な微笑みを封じ、険しい表情を浮かべていた。
その傍らに立つのは、王族の風格を漂わせる若い男と、威容あふれる老臣。
二人のただならぬ存在が、場の空気を凛と引き締めていた。
先ほどまでの団らんの余韻が、静かに、だが確実に遠ざかっていく。
──今夜、何かが動き出す。
そう感じさせるには、十分すぎる幕開けだった。




