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砲兵の進化と分岐

 軍隊に無線や野戦電話が導入されると、間接砲撃という新たな可能性が開けました。目標が直接見えない、撃たれても砲の位置を正確に察知できない場所から、放物線を描いて砲弾を飛ばすのです。着弾を観測し、「北に300m修正」といった報告をする観測班は、砲兵部隊から出すことも、通信機器を備えた偵察部隊や歩兵部隊から出すこともありました。後者の場合、誰をどれくらい訓練するかという問題が出てきますが、そのことはいずれ。


 第1次大戦は、最前線にそうした通信機器が降りてくる点では揺籃期でした。ですから「砲兵連隊」といっても、直接砲撃をもっぱら行うのか間接砲撃を行うかで、器材も人員の質も変わってきたわけです。


 プロイセンはドイツ統一のためオーストリアやフランスと戦う過程で、西部ドイツに領土を広げ、旧来のプロイセン文化に染まらない地域からも募兵するようになりました。おそらくそのこともあって、ヴィルヘルム2世は「高貴さには魂の高貴さも含まれる」といった内容の布告を出し、貴族の血筋でなくても士官になれることを明確にし、合わせて近衛歩兵連隊・近衛騎兵連隊がほぼ貴族士官しか採らない(歩兵や騎兵の士官候補生は連隊単位で採用)ことを黙認しました。砲兵の中でも、騎兵に協力し全員が乗馬か馬車で移動する「騎砲兵連隊」は迅速な展開と直接砲撃を旨としたのに対し、長射程の砲でしっかりした陣地から間接砲撃を行う「重砲兵連隊」は、極端に言えば、弾道計算ができないと士官が務まりませんでした。ですから第1次大戦前のプロイセン平民士官の比率は、工兵や重砲兵で特に高かったという研究があります。


 そしてドイツに限らず、騎砲兵に代表される直接砲撃部隊は、第1次大戦では敵に見つかるとすぐ通信機器で報告され、カウンターバッテリー(自衛隊では対砲迫戦という言葉を使うようですが、第2次大戦までの日本軍やドイツ軍では、カウンターバッテリーのような短い熟語的表現がないようです)を食らって損害を出し、任務を果たせませんでした。砲兵科士官たちも、それらを構成部隊として含む諸兵科連合部隊の指揮官たちも、新しい状況に頭を切り替えなければなりませんでした。


 もうひとつの問題として、榴弾と陣地戦の問題がありました。空中で爆発して破片をまき散らす榴散弾は、正面方向に破片を集中させる新工夫のせいもあって威力が上がり、いわゆる西部戦線では最新兵器と有力部隊が高い密度で激突するので、塹壕か掩体(えんたい)にいないと兵たちは生き延びられませんでした。そうすると塹壕、掩体、それらを守る鉄条網を破壊するためには、みっしりと炸薬を詰め込んだうえ、地面に落ちて破裂する榴弾が必要になります。それも、大口径の榴弾でないと爆発力が足りないとされるようになったのです。


 ドイツは比較的間接砲撃に心を寄せ、長射程の大口径砲へ切り替えを進めていましたから、この状況に対応できました。しかし特にフランスは、榴散弾を撃つには優秀だったM1897・75mm砲(第2次大戦まで多数が生き残り、捕獲したドイツがPAK97/38として使いました)に頼り切っていたので、105mm砲などの数がそろって来るのに時間がかかり、前半戦で苦戦する原因のひとつとなりました。


 通信機の生産能力と、通信機を操る教育水準の高い兵員の確保は、どの国にとっても容易ではない課題でした。通信能力が低ければ、いくら諸兵科連合部隊を作っても、構成部隊同士の連携でいろいろな不都合か出てしまうのです。それは、いつの時代でもどんな戦域でも同じであって、ときどき国や軍隊の不釣り合いな発展が露呈してしまうことがありました。


 砲兵の話をしてきましたから、厳密に言うと主に工兵の話ですが、爆薬のこともまとめて語っておきましょう。日露戦争では、両軍が現場でこしらえた手榴弾や小型砲を使って戦い、ある工兵隊で手製小型砲につけた「迫撃砲」という名称はそのまま軍事用語となり、あまりにもピッタリな名前なので英語などの用語体系と不突合なところを残して、使い続けられることになりました。


 これらはそのまま、とくにいわゆる西部戦線に持ち込まれ、手製小型砲は塹壕臼砲、トレンチモーターと呼ばれました。やがて大量生産された手榴弾も登場し、大きな袋を下げて、時には小銃を持つことすらやめて、もっぱら大量の手榴弾を投げて戦う兵士もあらわれました。使い古しの小銃と手榴弾と空包、そして銃身に突っ込む細い棒を使って、手榴弾を遠くに飛ばす「小銃擲弾」も考えられました。これは歩兵=小銃隊であった時代にはなかった兵士の役割分担で、大戦が終わるとグレネードランチャーや擲弾筒、小型迫撃砲といった様々な支援火器に置き換えられて、歩兵分隊や歩兵小隊で一定の地位を占めるようになりました。当然、諸兵科連合部隊にもこうしたミクロな分担関係が持ち込まれることになりました。


 兵士のミクロな役割分担で、ハウスの著作(2001年版の邦訳)が語っていないことを、最後にひとつ取り上げましょう。第2次大戦やフィンランド冬戦争で、射程は短いが軽い反動で連射できる短機関銃が塹壕の制圧などで高い威力を示し、ドイツの突撃銃StG44を経て「第2次大戦の小銃ほどの射程はないが低反動で、連射可能な銃」がいろいろ試行錯誤されてきたことは、皆様ご存じと思います。遠くが見通せないベトナム戦線は、射程性能が生きない戦場でした。


 ところが「9・11」以降、アフガニスタンに入ったアメリカ軍は、遠くから狙われることが多くなりました。そこで昔の小銃や狙撃手用の小銃が持ち出され、歩兵分隊でひとりくらいがマークスマン(選抜射手)となって長射程の銃を持ち、脅威に気づいたら独断発砲を許されるようになりました。





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