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こんなはずではなかった第1次大戦の開幕

 あらためて調べ直すと、日本軍は機関銃の導入について早い時期からテストもし、国産化に向けた手配りもして、日露戦争の前年から色々間に合わない部分もありながら、ともかく量産を始めています。1884年に完成した原形のマキシム機関銃は、ドイツ企業に小改造を繰り返しながら量産されてロシアにも輸出され、もとのマキシム社はヴィッカース社に買収されて、ヴィッカース重機関銃として小改良と生産が続いていました。


 日本はそれとは別系統のオチキス機関銃を日本の小銃弾に合わせて採用しましたが、「二輪馬車2台で挟んで大砲のように運び、騎兵とともに戦わせる」というプロイセン軍の試みをそのまま真似したようです。第1次大戦までの機関銃は、少なくとも欧州では陣地防御での圧倒的な強さより、攻撃時の火力増加策を重視していたようで、マイソフが持っている第1次大戦前のプロイセン陸軍士官向け規定集にも、とくに砲兵の迅速な支援を受けにくい騎兵との協同についてチラッとですが書いてあります。秋山支隊が機関銃を駆使して活躍したのは史実として、戦線に工廠式繋駕機関砲(装輪式保式機関砲)を送り込んだのは日本陸軍首脳部の周到な準備と判断であり、それはおそらく、ドイツを中心とする欧州の動向をちらちら見てのことだったのです。


 1861年からの南北戦争ではもっぱら小銃の射程が延び、南軍首都リッチモンドの攻防戦は塹壕戦の様相を呈しましたが、1870年の普仏戦争ではクルップ社の鋼製砲が勝利のカギとなり、第1次大戦が始まる時期には「近代戦争での攻撃力は画期的に上がったようだ」という見方が世界の軍人たちや政治家たちに広がっていました。最初の攻撃を叩きつけることが勝敗を決し、それをますます決定的にするために、常備軍の士気維持と練度が重要だという考えは、フランスに兵役3年制を導入させるに至っていました。「士気が近代戦を決する」という考えがこの時期のフランス軍人に支持されたのは、日露戦争で日本軍の突撃がロシア軍の機関銃を打ち破ったのを見たからではないか……と諸外国の研究者も考えつくようですが、ジョッフル元帥がこの点を明確に否定しているようで、それを覆すほどの証拠は読んだことがありません。


 第1次大戦の最初の数ヶ月、ドイツが西部戦線で快進撃したことは知られていますが、同じく大規模攻勢をかけてフランスが失敗し、大きな損害を出したことはあまり語られることがありません。「攻撃側が有利」という大戦前の予想はまったく当たらず、むしろその中で序盤のドイツ軍は敢闘したほどでした。

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