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装甲兵員輸送車は装甲された(あっこのネタ作品名に使った)


 装甲師団の自動車化歩兵はシュッツェン(銃兵)と呼ばれましたが、一般歩兵をシュッツェンと呼ぶこともあり、模型ファンならご存じのライトグリーンの兵科色をした「装甲擲弾兵」の登場はずっと後です。装甲師団自動車化歩兵専用のまとまった操典は、1941年まで出ませんでした。どうも軍装・リエナクト関係でこの種の操典類は取引されているようですが、私は現物を見たことがありません。これを分捕ったアメリカ軍が、この操典の大要を英訳したものがあり、誤訳がないことは祈るしかない代物ですが、それによればまず、自動車化歩兵全般の任務は次の通りでした。


 1.戦車の通れない地形と川を越えた攻撃。2.戦車の入れない地形にいる敵への攻撃。3.(戦車部隊が迂回するような)定点を占める敵への攻撃。4.村と森での戦闘。


 とくに装甲兵員輸送車に乗った歩兵は、次のような任務に集中投入すべきとされました。


1.(戦闘を伴う)偵察。2.弱体な敵が守る重要地点の確保。3.遅滞戦闘。4.敵の対戦車防御が突破されている場合、深い侵入。5.戦車による攻撃への随伴。


 イギリスのキャバルリーキャリアと違って、ドイツの装甲兵員輸送車には小銃弾くらいは弾いてくれる(試した兵士がいて、小銃弾は貫通したそうです)かもしれないので、なるべく降りずに戦闘しろと操典は言っていました。ですから粘れるだけ粘って走り去る遅滞戦闘や、ヤバくなったら逃げる前提の任務が適するわけです。


 1942年に出た装甲兵員輸送車に乗る歩兵専用の操典は、ドイツ語の本に大要が紹介してあるのを見ただけですが、戦車との協働が「基本的な任務」であり、「敵の抵抗巣、陣地、[個人用]たこつぼなど戦車が認識・撃破出来ないものは、装甲兵員輸送車がより良好な視界で機銃、小火器、手榴弾を用いて撃破するものとする」としていました。戦車の中から乗員が見られるものは限られた窓の外に過ぎず、車長が首をハッチから出すのはリスクのある行為で、長く続けられませんでした。だから装甲兵員輸送車の縁から大勢が顔を出して、見つけてつぶせというのですね。


 視界云々はともかく、戦車にとって歩兵の肉薄や対戦車兵器の待ち伏せが難敵なのは、前大戦からずっとです。イギリス軍の菱形戦車で少数の歩兵を運んで戦場で降ろそうという試みはあり、排気ガス処理がうまくいかなくて、降りた兵士が気絶寸前なので放棄されました。大戦末期には武装を減らし、もっぱら兵員輸送用にした菱形戦車も計画されましたが、配備前に戦争が終わりました。ですから上記の断片的な資料が伝える装甲兵員輸送車の使い方は、昔からの問題に対する対処ばかりで、それほど間違っていないと思われますし、逆に言えば画期的なことではないでしょう。


 まあSd.Kfz.251系列は、装甲師団がごく少数だった時期に計画された贅沢車両で、装甲師団のシュッツェンすべてを乗せるだけ生産するのはもともと無理であったのでしょう。


 もっぱら装甲偵察大隊で使われたSd.Kfz.250系列は、ひとまわり小さく、1個分隊を2両で運ぶようになっています。この場合、シュッツェン1個分隊は2丁の軽機関銃に加えて、車両に各1丁積まれている備品の軽機関銃を使えるので、10人ほどで4丁の軽機関銃を構え、しかも弾薬は車両で運べることになります。この車両はSd.Kfz.251系列より後にふっと生まれてきて、LAH師団のヨーヘン・パイパー指揮する大隊はこれを装備して、1942年末から東部戦線で猛威を振るいました。


※パイパー大隊はSd.Kfz.251をもらえるはずが、国防軍が土壇場でケチったものか、Sd.Kfz.250を押し付けられました。乗れない兵士が出たようです。


 トラック歩兵でもそうなのですが、大戦初期のドイツ自動車化歩兵分隊(分隊長以下12名)は、2.5~3トントラック1両に乗っている場合と、もっと小型の車両2両(例えばクルップ・ボクサーの兵員輸送型、ホルヒ1aなど)に分乗している場合があります。ですから装甲偵察大隊のシュッツェンが2両に分乗しているのはそれほど特別ではなく、「生き延びて情報を持ち帰る」ためにもその方がいいに決まっています。とはいえこれもドイツの国力を超えた話で、シュペーアが生産統制に乗り出してきた大戦後半になると、装甲偵察大隊でもSd.Kfz.251に1個分隊が乗ることが増えていきました。ただし装甲車の砲塔を乗せたSd.Kfz.250/9は、長距離無線機を備えたSd.Kfz.250/3とチームを組んで、装甲車より路外性能が良い偵察車両として終戦近くまで生産が続きました。


※長距離無線機を持たないドイツ車輛の無線機は隊内用で、数kmしか届きません。例えば2cm機関砲を持つSd.Kfz.222を1~2両、長距離無線機を持つSd.Kfz.223を1両でスパートルップ(偵察隊)を組み、無線車を守るように背後や中央に置きました。カタログスペックを見ると、プーマ装甲車や各種の偵察戦車は長距離無線機も持っていますが、大戦後半になると無線機をカタログ通り載せていない車輛も多く、一部の車両以外は長距離無線機がなかった可能性もあります。


 さて、残ったのはドイツの地上支援の話です。同人本ではちらちらと断片的な判断材料も含めて書いているのですが、どうも戦間期のゲーリングは「Yes戦時体制、Yes短期局地戦、No大戦」と考えていた印象があります。精一杯英仏を脅すために、限られた外貨を軍需に使い、あらゆる産業に強く干渉して石炭液化プラント建設なども推し進めたのですが、経済計画(4カ年計画)担当大臣でもあるゲーリングは当然、献金でウハウハになるわけです。既に十分幸せなのです。


 空軍の要求する予算はゲーリングが交渉すればほぼ通ったという話はケッセルリングの自伝などでも出てきます。しかし英仏と戦争になればぜいたく品の輸入もできなくなりますし、戦争で得られそうなものは、もう戦時体制がゲーリングに与えてくれているのです。大戦争を起こす誘因がない一方、近隣諸国を脅す任務はひっきりなしに生まれていました。そのためには、双発爆撃機より安価に何百機も配備できるJu87は都合がよいし、ウラル爆撃機などは持っていてもいなくても、開発しているといううわさが立てば脅しになるのです。作ったら高いに決まっているではないですか。


 どうもやる気があるようなないような戦間期ドイツ空軍ですが、予算はあって旧式兵器のストックは(あまり)ないので、一気に世界最新の装備が揃うことになりました。とはいえ複葉機を主体とするドイツ戦闘機は、1936年からのスペイン内乱でソヴィエトのI-16に押され続けたので、Bf109が英仏の脅威となったのは大戦直前のことです。スペイン内乱でも旧式化したHe51戦闘機は爆装して、前大戦風の地上支援に働きました。


 ゲーリングにとって、戦間期の陸海軍協力は重荷というより、予算を分捕るネタに過ぎません。戦争が始まるまで、ドイツ空軍は気前の良い同僚でした。すでに大戦を待たず、「空戦であまりにもぜい弱だから退役させるべきではないか」という意見も上がっていたというJu87急降下爆撃機でしたが、当時の技術で急降下爆撃は目標に小型機で「狙って当てる」最も有望な方法のひとつで、リヒトホーフェン(のち元帥)の強い支持もあって、ドイツは大戦中ずっとこの攻撃方法を引きずることになりました。


 戦術偵察機を中心に、ポーランド戦では多くの偵察機が陸軍の軍司令部や軍団司令部、装甲師団司令部に提供されて、その要望通りに飛び、情報をもたらしました。戦線が延びて陸軍が膨れ上がるにつれて、ドイツ空軍は戦術偵察機を集中管理するようになり、個別の司令部の言うことを聞かない方向に変化しましたが、序盤には太っ腹でした。未亡人がアメリカに寄贈したロンメルの写真コレクションには、どうみても偵察機から撮っているフランス戦の写真があり、第7装甲師団長に過ぎないロンメルも偵察機を自由にできたことがわかります。


 しかし大戦を通じ、地上攻撃機や戦闘機、爆撃機に対して、陸軍が直接指示を出すことを、空軍は一貫して拒みました。ですからグデーリアン第19軍団長がスダン渡河地点の防空をレルツァー第2航空軍団長に頼んだように、作戦計画時に支援先として割り当てられた陸空の司令部の間で交渉する余地はありましたが、基本的には空軍が地上攻撃や爆撃も含めて攻撃計画を立てていくのでした。この点については、大戦中に変化がありました。


※デーニッツが総統に願って、Uボート部隊のために大西洋深部の偵察を空軍にやらせたときも、空軍は激しく抵抗しました。そしてFw200長距離哨戒機を保有するKG40に対して、海軍はFoderungen(要求)を出せる……という形で海空軍の協定ができました。





 ハウスが111頁に書いている「航空連絡分遣隊」はおそらくLuftnachrichten-verbindungstruppのことで、士官1名兵5名が自動車1台で移動する小さなチームで、典型的には航空軍団司令部に属しました。まさに上に書いたように、陸軍から見れば空軍から派遣された連絡役で、命令はできない相手なのです。スペイン内乱の時はまだいなかったか、いたとしたら現地で似たようなチームが作られたのでしょう。ポーランド戦闘時には4つあったとハウスの挙げた参照文献にあります。

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