未来が合った俺から未来がある君へ
病院とかの病気のことで間違いがあってもここはこういう世界なんだなあと優しく思ってください。
雨が好きだ。
草花を育みながら自分の悲しみを洗い流してくれる気がするから。ネットで調べるとこのような雨は甘雨という名前らしい。こんな些細なことも調べるようになったのは自由を失ってからだ。
中学生から少し大人になり、大好きな幼馴染とは恋人になった。これから訪れるであろうバラ色の高校生活に胸を躍らせていると、突如世界が電源を落としたように真っ暗になり俺を意識の外に放り出した。
余命3年。これがようやく目を覚ました俺に告げられた言葉だった。今までテレビを通してしか聞いたことがなかった言葉に呆気にとられ、隣にいた親だけが言葉を理解していた。
それからはあれよあれよと何もない病室に押し込められ、ただ無機質に日々を過ごす。入ったばかりの時は体調の変化に翻弄されていたが、現在は落ち着き、死を待つのみだ。医者や看護師さんは驚異的な回復力と言っているが優しさという奴だろう。
そんな人の優しさも受け取らない俺は高校に入ったばかりで知り合いもいなかったため、部屋には常に閑古鳥が鳴いている。
「こんにちは奏多くん、昨日読みたいって言ってた本買ってきたよ」
いや、1人だけいた。俺と保育園からの腐れ縁であり、2年前に付き合い始めた俺の恋人だ。山南遥。濡羽色の髪を腰まで伸ばし、ぱっちりとした二重の目、小さな鼻は存在を主張せずに彼女の魅力を引き立てる。俺には似合わないくらいの美人だ。性格にもなんの穴もなく毎日のようにお見舞に来てくれる。美人の上に誰にでも優しく、中学でもマドンナ的存在だった。恐らく高校でも絶大な支持を集めているだろう。
「ありがとう遥、これ気になってたんだ。ちょっと待ってねお金渡すから」
隣にある財布に手を伸ばすと彼女によって阻まれる。
「好きでやってるからいいよ。奏多くんが楽しんでくれれば
それに来る途中看護師さんが言ってたけどびっくりするくらい体調が良いらしいし、そのお祝い!」
当然のように笑顔でそう語る彼女の姿は俺の心をひどく惑溺させる。しかし、同時に彼女を自分に縛り付けるのはあまりに酷なのではないかという思いも常に存在する。そんなことを思いながらも、貴重な2年という命の時間を使い泡沫の夢を見せてくれる彼女への愛執から抜け出せずにいる。
彼女を見ていると昔聞いたある話を思い出す。曰く、運という物は収束するらしい。良いことがあれば悪いことが起こり、逆に悪いことがあれば良いことが起こるという。俺なんかが遥と付き合うことができたという人生最大の幸福を味わってしまったことで、俺は病気になったのだろう。しかし、それでもかまわないと思えるほどに俺は彼女が大好きだ。だからこそ、そろそろ決断しなければいけない。
「最近学校はどう?3年生になったし受験のことも考えなきゃで大変だよね」
「そうなんだよー、特に医学部なんてすっごく難しいから友達と過ごす時間もなくてさ、ストレスたまりまくり。だから奏多くんに癒してもらうんだー」
煌々と輝いている瞳の奥にうっすらと何か期待している色が見える。それを察した俺は苦笑いしながらも彼女に手を向ける。そうすると餌をもらえる犬のように喜び撫でやすいよう頭を寄せてくれる。
彼女の頭を撫でながらさらさらと心地よい髪のさわり心地を堪能する。手入れが良くされていることがわかる髪に指がかかることはなく、一生飽きずに触ることが出来そうだ。シャンプーがいいのか、彼女の魅力が香りをまとい体の外へ湧き出たのかはわからないがとても良い香りがする。
あんなに色のなかった病室がまるで花畑になったようだ。
数分撫で続けていると彼女は満足したのか俺の手から頭を離しそのままその手を握ってくる。手のひら同士がぴったりと重なる、所謂恋人繋ぎだ。
彼女が来ると体を寄せ合い手を繋ぎながら一緒の時間を過ごす。握られた手はお互いがしっかりと力を籠める。相手がどこかへ行ってしまわないように。
お互いを感じながら彼女がうとうとしてくる頃、ふと呟く。
「何度も言うけど、俺のためにこんな高頻度でお見舞いに来なくていいんだよ?」
医学部なんて難関の代名詞を目指しながらも俺へのお見舞いを欠かすことはない。元々医学部を目指すなんて言ったのも俺の病気を治す方法を探すためだ。急に医学部を決意した彼女に驚きその動機を聞いた時、
「奏多くんの病気や、辛いことや悲しいこと私が全部治すんだ」と強く決心した顔で伝えられた。
俺という負担があるせいで彼女に楽しい学校生活を与えることもできず、人生のレールすらも狭めてしまった。
「何度も言うけどいいの!!私が来たいと思っているから来てるの!」
この会話をするたびに普段はおおらかな彼女が怒りの感情を見せる。そのたびにこんなに想ってくれているんだなと歪んだ喜びが胸中を満たす。いつの間にこんなに歪んでしまったのだろうか。自分には彼女しかいないと本能的に理解しているゆえの依存なのだろうか。それなら猶更彼女に縋り続けることは彼女のためにならない。
そう考え決心する。ずいぶん長い間かかってしまったが、彼女のためだ。
決心した途端に彼女と話せる機会は今日が最後なのだと実感する。悲しみが姿を変え、目から流れ出るのを我慢し彼女との会話を楽しむ。
「あ、もうこんな時間!?奏多くんといると過ぎる時間が早いな。今日はこのくらいで帰るね」
「わかった。お見舞いありがとう。気をつけて帰ってね」
「こちらこそありがとう。またね!」
病室を出ていく彼女を引き留めるように言葉を投げかける。
何を言っても次会う彼女には呪いにしかならないと分かっていながらも口から溢れ出る何かを止めることができなかった。
「遥、大好きだよ」
感謝、愛情、執着、悲しみ、多少の妬み、全てが混ざり合ったその言葉は愛の一言に収縮され彼女のもとへ届いた。
言葉を理解した彼女は沸騰したように顔を赤くし、次いで満面の笑みを作った。
「私も大好き!」
彼女が帰った後の病室はとても寂しい。先ほどまで花畑になっていた部屋は枯れ果て、日差しが届かない暗闇の中にいるようだ。
「これにも慣れないとな」
翌日。彼女が俺の元へやってきた。
「やっほ~、今日も来たよ。奏多くん」
いつものはつらつとした笑顔の彼女だ。
「?、奏多くん?」
「そんなに頻繁に来て、死に向かっている俺を見るのが楽しいか?」
「か、奏多くん?どうしたの?」
「限界なんだよ。中学卒業の時、簡単にヤれると思って付き合ったのに病気になってなにもできねえ!
そのくせ顔だけ出しに何回も病室に来やがる!ヤれないお前になんて何の価値もないのに!」
「ど、どういうこと?何言ってるの…」
彼女が何とか絞り出している言葉の節々が震えているのがわかる。その気付きがどうしようもなく大好きな彼女を傷つけているのだという自覚を促す。
「いつか病気が治った時、良い思いができるようにずっとお前のお見舞いごっこにも付き合ってきたけど、もういいよ。どうせ治らないなら重荷はもういらない。」
「そんなことない!お医者さんもよくなってるって言ってるよ!」
「そんなわけないだろ!それを都合よく信じる頭の悪さも、毎日のように会いに来るのも。俺の病気を治すだの不可能なこと考えながら希望を持たせようとしてくるところも!全部ムカついてた!」
いつも穏やかな彼女からの瞳からは、受けた言葉全てによってもたらされた雫が彼女の悲しみを少しでも外へ出そうと流れ出ていた。
「毎日陰鬱な日々を過ごしている俺に嫌な思いさせて楽しかったかよ。そんなことするなら胸でも触らせてくれればいいってのに」
フンッと笑いながら彼女のいる方を見ると、怒りで両手のこぶしを震わせながらも寂し気な目でこちらを見つめる姿があった。
言いたいことがいろいろあるだろう。文句、罵声、罵り。何が来ても受け止めようと考えていた。
彼女はただ一言
「ばか」とだけ呟き、病室を出た。
俺の大声を聞いたのだろう慌てた看護師さんが走って訪れた。状況を聞かれたが、彼女は今後面会禁止にしてくれとそれだけを頼んだ。
俺の言ったことは全て彼女の今後を縛るだろう。それでも俺の死によって縛るよりは何倍もいいと思った。
傷ついた君を癒してくれる男性を見つけてほしい。それが俺にとっては幾ばくか寂しいけども。
そこからの日々は抜け殻のように生きていた。体の不調を感じないのは心が死んでいるせいだろうか。生きているのではなく、ただ死んでいないだけの毎日を過ごし、時折彼女を思い枕を濡らした。早く死んでしまいたいとその時を待ち続けた。
そんなある日医者がきて嬉しそうにこう言った。
「完治だよ、おめでとう」
祝福の空気が俺を包んだが、俺は喜ぶことも悲しむこともできずに視界が真っ暗になった。まるで病気になった日のようだ。気づくと久しぶりの自宅についていた。
この世界に俺を繋いでくれていた彼女を捨てた俺に生きることなどできるのだろうか。彼女は今は他の男と一緒にいるのだろうか。考え出すと涙が止まらなかった。外では呼応するように雨が降っている。
雨は嫌いだ。君にいつでも会うことができるから。
ハッピーエンドを作るか悩んでいる