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8 一つ条件があります

 梅雨入りが宣言され、鬱陶(うっとう)しい季節になった。

 梅雨だからと毎日雨が降るわけではないが、ジメジメとした天候は気分も湿りがちになる。それに、普段よりも早起きしなければならない事情もある。

 紗苗(さなえ)の髪質はほぼストレートであるが、それでも梅雨の間は毛先が暴れてしまうので、朝の支度に時間が掛かるのだ。



「紗苗ぇー、麗美(れいみ)ちゃんが見えたわよー」

 母親の美久(みく)が、紗苗に声を掛ける。

「はーい、今行く」

 紗苗がバタバタと足音を立てて、玄関に向かう。

「会長、おはようございますぅ!」

 玄関で、麗美が満面の笑顔を紗苗に見せている。笑顔が眩しい、思わず目を細めたくなる程に。


 あの出来事以来、麗美が毎朝紗苗を迎えに来るようになった。

 麗美の自宅は結構離れていると思うのだが、態々迎えに来るのは何故なのか。紗苗に迷惑を掛けてしまったことを気にしているのだろうか。

「態々、迎えに来なくてもいいのですよ? 家も離れていますし、それに朝も早いでしょう?」

 紗苗が、隣りを歩く麗美を横目で窺う。

「大丈夫ですぅ。私、朝早いの慣れてますし、少しでも会長と一緒に居たいので」

 麗美が頬を染めながら紗苗に眼差しを向ける。まるで恋をしている女の子のような表情だ。

 どうも麗美と居ると調子が狂うが、本人が一緒に居たいというのを拒む理由もなかろう。

「そ、そう? それならいいですけど……」


 麗美が軟禁され、紗苗と翔太(しょうた)が助けに向かったのは先週のことだ。

 あの後警官が駆けつけ、谷口は未成年者略取の容疑で連行された。以前から警察に目を付けられていたようで、他にも容疑があるらしい。

 翌日学校に刑事がやって来て、紗苗たちは聴取を受けている。当然、学校側へも説明があった。

 谷口は背中を負傷して入院しているらしく、退院してから取り調べを行うとのことだった。

 人の心を弄ぶような人間は罰を受けて当然――とは言え、少しやり過ぎたか。

 谷口を負傷させてしまったが、紗苗への咎めはない。

 過剰防衛と言えなくもないが、大の大人が中学生、それも可憐な女の子に投げ飛ばされたとは警察も(にわか)に信じられないのだろう。

 警察の中では、谷口が自ら転んで怪我をしたことになっているようだった。


「そう言えばあの時、副会長が私たちを庇うように谷口という人と対峙したじゃないですかぁ」

 麗美が思い出した様に唐突に話し始める。

 脈絡もなく話題を持ち出すのは、女の子同士の会話でよくある事だ。

 紗苗はそう言うことをしないが、姉との会話ではよくあることなので、女の子の会話は基本そう言うものだと認識している。

「そうでしたね」

「女の子の盾になろうとするところは、副会長も男の子なんですね。ヒョロガリなのにぃ」

 一言多いが、麗美なりの賛辞なのだろう。

 古来より男が女を守るのは当たり前のように受け止められるが、それは容易なことではない。

 普通、自分より強い相手からは誰しも逃げ出したいものだ。

 あの時、翔太は躊躇(ためら)うことなく、紗苗たちを庇う行動に出た。それを見て、紗苗は驚くと共に翔太を見直したのである。


「そして何より一番感動したのが会長の必殺技。格好良かったですぅ! えっと、何と言う技でしたか?」

 麗美が思い出そうとして、自分の頭を拳でぐりぐりしている。

「あれは、一本背負いです」

「そう! ニッポンゼオイ!」

 麗美が興奮して瞳を輝かせているが、勘違いをしている。日本を背負ってはいない。紗苗は心の中で、そう突っ込みを入れた。

「会長は、柔道をいつ頃から習っているのですかぁ?」

「小学校に上がる前だから、五歳くらいかしら」

「そうだったんですね。柔道をやっていたのは知りませんでした。他にも何か武道を?」

「あとは、合気道と剣道ですね。中学生になってからなので、日は浅いですが……」

「会長って、本当の意味での文武両道なんですね。私は運動音痴なので、憧れますぅ」

 麗美との会話は他愛もないものである。それでも、誰かと一緒に登校するのも悪くない――紗苗は麗美を眺めながら、そう感じていた。





『三年一組の山川紗苗さん、校長先生がお呼びです。校長室までお越しください。繰り返します、三年一組の山川紗苗さん、校長先生がお呼びです――』


 昼休み――紗苗を呼び出す放送が校内に流れる。

「タヌキ親父からの呼び出しですね。何でしょう?」

 生徒会室で一緒に食事をとっていた麗美が、瞳を大きくして瞬きを繰り返す。

 タヌキ親父とは、この学校における校長のあだ名である。タヌキを連想させる顔をしているので、生徒たちの間では親しみを込めてそう囁かれている。

「さあ? 分からないけど、ちょっと行って来ますね」

 呼び出しに心当たりはないが、応じない訳にもいくまい。紗苗は食事を済ませると、校長室へ向かった。





「山川くん、休憩中のところを済まないね」

 紗苗が校長室を訪ねると、校長が窓際で佇みながら、和やかな表情を向ける。

 校長の顔を見るとタヌキを連想してしまうのは、あだ名の所為だろう。紗苗は改めて『タヌキ親父』と言うあだ名が言い得て妙だと感じた。

「校長先生、何か御用ですか?」

 紗苗はそう口にした後、部屋中央の応接ソファーに女性が一人座っていることに気付く。

「こんにちは、紗苗ちゃん」

 小悪魔的な笑みを(たた)えながら、紗苗に挨拶して来たのは山吹苑子(やまぶきそのこ)だった。

「何故、山吹さんが此処に?」

 紗苗は、瞳の奥に警戒の色を滲ませる。

「ちょっと、紗苗ちゃんに頼み事があってね。校長先生にお願いしたの」

 やはり苑子は、校長の弱みを何か握っているに違いない。

 紗苗が窓際の校長に視線を送る。しかし、校長は(とぼ)けているのか顔を逸らして視線を合わせようとはしない。

 それは良いとして、苑子の頼み事はろくでもないことが多いのだ。紗苗の苑子を見る目つきが、キツくなるのも致し方ないと言える。

「そんな怖い顔しないで。それよりも、事件に巻き込まれて大変だったみたいね」

 事件のことは、谷口の容疑が全て固まるまで、警察からは関係者以外に話さないよう口止めされている。

 誰が苑子に漏らしたのか、それもよりによって出版社の人間である苑子に――

 紗苗が校長を睨みつける。しかし、校長は惚けた表情で校庭を眺めたままだ。

 このタヌキ親父め――と罵りたいところであるが、紗苗は大きく息を吐いて気を沈めた。


「その話は置いておいて。山吹さんの御用件は何です?」

 紗苗はそう尋ねながら、苑子の向かい側のソファーに腰を下ろす。

「実はね。雑誌の企画で、この学校の取材を兼ねてグラビア撮影もしようと考えているの」

 嫌な予感しかしない。紗苗が眉を寄せる。

「そうですか。それが私と関係あるのですか?」

「紗苗ちゃんにグラビア撮影のモデルをお願いしたいの」

「お断りします」

 紗苗が間髪入れずに断る。

 でも、苑子は余裕の笑みを溢すと、毅然とした態度を取っている紗苗に「これは、この学校の為でもあるのよ」と囁いた。

「学校の為? どう言う事です?」

「紗苗ちゃん、学校統廃合のことは聞いてる?」

 少子化が進み、どこも生徒の数が年々減っている。特にこの地域は学校が近くに集まっており、生徒が分散されているのも要因となっている。

 学校統廃合の噂は、紗苗も耳にしていた。

 統廃合は致し方ないとしても、母校が廃校となるのは忍びない。なんとか残って欲しいとは思っている。

「噂では聞いてます。取材は分かりますけど、グラビア撮影との関連性が分かりません」


「それについては、私から説明しよう」

 それまで、窓際で校庭を眺めていたタヌキ親父、もとい校長が口を挟んだ。

「少子化による学校統廃合は、何年も前から検討されている。それ以前にも学校規模の適正化を図る目的で、統廃合は度々行われていた。まあ、これは財政的な意味合いが強いがね」

 そこまで話して、校長は自席の湯呑みを掴み、お茶を一口含む。

「統廃合は避けて通れない問題だが、私としてはこの学校は残したい。山川くん、君もそう思うだろう?」

「そうですね。統廃合されたとしても、この母校は残って欲しいと思います」

 紗苗の言葉に校長が頷く。

「統廃合で勝ち残るには、生徒数と知名度が重要だとは思わんかな?」

「まあ、そうですね」

「今回彼女からの提案を受けようと思ったのは、本校の知名度を上げ、来年からの新入生を他校より多く獲得する為なのじゃよ」

 校長の説明に苑子が微笑みながら頷く。

「その主張には些か疑問が残ります。新入生を増やすと言っても、学区があるので他校の新入生を奪えないと思いますが……」

 紗苗がそう意見を述べると、タヌキ親父もとい校長がにやりと笑った。

「それが、来年から学区がある程度自由化される予定なのだよ。統廃合を見越した改正なのだろうな」

「なるほど、知名度を上げて新入生を増やすと言うのは分かりました。でも、何故私のグラビア撮影が必要なのです?」

 私をモデルにして撮影したところで、学校の知名度が上がるとは思えない――紗苗は首を捻った。


「山川くん、君は前に表紙モデルをしてるじゃろ?」

 そう言って校長は自席の引き出しに仕舞っていた雑誌を取り出す。それは紗苗が表紙を飾った例の雑誌だ。

「してますけど……」

 何故、校長がそんなものを机に仕舞っているのよ!――と紗苗は口まで出かかった言葉を呑み込む。

 訝しげな表情で睨んでいる紗苗に、校長が困惑し苑子に助けを求める。苑子は笑みを溢すと、続きを話し始めた。

「実はね、その雑誌を出した時、紗苗ちゃんに関する問い合わせが凄かったのよ。それこそ、人気アイドルかと思う程の反響だったわ。一度全国に顔が売れた紗苗ちゃんなら、話題性も充分。紗苗ちゃんがこの学校を宣伝すれば一気に知名度が上がると思うの」

 どこまでが本当なのかは、苑子の表情からは読み取れない。これまでも、撮影の話は苑子から何度もあったが全て断っている。この話も、苑子が私を撮影したいが為に仕掛けたとみて間違いないだろう。

 それにしても校長は、よく苑子の提案を受け入れたものだ。やはり、弱みを握られているのかも知れない。


「山吹さんは、何故この学校に肩入れするのですか? この学校の特集を組んだところで、それほどメリットがあるとは思えないのですが。それにしても、山吹さんと校長先生は随分と親しげなんですね……」

 そこまで言って、紗苗はハッとする。二人の間に感じる違和感からつい言ってしまったが、紗苗の思考は更に良からぬ方向に進む。

 もしかして、この人はタヌキ親父もとい校長先生の愛人なのでは? それなら、辻褄が合う――

「あ、言わなくていいです!」

 顔を赤くして慌てて訂正する紗苗を見て、苑子は思わず吹き出す。

「な、何ですか?」

 紗苗は真っ赤な顔で苑子を睨んだ。

「紗苗ちゃん、何か勘違いしているようだけど――私ね、この学校の卒業生なの。そして、当時のクラス担任が今の校長先生。教師と教え子の関係よ」

 苑子の見透かしたような言葉に、紗苗の表情が固まる。

 そして、自分の良からぬ妄想を苑子に気付かれたことに羞恥を覚え、この場から逃げ出したい衝動に駆られた。



「山川くん、君は愛校心を持った生徒だ。母校の為に人肌脱いでくれないだろうか?」

 そう言って校長が頭を下げる。

 苑子が本心で母校の為と思っているのかは分からない。やはり、紗苗のグラビアを撮りたいだけかも知れない。そうだとしても――

 紗苗は大きく息を吐くと、校長に向かって「頭を上げて下さい」と声を掛けた。

「分かりました。お役に立てるかどうか分かりませんが、撮影に協力します。但し、一つ条件があります」

 紗苗は人差し指を立てて、二人に条件を提示した。



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