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5 目にゴミが入っただけよ!

 五月は学校行事が少ない。しかし、三年生には恒例の修学旅行が控えており、楽しみにしている生徒も多い。

 ただ、近年形骸化している向きもあって、廃止を訴える生徒や親がいるのも事実である。

 翠川中学校では、修学旅行に参加するもしないも生徒の意志を尊重していた。参加したくても家庭の事情で出来ない生徒には、可能な限り救済処置をとっていたこともあり、例年の参加率は九割を超えている。

 紗苗(さなえ)は修学旅行に特別意味があると考えていない人間だが、生徒会長という立場上参加せざるを得ない。



「会長――! こっちですぅ」

 紗苗がキャリーケースを引きながら、丸の内の南口改札を出て東京駅の団体集合場所に向かって歩いていると、麗美(れいみ)が手を振りながら駆け寄って来た。

「佐藤さん、態々迎えに来なくても……」

 麗美が大声で叫んだので、唯でさえ目立つ紗苗に構内の衆目が集まってくる。

「私は、修学旅行の実行委員ですからぁ。迷っている生徒を放っておけません」

 麗美が自分の胸をドンと叩く。

「私、別に迷っていませんけど?」

 紗苗が不服そうに眉を寄せる。

 しかし、個別に東京駅集合というのは、予算の都合なのか、生徒の社会勉強の一環なのか分からないが、全員時間までに辿り着けるか些か不安である。

「それにしても凄いですねぇ……、皆んな会長を見てますよぉ?」

「あなたが、大きな声を出すからです」

 紗苗は小さくため息を漏らした。



 団体集合場所に着くと、既に大勢の生徒が集まっていた。修学旅行を楽しみにしていたのだろう、あちらこちらで笑顔が見える。

「山川さん、おはよう」

 紗苗は多くの生徒に挨拶されながら、自クラスが固まっている場所に向かう。

「会長、おはようございます」

 翔太(しょうた)が紗苗を見つけると挨拶に来た。

 紗苗は「吉村くん、おはよう」と挨拶を返してから、引いて来たキャリーケースに腰掛ける。キャリーケースに腰掛けているだけなのだが、周囲の生徒たちから吐息が漏れるほど様になっていた。

「会長と同じ班ですね。楽しみですぅ」

 麗美が自分のキャリーケースをゴロゴロと引っ張って、紗苗の傍らに落ち着く。

 班決めは修学旅行実行委員の麗美が中心に決めていたので、同じ班になったのは偶然ではないだろう。因みに麗美と翔太は、三年のクラス替えで紗苗と同じクラスになっていた。

 生徒が集まったところで、翔太が各クラスの実行委員に点呼を指示する。

 翔太は修学旅行実行委員長の任に就いていた。普段、紗苗の影に隠れて目立たない翔太だが、成績は紗苗に次ぐ。眉目秀麗と言っても良いだろう。それ故、女子には人気がある。

 しかし、紗苗は異性の価値をそこに求めていない。紗苗にとって一番重要なのは優しさであり、包容力なのだ。それと――いざという時に頼りになるかどうかである。



「ねぇ、あの子――例の表紙モデルじゃない?」

「うそ? 何処どこ?」

 団体集合場所には、紗苗たち以外の中学校も集まっている。紗苗に気付いた他校の生徒たちが騒めき出した。

「雑誌と雰囲気が少し違うけど、圧倒的な美しさは変わらないな」

「そうだな。雑誌は柔らかい感じだったけど、実物はクールな感じだ」

 紗苗が雑誌で見せた笑顔は、姉の真澄を真似たものだった。普段笑うことのない紗苗は、カメラマンから笑顔を求められた時に困惑した。何とか姉の笑顔を思い浮かべ凌いだのである。

「会長、ホームに移動しますよぉ」

 紗苗が撮影の時のことを思い出していると、麗美に声を掛けられた。

「分かったわ」

 紗苗はキャリーケースの取手を掴むと、ゴロゴロと引いて麗美の後に続いた。



 新幹線に乗り込み、紗苗が自席の荷物棚にキャリーケースを載せようと腕を伸ばしていると、誰かが後ろからキャリーケースを支えてくれた。

「手伝いますよ」

 紗苗が振り向くと、翔太が腕を伸ばしている。

「あ、ありがとう」

「あー、会長のお世話は私がしますので、副会長は自席に戻って下さい!」

 麗美の頬が膨れている。翔太は苦笑して言われた通り自席に戻った。

「お世話って……、私は子供じゃないのよ?」

 紗苗が麗美に向かってため息をつく。

「会長をお世話するのは、修学旅行実行委員の任ですからぁ」

 真面目な表情で答える麗美に、紗苗はまた一つため息をつくのだった。





 紗苗たちが京都の宿に到着したのは、十八時を過ぎていた。宿は老舗の旅館らしく、風情のある佇まいをしている。

 引率教師からの連絡事項が伝えられた後、紗苗たちは泊まる部屋に向かう。

「会長は寝巻き派ですか、それともネグリジェ派ですか?」

 麗美の唐突な質問に「突然何を言ってるの?」と紗苗は呆れ顔をする。

 周囲の女子たちも興味があるのか、紗苗に視線が集まるので答えない訳にも行かない。

「普段は、ロングTシャツが多いかしら」

「ロングT……、し、下着は?」

「下だけ履いてるけど……」

 紗苗がそう答えると、麗美が鼻を押さえる。

「なんか、想像したら鼻血が――あははは」

「変な想像しないの!」

 紗苗が顔を赤らめて声を上げる。

「そう言う佐藤さんは、寝る時は何を着ているのです?」

「私ですか? 私は何も着ませんけどぉ」

 麗美が平然と答えると、紗苗は目を丸くした。

「何もって……、下着だけということ?」

「下着も着ませんけどぉ」

「は、裸?」

 珍しく紗苗が取り乱す。

「勿論そうですよぉ」

「恥ずかしくないの?」

「誰も見ていませんし。あ、偶に夜中トイレに行った時、弟に見られることはありますねぇ」

 麗美がケラケラと笑いながら言った。

「笑い事じゃないでしょ?」

「そうですねぇ。弟によく怒られますけど……、裸で寝ると開放感が心地良いので止められません」

 紗苗は麗美と同じ部屋であることに、一抹の不安を覚えた。





 食事の後は、幾つかのグループに別れての入浴タイムとなる。脱衣所で紗苗が服を脱ぐと、周囲の女子から吐息が漏れる。

「山川さん、スタイル良すぎ」

「肌もスベスベ……」

 発育途中の胸の大きさは姉に劣るが、紗苗のスタイルの良さは女子が憧れる程だった。

「はいはい、会長は見せ物ではありません」

 麗美が両手を広げて女子たちの前に立ち塞がる。

「佐藤さん、最近山川さんの付き人みたいに振る舞っているけど、何なの?」

「山川さんを独り占めしないでよ」

 下着姿の女子たちが、麗美に詰め寄った。

「付き人かぁ……、それも良いですねぇ」

 麗美は声高にやり返す。裸になった紗苗は、タオルで前を隠しながらため息を漏らした。

「あなたたち、いい加減にしないと身体を洗う時間が無くなるわよ?」

 紗苗がそう言って、先に浴室へ向かう。女子たちは、慌てて下着を脱ぐと紗苗の後を追った。

 

 この旅館の湯屋は、露天風呂を始め趣の異なる湯が楽しめるようになっている。

 紗苗たちは身体を軽く洗い流してから、湯に浸かった。

「会長は、肌が綺麗ですよねぇ?」

 麗美が羨ましそうに紗苗を眺める。

「本当よね。羨ましい……」

 他の女子たちも紗苗を食い入る様に見つめる。

「何か特別な手入れをしているのですか?」

「特に何も……、普通に保湿クリームを塗っているくらいだけど」

 肌の綺麗さは紗苗も自覚していた。

 姉も母親も肌が綺麗なので遺伝なのだろう――

「ところで……、山川さんはお付き合いしている人いますか?」

 あまりにも唐突な質問に紗苗が咽せる。

「そんなのいる訳ないじゃないですか!」

 麗美が声を張り上げて立ち上がる。紗苗は息を整えて、「残念ながら、お付き合いしている人は居ません」と静かに答えた。

「ほらぁ」

 麗美が誇らしげに女子たちを見返す。

「山川さん、好きな男子は居ないの?」

「居ません」

 紗苗の返答に、その答えが当然であるかのように麗美が何度も頷く。

「それじゃ、好きなタイプは?」

 紗苗は清孝の顔を想い浮かべるが、首を軽く横に振る。

「そうですね……優しくて包容力があり、いざと言う時に守ってくれる人かな」

 紗苗は口許を少し緩めた。

「うちの学校には、そんな男子いないわね」

 女子たちが顔を見合わせる。

 紗苗が、これ以上詮索されないうちに湯船から上がろうと考えていると……

「そう言えば、この旅館……出るらしいです」

 麗美が虚ろな瞳で呟いた後、ニタリと笑った。

「で、出るって何が?」

 紗苗が唾を呑み込む。

「幽霊ですよ。この旅館は古い旅館ですからね。その昔、駆け落ちで逃げてきた若い男女が捕まる前に首を吊ったとか……」

「な、何を言ってるのです――馬鹿馬鹿しい」

 紗苗はそう言って湯船を出た。


挿絵(By みてみん)



 修学旅行と言えば、教師の目を掻い潜って男子生徒による女子部屋突撃、あるいはその逆と言うのもあるが、紗苗たちの部屋に突撃してくる男子は居なかった。

 突撃出来る状況でなかったと言った方が正しいかも知れない。なにせ、沢山の女子が紗苗の部屋に突撃しているのだから……

 他クラスの女子たちまで、紗苗の部屋に突撃していた。勿論、話題は表紙モデルの件である。芸能人に憧れる女子は多く、この学校でその芸能人に一番近い人間が紗苗なのだ。

 そして、何故か麗美が嬉々として場を仕切っていた。

「表紙モデルになった経緯は?」

「偶々、知り合いになった出版社の方に頼まれて……」

「将来、モデルか俳優になるのですか?」

「今は考えていません」

「どうしてそんなに可愛いのですか?」

「わ、分かりません」

「お姉さんも可愛いですよね」

「ええ、まあ……」

 容姿の良さは血筋であろう。母親も外祖母も綺麗な女性なのだ。

 紗苗は、矢継ぎ早に繰り出される質問に少しうんざりしていた。まさか、夜通しつき合わされるのでは――と恐怖すら覚える。

「そう言えば、お姉さんに彼氏が出来たと噂を聞きましたけど、本当ですか?」

 何故、話題が姉の恋愛事情に飛んだのか意味不明だが、「さ、さあ。どうなのかしら……」と紗苗は表情を引き攣らせながら答える。

 




 何とかトイレに行くフリをして、紗苗は部屋を抜け出した。

「まったく、付き合いきれないわ」

 紗苗は人気の無いロビーのソファーに腰掛け、自販機で購入した缶ジュースを一口喉に流し込む。

『そう言えば、お姉さんに彼氏が出来たと噂を聞きましたけど、本当ですか?』

 先ほどの質問が脳裏を()ぎる。

 すると、ボディーブローを打ち込まれたような痛みが紗苗を襲い、メンタルゲージが徐々に低下するのを感じた。――私は、まだ引き摺っているのだろうか?

 紗苗は、一気にジュースを喉に流し込んだ。


 パチッ――


 明るいとは言えないロビー内の蛍光灯が、ノイズを発して一瞬暗くなる。そして、蛍光灯の明かりは弱々しく点滅を繰り返した。

 心臓が少し跳ねたが、紗苗は呼吸を整えると点滅している蛍光灯を睨みつけた。


 カタッ――


 小さな物音で、紗苗は思わず背筋を伸ばす。そして、ゆっくりと音がした方へ首を捻る。紗苗は恐怖で表情を凍りつかせた。

 二階へ繋がる階段の踊り場に、男女の脚が見える。

『そう言えば、この旅館……出るらしいです』

『幽霊ですよ。この旅館は古い旅館ですからね。その昔、駆け落ちで逃げてきた若い男女が捕まる前に首を吊ったとか……』

 紗苗の脳裏に麗美の言葉が蘇る。紗苗は全身の毛穴から、汗が吹き出すのを感じた。――そんな、嘘よ。居るはず無いわ。

 紗苗は目を閉じ、全身を硬直させる。


「会長、ここにいたんですねぇ」

 紗苗が目を開くと、麗美と翔太が佇んでいた。

「会長――ど、どうしたのですか?」

 翔太が、涙目で震えている紗苗を見て動揺する。

 紗苗は顔を真っ赤にして、「な、何でもないわ! 目にゴミが入っただけよ!」と慌てて目を擦った。

 恥ずかしい。そもそも脚がある時点で幽霊じゃないと気づくべきだった――紗苗はそう悔しがった。因みに外国の幽霊に脚があることを、紗苗は知らない。



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