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2 今日で最後にします

 翠川(みどりがわ)中学の生徒会役員選挙には、立候補の他に推薦候補での擁立(ようりつ)が可能だ。そして、正規の手続きで推薦された生徒は余程の事情がない限り、辞退が認められない。

「今、なんて言いました?」

 紗苗(さなえ)は眉を寄せて、満面の笑みを溢している麗美(れいみ)を見つめた。

「だから、会長を次期生徒会長に推薦しましたぁ」

「いや、だから私は立候補しないと……」

「聞いてますよぉ。だから、推薦させて頂きましたぁ」

「佐藤さん、私は次期生徒会長になるつもりはないと言っているのですよ?」

「私たちは、次期生徒会長も会長にお願いしたいのですぅ」

「私たち……?」

 紗苗は生徒会室にいる生徒会メンバーを見渡す。皆が笑みを溢して紗苗を見ている。

「吉村くん、貴方も?」

 紗苗が翔太(しょうた)に視線を向けると、翔太は頭を掻きながら「会長以外に当校の生徒会長はいません」と宣った。

「因みに、応援演説は吉村副会長が行います。公約については、既に考えていますよぉ」

 紗苗が当選したら、彼等も役員を継続することになるだろう。翔太や麗美は同じ三年生になる。受験勉強もあるだろうに――

 紗苗はため息を漏らし、「勝手になさい」と言って生徒会室を出て行く。

 自分が誰かに必要とされるのは、とても嬉しいことだ。紗苗もそれはよく分かっている。ただ、今の自分の状態を恥じて素直に喜べないのだ。



 足元に封筒がバサバサと落ちた――

 紗苗が帰ろうとして下駄箱を開けると、この有様である。五十通くらいあるだろうか。バレンタインに近づくにつれ、増えてきているようだ。

 紗苗はため息をつくと、封筒を拾い上げる。いつもなら、このままゴミ箱へ直行であるが、紗苗は思い止まった。

 紗苗は鞄から予備の手提げ袋を取り出すと、その中に封筒を入れて持ち帰ることにした。



 夕食の後、紗苗は持ち帰ったラブレターを自室で読み始める。

 今まで、清孝(きよたか)以外の男性に興味を(いだ)いた事はない。しかし、清孝は姉の彼氏になったのだ。いつまでも清孝に想いを寄せ続けることはできない。

 ラブレターの中身としては、たわいの無い物ばかりで、紗苗の琴線に触れるようなものは無かった。中学生が書くようなラブレターに、過大な期待をすべきじゃないことは紗苗も分かっている。

 それでも胸に穴が空いたような苦しさや虚無感を、少しでも解消できればと考えたのだ。しかし、失恋というのは思っていた以上に辛いものだと、紗苗は気付かされた。

 紗苗はベッドに潜り込み、布団を頭から被る。今は静かに泣くことしか出来ないのかも知れない。





 山吹苑子(やまぶきそのこ)は、ノートパソコンの画面に映し出されている企画書を眺めながら、長い黒髪を掻き上げた。そして、眉を寄せるとチェアーの背もたれに身体をゆっくりと預ける。

「苑ちゃん、まだ表紙モデルで悩んでいるの?」

 苑子は、声を掛けて来た同僚に顔を向けて苦笑する。苑子は新たにティーンエイジャー向けの雑誌を創刊するにあたり、表紙を飾るモデルを決めかねていた。

「この子も悪くないんだけどね……」

 苑子はモデルのプロフィールを眺めながら、デスクの上を指で叩く。

 この手の雑誌は、表紙モデルで発行部数が決まると言っても過言では無い。特に雑誌の成否を握る創刊号であれば、尚更慎重になるものだ。

「この子、今売り出し中のタレントね。可愛いじゃないの」

「そうね。でも……もっと圧倒的な美少女が欲しいのよ!」

 苑子は、両手の拳を強く握る。

「圧倒的な美少女って……、苑ちゃんのお眼鏡に叶う子が見つかるといいわね」

 苑子の同僚が苦笑する。

「いる。いるわ――!」

 苑子がディスクに両手をついて立ち上がった。そして、スマホのアドレス帳を調べ、一人の名前を凝視する。

「山川紗苗、そうよ。この子なら……」

「どこの事務所の子?」

「この子はタレントじゃないの。ほら、去年の十二月に私がひったくりにあったの覚えている?」

「そんなことあったわね。もしかして、そのひったくりを捕まえたと言う女の子?」

「そう。この子なら、表紙のモデルに打って付けだわ」

「美少女マニアの苑ちゃんが言うなら、相当な美少女なのね……」

「びっくりするほどよ。私、思わず見惚れてしまったもの。こうしちゃいられないわ」

 苑子は手帳を手に取って席を立つと、編集長の所へ向かった。





 翌朝、洗面台の鏡を見て、紗苗は眉を寄せた。鏡に映っている自分の顔の酷さにため息を漏らす。久しぶりに泣いた所為か、瞼が腫れていた。

「少し冷やさないと駄目ね……」

 紗苗はそう呟くとタオルを冷水で湿らせ、目にあてる。

 しっかりしろ、私!――紗苗は自分自身を叱咤した。

「何やってるの?」

 真澄(ますみ)が、欠伸をしながら洗面所に入って来て紗苗に尋ねる。

 紗苗は慌てて目に当てていたタオルで顔を擦ってから、「な、何でもない」と洗面台を離れようとした。

「今日は、遅いのね。そうだ、途中まで一緒に行かない?」

 真澄の誘いに、特別な意図は無いのだろう。久しぶりに妹と登校したいだけだと言うことは、紗苗にも分かる。

 ただ、登校途中で真澄が清孝と合流するのは予想がつく。二人の仲睦まじい様子を眺めるのは、今の紗苗としては忍びない。

「遠慮しておく。イチャイチャを見せ付けられても困るし」

「み、見せ付けないわよ」

 真澄が顔を赤くしながら、唇を尖らせる。

「はいはい。兎に角、私はもう出掛けるから」

 紗苗はそう告げて支度を急いだ。





 いつもより遅い時刻――と言っても一般生徒が登校する時刻であるが、紗苗は生徒たちの視線を集めながら道を歩く。

 姉に引けを取らない見目麗しい姿は、眺める者に幸福すら与える。背筋を伸ばして歩く様は、凛とした雰囲気を醸し出し、可愛さと凛々しさを共存させる。

 一挙手一投足監視されているのだが、紗苗にとっては当たり前のことで、今更ながら思う事はない。

 ただ、紗苗はなるべく視線を合わせないようにしている。それは、紗苗と視線が合った生徒は、紗苗に見惚れて暫く動けなくなり、遅刻する恐れがあるからだ。



 紗苗が登校して、下駄箱から落ちた封筒を拾い集めゴミ箱に捨てると言う、いつものルーティンを済ませて教室に入ると、何やら教室内が騒がしい。

「どうかしたの?」

 紗苗が近くのクラスメイトに確認する。

「山川さん、持ち帰ったの?」

 クラスメイトの女子たちが驚いた表情をしている。

「何のこと?」

「ラブレターよ。山川さんが、ラブレターを持ち帰ったって、男子たちが大騒ぎしているよ」

「そんなことで……?」

 昨日、持ち帰ったのを誰かに目撃されていたのだろう。

「山川さん、今まで一度もそんなこと無かったから。何か心境の変化があったんじゃないかと――」

 心境の変化があったのは間違いないが、持ち帰っただけで大騒ぎになるとは――紗苗はため息を漏らした。

 紗苗は自席に着くと、クラスの視線が自身に集まっているのを感じながら、一時限目の用意を始める。

 注目されることに慣れているとは言え、今の紗苗にとって居心地の良いものではない。紗苗は再びため息を漏らした。





 三月になると、生徒会役員選挙の結果が公示される。大方の予想通り、翠川中学の生徒会長には紗苗が当選する。

 他にも立候補者がいたのだが、投票間近で辞退、紗苗が圧倒的な票を得て当選となった。

「会長、また半年間よろしくお願いしますぅ」

 麗美が満面の笑みを見せる。紗苗は眉を寄せてため息を漏らす。

「何故、他の候補者は降りたのかしら?」

「さ、さあ……」

 麗美が視線を彷徨わせる。

 きっと、麗美が裏で手を回したに違いない――紗苗はそう確信した。

「まあ、いいわ。決まったことにゴタゴタ言うつもりはありません」

 生徒会役員のメンバーは一部入れ替えがあるが、ほぼ前期のメンバーである。

「皆さん、またよろしくお願いしますね」

 紗苗が頭を下げると、生徒会メンバーから拍手が湧き起こった。

 自分を必要としてくれている生徒会メンバーや学校の生徒たちに、紗苗は感謝の念を抱く。それと同時に早く気持ちの整理をつけなければとならないと感じた。





 夕方、紗苗は重い足取りで市立図書館に向かっていた。今日は清孝に勉強を教えて貰う日なのだ。

 元々は清孝の引き籠りを何とかしたいと言う理由で、清孝の母親である叔母から連れ出しを頼まれたのがキッカケである。

 紗苗は学年トップの成績なので、本来であれば勉強を教わる必要はない。ただ、紗苗も清孝と一緒に居られる時間は楽しいものだった。しかし、失恋した今となっては、清孝との時間は辛いものがある。

 勉強を教えて貰うのは今日限りにしようと、紗苗は考えていた。


 紗苗が自習室を覗くと、見慣れた後ろ姿が視界に飛び込む。紗苗が隣に腰掛けると、清孝は笑みを見せた。

「よう、遅かったな」

 清孝は読んでいた単行本を閉じて、紗苗の顔を覗き込む。

「ごめんなさい。生徒会の仕事が溜まっていたの」

 紗苗が視線を逸らしながら答える。

「紗苗は、生徒会長だものな。凄いよな」

「そんなことはないけど……」

「俺には絶対無理だな」

 清孝が小さく笑う。紗苗は横目で、その笑顔を見た。

 紗苗は清孝の優しそうな笑顔が好きだった。思わず釣られそうになる。

 でも、その笑顔は姉の真澄のものになったのだ。

 紗苗は清孝に顔を向けると、ゆっくりと口を開く。

「きーくんから勉強を教わるのは、今日で最後にします」

 清孝は一瞬動きを止めたが、頬を緩め頷いた。

「そうだな。紗苗は頭がいいから、大丈夫だよな。今まで付き合ってくれてありがとうな」

 紗苗がびっくりして目を見開く。

「気づいてたの?」

「まあな。母さんに頼まれたんだろ?」

 紗苗が静かに頷く。

「ごめんな。忙しい身なのに付き合ってくれて」

 清孝が紗苗の頭を優しく撫でた。

「謝らないで――私は楽しかったよ」

 紗苗の瞳から溢れた涙が、頬を滑り落ちる。

 清孝は少し驚いた表情を見せ、「何で泣いているんだよ」と紗苗を引き寄せて、再び頭を撫でた。

 紗苗は無言のまま清孝の胸に顔を埋めていたが、「もう少しだけ、このままで居させてください……」と囁く。

 頭を優しく撫でる清孝の温もりを感じ、紗苗は改めて失恋したことを自覚した。


「私ね、きーくんが好きだった。異性としてだよ?」

「……」

 清孝が返答に窮する。

「でも、私はきーくんにとって妹なんだよね……」

「紗苗、俺は……」

「ううん。分かってたの。きーくんが異性として見ていたのは、お姉ちゃんだけだったこと」

「ごめんな。紗苗の気持ちに気付いてやれなくて……」

 清孝が申し訳なさそうに詫びる。紗苗は顔を上げ、清孝に笑みを見せる。

「きーくんは気付いていたけど、気付かないフリをしていた。違う?」

「紗苗は賢いな」

 清孝も紗苗に笑みを見せる。

「きーくん」

「ん?」

「お姉ちゃんをよろしくね」

「ああ、任せておけ」

 紗苗は清孝の頬に軽く拳を当てながら、「お姉ちゃんを悲しませたら、許さないからね」と念を押す。

「分かってるよ」

 清孝が口許を緩ませると、紗苗も同じように口許を緩ませた。





 山吹苑子は時計で時刻を確認すると、スマホのアドレスから山川紗苗を選び、電話を掛けた。

 数回呼び出し音が鳴った後、「もしもし」と紗苗の声が聞こえた。

「山吹ですけど、久しぶりね。今大丈夫かしら?」

 紗苗は暫く沈黙してから、「私に何か用ですか?」と警戒した声音で答える。

「勿論、用があって掛けてるのだけど……、近々会えないかしら?」

「電話じゃ駄目なのですか?」

「電話だと話し難いのよ」

 苑子は紗苗が容易に会ってくれるとは思っていなかった。断られるのは想定内である。

「話を聞いて貰えるだけでいいの。今週学年末テストで、来週末から春休みよね?」

「随分と詳しいんですね」

「私だって、うん年前は学生してたからね」

「そろそろ生徒会の仕事があるので、電話切ってもいいですか?」

「そう言えば、生徒会長さんだったわね。来期も当選したようで、おめでとう」

「何故、そのことを知っているのです?」

 紗苗は警戒心を更に強める。

「私、そう言う調査は得意なのよ。今の編集部の前は『ちゅーずでい』の編集部にいたから」

『ちゅーずでい』は、芸能人のスキャンダルを暴くことに熱心な雑誌である。勿論、ゴシップに興味のない紗苗でも、その雑誌の存在は承知していた。

 身辺を詮索されることを好まない紗苗は、「分かりました。話だけ聞きますから」と言って時間と指定場所を確認して電話を切った。

 電話を終えた苑子は、「さて、肝心なのはこれからね。何としてでも表紙モデル受けて貰うわよ、紗苗ちゃん」と美しい口許を緩ませた。



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