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33歳会社員がJKのコスプレにハマりました

1.

十人十色のストレス解消方法。あなたのストレス解消方法は?


さて、今年で33歳になる優のストレス解消方法はといえば、女子高生、いわゆるJKのコスプレをして街を歩くことだった。


とはいえ、はじめから優にコスプレの趣味があったわけではない。


国立大学を出て、仕事もできる優は、異例のスピードで出世していった。だが、出世すれば出世するほど、仕事は多忙を極め、おまけに年上の部下たちからは「女のくせに」だの「早く結婚しろ」だのと陰で蔑まられるわ、面倒な仕事を強引に押しつけてくる連中はいるわで、優のストレスはたまる一方だった。


そんな優のストレス解消方法はといえば、酒とカラオケだった。毎週、週末になれば、学生時代からの気心知れた友人たちと、朝まで飲んで歌った。

しかし、その友人たちは、1人、また1人と、独身を卒業して、売れ残りはとうとう優だけになった。いま、友人を酒とカラオケに誘えば、どの友人も、異口同音に、こう答えた。

「ごめーん。子どもの世話があるから…」


会社に親しい友人はいなかった。人の上に立つ者は、たいてい、嫌われ役を担うものである。

優は、孤独になった。


2.

孤独になった優が、酒とカラオケの次にはじめたストレス解消方法は、ひとり旅だった。ジャガーのオープンカーを買って、毎週、各地を旅しては、老舗の高級旅館にひとりで泊まった。おかげで、トラックやタクシーの運転手よりも道に詳しくなり、旅行代理店や観光協会の従業員よりも旅館に詳しくなった。


そうして、優は、もうすぐ33歳になろうとしていた。


このころになると、ひとり旅もだんだん飽きてきて、今度はゲイバーに通うようになった。

転機となる電話がかかってきたのは、ゲイバーにいたときだった。

「もしもし」

高校時代の同級生で、卒業後一緒に上京してきた絵梨花だった。

「ひさしぶり。元気にしてる?」

「あいかわらずだよ」

「今なにしてんの?」

「ゲイバーにいる」

「ひとり旅の次はゲイバーにハマってるの?」

「そうだよー。ゲイバー楽しいよ。オネエって、女よりも女心をわかってくれるし、男よりもおもしろい話を聞かせてくれるし、もうサイコー。絵梨花も来る?」

「遠慮しとく」

「で、なんの用?」

「ディズニーランドに行きたいなーと思ってね。子どもがもう中学生になって、ひとりでお留守番できるようになったの。だから大人だけでディズニーランドに行きたいの」

「は!? 絵梨花の子、もう中学生なの!?」

「そりゃそうだよ。私たち今年で33になるんだよ? そりゃ子どもだって中学生になるよ」

「早いもんだなー。まだ赤ちゃんだと思ってたよ」

「同じことをおじいちゃんも言ってたよ。で、ディズニーランド行く?」

「行く!」


3.

せっかくだから、他の子も誘おうよ、というわけで、ディズニーランドは、絵梨花と優をふくめて、女4人で行くことになった。みんな、高校時代の同級生で、卒業後、ともに上京してきた仲である。


「いま、JKのコスプレをしてディズニーランドに行くのが、流行ってるんだって。ウチらもJKのコスプレしちゃう!?」

4人のうちの、誰かが、グループラインで言い出した。

「いいね! やろう!」

他の2人も、賛同した。子育てにひと段落がついたので、思いっきりオカシなことをして、何年も積もり積もってきたストレスをパーッと発散したいのだ。

賛同しなかったのは、優だけだった。

「33にもなってJKのコスプレするの? 恥ずかしいよ」

だが、他の3人に押されて、結局、JKのコスプレでディズニーランドに行くことになった。

「制服どうする? 私、高校の制服捨てちゃったんだけど」

「ドンキホーテに売ってるよ」

「マジで!? 明日さっそく見てくる!」

「ひとりで行くの?」

「娘と一緒に行ってくる」

「女の子はお母さんと一緒に買い物行くのイヤがらないからいいよね。ウチは息子だからぜったいイヤがるんだよなー」

「じゃあさ、みんなで行こうよ」

「とりあえずドンキホーテね!」

「ひさしぶりにみんなに会える! たのしみ〜」

3人とも、グループラインで、楽しそうに文字のやりとりをしていた。誰かがラインの送信ボタンをタップするたびに、優のスマホがピコピコ鳴る。

「ディズニーランド、何人で行くことになったの?」

頻繁に着信音が鳴るスマホを見て、オネエのミツオちゃんがたずねた。

絵梨花から電話がかかってきてから、ここまでに、1時間もたっていない。遊ぶことに関して絵梨花の手回しの早さは昔から曲芸的だった。

「私を入れて4人」

ピースを吸いながら、友人たちのグループラインの会話を目で追う。

「でも、優ちゃんあんまり乗り気じゃなさそう。最初はあんなに楽しそうだったのに」

「ミツオちゃん聞いてくれない? この人たち、JKのコスプレでディズニーランドに行こうって言うんだよ。いや、自分の歳を考えろって。33になるおばさんがJKの格好なんかしたら、世の人たちに大迷惑だよ、目の毒だよ」

「でも、優ちゃんは、まだ20代に見える。お肌はみんなが羨ましがるぐらい張りがあるし、髪もキレイな黒でツヤツヤしてる。JKのコスプレだってまだイケるわよ。目の毒どころか、目の保養になるわ。私、優ちゃんの制服姿、見たいわー」

ミツオちゃんが、邪気のない澄んだ瞳でそう言ってくるので(商売柄、ミツオちゃんは人をおだてるのが得意である)、優は、JKのコスプレをしてみようという気になった。


4.

桜の花はすでに散り、桜並木は新緑に覆われていた。

日曜日の昼下がり。カフェのオープンテラスで、まだ学生気分の抜け切れない若い女の子2人組が、仕事どう? と、話していた。仕事の話の次は、彼氏の話になった。

ノートパソコンで持ち帰りの仕事を片付けながら、優は、隣の女の子たちの会話をさりげなく聞いていた。

仕事がんばるんだよ。彼氏を大事にするんだよ。無事に結婚できるようにね。お姉さんみたいに毎週ゲイバーに通うような大人になっちゃダメだよ。

優は、心の中で、女の子たちに、エールを送った。

カルティエの腕時計の針が、待ちあわせの時刻に近づいていた。

優は、シャネルのバッグにノートパソコンをしまうと、シャネルの香水の香りを残してカフェをあとにし、ジャガーに乗りこみ、ブルガリのサングラスをかけて、ドンキホーテに向かった。


5.

3人の主婦たちは、唖然とした。ジャガーのオープンカーに乗ってあらわれた、シャネルとブルガリとカルティエを全身にまとった女に。自分たちは、電車で来たのに。自分たちは、全身しまむらやユニクロなのに。自分たちがいま身につけているブランド物といえば、せいぜい財布とバッグとバッグの中の化粧品ぐらいなのに…

よほど自分の体にカネをかけて手入れしているのだろう、優は、3人の主婦たちに比べて、10歳は若く見えた。

こりゃ結婚できないはずだわ…

3人の主婦たちは、声にこそ出さなかったものの、しかし、同じことを、胸の内で思った。


いっぽう、優も優で、3人の主婦たちを見て、唖然とした。

安物の服に身をつつみ、どれだけ美容院に行っていないのか、髪の生え際は色が抜けて、目尻には小じわができているわ、手はカサカサに乾燥しているわ、よくぞまあ、こんな妖怪みたいな醜い姿でJKのコスプレなんぞに挑もうとするなあ、と、かえって感心してしまった。このおばさんたちと並んで歩いたら、私の見た目の若さは、よりいっそう引き立つだろう、誰も私がこの人たちと同い年だなんて思わないだろう、とさえ、考えた。


6.

4人はドンキホーテの中に入り、そして、めいめいが自分の気に入る制服を物色した。

「あっ! この制服かわいー!」

「見て見て! これもいいよ!」

「試着してみよう!」

まるで少女に戻ったかのようだ。

「でもさ。とりあえず、この髪の毛をなんとかしなきゃね。あと、このお腹」

白いベストに赤いリボンとチェック柄のスカートの制服を着て試着室から出てきた絵梨花が、色が抜けてきた自分の髪と日々の晩酌でたるんできた腹をさすりながら、はにかむように言った。

それから、優が、紺の上下にストライプのリボンの制服を着て、試着室から出てきた。

「すごい! 優、違和感ないよ!」

「本物のJKに見えるよ!」

「ちょっと今から高校生にまぎれてきてよ!」

3人の友人たちが、口々に優をほめたたえた。


7.

それから数週間後の週末、4人はJKのコスプレをしてディズニーランドを闊歩した。

たしかに、ディズニーランド内でJKのコスプレをすることは、事実、流行しているようだった。ディズニーランドは夢の国。ここ夢の国において、女は、いつまでもJKであることを、許されるのだ。

しかし、格好はJKでも、体力はおばさんである。朝は大はしゃぎしていたのに、15時ごろになってくると、みんな疲れてきた。疲れたけれど、夜のエレクトリカルパレードを見るまでは帰れない。

「ちょっと休まない?」

誰ともなしに、そう言い出した。

4人は、センターストリートコーヒーハウスで休むことにした。

「私タバコ吸ってくる」

優ひとりだけが、タバコを吸いに、外へ出た。他の3人は、値上がりを機にタバコをやめた。

優は、喫煙所を探した。喫煙所は、たいてい、ひとけのない端のほうにある。

ひとけのない場所をひとりでウロウロしていたら、ミッキーの耳を頭につけて、安い香水のにおいをまとい、そしてラッパーみたいなヴェルサーチのストリートファッションに身をつつんで、されどラップを作らせれば語彙力のなさゆえにロクに韻を踏めないであろう、頭の悪そうな若い男が、声をかけてきた。

「ねえ、きみ、ひとり?」

「ひとりじゃありません。友達と来てるんです」

優は、心の中で、ひそかにおもしろがりながら、答えた。

男は、背が低く、手足も短く、キツネみたいな細い目にダンゴみたいな丸い鼻で、要するにブサイクだった。オネエのミツオちゃんのほうがずっとイケメンだ。ミツオちゃんは背が高いし手足も長いしスタイルいいし目がキレイで顔立ちも整っていて、おまけにおいしいお店をいっぱい知っていて、さらに料理と書道と茶道と華道と着物の着付けの先生をしていて、しかも新宿みたいな下品な街ではなく、麻布という洗練された街でお店も教室も営んでいて、そして高収入で、フェラーリやクルーザーを持っていて、まさに非の打ち所がないイケメンなのに、男を捨ててしまったことが悔やまれる。


ミツオちゃんのことはさておき…

優は、頭の悪そうなブス男と付き合う気はなかった。それでも、目の前のブス男がどうやって自分を口説くのか、それは興味があった。

ブス男の口説きが始まった。

「迷子になっちゃったの?」

「ちがいます。喫煙所を探してるんです」

「ダメだなー。未成年者がタバコ吸っちゃ、ダメだなー」

「私、未成年者に見える?」

「見える。だから、タバコ吸っちゃ、いけないよ。学校にチクっちゃうよ」

「この制服がどこの学校かわかるの?」

「ドンキホーテ学園」

「すごい! どうしてドンキホーテで買ったってわかったの?」

「オレは人の心が読めるのだ」

「じゃあ、さ、私の年齢あててよ」

「17歳」

「違う違う。本当の年齢」

「22歳」

「私、22歳に見える?」

「本当はいくつなの?」

「今年で33」

「33!?」

そこで、ブス男の気持ちは急速に冷めた。いくら若く見えるからって、トシマには興味がなかった。

「33には全然見えないなあ。てっきり女子大生かと思ったよ」

ブス男は、心に思ったことを、率直に述べた。これはお世辞ではなかった。口説く気はもう失せていたのだ。

それでも、優は、自分がまだ口説かれているものと思い、

「なんだよ、未成年者に見えたのって、やっぱり大ウソじゃんか」

と、ブス男のみぞおちを指先で軽く小突いた。

トシマのババアにボディタッチをされたので、ブス男は、おぞましくなって、

「あっ。ごめん。そういえば、オレ、友達を待たせてたんだわ。さいなら」

と、逃げようとした。

「待って」

優は、ブス男を呼び止めると、ブルガリのネックレスをはずし、

「これ、きみにあげる」

ブス男は、ネックレスを両手で大事そうに受け取ると、

「これ、ブルガリじゃないっすか! いいんっすか!?」

「いいよ。女子大生に思われて、すごく嬉しかったから。ほんのお礼」

ブルガリのネックレスをほんのお礼と言って簡単にくれるなんて、このお姉さんはどれだけの金持ちなのだろう。だいいち、お姉さんが身につけているものはどれもこれも高級すぎた。バッグはエルメス、靴はジバンシィのスニーカー、靴下は白のバーバリー、腕時計はカルティエ。ブス男は、偽ブランド品の売り子をしたことがあるので、わかる。このお姉さんが身につけているものは、すべて本物だ。ブルガリのネックレスも本物だ。このお姉さんは、上手に口説けば、ヒモとして養ってくれるかもしれない。トシマに興味はなかったが、しかし、自分をヒモにしてくれるのならば、話は別だ。


ブス男は、ふたたび、優を口説き始めた。

「お姉さん、あざっす。お礼にオレにコーヒーでもおごらせてください」

「友達を待たせてるんじゃなかったの?」

「いや、別にちょっとぐらい、いいっすよ。あいつもどうせそのへんでナンパしてるんだし」

「私も友達を待たせてるの。もっと若い子見つけてがんばりなさい」

優は、ブス男の肩を強く叩いて激励すると、その場を立ち去った。


優が、JKのコスプレをやめられなくなったのは、まさに、この瞬間からだった。


8.

翌週の週末、優はドンキホーテで買った制服を着て、シャネルのバッグを肩にかけ、グッチの革靴を履いて、夜の街に出た。

どこに行こうか迷ってから、新宿に行くことにした。新宿は汚くて臭くて下品だから優は近づきたがらなかったけれど、新宿には知人がいないので、奇行をするにはうってつけだった。

ジャガーをコインパーキングに預けて、不夜城の歌舞伎町を歩く。あいかわらず品のない街だ。この街に集まってくる人間もだいたい品がない。田舎の肥溜めと都会のゴキブリを1か所に集めてできた街が、まさに歌舞伎町だと、優は思う。

歌舞伎町の人間に比べると、ミツオちゃんはなんてお上品なのだろう。ミツオちゃんはまさに絵に描いたような港区民だ。港区はセレブの街なのだ。港区にもゴキブリはいるけれど、港区ではゴキブリでさえ高貴な生き物に見えてしまう。だって港区はセレブの街だから。


歌舞伎町を歩き始めてわずか10分で、優は警官に捕まった。少年課の私服警官だ。

少年課の警官に未成年者とまちがえられたことは嬉しかった。しかし、警官が署に連れていくと言い出したあたりから、事態が複雑になった。

「私は未成年者じゃありません。高校生の制服を着てるだけです。免許証をお見せましょうか?」

優は、シャネルのバッグからシャネルの財布を出し、そしてシャネルの財布から免許証を出して、警官に見せた。

「これはお母さんの免許証じゃないの? だいたい、きみ、その財布といいバッグといい、相当高いんじゃないの? いったいどこで手に入れたの? まさか盗んだんじゃないだろうね。財布の中はお金がずいぶんと入ってるようだけど」

一向に信じてくれる気配がない。

そうしている間に、パトカーのお迎えがやってきた。優は、パトカーに乗せられて、署に連行された。


暗い屋外では顔をよく判別できなかったので未成年者とまちがえたが、しかし、照明のきいた警察署内に連れてくると、たしかに成人に見えるので、ようやく、優は、今年で33歳になる社会人だと信じてもらうことができた。

だからといって、警察がすぐに釈放してくれたわけではない。JKの格好をして深夜の新宿に立つ。これは売春の可能性がある。取調室に通された優は、手荷物を検査されたあと、なぜJKの格好をして深夜の新宿にいたのか聴取され、前科も調べられた。前科がスピード違反しかなく、そして聴取の結果なにも悪いことをしていないことが判明すると、

「われわれ警察は忙しいんです。まぎらわしいことをしないでくれませんか」

と、注意された。

「そっちが勝手に連れてきたんでしょう」

と、言い返してやりたかったが、優ももう大人なので、言いたい言葉を飲みこんだ。


9.

朝が来た。

優は晴れて警察署から釈放となったが、しかし、身元引受人がいなかった。身内の者は遠い田舎の故郷にいるし、会社の者には知られたくないし、ミツオちゃんは頼めば迎えにきてくれるだろうけれど、ミツオちゃんの前職はヤクザで新宿署にもきっと知り合いがいっぱいいるだろうから、やめた。

そうなると頼みの綱は絵梨花だけだったので、絵梨花に電話をかけた。

「もしもし。おはよう」

「おはよう。どうしたの」

「警察に連行されちゃったの」

「は?」

「警察に連行されたの」

「なにをやらかしたの?」

電話の向こうの絵梨花は、苦笑している。

「それはあとで話すよ。もう釈放なんだけど、身元引受人が必要なの。悪いけど、新宿署まで迎えにきてもらえないかな」

「新宿署ね? わかった。すぐ行く」

「ごめん。ありがとう」


絵梨花は電車を乗り継いで迎えにきた。


取調室に通された絵梨花は、思考が停止した。

JKの制服を着た、今年33歳になる同級生が、しかも高校時代は一番の成績優秀者で国立大学に進学して今は一流企業のエリートになっている同級生が、JKの制服を着て警察に捕まっている。この異様な光景を、どう解釈したらよいのかわからず、絵梨花は、思考が停止した。

そこで、絵梨花は、とっさに、取調室にいた警官に、こう言って頭を下げた。

「うちの娘がご迷惑をおかけしました」


10.

警察署を出た2人は、ジャガーを預けているコインパーキングへ向かって歩いた。

「大丈夫だよ。ひとりで帰れるよ」

と、優は言ったが、

「その格好で車を運転したら、また捕まるでしょ?」

と、絵梨花が譲らなかったのだ。


ビルとビルの間からのぞく狭い空は、低い雲に覆われていた。雨は降っていなかったが、雨のにおいがする。梅雨が近い。


「こうして並んで歩いてみると、親子みたいだね」

優がノンキなことを言うので、絵梨花はため息をついて、

「だんだん察しがついてきたよ。その格好で、夜の新宿にいたんでしょ。それで警察に未成年者とまちがえられて補導されました、と」

「正解。免許証を見せても信じてくれなかったんだよ」

「あのさ。TPOってわかる? 時と場所と場合だよ? 今はハロウィンじゃないし、ここはディズニーランドじゃないし、今日は普通の日曜日で、優は15年も前にJKを卒業したんだよ?」

「それはわかってるよ」

「もう… いったい、どうしちゃったの? 優はとても頭のいい子だったのに。昔はこんなことするような子じゃなかったのに…」

「ごめんね」

口では謝るものの、しかし、もはや、誰にも、優の奇行を止めることはできなくなっていた。


11.

次の週末は雨が降っていた。

優は、自分をよりよくJKに近づけるべく、JKの格好をするときは、シャネルやブルガリやカルティエといったオトナ向けのハイブランドを身につけることをやめた。JKの格好をするときは、若い女の子向けのアイテムを身につけるべきだ。

だから、ラコステの黒いリュックサックを買った。コーチの花柄の財布を買った。ポールスミスのウサギ柄のスマホケースを買った。クロエのローズの香水を買った。ダニエル・ウェリントンの腕時計を買った。ティファニーの安めのネックレスを買った。バーバリーのチェック柄のスニーカーを買った。ラルフローレンの紺の靴下を買った。梅雨なので、バーバリーのチェック柄の傘を買った。化粧品と化粧ポーチは… やはりシャネルが自分の肌に一番あっているので化粧品はシャネルのままにしておこう。


港区のマンションに帰るなり、さっそく、制服に着替えて、買ってきたものをすべて身につけてみた。そして、鏡の前に立ってみる。シックな紺の制服を選んだのは正解だった。ラコステもラルフローレンもコーチもティファニーもバーバリーもポールスミスもクロエもダニエル・ウェリントンもこの制服によく似合う。まるで、お嬢さま学校に通う生徒のようだ。


優は、さっそく、このコーディネートで街を闊歩したかった。

しかし、美容院もエステも歯のホワイトニングも予約してあるし、それに持ち帰りの仕事が山ほどあったので、来週の楽しみにとっておくことにした。


12.

6月に入ってから仕事が急に忙しくなった。なにしろジューンブライドの時期である。

「海外へ新婚旅行に行くので1週間休みます」

「子どもが海外で挙式をあげるので1週間休みます」

「私も親戚が海外で挙式をあげるので1週間休みます」

毎年恒例のことである。6月は必ず誰かが海外へ行く。

そして、不思議なことに、6月は必ず誰かが死ぬ。

「嫁のおばさんが亡くなったので嫁の実家に帰ります。1週間休みます」

「祖母のいとこが亡くなったので実家に帰ります。1週間休みます」

「中学時代の同級生が亡くなったので実家に帰ります。1週間休みます」

6月は、結婚式場はもちろん、葬儀屋もさぞ忙しいことだろう。


そういうわけで、6月は、毎年、人手不足で、忙しい。日付が変わる深夜まで仕事をしている日などザラにある。

それでも、優は、次の週末、JKの装いでどこに行こうか考えると、心が躍り、たとえ5人分や6人分もの仕事がまわってきても少しも苦に感じなかった。充実した週末をすごすためには、仕事を残さず週内に片付ける必要があった。木曜日から金曜日にかけては、寝ないで働いた。おかげで、仕事はすべて片付いた。


13.

待ちに待った休日がやってきた。

先週の反省から、JKのコスプレで外を歩くときは明るいうちにしようと考えていた。車も運転するべきではない。

JKの格好で車を運転するべきではなかったが、しかし、優は電車やバスの乗り方がわからなかった。ましてや知恵の輪みたいに複雑にからみあっている東京の地下鉄網は、一度足を踏み入れたら二度と地上に出てこれないような気がして、おそろしかった。

優は、高校に自転車で通っていた。大学時代は寮に住んでいたので、大学まで歩いて通えた。大学時代の夢が車に乗って湘南に行くことだったので、時給が高い家庭教師のアルバイトをして中古のオデッセイを買った。オデッセイを買ったおかげで行動範囲が広がった。そして社会人になってレクサス、ジャガーへと乗り換えた。

そう、優の移動手段はもっぱら車なのだ。飲みに行くときはタクシーなのだ。公共交通機関の利用経験といえば、上京してきたときの夜行バスと、まだマイカーを持っていなかったころに帰省で使った夜行バス、せいぜいこの程度のものだった。


そういえば、絵梨花たちとディズニーランドに行ったときは、普段着でディズニーランドに集合して、更衣室でJKのコスプレに着替えた。ディズニーランドには、仮装を楽しむゲストのために、更衣室がある。

そうだ、この手があった。更衣室を自分で用意すればいいのだ。


そういうわけで、優は、平日のうちに、横浜の高級ホテルを予約した。ホテルが更衣室というわけだ。

そして、待ちに待った週末がやってきた。

この土日は、ホテルを拠点に活動しよう。昼はJKのコスプレで横浜を闊歩して、夜はホテルで疲れた体を癒すのだ。


梅雨の中休みだった。

前日まで停滞していた梅雨前線は大気中のホコリをかっさらって南へ移動し、おかげで澄んだ青空が広がっていた。6月にしては空気がサラサラしていて、気温もそれほど高くなく、まさにお出かけ日和だった。

優は山下公園に行ってみた。家族連れ、カップル、女子旅、etc… 山下公園は多くの人で賑わっていた。

優はまず海を眺めた。はじめて横浜に来たのは、10年前のことだったか。あのときは山下公園の海に感動したけれど、今となっては、なんの感動もない。ただ臭くて汚いだけの大きな水たまりに、船が浮かんでいるだけだ。

海を見てもなんの感動も得られないので、今度は、往来する人を眺めることにした。

公園の中を往来する人たちを眺めて、驚いたことは、JKの制服を着ている女の子がそれなりにいることだった。今日は学校が休みじゃないのか? 修学旅行なのか? それとも、コスプレなのか?


往来する人々を眺めていたら、JKの制服を着た2人組と目があった。2人組は自撮り棒で一生懸命自撮りをしていたが、しかし自撮り棒では納得のいく写真が撮れないらしい。

2人組のうち、背が高いほうが声をかけてきた。

「すいません。写真撮ってもらえませんか?」

海を隔てて見える横浜のビル群を背景に写真を撮ってあげてから、優は、JK2人組に質問してみた。

「今日は学校休みなの?」

「休みです」

「どうして制服を着てるの?」

2人は、顔を見合わせて、笑った。

「お姉さんだって、制服着てるじゃないですか」

背が低いほうが、言った。

お姉さん? ということは、この2人の目には、自分がJKとして映っていないということか。

「私、何歳に見える?」

2人は、ふたたび顔を見合わせて、大学生かな? と言った。

「ありがとう。今年で33になるの」

「え!? ウッソ!? ほんとに大学生に見えました!」

「一緒に写真撮っていいですか!?」

「いいけど、SNSにあげないでね」

「大丈夫です。プライバシーはちゃんと守ります」

背が低いほうが、3人で並んだ写真を、自撮りで撮った。

それから、背が低いほうは、好奇心いっぱいに、たずねてきた。

「どうして制服を着てるんですか?」

「そういう趣味なの」

「その制服新品みたいにキレイですね。高校のときの制服なんですか?」

「ちがうよ。ドンキホーテで買ったの」

「へー。ドンキホーテに制服売ってるんですね。今度行ってみよう」

背が高いほうが、そろそろ行こうと、背が低いほうに目で合図した。

優は、すかさず、

「ねえ、お腹すかない? ごはん食べにいかない?」

と、2人をナンパした。


14.

大人ですら、記念日といった特別な日でもない限り決して入ることのない、中華街の高級店に入った。

店のボーイは、突如やってきたJK3人組を門前払いにしようとしたが、優がアメリカンエキスプレスのゴールドカードを見せると、ボーイは、葵の御紋でも見せられたかのように態度が急にあらたまった。

「個室あいてる?」

優がたずねると、ボーイは、平身低頭に、

「はい。あいてございます」


さて、ナンパしたJK2人組のうち、背が高いほうがナナ、背が低いほうがルナといった。どちらも大量生産みたいな流行の髪型とメイクをしていて、制服も同じだったから、身長差がなければ見分けがつかないところだった。

背が高いほうのナナが言った。

「優さん、いったい何者なんですか?」

「ただの会社員だよ」

「ただの会社員にしては羽振りがよすぎませんか? どこの会社なんですか?」

「なんちゃって女子高生株式会社」

優は、本当の社名を伏せた。この子たちに、じゃあ私もそこに入りますと言わせないように。誰もが名前を知っている大企業で、たしかに給料はいいけれど、ブラック企業だから入ることはオススメできない。

「本当は芸能人だったりして」

背が低いほうのルナが言った。

一口大の小さな前菜が10種類ほど盛られた前菜の盛りあわせが運ばれてきた。

ナナとルナは、前菜の芸術的な盛りあわせ方を見ただけで、まだ食べてもいないうちから早くも感動して、様々な角度から前菜の盛りあわせを写真におさめた。

それから、手をあわせていただきますを言って、小さな前菜を口に運んだ。

「どう? おいしい?」

ルナは、

「おいしいです」

と屈託なく答え、ナナは、

「こういうお店、はじめてだから、緊張して味がわからないです」

と、テーブルマナーに気をつけながら、箸でていねいに前菜を口に運んだ。

「そんなに緊張しなくて大丈夫だよ。ここは個室なんだから。誰も見ていないんだから」

優は、ナナの緊張をほぐすべく、グラスに入ったクラゲの冷菜を豪快に口の中に流しこんだ。ルナもナナも苦笑した。

ナナの緊張がほぐれたところで、優は聞いてみた。

優「ところで、今日は休みなのにどうして制服を着てるの?」

ナナ「うち貧乏だから、ダサい私服しか持ってないんですよ。だから休みの日でも出かけるときは制服なんです」

ルナ「高校時代って3年間しかないわけじゃないですか。この制服を着れるのだって、3年間しかないんですよ。貴重な時間じゃないですか。だから、休みの日でも制服着てるんです」

優「私は今年で33になるけど、制服着てるよ」

ルナ「たしかにそうですね(笑)」

ナナ「ディズニーランドに行けば、あきらかに高校生じゃないのに、制服着てる人がいる(笑)」

ルナ「ハロウィンでもそういう人見かけるよね(笑)」

優「ディズニーランドはよく行くの?」

ナナ「よく行きますよ。年間パスポート持ってます」

ルナ「私らマッドシティに住んでるんです。ディズニーランド近いんですよ」

優「マッドシティ?」

ルナ「松戸市のことです。治安が悪いのでみんなマッドシティって呼んでるんです」

ナナ「優さんはどこに住んでるんですか?」

優「私は東京の港区に住んでるよ」

ナナ「港区! セレブじゃないですか!」

ルナ「やっぱり優さんは芸能人なんですか?」

優「そんなところかな。今日、私に会ったことは、内緒にしといてね」

フカヒレのスープが運ばれてきた。

ナナ「フカヒレなんてはじめてです」

ルナ「私も」

ナナもルナも、まずは写真を撮って、スープの香りを嗅いでから、黙々とフカヒレのスープを味わった。そしてスープを飲み終わった。

ナナ「すごくおいしかったです。こんなにおいしいの、はじめて食べました」

ルナ「本当にありがとうございます」

優「このあとあわびと伊勢海老も来るからね」

ルナとナナは目を見合わせた。

優「ところで、おふたりは彼氏いるの?」

ナナ「いないですねえ」

ルナ「あれ!? まだあのもどかしい輪っか維持したままなの!?」

ナナ「その話やめてよー」

優「輪っか?」

ルナ「優さん聞いてくださいよ。ナナは、ユウマ君のことが好きなんですよ。でも、ユウマ君はサキちゃんのことが好きなんですよ。でも、サキちゃんはヒロト君のことが好きなんですよ。で、ヒロト君はナナのことが好きなんですよ」

優「なるほど。もどかしい輪っかね」

ルナ「そうでしょ!? まるで漫画みたいな話でしょ!?」

あわびのクリーム煮が運ばれてきた。

優「まあ、もどかしい気分は、おいしい物を食べてまぎらわすに限るよ。お食べ」

ナナ「わあ! すごくおいしいです!」

ルナ「ホント幸せな気分になれる…」

優「でしょ? おいしいもの食べたら幸せな気分になれるでしょ?」

ナナ「でも、優さんみたいにお金がある人だったら、こうやっておいしいもの食べて、まぎらわすことができるじゃないですか。私は貧乏なJKだから、こんな贅沢できないですよ…」

ルナ「優さんだったら、どうします? このもどかしい輪っか」

優「ナナちゃんはユウマ君のことが好きで、ユウマ君はサキちゃんのことが好きなんだよね?」

ナナ「そうです」

優「ユウマ君に告白はしたの?」

ナナ「しましたけど、ちょっと待ってくれって言われました」

優「じゃあ、こうする。まず、ユウマ君とサキちゃんを呼び出す」

ルナ「それで?」

優「それで、サキちゃんの前で、こう言う。ユウマ君は、私と付き合うの? サキちゃんと付き合うの? どっちなの?」

ルナ「男なら白黒ハッキリしろってことですね(笑)」

優「期限を設けないと、人はなかなか答えを出さないから、回答期限を設ける。回答期限は10秒」

ルナ「それは一瞬でカタがつきますね(笑)」

優「ナナちゃん、これでどう?」

ナナ「すごい強硬手段ですね(苦笑)。でもユウマ君はなにも言わずに逃げるだろうな」

優「もし逃げたら、ユウマ君はそこまでサキちゃんのことが好きじゃないってことだよ。もしくは、ナナちゃんにも気があるか」

ナナ「じゃあ、ユウマ君は私のことが好きなんですか?」

優「それはナナちゃん自身もうすうす気がついてるんじゃないの?」

ナナ「そうか… じゃあ、ユウマ君は、本当は私のことが好きなんだ…!」

ルナ「でもさ、そうだとしたら、ユウマ君はサキちゃんのことも好きだしナナのことも好きってことになるよ? それでもいいの?」

ナナ「あー… そうなっちゃうんだ… どうしたらいいんだろう…」

伊勢海老のむき身炒め(尾頭つき)が運ばれてきた。尾頭つきというものをはじめて見たナナとルナは、大興奮して、これもまたあらゆる角度から写真におさめた。

しかし、尾頭つきをはじめて見た大興奮もすぐに冷めてしまった。ユウマ君はサキちゃんのことが好きで、そしてナナのことも好きなのだ。

ナナ「優さん。どうしたらいいと思いますか?」

優「どうしたらいいって、この海老の食べ方?」

ナナ「ちがいます。ユウマ君のことです(笑)」

優「ユウマ君が、サキちゃん以上にナナちゃんのことを好きになるように、仕向けたらいいんだよ」

ルナ「駆け引きですね!」

ナナ「どうやってやるんですか?」

ルナ「私も気になる。めちゃくちゃ聞きたいです」

優は、大人の駆け引きを伝授した。


15.

夜8時すぎになって、ようやく、優は、タバコを吸うことができた。


恋愛相談に乗りながらのランチのあと、優はタバコを吸いたくなったので、ホテルにいったん戻ろうとした。制服姿でおもむろにタバコを吸うわけにはいかないので、あえてタバコをホテルに置いてきたのだ。

しかし、ルナとナナが、帰ってくれなかった。ルナの優に対する興味は倍増されてしまったし、最初は警戒心をいだいていたナナも、すっかり優の信者になってしまった。


フルコースのランチですでに満腹ではあったが、それでも、ケーキは別腹である。港の見える丘公園の近くの洋館仕立てのカフェに行って、食後のデザートを堪能した。余計にタバコを吸いたくなった。

デザートのあとは、食後の運動に、港の見える丘公園を散策して、外人墓地や洋館にも行ってきた。3人でたくさん記念写真を撮った。歩くとさらにタバコを吸いたくなった。

夕食はイタリアンに行ってきた。ルナもナナもおいしいおいしいと喜んでパスタをすすっていたけれど、優は、パスタなんかよりワインを飲みたくて仕方がなかった。タバコのガマンも限界を超えていた。


ルナは、ことあるたびに、優のことを知りたがった。

「優さんは、港区のどこに住んでるんですか?」

「麻布だよ」

嘘だ。本当は、麻布からだいぶ離れた、港区とは名ばかりの、家賃が安いエリアだ。

「どんな家に住んでるんですか?」

「マンションだよ」

「どんなマンションなんですか?」

「ワインセラーがある」

嘘だ。ワインセラーなんて、そんなシャレたものはない。ごくありふれた1LDKだ。

「彼氏はいるんですか?」

「いない」

これは本当だ。

「好きな人はいるんですか?」

「好きな人ねえ… デヴィッド・ボウイかな」

「誰ですか?」

「戦場のメリークリスマスに出てた人」

「それは、好きな人じゃなくて、タイプの人じゃないですか?」

「会ったことあるもん。デヴィッド・ボウイに(夢の中で)」

「えー!? 会ったことあるんですか!? じゃあ、やっぱり、優さんは芸能人…!?」

「だから、私は、なんちゃって女子高生株式会社の社員だって」

「じゃあ、次の質問。今までどんな人とお付き合いしてきたんですか?」

「麻布で会員制のバーを経営してて、フェラーリに乗ってて、クルーザーも持ってる人と付き合ってたよ」

これはミツオちゃんのことだ。ただ、ミツオちゃんと男女の関係になったことはない。だいいち、ミツオちゃんには、子どもが8人もいる。まだミツオちゃんがオネエになる前、ヤクザだったころは、女が何人もいた。何人もいた女が子どもを生んだのだ。ミツオちゃんは、けじめをつけるために、男を捨てた。

「そんなすごい人とお付き合いしてたんですか!? その人のことについて、もっと詳しく知りたいです!」

「私も知りたいです!」

ナナまで便乗してきた。

仕方がないので、ミツオちゃんのことを話してあげた。ただし、ミツオちゃんが元ヤクザのオネエで子どもが8人いることは伏せておいた。


16.

夕食のあと、優はタクシーを呼び止めた。

このあとなにがあるのだろうと、ルナとナナは期待しながらタクシーの後部座席に乗りこんだ。2人とも、このミステリアスで変な大人にすっかり魅了されて、帰るそぶりをまったく見せなかった。

優は、窓の外から運転手に6万円を渡すと、

「松戸市までこの子たちを送ってあげてください。お釣りはさしあげます」

「6万円は多すぎる。3万円でもお釣りが出るよ」

と、人のよさそうな運転手が言った。

「じゃあ、帰りの高速代だと思ってください」

それから、優は、ナナとルナにこう告げた。

「ありがとう。楽しかったよ」

「優さん、恋愛の駆け引きについてもっといっぱい教えてください」

と、ナナが懇願した。つづいて、ルナも、

「私も、優さんのこともっといっぱい知りたいんです。優さんはやっぱり芸能人です」

と、好奇心の冷めぬ目で訴えてきた。

「今日はもう帰りな。親が心配するよ」

優は、運転手に言って、タクシーを発進してもらった。


2人を乗せたタクシーを見送ったあと、優はホテルに帰ってきた。時刻は夜の8時をすぎていた。

優は、制服を脱いでシャネルに着替えると、ルームサービスのワインを頼んだ。そして、1日中ガマンしていたタバコを、肺の底まで深く吸いこんだ。

今日はとても楽しかった。現役のJKからいろいろな話を聞けた。特に、恋愛の話がおもしろかった。JKの恋愛は純情だ。好き。これだけの理由でJKは恋をしてしまう。なんとシンプルでストレートなのだろう。じつに聞いていて心地がよい。高校を舞台にした青春ドラマがいつの時代も一定の人気を博している理由が、なんとなくわかった。


17.

ルームサービスのワインが運ばれてきた。

スマホでデヴィッド・ボウイの曲を流し、ワインを飲みながら天国にいるデヴィッド・ボウイの冥福を祈っていたら、ナナとルナからお礼のラインが来た。3人で撮った記念写真もラインで送られてきた。写真に写る3人の顔がかわいくデコられていて、それがいかにも本物のJKから送られてきた写真らしくて、優は笑みがこぼれた。


タクシーのお釣りは、全額、ナナとルナに渡された。このお金をぜひ返したいから、明日(日曜日)も会ってほしいと言う。

優は、2人で分けなと返事を送ったが、それはできないと頑なな返事が返ってきた。

じゃあ、赤十字かどこかに寄付しといてくれと頼むと、寄付のやり方がわからない、優さんがいないとわからないと言う。

要するに、また会いたいってことか。ずいぶんと気に入られてしまったようだ。


人から気に入られることは嬉しかったけれど、どうにも気が乗らなかった。

あの2人の瞳に、優は、いかにも恋愛の達人のごとく、映っていることだろう。だが、優にまともな恋愛の経験はないのだ。

高校生のときは、英語の先生が好きだった。英語の先生には奥さんがいたので、片想いで終わった。大学生のときは、社会人の彼氏がいた。交際してから半年目に、彼氏のほうから、じつはオレは既婚者なんだと告げられ、捨てられた。そこから先は、ワンナイトラブの経験しかない。ワンナイトラブの相手は、ことごとく、妻子持ちばかりだった。

ナナに恋愛の駆け引きを伝授したけれど、恋愛の駆け引き? そんなものは、したことがない。飲み屋で偶然出会った名前も知らない男と意気投合し、酔った勢いでホテルに行く。ことが終わり、次はいつ会える? と聞くと、男は、オレ嫁さんも子どももいるから、と、逃げていく。そこには駆け引きなど一切存在しない。優が駆け引きをするのは、恋愛ではなく、仕事だ。仕事上の荒波みたいな過酷な人間関係にもみ洗いされているうちに、駆け引きが身についた。それだけのことだ。


そう、優は、恋愛の達人ではないのだ。

あの2人に気に入ってもらえたことは嬉しかった。けれども、優は、恋愛の達人ではない。


18.

横浜のホテルは月曜日の朝まで予約してあった。土曜日も日曜日も、このホテルを拠点に、JKのコスプレで横浜を闊歩して、月曜日の朝はホテルから出社するつもりだった。

優は、日曜日の朝、荷物をまとめ、シャネルで身をつつむと、ホテルをチェックアウトした。ジャガーに乗り、横浜新道を、一路、西に向かって走り出した。


2人には、前日のうちに、ラインを送り返していた。

「ごめんね。日曜日は仕事があるの」


ほんの出来心だったのだ。現役のJKがなにを考えているのか知りたくて、ランチに誘っただけなのだ。ランチが終わったら、2人を帰すつもりでいた。まさか、こんなに好かれてしまうとは…


嘘をつくことが苦になったわけではない。恋愛の達人を演じることが苦になったわけではない。

たしかに、現役のJKから恋愛の話を聞くことは、楽しい。だが、その反面、自分の過去の傷をえぐられるような痛みに襲われるのだ。


傷を癒すには温泉が一番だ。

今日は、予定を変更して、温泉に行こう。箱根に行こう。


19.

週が明けた。

やはり今週も誰かが休んでいて、あいかわらず忙しかった。

ナナから頻繁にラインが送られてきた。ユウマ君ふりむかせ作戦の進捗状況の報告と、今後の相談だ。

JKという身分はいいものだ。恋さえしていればよいのだから。

優は、ナナとルナにラインを教えたことを後悔した。写真を送るからラインを教えてくださいと言われて、つい、教えてしまったのだ。

このクソ忙しいときに子どもの色恋沙汰につきあっているヒマはなかった。されど、その子どもを引きずりこんだのは、他でもない、優自身だった。だから、ナナのことを、無下にもできなかった。


20.

もう、JKのコスプレはやめようと思った。楽しい反面、代償が大きすぎる。

次の休日、ナナに会ったら、本当のことを話そう。自分は恋愛の達人ではないし、恋愛の駆け引きだってしたことがない。自分のことを、まるで恋愛の先生みたいに称賛するのはやめてくれ、と。


21.

休日がやってきた。

今日はシャネルの気分ではなかった。

なにしろ、これから若い子に会いにいくのである。こちらも気持ちを若くしなくてはならない。シャネルはお姉さん向けのブランドなのだ。


トップはラルフローレン、ボトムスはリーバイス、靴はルイヴィトンのパンプス。…ダメだ。これでは街でよく見かけるギャルと同じスタイルだ。

ギャルと差別化を図るために、やはりシャネルは持つべきだと思った。バッグと腕時計をシャネルにしておこう。雨が降っているからシャネルの傘も持っていこう。あとはシャネルの香水をつけてカルティエのネックレスを装備すれば、もうギャルではない。


22.

優は松戸市にやってきた。

ルナとナナが、どうしてもタクシーのお釣りを返したいと譲らない。ついには港区まで行くと言い出した。子どもに港区まで来させるわけにはいかないので、優が松戸市にやってきた。


松戸市に来るのは、はじめてだった。なるほど、さすがマッドシティと呼ばれる街だ。みじんのシャレっ気も感じられない。


待ちあわせ場所のスターバックスに入った。優は、スターバックスが好きではない。いつ行っても客が多くてやかましいからだ。でも、JKは、なぜかスターバックスを好む。

カウンターでコーヒーを買って、人ごみの中からルナとナナを探す。2人とも、先週同様、制服姿だった。

ルナとナナは椅子から立ちあがり、

「わざわざ来ていただいてありがとうございます」

と、あらたまった。

「いいよいいよ。高速使えば松戸なんてすぐ近くだからね」

優が席についた。ルナとナナも席につく。

「本当にありがとうございました。タクシーまで呼んでくれて」

「それぐらい、うちの業界じゃ当たり前のことだよ」

しまった。調子に乗って、変な冗談を言ってしまった。やはり、自分は、この2人に会うと、ドーパミンが出てしまう。要するに、楽しいということだ。

ルナとナナが、目を見合わせて笑っている。

ルナ「やっぱり、優さんは、芸能人なんですね」

ナナ「優さんのおかげで、私、ユウマ君と付き合うことができました」

ルナ「そうそう。おかげで、サキちゃんとヒロト君も付き合い始めて、もどかしい輪っか、円満解決ですよ」

優「それはよかった」

たしか、ナナちゃんがユウマ君のことが好きで、ユウマ君はサキちゃんのことが好きで、サキちゃんはヒロト君のことが好きで、ヒロト君はナナちゃんのことが好きなのだったな…

ルナ「これ、タクシーのお釣りです」

優「あの運転手さんもそうだけど、みんなマジメだねえ。もらえるものはもらっておけばいいのに」

優は、シャネルの財布に、お釣りをしまいこんだ。すごい、シャネルだ… というささやきが、2人の口から聞こえた。

優「じゃあ、私、帰るね」

ルナとナナと一緒にすごす時間は、楽しい。本当は、帰りたくない。もっと、たくさん、話を聞かせてほしい。でも、この2人と一緒にすごしたあとは、必ず、陰鬱な気持ちが襲ってくるのだ。

ナナ「もう帰っちゃうんですか?」

優「ごめんね。仕事があるから」

ルナ「芸能人は忙しいですもんね。今度、一緒に、ディズニーランドに行きましょう」

優「ありがとう。じゃあ、そのときは、制服着てくるね」

なんということだ。ナナに本当のことを言いそびれてしまった。しかも、自分には、JKのコスプレをやめる気がない。

でも、ナナに本当のことを告げて、どうするの? ナナのことを捨ててしまうの? それでは、自分が今まで出会ってきた男たちと、変わらないじゃないか。

JKのコスプレだって、やめる必要ないじゃない。というより、また制服を着てディズニーランドに行きたい。昨日までは、制服を処分しようと思っていたけれど、それはヤメだ。


23.

スターバックスを出た優は、シャネルの傘をさして、コインパーキングに預けたジャガーのもとへと向かった。

コインパーキングにたどり着くと、ジャガーの車内をのぞきこんでいる男がいた。

ジャガーのような日本では珍しい車を所有していると、このように車の中をのぞきこまれることが多々ある。別に害はない。屋根はちゃんと閉めてあるし、彼らも、ただ好奇心で見にくるだけだ。そして、彼らは、持ち主がやってくると、たいてい、去っていく。中には、これいくらするの? と聞いてくる人もいるけれど。

ただ、今回は、車の中をのぞきこんでいる男に問題があった。男は、ヴェルサーチのTシャツに、しまむらかユニクロのハーフパンツをはいて、100円の透明なビニール傘をさし、手足は短く、チビでブスだった。

「なにしてるの?」

優が声をかけた。

男は、不思議そうに、優の顔をまじまじと見つめてから、あっ! と声をあげ、

「ディズニーランドにいたお姉さんじゃないっすか」

「それ、私の車なんだけど。盗もうとしてたの?」

「まさか。そんなことしないっすよ。オレに車泥棒の技術はないっす」

「じゃあ、なんの技術だったらあるの?」

「ブランド品鑑定の技術ならあるっす。お姉さんのシャネル高く買うっすよ」

優があげたブルガリのネックレスが、ブス男のヴェルサーチのTシャツの胸のあたりで輝いていた。

優は、ブルガリのネックレスを指先でつまむと、

「チェーン伸ばしたんだね。イカしてるよ」

「あざっす。それにしても、こんなところでお姉さんに会えるなんて、奇跡みたいだなあ。わざわざ品川からマッドシティまでなんの用だったんです?」

優のジャガーは品川ナンバーだった。

「悪の巣窟を殲滅しにきたんだよ」

「ファイナルファイトみたいに?」

「そうそう。なんだかファイナルファイトみたいなスッキリするゲームやりたいな。ヒマだったら、ゲーセンにつきあってくれない?」

優のストレス解消方法が、新たにひとつ増えた。


おわり

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― 新着の感想 ―
[良い点] あまりにもリアルで読みやすく、とても面白かったので一気に読んでしまいました。感想を上手く書けないのですが、本当にものすごく好きです。これからも応援しています。
[一言] むむむむむ 私などとはまるで違う人ですが 何となく優さんは好きです。
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