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団地の花子さんと死にたい死神くんの人生実況解説動画

作者: ゆいレギナ





 私の地元は自殺の名所だ。


 東京外れの団地街。低くても十一階。高いと十七階まである高層団地から飛び降りた人は数知れず。あまりに自殺者が多いので、私が子供の頃に屋上は封鎖された。が、根性ある自殺志願者は、高層階のお宅にピンポン。開けてもらった瞬間にベランダまで猛ダッシュ。そしてそのままアイ・キャン・フライ。そのはた迷惑さと執念は、一周回って称賛ものだ。


 だって、今の私にそんな根性はない。せいぜい長年の土地勘的なもので知っていた立て付けの悪い屋上扉を無理やり開けて、まぁ死ねそうだったら死んでみようかなぁレベルの初心者自殺志願者だもの。


 仕事を早退した真っ昼間。ボブで切りそろえた髪が風になびく。屋上は寒いね。ずぶ濡れのスーツを着たまま、コートもない私には風が冷たすぎるよ。


 空はこんなにも青々としているのに、見える風景は地味すぎる。綺麗な山々が見えるわけでもないし、観光スポットなるビルやタワーが見えるわけでもない。どうせ見下ろしても、葉っぱすらない桜通りをのんびり歩くお婆ちゃんや、一体何しているのかわからないけどずっと座っているお爺ちゃんが見えるだけ。保育園児の賑やかな声が聞こえるのはいいね。若者に幸あれ。私も世間一般じゃ、まだ若者の部類に入るんだろうけど。


 そんな冬のある日、二十四歳派遣社員女性が死のうとしています。


 名前は御手洗花子。自殺動機は、社会人になっても『トイレの花子さん』と虐められたため。


 いやぁ、まさか社会人になって、小学校の頃のいじめっ子と同じ職場になるとは思わなかったよね。しかも相手は正社員でさ。またトイレで水を掛けられるとは思わなかったわ。まぁ、水道ホースじゃなくてスプリンクラーで、トイレで煙草を吸っていたとして規律違反を押し付けられたのはびっくり。相手も成長したぁと、なぜかしんみり。


 担当上司から今日のところは帰れって言われたけど、間違いなく契約切られるよね。あと数時間したら派遣元から「どういうことですか?」と怖い電話が掛かってくるに違いない。うろたえすぎて、思わずコート忘れてきちゃったよ。ここが職場と一駅の距離で良かった。さすがに濡れたままじゃ電車乗れないもん。タオルで拭け? はっ、そんな大きいの持ち合わせているわけがないし、貸してくれる友達がいると思って?


 私が何をしたっていうんだろう?


 しょうがないじゃん。私が生まれる直前に死んだお父さんが「花子」て名付けてしまったんだから。

 しょうがないじゃん。小学生の時に母親が再婚した相手の名字が御手洗さんだったんだから。


 知ったこっちゃないよね。あんたの狙っていた男が「新しく入ってきた派遣好みかも」と言ったなんて。こんな小粒な目でどうやって色目を使えと。てかその男、婚約者がいるって話じゃなかった? そんなにヤリ捨て候補の女が羨ましいの? さっぱり意味わからん。


 だけど、死ぬには十分の理由ではなかろうか。


 奨学金がたんまり残っているのに、派遣はクビになりそうだし。狭い実家に帰ろうにも、血が半分繋がっている妹が受験生だし。弱音を吐ける友達なんていないし。彼氏なんていたことないし。イベガチャは上限まで回したのに推しはすり抜けたし。


 私、頑張ったよ。よく頑張った。こんな名前でよく頑張ったよ。だからもうラクになっていいよね? そうだよね――それなのにどうしてフェンスの向こうで今にも飛び降りそうになっている先客がいるんだあああああああああああああ!?


「ちょっ、待って! こんな所で何しているの? 扉閉まってたよねぇ⁉ 勘弁してよ何で自分が死のうとする前に人の死ぬとこ見なきゃなんないの寝覚め悪い……寝覚め? 死に覚め? なんだか知らないけどとにかく止めてくださーい‼」

「あー今から死ぬ予定の方ですか? お騒がせしてすみません。僕もちょっと死ぬだけなんで。あと少しだけ待っていてもらえますか? ほんとにちょっと。ちょっとだけなんで」


 ホテルで信用してはいけない男ナンバーワンみたいな台詞を吐く白シャツ男は、正直すごくイケメンだった。目鼻立ちパッチリ。肌も白くて、猫っ毛の髪も色素が薄くて儚げ。えーと、外国人かな? まだ若そうだけど、モデルさんかな? てかこないだお迎えできなかった『ミハエル様』にそっくりだけど……とにかく、こんなカッコいい男の子がなんで死にそうになっているかな⁉


「いや、きみ相当カッコいいから! モテモテでしょ? リア充でしょ? それなのにどうして死のうとしているのよ。勝ち組じゃん。人生薔薇色じゃん。生きているだけで丸儲けじゃん?」

「いやあ、いくら見た目が良くても仕事できないと立つ瀬ないものなんですよ。最近動画再生回数伸びなくて……このままじゃクビ……だったらいっそ僕なんて死んだ方が……」

「いやいやいや、仕事なんて一日の半分じゃないですか! そもそも本来は一日の三分の一のはずだけど! でも残りの半分が楽しければフィフティーフィフティー! 人生はプラマイゼロとも言いますし、お仕事で苦労されている分プライベートを――」


 私の必死の説得に、イケメンは自嘲するように肩を竦めた。


「はっ、死神にプライベートなんて」

「そんな投げやりにならないで下さい死神だって友達と飲み明かしたり恋人とデートしても……」


 そこでふと、私の頭も冷たくなる。


「すみません。今、死神とか言いませんでした?」

「あ、はい。言いました。僕、死神なんです。足も影ないでしょ?」

「あ、本当だ」


 よく見ればこのイケメン、太ももから下が透けている。そしてお天気だというのに、本人の言う通り彼から伸びる影はない。


 ん? んんん? これは幽霊とかそういう類の……?


 冬だというのに、背中にじっとりと嫌な汗を掻く。夢か現か幻か。それともすでに私も死んでいたか……いや、私の影はくっきりあるし、少し剥げたヒールも履いている。そろそろ足も痛くなってきたなぁ。


「申し遅れました。僕、こういうものです」


 それは、とても屋上スレスレとは思えない丁寧な会釈だった。フェンスをすり抜けて渡された名刺を、私も震える両手で受け取る。


 ごく普通の白い名刺にはこう書いてあった。


 あの世娯楽提供課所属 溺死(仮)=露喰薔薇――と。





「『ロックベル』と読みます。死神の名前て、死因と好きな名前で構成されるんですよ。カッコいいでしょう? 暴走族みたいで。母親が昔好きだった漫画からイメージしました。母親も喜ぶかと思いまして」

「はあ」


 マザコンか。


 思わず口から出そうになる単語を必死で飲み込む。


 木枯らし吹く屋上の真ん中で、私とロックベル(仮)さんは向かい合って正座していた。仕方ないじゃない。ここには椅子もテーブルもないんだから。だけど彼は「そのまま座ると寒いですよね」と大きな黒い布を折り畳んで、私の下に敷いてくれた。え、このイケメン優しい♡


 でも私は気付かないようにする。私が座布団にしている黒い布は死神のマントかな~とか。彼の横に置かれた長い銀色は死神の鎌なんじゃないかな~とか。私は死んでも気が付かないぞー!


「生きている時は憧れたんですよねぇ、暴走族。喧嘩して、バイク乗り回して、派手な特攻服を靡かせて……モヒカンにもしてみたかったなあ」


 王子様コスプレが似合うだろうイケメンが、キラキラした目を遠くに向けている。うん、夢を見るのは個人の自由だよね。心の中のミハエル様が『僕はそんなこと言わないぞ!』て文句言っているけど、ミハエル様とこの人は別人だもの。生きている次元すら違うもの。死神が何次元の存在なのか知らないけど。


 だけど、色々聞かせておくれ。


「あのー……」

「なんでしょう?」

「死神って……死ねるんですか?」


 てか、聞きたいことがありすぎるよね。他にも(仮)て何だよとか。でもとりあえず気になったのがこれ。その答えはのんびりあっさり返ってくる。


「それが死ねなくて。生者っていいですよね、すぐ死ねて。僕も今まで十三回くらい死のうとしてきたんですけど、もうぜんっぜんダメ。刃物はすり抜けるわ、毒は効かないわ、落ちようとしても空飛べちゃうわ……自殺の名所に来たら変わるかなぁ~なんて思ったんですけど、やっぱり難しそうですね。でもこのままじゃ動画再生回数も伸びないし……僕、どうしたらいいのでしょう?」


 いや、迷子の子猫ちゃんみたいな目で聞かれても知らんし。


 このままお悩み相談される前に次の質問を……てか、なんで私はこの人(?)と話しているのだろう。イケメンだからか? ミハエル様という推しそっくりイケメンだからか? なんだか頭がボーッとするから、そういうことにしておこう。


 あぁ、かっこいい。死ぬ前に実物そっくりさんを拝むことが出来てもう悔いもないよ。南無南無。


 あとは、死ぬ直前に降って湧いてきた謎だらけのモヤモヤを解決するだけだ。


「さっきも言ってましたけど、動画再生回数って?」

「あ、僕『ノーチューバー』なんですよ」

「何そのパチモン感」

「パチモンですよ。人間界で流行っている動画サイトを真似してあの世でも作ったものですから――てなわけで、僕と一緒に実況解説動画を作りませんか?」


 悪気もなしに微笑むイケメン自称死神くんは、両手で私の手を包んでくる。


 え……男の人と手を繋いだのなんて何年ぶりだろう……ドキドキしすぎて胸が苦しい。さっきから現実味がなさすぎて寒気までしてきたよ。


「と、とりあえず……どうして誘う気になったのか説明を」

「生者の方と一緒に実況するとか、視聴率稼げそうな気がしません?」


 オーマイゴッド。神様、あなたの配下であろう死のうとしていた死神くん、すごく長生き出来そうな根性お持ちではないでしょうか。


「実況するのは、生者の人生です。死神パワーで隠し撮りです。それに好き勝手ツッコミを入れてます。もしご協力いただけたら、対象はあなたに選ばせてあげますよ。嫌いな人のあんな姿とか、気になる人のこんな姿とか、盗み見てみたいと思いま――」


 長々と説明されている気がするが、半分も聞けていなかった。


「わかった……わかったから」


 とりあえず寒い。眠い。クラクラする。


「あれ、聞いてま……て、お姉さん! 大丈夫ですか、お姉さん⁉」


 視界が九十度傾いたかと思いきや、暗転する。抱きとめてくれる冷たい胸板を全力で堪能しながら、私はちょっぴり思う。


 こんなイケメンの胸で最期を迎えられるなら、私の人生も悪くなかったのかも。なんて。





 ところがどっこい。目覚めたら見覚えのある天井ではないか。


 やっすいメーカーのシーリングな明かりから顔を背けると、あぁ壁には愛しのミハエル様タスペトリー。だけどまだミハエル様のグッズはそれしか持ってないんだよね。アプリ『まほうの騎士さま』にハマり始めたのはつい最近だし。


 六畳一間の我が家城。なぞの壁に阻まれた向こうに小さい台所がある珍妙さながらも、風呂とトイレが別という素晴らしい仕様の築四十五年の豪邸だ。洗濯機置場がベランダなのはご愛嬌。お風呂は先日壊れてくれたおかげで、ガラガラ回すタイプからボタンピッに進化した。公団様、神。


 ちなみにこの公団団地、巷では『自殺の名所』と言われておりますが、何か? 同じ団地街に実家もありますが、何か? 途中マンションとやらに引っ越したこともありますが、人生の半分はこの団地で育っております花子です。住めば都! 親しめ格安桃源郷!


 元からそんなにグッズにお金をかける方ではない――というか、家賃から想像できる通り、かけるお金がないというか。毎月一万円の課金という税金が目一杯だったりする悲しい派遣人生よ。


 あ、その派遣人生からも転落するんだった。え、これからどうやって税金(課金)を納めればいいの⁉


「やだ来月はMVSのバレンタインガチャもあるのに⁉」

「あ、おはようございます。お加減はいかがですか?」


 ショッキングな現実に慌てて布団から身体を起こすと、お玉片手の現パロミハエル様。

 え、これ夢? 夢か。夢なら問題ないな。


「……ミハエルちゃま、ちゅ~♡」

「熱はだいぶ下がりましたね。濡れてた服は洗濯しておきました。一応下着は手洗いにしておきましたが、もう少し普段から丁寧に手入れした方がいいと思いますよ。もうレースよれてましたし。スーツは別に分けてあります。本当はクリーニングに出しておきたかったんですけど、なんであんなにお財布の中身が少ないんですか? もやしと卵しか買えなかったのですが。てか部屋着っぽいのがそのジャージしかなかったのですが、仮にも二十代の妙齢な女性がそれでいいんですかね」


 おでこに当てられた手がひんやりとして気持ちいい♡


 だけど、なんか夢の中にしては愚痴が現実味帯びているというか、微妙に辛辣じゃありませんか?


 下着なんてネットに入れているだけ気にしている方ですよ。お金がないのは給料日前だから当然でしょ。しかも先週はミハエル様の新衣装ガチャがあったんだから仕方ないじゃん。あの戦いは思い出しただけでときめきがセンチメンタルだわ。この真緑のジャージは高校のです。学年カラーが緑だったんだよ。真っ赤よりよくない? ご不満なら中学の蛍光ちっくな紫ジャージもありますが何か?


 でも、それよりも気になることがある。


「あなたって買い物出来るの⁉」

「気合と根性と時の運が必要ですけど、できますよ。現に、お姉さんにも僕が見えているじゃないですか」

「……私が死にかけてたから特別に見えている、とかではなく?」

「僕の気合と根性で可視化してます。それなりに疲れるんですけどね」


 すげーなミハエル様の気合と根性。私の愛がとうとう次元を超えたとかじゃないんだね。


「ちなみに時の運って?」

「足がないとバレるかどうか」

「あははー確かにー」


 そりゃそうだ。いくら見えても足がなくてこんな風に浮いてたらホラーだもんねー。そのホラーを目の前にして、私は呑気に笑っているけどねー。ミハエル様足がなくてもカッコいいし。最悪生首だけでも顔さえあれば歓迎してたよ、私は。


 今度はミハエル様が聞いてくる。


「てかお姉さん、僕の方がびっくりしましたよ。気絶するほどの風邪って。あんな濡れてたなら風邪引いても仕方ないとはいえ、普通気絶までしないでしょう。心当たりは?」

「ここ一週間くらい一日一食インスタント素ラーメン生活……だったから?」

「なんでそんな生活を?」

「だってお金が……」


 あなた様に追い課金を重ねた結果ですが。まぁ半年に一回くらいのあるあるだよね。風邪引いたのは予想外だけど。だってこんな真冬にずぶ濡れで一駅半歩くとは思わなかったもん。


 私は受け入れて貰えなかった両手を下げて、ジーッとイケメンの顔を見た。


 あ、この白シャツ。ミハエル様じゃねぇ。死ぬ前に会った死神だ。まつげの束感が違う。上唇の厚さが微妙に薄いよ⁉


「は? え? なんで死神くん⁉ え、てかここどこ? 私の家? 私死んだんじゃないの⁉」

「家は死神情報網使って調べさせていただきました。というか、お姉さんやっぱり面白いですね。ただの風邪で死ぬほど年でもないでしょう?」

「いんや! そこは若いからって軽視しちゃいけないと思うのですが⁉」


 だって過労と重なって死んじゃう人とか、喘息こじらして肺炎でって残念なお話もたまに聞くし。風邪だって馬鹿にしちゃあいけない病気だと個人的には思うのですよ! 


 まぁ、私は持病の『じ』の字もないんだけどね! 学校はずっと無遅刻無欠席。これ、地味に唯一の自慢!


 私の真面目な指摘に、死神くんは「たしかに」と苦笑する。あ、この顔イイ。ちょっと大人っぽく見える。しゅき。


 ……てか、それどころじゃねぇ。


「えーと……どうして、えーとロックベルさん? が、うちに?」

「あ、別に『死神くん』でいいですよ。おそらくお姉さんが生きているうちに他の死神に会うことないでしょうし」


 そりゃそうでしょうね! とっかえひっかえ死神に会ってたら命いくつあっても足りませんもの!


 心の中でツッコんでいると、死神くんが小首をかしげる。


「ところで、MVSってなんですか?」


 え、きみが質問してくるの? なんで死神くんが私の家にいるの? とか、お玉持って何作ってるの台所から磯の香りがするんだけど? とか、その台所からガンガン聞こえてくる昭和歌姫パートツーな曲は何? お母さん世代の曲だよね、好きだったらしいよ。たま~にテレビでやってると一緒に歌ってたもん。


 まぁ、そんなことは置いておいてもですね……こっちの方が聞きたいことやまほどあるんですけどこれ如何に⁉


「流行りのバイクや車の車種ですか? それとも最近開発されたワクチンですか?」


 も~、そんなキラキラした目やめて~。答えるから、答えるから~!


「とある有名ゲームの略式です……『マジカルヴィランソード』っていう、男女問わず人気のある元はパソコンゲームから派生したアプリゲーですけど……」

「ふーん。それに登場するのがこのキャラですか?」

「いえ、それはミハエル様です。他の『まほうの騎士さま』という乙女ゲーのキャラです」

「なるほど。お姉さんはゲームがお好きなんですね」


 正直、普通に現代生きている若者なら知らないわけはないんだけどなぁ。死神だからか。死神ゆえん現世には疎いってやつか? まぁ、それはいいとしても……『ゲームがお好きなんですね』と純粋な眼差しで聞かれてしまうと、なんか首を捻りたくなる。


「うーん……好きというか、それでしか生きる意味を感じられないというか」

「大丈夫ですよ。これからは僕と楽しく動画制作の日々が待ってますから。ゲーム好きってことは解説動画とかも観たりしますよね? ものすごい戦力じゃないですか。早く元気になって、これから一緒に頑張りましょうね!」


 両手で手を握られてイケメンにっこりスマイルに思わず目が眩んで掠れかけるけど……かろうじて私は現実にしがみつく。


「え、その動画制作ネタ生きてるの?」

「ネタじゃありません。あなたも同意してくれたじゃありませんか」

「いつ?」

「僕たちが屋上で運命的な出会いをした時です。ほら、この時ですよ」


 死神くんはズボンのポケットから、何かを取り出す。


 それは、あまりにリアルな眼球だった。プルプルうるうるしている感じが生々しく、白目が充血して血走っている感じの一つ目。しかも黒目がギョロッギョロ動いて瞳孔も収縮を繰り返している。


 しかもなぜか、台所の方からドンッと爆発音まで聞こえてくるじゃあありませんか。


「ぎゃ、ぎゃあああああああああああああああ」


 お隣さんうるさくしてごめんなさい。むしろ警察呼んでくださいヘルプミー。


 目の前で体現したホラーに、私は慌てて布団に潜り込んだ。





「お姉さーん、ほら。もうしまいましたから出てきてくださーい。せっかく作ったお粥も冷めちゃいますよー」 


 ガクブルガクブル。四つん這いで枕を抱えて震える私に、死神くんがずっと優しい言葉をかけてくる。


「大丈夫ですよ。眼球くんもジロジロ見て申し訳なかったって反省してますから。お姉さんが可愛くてつい見惚れてしまったようです。だけど小胸だったことに気が付いてもう眼中にないと言っているので、お姉さんも許してあげてくれませんか?」

「小さい胸には夢と希望が詰まっているんだコンチクショー!」


 猛抗議するため、思わず布団から出てしまうお馬鹿な私。そして嬉しそうに微笑むイケメンスマイルにときめきトゥナイトなお茶目な私。


 なんやかんや、お外は暗い。実家から持ってきたデデニーな掛け時計を見れば、もう夜の七時を回ろうとしていた。お腹がぐーっと抗議しても不可抗力だ。


 だけど死神くんは決して笑うことなく、朗らかに言う。


「ご飯にしましょうか」


 立ち上がり、そそくさ準備してきてくれるのは有り難いに尽きるんだけど……あの、格安ちゃぶ台の上に、眼球くんが鎮座しているのですが。チラチラこっちを見ては、頭を下げるように黒目がちょこんと下げられているのですが。そんなプルプル震えないでよ! なんだかこっちが悪いことしているみたいじゃないか!


 しかも隣に置かれた赤く四角い機械……ラジカセっていうのかな。そこからエンドレスに流れる緑の中をまっすぐ進むポルシェな歌声。


 そして「どうぞ」と置かれたお茶碗の中には、黒い粥。焦げたわけではないらしく、よく目を凝らせば赤い液体が掛けられているようだ。


 え、何この地獄絵図。無駄に芳醇な香りがするからこれまたミステリー。死体になるのは私か? むしろすでに死体(?)な眼球くんか?


「あの……もやしと卵はどこに?」

「あーよくよく考えたら病人にもやしは消化悪いから、また明日使うことにしました。卵は入っているので、栄養は満点ですよ」


 イケメンの笑顔はずるい。こんな物騒な代物でも「さぁ、召し上がれ」と言われてしまえば、自然とスプーンを動かしてしまうじゃないか!


 あぁ、こうなちゃ自棄よ。どうせ死ぬなら、イケメンの催眠にかけられて死ぬ! てかそれご褒美! そうだ本望いざ逝かん!


 女は度胸とパクっと一口。口の中で爆発する旨味。旨味。旨味。だけどくどくなく、優しい味わい。だからスプーンの持つ手はドント・ストップ。


「美味しいですか?」


 ちゃぶ台に頬杖つくイケメンをおかずに、私は完食してから答えた。


「うっまいですっ!」

「おかわりします?」

「ぜひ」


 反射的にお願いして、私は陽気に二杯目を頬張ろうとした時――視線に入った。


 あ、黒いマントと鎌が玄関の脇に置かれてる。わざわざ部屋の中じゃなくて玄関の置くなんて気を使ってくれてるんだなぁ、そんな掃除も週一回するかしないかの家だから気にしないでいいのに……と、そうじゃない。


 このイケメン、死神だった。死神の与えてくる食べ物って……。


「ヨモツヘグリ……」

「おや。ずいぶん博識ですね」


 死神の口角がニヤリと上がって――


 いいいいやあああああああああいあいあ。食べちゃった! 食べちゃったよ、私。ヨモツヘグリって口に入れたら最期、二度と現世に戻れないっていうアレだよね。代表の果実はザクロ。え、この赤いのザクロだったのかな。そしてこの私の部屋も神様パワーで作った神隠し的な場所だったり?


 てかなんで気が付かなかったの、私。米なんてなかったじゃん。なかったから激安インスタントラーメンで食いつないでたのに。ばか。私のばか……イケメンなんかに目が眩むから。


 あぁ、死んだ。私死んじゃったぁ!


 まぁ、死のうとしてたんだからイケメンの作った美味しいもの食べて死ねたなら問題ないのかもしれないけど、あ、そうか。死んだのか。え、本当に?


「私死んだの? まじ?」

「ははは。まさか。死人と動画実況しても面白みに欠けるでしょう? そんな勿体ないことしませんよ」

「……私生きてる?」

「生きてますよ。これもヨモツヘグリなんかじゃありません。お粥の材料は台所の奥の方に眠っていた缶詰とかです。お米もちゃんとありましたよ? 掃除まともにしてないでしょう?」

「本当? プレイバックできる?」


 プレイバックってなんやねん――て我ながらツッコミたくなるけどしょうがないじゃん。もうこの曲何周聞かされていると思っているのよ。せめて他の曲にして。


 だけど、そんなトンチなこと言う私に対して、死神くんは真摯に答えるのだ。


「何度だって言えますよ。あなたは生きています。僕が責任もって、あなたを生かします……どうしました? 心細くなっちゃいました?」


 そして死神くんは私の隣に来て、抱きしめてくれる。頭を撫でてくれる。決して温かくはない。死神だから、なのかな。それでも、その包容感は他の何にも代えがたい。


「大丈夫です。あなたは生きています。明日も、明後日も。あなたの命は、僕が繋ぎますよ」


 こんな子供扱いされたのは、いつぶりだろう。それが嬉しくて、死神くんの胸に頭を押し付けようとして……我に帰る。


「……動画のために?」

「はいっ!」

「いやそこで良い返事しないでよ! てか、証拠は⁉ 私、動画協力許可した覚えない!」

「しょうがないなぁ。眼球く~ん」


 死神くんが呼びかけると、眼球くんの目から光が照射される。空中に映し出されるのは、とある屋上の光景。え、なにこの高性能プロジェクター。ハイビジョン映画観ているようなのですが。


 そして、映像の中の私と死神くんの会話は、


『実況するのは、生者の人生です。死神パワーで隠し撮りです。それに好き勝手ツッコミを入れてます。もしご協力いただけたら、対象はあなたに選ばせてあげますよ。嫌いな人のあんな姿とか、気になる人のこんな姿とか、盗み見てみたいと思いませんか?』

『わかった……わかったから』


 この場の死神くんが人差し指を立てる。


「死神とはいえ、これでも『神』と名のつくものです。神様との約束を違えるなんてこと、しませんよね?」

「……仮に違えたとするならば」

「さぁ、どうなるんでしょうねぇ?」


 え、やだやだ怖いよそのにっかり感。イケメンだからこそ胡散臭さ満載感。やだよ~その笑顔だけであとで裏切られるフラグ立っていると思うのですが⁉


「というわけでして、最初のターゲットはどうしましょう?」

「……その嫌いな人のあんな姿やこんな姿ってやつ?」

「そうです。弱味握ってやりたいなぁって人はいませんか?」


 ふと思い浮かんだのは、一見ゆるふわなあいつだ。受付秘書として正社員している同い年の女。小学生と時は同級生を、そして今はしがない派遣社員をいじめて悦に浸っているだろう女。


 にこにこと私の言葉を待つ死神くんは、役目を果たした眼球くんを指先で撫でている。気持ちよさそうに黒目を細めちゃってさぁ……。まったく、こっちの気も知らないで。


 なんでちょっと自殺しようとしただけなのに、死神と動画作る羽目になったんだか。てか、あんたの死のうとしてたんじゃないの? なんか意気揚々としているように見えてしょうがないんだけど。


 まぁ……それでも、私の人間だもの。恨みたい相手の一人や二人はいるわけで。


 私は、その相手の名前を口にした。


「……津田真愛」





 津田真愛。


 真実の愛と書いて『まい』と読む。でも小学生の時、本人は『まあいって呼んで』と言っていたっけ。


 思い返せば、色々痛い発言だったと思う。でも当時は私も可愛い名前だなぁと羨ましかった。そりゃそうでしょ。花子よりは。『まい』も『まあい』もどっちも可愛い。


 そんな津田真愛さんも、今は二十四歳。私は中学校から私立に行ったのでどのような青春を送ったか知りませんが、現在は名前に相応しいとても可憐な女性になっておりました。


 いつも女性らしい透け感のあるブラウスに、膝丈スカート。化粧も品よくばっちりと施し、クルクルに巻かれた髪も、鎖骨下という絶妙な長さで男女共に好感度が高し。身長が平均的な私より低く、その小動物感もモテる要素となっているとかいないとか。


 まさに〇〇系OLと評された読者モデルのような受付嬢が、津田真愛さんという正社員だ。


 電話発注応対や伝票管理という派遣とは全然業務が異なるので、詳しい働きぶりはわからないけど、前に見かけた時は、中国語らしき言葉でお客様の対応をしていた。津田さんは当然純正百%の日本人……のはずです。

英検すら四級で大学指定校推薦の面接の時に『どうして英語だけ成績が低いんですか?』と聞かれた私からすれば、もう尊敬の念しか抱かない。さすが正社員。負け組派遣とは訳が違う。


 ともあれ、そんな女性の頂点たる正社員様でも、人をいじめちゃいけないと思うのですよ。


 てか、せっかく六年制の薬科大入ったのに諸事情で四年で卒業して国家資格も取れず、医療事務として薬局に正社員で入社しても社内の不倫だ横領だセクハラだのトラブルが嫌になり一年で断念したしがない派遣社員を視界に入れる必要すらないんじゃないか? とも思うのですが……どんな事情があれ、私が自殺したくなったきっかけを作ったのが、この津田真愛さんという人物です。


「はい、皆さんおはこんばんは~。今日から人生実況解説動画に新しい仲間をお迎えしたので紹介するでござるよ! なんと生者の……ドコドコドコどんっ! 団地住まいの花子さんで~す! はい、それじゃあ花子さん一言どうぞ!」

「ちょっと待って。色々待って。その口調は何? そんで私きみに名乗ったっけ?」


 いざ動画を撮ろうとテーブルの上を片付けて、リボンをピアスのように付けた耳恵ちゃんが出てきたことなんかもう驚かん。眼球くんがプロジェクターの役割を果たし、耳恵ちゃんが私たちの音声を録音してくれるらしい。

耳恵ちゃんの見た目? ふふ、眼球くんよりプルプルしていなかったよ。


 ともあれ、それじゃあ早速動画を作成しようと二人(?)をセットし、ターゲットの半生を見ながら好き勝手に話してね、と言われて始めた結果がこれだ。


 津田さんの映像見る前からツッコむことになるとは思わないんだ。


 隣に正座している死神くんからはどことなく落ち着く良いかほり……じゃない。急に出てきた早口オタク口調に、思わず眉間を寄せた。


「ちょっと花子氏~。いきなりテンション下がること言わないでくだされ~。こういうのは勢いとノリで流さなきゃだめでしょ? てか、拙者は普段からこのままのアゲアゲくんじゃあございませんかぁ」


 いや、百歩譲って話し方はキャラ作りで流してあげてもいいけどさ、名前。私の名前。黄泉で流す動画とはいえ、私のプライベート情報……。


 本当は一度録画を止めたいところだけど、耳恵ちゃんはずっとブルブルしている。震えている間が録音されているってことらしいけど……私にこのブルブルを止める勇気はない。死神くんも止めるつもりはないらしい。眼球くんもブルブル準備万全のようだ。踏ん張っている。うん、諦めるしかなさそう。


「ごめん。続けましょう……」

「だいじょぶじょぶ。その初々しさも今のうちだから~きっと回数重ねていくうちに『あの頃は~』てネタになるからね。その時を楽しみにしましょうぞ」


 それは優しさか? 励ましなのか? てか何回も動画を撮るのか?


 呆然とする私を置き去りに、死神くんは話しを進める。


「さぁ~て。二人で始める記念すべき第一回のターゲットはぁ……ガラガラガラどんっ。『津田真愛』さん。なんと、花子さんの因縁の相手なんだよね?」

「因縁ってほどでもないと思うけど……」

「二人は小学校の同級生。当時、花子さんは可哀想にこの津田真愛さんにいじめられて、中学進学時に離れられたと思いきや、大人になってから再会してしまったんだよね?」

「そうですね……」


 ん? ちょっと待って。私そこまで死神くんに話したっけ? 津田さんの名前を死神くんに伝えたら『了解』とだけ言われて、そそくさと録画準備を初めて今に至るよね? なんで知ってるの? ねぇ、なんで話してないことを色々知っているの⁉


「いやぁ、なんて可哀想な花子さん……だけど安心してくだされ! その心のモヤモヤ晴らすべく、津田真愛さんのあ~んなところやこ~んなところを見て笑い飛ばしてやりましょうぜ!」


 や、全然安心できないよ? むしろ私ゃきみに安心できないのですが? え、パートナーが一番不安とかダメな結末しか想像できないんですけど?


「それじゃあ、さっそく幼少期から行ってみましょう~」


 その掛け声を聞いて、眼球くんがブルブルし始める。空中に映し出された超鮮明な映像には、可愛らしい幼稚園生が映っていた。どこの幼稚園だろう? 少なくとも、私の通っていた幼稚園ではない。どこかの保育園なのかな?


 死神くんが、当たり前のようにナレーションを始める。


「津田真実ちゃん。東京外れの団地で慎ましく暮らす共働き家族の一人娘として生まれ、貧しいがてら蝶よ花よと可愛がられる幼少期を過ごす。チラシの裏で楽しそうにお絵かきしてますね。花子さんはどう思いますか?」

「どうと言われても……」


 画像に映る家は、とても狭い。多分団地の中でも特に狭い部屋ではないかな。うちより一部屋少ないタイプ。夕飯の献立も卵ともやしを炒めたものだけだけど、小さい津田さんはとても嬉しそうだ。それを小皿に取り、「おきゃくたま」と言いながらお母さんに差し出している。可愛い。めっちゃ可愛い。どうしてこんな純粋無垢な少女が大人になって派遣を蹴落とすような残念正社員になっちゃったんだ?


 眼球くんはひときわ大きくブルッとして、映像が切り替わった。


 映像の中の津田さんが、見覚えのある懐かしい姿になる。


「ランドセルが初々しいっすな。小学校……の入学直後でしょうか? おや、津田さんと遊んでいるのはもしや……」

「あ、私っすね」


 黄色いカバーを付けているから、多分一年生の時。そういや、私の名字が変わるまでは、たまに遊んでいたような。当時は隣の号棟で家も近かったんだよね。『まいちゃん』『はなこちゃん』と呼び合う仲だったと思う。お姫様ごっことかよくしてたっけ? 


 ランドセルにはお揃いのデデニーのキーホルダーが付いていた。たしか津田さんがお土産にとくれたやつ。 


『まあいはシンデレラね! はなこちゃんは白雪姫!』


 映像の中の私たちも無駄にくるくる回ってスカートの端を掴んでいる。そいや、昔からデデニー好きだっけ?


「いやあ、小さい頃の花子氏も可愛いですな~。こんな素朴可愛いむちむちした子供、なかなかいないと思いますぞ」

「デブならデブと正直に言え」

「いやいや、子供はこのくらいムチムチが可愛いってもんですぞ。対してターゲットはイマドキってやつですかな。細くてお人形さんみたいな」


 くそぉ、今は仕事のストレスとお金のなさから標準体重以下だけど、昔はそりゃあ太ってましたよ……津田さんみたいな子の方がモテるに決まっているじゃん私は当然今まで彼氏なんていたこともありませんがなにか? むしろ二次元に三次元が勝てるわけないし。そう勝てるわけが……三次元の男なんてどうせ……。


「おやおや、だけど様子がおかしいですな?」


 隣に座る三次元死神の横顔が超絶美しいぜこんちくしょおおおおおおおお!


 眼球くんがブルッと震えた画面の中。びしょ濡れの小さい私がトイレで泣いていた。小さいといっても、さっきよりは少し大きくなっている。あぁ、これは四年生の時だ。私の名字が変わってしばらくした時。


『一人だけお金持ちになれてよかったねぇ。トイレの花子ちゃん?』


 だって対する津田さんは、ホースの端を持っているもの。


 床にお揃いだったデデニーのキーホルダーが落ちている。これ、このままどっかいっちゃったんだよね。それで良かったけど。


「死神くん。ここは飛ばして」

「どして? 二人の大事なシーンでは?」

「いいから。てか、私を写すなよ。津田さんの動画じゃないの?」


 私がマジトーンで怒ると、死神くんは「おーこわこわ」と冗談臭く肩をすくめる。ムカつく。


 だけど、すぐに眼球くんをブルらせてくれたから、これ以上は言わない。


「まぁ、花子氏が出てくる所は編集でカットしておくとして……中学校まで飛ばしますかね。これなら花子氏出てこない?」

「たぶん?」

「それじゃあ中学校……ターゲットは近くの公立中学校に進学したようっすな。おや、メガネかけてる。ガリ勉タイプ? 意外と垢抜けてないですな。だけど学校の成績は常に上から五本の指に入っていたようっすね」

「まじで?」


 眼球くんの映像を覗き込むと、たしかに津田さんの持つ成績表は最高ランクばかり。小さくガッツポーズしている姿がちょっと可愛いなぁとか思うけど……それを喜び合う相手はいないみたい。家に帰って親に報告しようとしているけど、親は疲れているのかろくに成績表を見ていない。


 ……ちょっと可哀想とか思わないもんね! 津田さんが高校生になっても制服以外はそんなに変わらず化粧っ気もないし。友達からの遊びの誘いを断って試験前必死に勉強しても誰からも褒められないとか……別に何にも思ってやらないんだから! 


「花子氏花子氏、なんかコメントくだされ」

「ノーコメント」

「ひどい」


 そして眼球くんがブルッとする。特待生で有名大学に入学した津田さんが、パソコンに八つ当たりをしていた。津田さんは大学デビューしたようで、メガネも外し、とてもオシャレになっていた。映像の中の顔は、とても苦しそうだったけど。


「なになに……キャビンアテンダントの募集要項ですかな。キャビンアテンダントって、昔で言うスッチーでおっけー?」

「すっちーて誰?」

「スチュワーデスさんの略。飛行機の中のマドンナ」

「マドンナ……かどうかは知らないけど、それでおっけーかと」


 津田さんは、何社もの航空会社に履歴書を送っていた。だけど、どれもこれも書類選考落ち。泣いている津田さんは自分の履歴書の特記欄に書いた身長を何度も何度も修正していた。書いてある数字は、百五三センチ。


「あー、身長が足りないパティーンですな。語学系は試験でも高得点取って、申し分なさそうですし」


 もしかして……小さい頃のお母さんとのやり取りも、スチュワーデスさんの真似だったのかな? そういやそんなこと言っていたような……ううん。思い出さない。可哀想とか思わない。別に小さい頃の夢が叶わなくてもさ、立派な正社員なれてるじゃん。あの会社、外資系薬品メーカーで有名な所だよ。その受付秘書とか超エリート女の花形じゃん。語学もしっかりと役立ててるし、勝ち組だよ。きっと。うん。


 そして、また眼球くんが大きく震えた。そうだよね。無事に薬品会社で持ち前の見た目と語学を生かして活躍している津田さん。お、外の営業さんから告白されてるぞ。今仕事中なのに! しかもお相手もかなり渋めイケメン――おおおおっと、そしたら今度は社内の若手のイケメンが食事に誘ってきたじゃあありませんか! 

あの社内の営業くん知ってる! 先週の新年会で隣に座っていた人! なんかこっちをチラチラ見てはボゾっと「可愛い」言ってきてびっくりドッキリしたと思えば翌週の今日「色目使って!」と津田さんにスプリンクラーハメられたんだ諸悪の原因っ! てか婚約者って津田さんのことなの? 違うよねぇ、津田さんほら、家に帰って可愛らしいクッション抱えて『どっちにしよう~♡』とモジモジしてるじゃん。


 てか津田さん部屋着もモコモコ可愛いなぁ、おい。一人暮らししているのかな。小さい部屋も女の子らしく可愛いアイテムばかり。デデニーのぬいぐるみがベッドにたくさん乗ってるよ。ミハエル様抱き枕を買おうかどうか悩んでいた私とは大違い。でもさすがにあの量はホラーじゃないかな? そう思っちゃう私の女子力が低いだけ? 夜中に動きそうだよSAN値減らね?


 まぁ、これまた雑誌の部屋風スタジオですか? て感じだけど……でも赤い机の上に置いてある瓶、でかいね。焼酎かな。そのまま掴むの? そのまま呑むの⁉ ぷふぁ~て。おつまみはスルメイカ? てかそんな胡座掻いていると見えちゃうよ? ショートパンツなんだし。まぁ家で一人のつもりだから見えてもいいのか、誰も盗撮しているとは思わないもんね。気も抜けて当然だよね~おうちだもん。


 でも……手を突っ込んでおしりボリボリ掻くのは、オッサンすぎやしませんか?


 ともあれ、社会人になってイケメン二人から告白(?)されて浮かれている津田さんの映像はもうお腹いっぱいです。


「花子氏花子氏。これ実況解説動画ですから。初回だから上手いこと言えとは言わないけど、だんまりはちょっと困る」

「いやぁ……だってさぁ。見るたびに虚しくなってくるんだもんよ。なに、この両手に花。どっち選んでも勝ち組じゃん。まぁ美男美女が結ばれるのは当然の摂理なのかもしれないけど……てか、こんな幸せならなんで私がまたいじめられなきゃいけないの。この映像の時いつ? 先月? 津田さんでも社内の営業くんと付き合っているって話ないけどなぁ。社外のイケメンにしたの? それだったら私が僻まれる筋合いなんてないはず――」

「そうは問屋が卸さないんですな~」


 ぐちぐち考えていた私の隣で、死神くんがニヒルに笑う。あ、悪役(ヒール)っぽい抱いて♡


 ――と、現実逃避するにはちょっと気になりすぎるよね。


 再び眼球くんがブルッとしたので、映像を見る。


 部屋が変わっていた。この親近感わきまくる地味ぐちゃな部屋は実家かな? 津田さんのご両親らしき二人がニコニコしていた。


『真愛、喜べ。見合いの話を持ってきてやったぞ』

『え?』


 お父さんらしき人が、立派な写真を出していた。その写真に映るのは、小太りの冴えないオッサン。


『この人な、お父さんの会社で取引のある社長さんの息子さんでな。真愛のことを話したら、ぜひ嫁にと言ってくれているんだ』

『え? だからお父さん、どうしてわたしがお見合いしなくちゃいけないの?』


 目を白黒させる津田さんに、お母さんからの背後射撃が入る。


『お父さんの会社ねぇ、また少し危ないのよ』


 それに、津田さんは閉口した。またって。それにお父さんが『母さん』と慌てて制止させようとしているけど、お母さんは淡々と話していた。


『この結婚がうまくいけば、その取引相手と長期のいい契約が結べるの。そうすれば、お父さんの会社も安定する。こんな団地から、ようやく脱却できるのよ』

『でもね、お母さん。わたしまだ二十――』

『真愛にだって、悪い話じゃないのよ? 結婚したら、向こうさんが実家の近くのマンションを買ってくださるって。文京区よ。ここよりずっと都心。あなた好きでしょう?』

『それはそうだけど……』

『それに、真愛には家庭に専念してもらいたいと仰っていただいてるの。専業主婦よ。今どき、こんないい話ないじゃない?』

『でも!』


 津田さんが口を挟む間もなく――お父さんが、ドンッと机に手と頭を付いた。


『頼む! 父さんと母さんを救うと思って、どうか会うだけでも会ってくれないかっ!』


 うわぁ……きっつ。親の土下座(に近いやつ)なんて、本当無理。断れないじゃん。


 案の定、津田さんも『とりあえず会うだけなら……』と了承して。


 眼球くんがブルッとする。


 どこぞの立派な料亭で、津田さんは綺麗な着物を着ていた。津田ファミリーと対面するのは、なんかお金持ちそうなオッサンファミリー。


 お見合いは和やかに進んでいる。肝心な見合い相手の四十歳くらいのオッサンも優しそうで、結婚後はいかに津田さんに苦労させないか、とか。ご飯もたまに作ってくれたら嬉しいなあ、とか。子供もできたら嬉しいけど僕が年だからできなくても仕方ないよね、とか。うん、すっごく良い人そうだ。


 それに、津田さんも断るに断り切れない様子で……眼球くんがブルすると、津田さんはそのオッサンからキラッキラの婚約指輪を貰っていた。夜景の綺麗なレストラン。緊張で少し震えているオッサンに、どうも煮えきらない津田さん。オッサンはそんな津田さんに指輪をケースごと渡しながら、気丈に微笑む。


『真愛さんの気持ちが固まったらでいいから。そうしたら、返事が欲しい』


 そこで、眼球くんが動きを止めた。映像はおしまいらしい。


「これが先月去年のクリスマスの出来事みたいだね。そして年が明けて、そのストレスの捌け口として花子氏がハメられたわけだけど――花子氏、何かコメントは?」


 テンション変わらずの死神くんの横で、今度は私が小刻みに震えていた。


 何なのよ、何なのよ……津田さん。あんたはなんて本当に――


「花子氏?」

「し・あ・わ・せ・じゃあああああああんっ!」


 私、御手洗花子。二十四歳クビ目前の派遣社員。彼氏なし歴=年齢――渾身のコメントを絶叫した。





「ところで、盗撮って死神界じゃ悪いことじゃないの?」

「合法ですね。その生者の生き様も見れないと、天国行きか地獄行きかも判断できないじゃないですか」

「なるほど?」


 これでも一応病み上がりの私。全力の絶叫で喉を痛めないわけがない。


 てか、空腹&風邪でぶっ倒れるほど具合悪かったわりには、結構元気なんだよね。明日普通に会社も行けそう。行く会社がないけど。えへへ。


 ……ともあれ。咳き込む私を見かねて、死神くんが食器を洗うついでにはちみつレモンを作ってくれるという。台所にいる彼の細い腰。小さなお尻。細身の黒いズボンが似合うすらりと伸びた長い脚。眼福ですご馳走さまでした。


「簡単に、こちらの話をしておきましょうか」


 ぱっぱっと濡れた手を払って、死神くんが蛇口を締める。


「僕らの主な生息地区はあの世、俗に黄泉と言われるところです」

「地獄じゃないの?」

「天国や地獄はまた違う場所ですね。生者の皆さんが生活している現世を中心とするならば、天国は上、地獄は下、黄泉は裏、といったところでしょうか」


 うーん……わかるようなわからないような?


 マグカップひとつ持って帰ってきた死神くんの話を、私は黙って聞く。そしてこっそりとラジカセの音量を下げた。本当は消したかったけど、タイミングよく歌姫に『ちょっと待って』と言われたらどうにも消しづらい。


「黄泉とは、お亡くなりになられた生者の魂の待機場所ですね。先ほど言った通り、閻魔さまが魂の行き先を審判し、その後決められた場所で死者として生活することになります」


 おー、出たでた閻魔大王。地獄でふんぞり返っているイメージだったけど、けっこう重要な役割を持つお偉いさんらしい。今からでも媚を売っておいたほうがいいのかな? ドッキリマンチョコのシールとかお供えしておく?


 ひとまず、出された飲み物は普通のはちみつレモンっぽかった。白い湯気の下には、黄金の液体。甘酸っぱい香り。しいて言えば、マグカップがMVSのキャラクターであるレイチェルのミニキャラがウインクしていることくらい。うん、わかるよ。これが一番新しそうだったんだよね。だってかばんに付けているレイチェルの武器モチーフアクキーと一緒に、コンビニの二番くじで当たったばかりだもの。とほほ。こんな食器しかなくてサーセン。


「僕たち死神は、現世から黄泉に案内するのが主な仕事です。僕以外は」

「……僕は娯楽課なんだっけ?」

「そうです。恥ずかしながら、どうにもその本来の仕事がうまく行かず……左遷された結果、不眠不休で働く死神たちに少しでも心の休息を与えよ、と閻魔さまに命じられました」


 うーん、この話の流れはあれかな。死神くんがトーンダウンしちゃうやつかな?


 話を逸らそ。


「死神って不眠不休なんだ?」

「人間と違い、体力って概念がありませんからね。なにせ身体がありませんし。死神は、死んで閻魔さまが天国か地獄か審判できなかった人たちがなるものなんですよ。その死神としての仕事ぶりを見て、審判することになるんです。だからみんな、それはもう一生懸命働いてます。みんな地獄は嫌ですからね」

「なんで判断できないの?」


 だって、その人の人生のあれやこれを全部見て判断するんでしょ?


 ストレートに聞くと、死神くんが台所から戻ってきて、私の隣に座る。


「色々例はありますが……まず簡単なのが、若くして亡くなってしまった場合でしょうか。善悪の判断がつく前の子供の魂がひとつ。あとは親より前に亡くなった場合も含まれます。『最大の親不孝』との言いますしね。どれだけの人をどれだけ悲しませたか。どれだけの人をどれだけ喜ばせたか。その大小は紙一重です。人の善悪を判断するのは、神様にも難しいことみたいですよ」

「なる……ほど?」


 つまり、目の前のイケメン死神くんもそのどれかに当てはまるということなんだけど――あ、こいつしれっとラジカセの音量あげやがった。


「ちょっ、なんで音量あげるの⁉」

「それはこっちの台詞です。なんで勝手に下げちゃうんですか」

「だっていい加減うるさいんだもんよ」

「別にまだ寝るわけじゃないんだからいいじゃないですか。いい歌でしょ? 僕好きなんですよ」

「歌自体をどうこういうつもりはないけどさぁ、でも同じ曲をエンドレスされるとさすがに――」

「家事と看病をこんなにされておいて、曲の一つも好きに聞けない僕、可哀想……」

「へ?」


 すんすんと鼻を鳴らして目を拭う死神くん。それ泣き真似! 涙出てない! 嘘泣き!


「あーあ。僕って本当不憫な死神だなぁ。仕事ができないからってよくわからない部署に左遷されて、そこでこんなにも頑張っているのに報われず、仲間にもこんなにも尽くしているのにちょっと好きな曲を聞きたいってわがままも許されず……あぁ、絶望した。こんな死神人生に絶望した! 死のう、もう死のう……僕なんて生きていてもしょうがないんだ、むしろごめんなさい。生きていてごめんなさい。僕なんかがのうのうと死神していてごめん――」

「あああああああもう、めんどくせええええええ!」


 私が頭を抱えると、死神くんの横目が刺さる。


「面倒くさい? 面倒くさい死神でごめんなさい死にます今すぐ死にます。あ、ちょっとベランダ借りますね。ここ四階か……打ち所が悪ければワンチャン?」

「ちょっと待ってよごめんってばー!」


 のそのそベランダに出ようとする死神くんのシャツの裾を引っ張る。あら、乱れたお姿もまたセクシー♡


 昔の歌姫が、同じ曲を何度も何度も歌っている。もう色々騒がしいから、私は気が付かなかった。


 かばんの中に入れっぱなしのスマホが、一度も鳴っていないことに。





 翌朝、私の目覚めはすこぶる良かった。お目々パッチリ。身体スッキリ。ベランダで雀がちゅんちゅん鳴いていても全然イラッとしない。しかもお味噌汁のいい匂いまでしてきたらときめきしか感じない。


「あ、おはようございます。顔色もずいぶん良いですね。さすがに一晩で回復するとは予想外でした。やっぱり生者は単純でいいですね~。美味しいもの食べてたくさん寝れば、簡単に元気になるんですから」

「おかげさまで……?」


 嫌味なのかな? 私が馬鹿だと言いたいのかな? 喧嘩を売っているのかな? そもそもなんで当然のように今朝も死神くんがいるのかな?


 死神くんの格好は変わらない。今日も白シャツに黒いズボン。玄関の脇にはご丁寧にマントが畳まれ、鎌が立てかけられている。うん、このまま長居するようなら、ハンガーを買ってあげよう。最後のお給料が入ったらね。てか普通のハンガーでマントってかけられるのかな?


 そんなことを考えていると、かばんがブルブル震えている。まさか眼球くんが⁉ て一瞬驚いたけど、そんなわけない。普通にスマホに着信が入っているだけ。だよね、知ってた。


 あ、会社から。派遣元からじゃない。派遣先の薬品会社から。


 生唾を飲み込んでから、着信ボタンを押す。そして恐る恐るスピーカーに耳を着けると、課長の気まずそうな声がした。


『あー、御手洗さん? 今どこにいるのかな?』

「あ、家ですけど……」

『そっかあ。それじゃあ、とりあえず時計の時間を教えてもらえるかな?』

「はい?」


 壁のデデニー時計を見やれば、短針は十、長針は六。


「十時半ですね」

『遅刻だね』


 そうですね。始業開始時間は九時だから、ばっちり遅刻ですね。

 でもね、課長代理。私クビになったんじゃないんですか?


「出勤……してもいいんですか?」

『具合悪い? いっぱい濡れてたから、インフルエンザにでもなっちゃった?』

「いえ、すこぶる元気です。階段スキップで上れそう」

『それじゃあ出勤しようか。僕、昨日は帰れって言ったけど、今日来るなとは言ってないよ?』


 私はなんとなく、死神くんを見た。


「お弁当なら出来てますよ」


 カーテンを開けてくれている死神くんに後光が差して、神様のように見えた。





 出勤するとなると、嫌でも通るのが受付だ。

 今日もお上品な制服を着た素敵女子たちが愛想笑いをしてくれる。


 しかも、そのうち一人は特別に声までかけてくれた。


「御手洗さん、よく眠れた?」


 彼女の胸のネームプレートには、私の知った名字が書いてある。


 『津田(TUDA)』。


 おかげさまで。それだけの言葉を、私は思っても口に出すことができない。





 遅刻したら、まずすること。


 当然、上司への謝罪だ。


「申し訳ございませんでした」

「僕の方こそごめんね。昨日は言葉が足りなかったねー」


 朗らかに笑うぽよんとした五十代半ばのオジサンが、私の担当上司の佐藤さん。年相応に髪も薄くて、年相応に歪んだ腹をしている、確か私と同じくらいの年の娘がいる課長代理さんだ。


 佐藤さんが「風邪引いてなくてよかったよー」と言ってくれている一方、課長さんはもっと偉そうな席で私を睨んでいる。


 うぅ、ですよね。問題起こした派遣風情が遅刻とか、ありえないですよね。どうせならもう来んなよ、て思いますよね。


 だけど、そんなのを一切気にしない課長代理佐藤さんは言う。


「それでさ、僕も仕事だからさ……ちょっと場所を変えてもいいかな。昨日のことを聞きたいんだ」


 その優しい口調の提案に、拒否権はない。だって『?』が付いてないもんね。提案のように見せかけた命令だ。


 だから私は「はい」と答えるしかない。


 そして空いている会議室で、課長代理と二者面談。課長さんが来なくて良かった~。どうもあの課長さんとこの課長代理さんは仲が宜しくないらしい。課長さんの方が若いから気まずいのかな。だけど、二人の間に何があったかなんて、派遣風情には知る由もないんだけど。


 ともあれ、課長代理佐藤さんは言った。


「それで? タバコ吸ったの?」

「吸ってません……」

「でも、受付の津田さんが御手洗さんはヘビースモーカーだって言ってたよ。幼馴染なんでしょ?」


 小学校の同級生は事実なので幼馴染になるのかもしれませんが、まったく仲良くありません。むしろ私は嫌いです。昨日だって「まぁ~たトイレで濡れてるの? さすが『トイレの花子さん』だね」と仰っていただきましたから。そんな昔なじみ、幼馴染なんて認めたくありません。


 てか、タバコなんて吸ってませんよ。というか、吸ったことありません。


「一応さぁ、ここご存知の通り薬品会社だからさ。たとえ部署が発注管理で実際に薬が手元にあるわけじゃなくても、社内イメージとかもあるしね。まぁ、そうじゃなくても喫煙所以外でタバコ吸ったらダメでしょ。マナーだよ」


 だから佐藤さん、私タバコ吸ってないです。てか、タバコ買うお金すらないですよ。税金かなんかでどんどん値上がっているじゃないですか。あんな高いもの買うくらいなら、一回でも私しゃガチャを回したいです。


 私がじっと項垂れながら、両手をギュッと握る。


「でもねぇ、昨日のスプリンクラーは全部御手洗さんの責任ってわけじゃないんだよね」


 どういうことでしょう?


 私が少しだけ視線を上げると、パイプ椅子に座った佐藤さんがスーツのポケットから取り出したピンクのタブレットケースをシャカシャカ振っていた。


「知ってた? スプリンクラーって、普通そうそう動かないんだよね。熱を感知してから放水されるはずだから……タバコの煙くらいじゃ、動くはずがないんだよ。その前に火災警報器が鳴るはずだしね」

「はあ……」

「スプリンクラーが作動したって真っ先に報告してくれた津田さんにも詳細聞いたんだけど、御手洗さんがトイレでタバコ吸ってただけって言ってたしさ。昨日点検に来てくれた人によれば、整備不良による事故だろうってことだよ。定期点検はやってたはずなんだけどね」


 えーと……この話はあれかな。もしかして――


「そういうわけで、御手洗さんへのお咎めはタバコは退勤してから外で吸おうねってことで。普段も真面目に働いてくれているし、派遣元へ報告はしないでおくよ。ただ、社内雇用のことは、ちょっと難しくなっちゃうかも」

「はい……」


 くそぉ。この会社に派遣されて一年半。このまま行けば社内雇用されて正社員も夢じゃないかもって思ってたのに……でも今日明日の食い扶持に困ることはなくなったらしい。良かった……良かったのかな?


「でもね、御手洗さん」

「はい」

「こういう時くらい、もう少しお話してね。人見知りをもう少し直さないと、どこへ行っても難しいと思うよ」


 そして佐藤さんは、ピンクのタブレットケースを私に渡してくる。


「まぁ、口寂しくなったらこれでも食べて頑張ってよ。残り契約期間内よろしく。それじゃあ、少し早いけど先にお昼入っちゃってねー」


 ……はい。完全なる内弁慶ですごめんなさい。


 立ち去る佐藤さんの背中を見届けて、私はもらったタブレットを見た。ピンクグレープフルーツ味。試しに開けて食べてみたら、少し崩れたピンクの塊は想像通り甘酸っぱい。





 そして早いお昼ご飯を食べるために、いつもの近所の緑道へ。


 当然受付の前を通らなきゃならないのだけど、そこでも優しい受付嬢件昨日のスプリンクラー事件第一発見者の津田さんが「御手洗さんもうお昼なの? 体調悪い?」と声をかけてくださる。


 ここで「お家で一人で呑む一升瓶は美味しいですか?」くらい返してやりたいところだけど、そこは内弁慶の悲しいサガ。そんな上手いことは言えません。


 だんまりで通り過ぎ、緑道の自販機でお茶だけ買って、近くのベンチでかばんを開いた。アルミホイルに巻かれた三角のものをゆっくり開けば、シンプルな大きいおにぎりの姿。


 食べても食べても、具は出てこない。

 だけどほんのり効いた塩味が、たまらなく美味しかった。


 これを食べたら、またタブレットを食べよう。やったね、今日はデザート付きだ。


 あーあ。今日も空が綺麗だなー。





「死神くんってさ、喋りやすいよね」

「運命の相手ですからね」


 もうやだ♡ こんな永続派遣社員を口説いてどうするつもり♡


 家に帰ると、今日も昔の歌姫の『ちょっと待って』が出迎えてくれる。でも待たないよ。この団地の六畳一間が私のホームだもん。


 そしてやっぱりいた死神くんに「おにぎりありがとう」と言えば、「お粗末さまでした」という言葉が返ってきた。


 だけど死神くんは「うーん」と唸ったまま机から動かない。正確にいえば、テーブルの上に乗せられた眼球くんと耳恵ちゃんを両手でくりくりしたまま動かない。


「ところで……何をしてるのかな?」

「昨日撮った録画を編集してます」

「そっか。首尾はどうかな?」

「……やっぱり僕なんて死んだほうがいいのかも」


 はぁ~~~と、深いため息を吐いて、死神くんがうなだれる。


 眼球くんからは、昨日見た津田さんの映像が流れていた。しいて昨日と違う点は、画面の端に首だけの男の子と女の子がピョコピョコ飛び跳ねていることか。そして耳恵ちゃんからは私と死神くんの声が聞こえる。


 私は映像の首だけ女の子を指差して聞いた。


「このおかっぱで赤いリボン着けたのが私?」

「そうです。似てるでしょう?」

「なんか、まんま『トイレの花子さん』じゃね?」

「違うますよ。『団地の花子さん』です。リボンがフリフリでしょ?」


 ……まぁ、確かにリボンがレースっぽくてフリフリしているけど……え、いいの? 著作権的なのとか、大丈夫なの?


「……それで、なんでそんなに落ち込んでいるのかな?」


 正直言えば、お腹が空いた。お昼休みの後は普通に働いて。だけど居づらいから定時で上がらせてもらって(元から残業代節約で派遣は定時帰りを推奨されているのもある。優良企業ありがとう)。だからまだ夕方の六時すぎではあるんだけど……空いたものは空いたのだ。


 だけど、死神くんの様子からに今日はまたインスタントラーメンかなぁ、まだ残ってたっけなぁ、とか考えていると、死神くんが言う。


「あ、夕飯ならすぐですよ。昨日のもやしをラーメンにトッピングしようかと」

「お、豪華!」

「……本当に豪華絢爛なラーメン作ったら、お願い聞いてくれますか?」


 え、なんだろうお願い。お金ならまだないよ。あと三日待って。給料日まで待って。


「も~~~ちょっとでいいから、ちゃんと喋ってください~~」


 死神くんがどんっとテーブルを叩いて懇願してくる。


 私はぽかんとしながら、とりあえずかばんを置いた。


「え、死神くんとはそれなりにお話できているつもりだったんだけど……なんか喋りやすいし」


 あれかな。出会いが唐突すぎて色々展開も唐突すぎたせいかな。油断するとすぐ「死にたい」というから面倒だけど、会社とはうって違ってちゃんとコミュニケーション取れてるなぁと自負していたのに……。


 私がショックを受けていると、死神くんが嘆息した。


「違いますよ。僕に心開いてくれている点は感謝してますし、僕も花子氏と楽しくおしゃべりできて嬉しく思ってます」

「ありがとう。でも普段の呼称も『花子氏』になっちゃったんだね」

「もっと動画内で喋ってくれって言っているんです!」


 あー、それ? そっちなの? なーんだ。急にどうでもよくなってきたぞ。


「えー、あれじゃあダメだったの? 寡黙な花子さんキャラじゃダメ?」

「ダメですよ! もうつまらないんです。ほんっとーに動画がつまらないんですっ!」

「えー」


 ブーブーと口を尖らせると、死神くんの目がうるうるしていた。え、ミハエル様の涙? しかも何その可愛い顔は……あ、ミハエル様じゃない眉毛の生え際の毛流れが違う。でもイケメンの半泣き顔はなんのご褒美でしょうかご馳走さまです。


 でもさー、つまらない文句言われてもさー、こっちも思うところはあるわけですよ。


「でもつまらないの、私だけのせいじゃないんじゃないの?」

「……どういうことですか?」

「だって、津田さんの半生ぜんぜん面白くないじゃん」


 私の言葉に、死神くんは心底まじめに首を傾げた。


「そうですか?」

「そうに決まってるでしょ! あんな幸せライフ見たって胸糞悪いだけでしょーがっ!」


 あらやだレディが『糞』なんて口にしたらはしたないわ♡


 でも事実は事実だもんねー。嫌いなやつの幸せなところ見たってどこが面白いのか。でも視聴者からしたらそうでもないのか? 私の性格が悪いだけ? でも私が面白くなかったら面白いコメントというのもできないものじゃあなかろうか。


 うん。だから多少口が悪い結果になろうとも、これも死神くんのため。うん、わたしゃ悪くない。


「……そういうことなら、続きを見てみましょうか」

「え、続きあるの?」


 死神くんが、またくりくりと眼球くんと耳恵ちゃんを操作しだす。


 そして、眼球くんがブルッと大きく震えた。


 おずおず死神くんの隣に座れば、映し出されるのは津田さんの家。おー、おうちデートってやつじゃん。小太りな婚約者のオッサンもいるぞ?


「これってリアルタイムなの?」

「いえ、昨日の映像ですね。ちょうど僕らが過去の彼女を見ていた時間帯です」

「なるほど」


 まぁ、リアルタイム生中継はできないシステムなのかな。


 それはそうだとしても……おうちデート覗き見るってヤバくない⁉ あれでしょ、おうちデートって映画とか見てたら徐々にイチャイチャしだしてしまいにゃ映画そっちのけでにゃんにゃんしちゃうもんなんでしょ? 私したことないけど!


 えーやだよー。そんなの見たくないよー。思わず両目を覆おうか思ったけど……なんか雲行きがおかしいぞ?


「おやおや、喧嘩してますな」


 死神くんがニヤリと笑う。


 今日はお部屋に一升瓶が置いていない。純粋たる乙女な部屋で乙女な部屋着を着た津田さんが、スマホを婚約者に見せていた。


『ほらほら、やっぱり素敵でしょ、デデニー婚。口コミ見ても、『やって良かった』『一生の思い出』て良いことしか書いてないですよ!』

『でもねぇ、やっぱり予算がねぇ……こっちの結婚式場だったら、同じ金額出すならもっと豪華な料理にできるよ?』


 対して、婚約者が見ているのは数字がたくさん書かれた用紙。なんだろ、見積もり書? 


 えーやだー。今はもしや結婚式の相談ってやつですかー。色々下見に行って、どこで挙げようか悩んでいるってやつー? もう勘弁してよやっぱり幸せ絶頂じゃーん。


 幸せな喧嘩は続く。


『ほら、やっぱりシンデレコのドレス素敵ですよ!』

『そうかなぁ。オーダーでウエディングドレス仕立てもらった方がいいと思うけど。お色直しに似たようなドレス探そうよ。真愛さんならもっと清楚なドレスの方が似合うと思う』


 確かに、コスプレにしか見えないよね。


『見てみて、このリッキーのウエディングケーキ可愛い♡』

『どこの会場も追加料金払えば特注できたと思うよ?』


 ぶっちゃけケーキの形って『わぁ』の一瞬で終わるよね。どうせぶった切るんだし。


『し、しかし直接リッキーにお祝いしてもらえるのはやっぱりデデニーだけ……』

『でも二体以上は一体に付きいくらの追加料金かかるみたいだよ。全キャラ足したら……うわ、見ない方がいいかも。それこそ夢が覚めちゃうよ』


 おおう、本当にお金かかるなデデニー婚。


『でも式のあと素敵なホテルで一泊……』

『新婚旅行でロサンゼルスのデデニー行くし、提携ホテルに一週間滞在する予定じゃなかった? それに二次会やるんだから、ホテルでのんびりする時間あまりないんじゃないかなぁ』


 ま た 幸 せ 自 慢 で す か ⁉


 てか、この婚約者さんの個人的な株上がったぞ。すっごく真っ当なこと言う人だね。さすがオッサン年の功! そうだ、やれ! そのまま津田さんをコテンパンに――


「ねぇねぇ、花子氏。だから喋って。コメントして」

「してるよ、心の中で」

「それ意味ないやつ~!」


 せっかくの良いところで、死神くんからの無茶振りが入る。


 その間も、津田さんのセールスアピールを婚約さんがことごとく否定していた。


 婚約者さんは無難な都内の結婚式場がいいみたい。だけど……そこもすっごく立派じゃないですか? 何この日本庭園。本当に東京なの? 


 ご飯の写真も……うわぁ、よだれが出そう。創作和会席ってやつ? 伊勢海老のグラタン? フォアグラのステーキ? 鯛茶漬け? デザートビュッフェ?


 え、私も行きたい。その日だけ津田さんの幼馴染ってことで参加ダメ? ご祝儀頑張っても二万が限界だけど……一生に一度の思い出にダメですか?


「だから花子氏。よだれ垂らしてないでコメント」

「今日上司から『内弁慶直さないとどこへ行っても大変だよ』と怒られた私にそれを要求するなんて鬼ですか?」

「鬼じゃないね。死神だね」

「そーでした」


 アハハハハ。なんて笑い声は当然起きず、代わりに起こったのは津田さんの絶叫だった。


『どーしてそんなに否定的なんですか! 結婚式の主役はわたしでしょ!』


 それに、映像の婚約者さんは怒るわけでもなく。泣くわけでもなく。困ったように眉をしかめていた。


『そうだね。主役は真愛さんだ。だからこそ、僕は来客者全員に失礼のないような結婚式で、誰よりも綺麗な真愛さんをお披露目したいんだよ』

『……デデニーが失礼なんですか?』

『そういうわけじゃないよ。デデニー婚を否定するわけじゃない。だけど、僕の親族はご高齢の方が多いし、君サイドもお義父さんの会社の関係者が大勢くるだろう? だったら、こういう派手な式じゃなくて、落ち着いた結婚式の方がみんなお祝いしやすいと思うんだよね』


 その諭すような言葉に、津田さんの顔が思いっきり歪んだ。


『……少しでもケチりたいだけじゃないんですか』

『そりゃあ、同じものを安くできるなら安くしたいよ。その分、家や新婚旅行にお金を回せるんだから。もし子供に恵まれたら、教育費もあって悪いことはないからね』


 それに、津田さんは項垂れる。


 あ、これ和解するやつ? わたしが子供だったって気が付いて諭されちゃったやつ?


『子供の頃の夢、一つくらい叶えたっていいじゃない』

『え?』

『何でもない……です。ごめんなさい、今日ちょっと具合悪いかも』


 言えよっ! え、言わないの。そこまで言っといて言わないの⁉


 そして婚約者さんは『気付いてあげられなくてごめんね』等々、優しい言葉をかけて帰って行く。


 部屋で一人になった津田さんは、枕元のリーダーマウスのぬいぐるみを抱えて泣いていた。しくしくと。しくしくと。


 そんな悲しげなシーンで映像は終わり――


「し・あ・わ・せ・じゃああああああん!」


 私は昨日も叫んだようなことを再び全力コメントした。

 それに、死神くんが半眼を向けてくる。


「ちょっ、花子氏。それ昨日も言った」

「だってしょうがないじゃん! なにこの平和な喧嘩。こんな喧嘩はそりゃ犬も食わないよそりゃ夫婦だねもう夫婦だおめでとう勝手に見えないところで幸せになってくれ!」


 あー酒が飲みたい。酒なんか飲んだら一瞬で動悸息切れ地獄絵図が待っているけどやけ酒したい! イライラするイライラするイライラする~!


 私はすでに他人の幸せで胸焼けしているくらいなのに、死神くんは違うようだ。


「だがしかし、当人は悲しみ絶頂だと思うでござるよ?」


 あれ、またキャラぶれてるよ。と思ったら、耳恵ちゃんが小刻みにブルブルしている。あぁ、まだ録音中なのね。ま、別にいいけど。


「どうせマリッジだかマタニティだかのブルーなやつでしょ? どうせあとで冷静になってごめんなさいして玉の輿乗るに決まってんじゃん」

「そうですかねぇ……」

「あぁ、もう一言物申してやりたいわ。悲劇のヒロインぶってんじゃないっつーの。しがない派遣いたぶって悦に浸ってないで、とっとと寿退職して異世界に住人になってくれ!」

「それ、いいですな」

「え?」

「絶対に『映え』ると思うんです」


 死神くんのイケメンすぎる瞳がキランと輝く。


「直接物申しに行きましょうか」

「あんた、ばかなの?」

「いえ、死神です」


 いや、死神なのはあまり疑ってないけど。足ないし。鎌持ってるし。眼球くんと耳恵ちゃん従えてるし。


「ほら花子氏~、豪華絢爛なラーメン作ったら、僕のお願い聞いてくれるっていいましたよね?」


 そして腕によりを掛けて作られたインスタントラーメンは、なぜか見た目も味も満漢全席顔負けの逸品だった。こんな材料どこにあったの? え、台所の下? 私がこないだまで食べていた素ラーメンと同じ一番だとは思えないんだけど⁉


 あぁ、どうしよう。お箸が止まらない。


 隣で死神くんがニヤニヤ笑っている中で、今もあのBGMがエンドレスで待ってくれない。





 課金貧乏派遣社員でも、愛車くらい持っている。


 高校生の時に買ってもらったピンクのチャリだ。特別名前を付けたりするまで痛い子じゃなかったけど、五段階切り替えの女の子らしい、それなりの値段がするやつを買ってもらった。この団地は徒歩八分くらいの駅前に二件のスーパー八百屋に百均、ドラッグストアもあるし、もう少し歩けば役所や保健所、郵便局、図書館、警察ついでに消防署も並んでいるから、二本の足さえあれば快適に生活できるのだけど……当時はこんな快適利便性のないマンションに住んでいたから無免許でも乗れる乗り物が必須だったのだ。毎日塾にも通ってたしね。


 都心に近づけば便利だと思うなよ? 団地ナメるな。『オシャレ』や『流行り』さえ我慢すれば、ここまで暮らしやすい街もないと思っている。


 現実逃避の閑話おわり。ともあれ、そんな頃から大切に乗っていた剥げたピンクの愛車が、ギラギラ真っ赤になっていた。なぜギラギラかといえば、なんかギラギラした無駄な装飾品が付いているからだ。


 さらに、私も赤いシャカシャカしたロングジャンパー(しかもブカブカ)を着せられ、目元は大ぶり偏光サングラス(メガネ屋の店頭で売ってる格安品)。頭も短い髪を無理やり巻かれて(寝る前にこまかい三つ編みたくさん作られた)――そう、時代は昭和。まさに素人パチモン歌姫失敗品のような格好をさせられていた。


 鏡を見せられて呆然とする私に、満足げな死神くんは言った。


「とっっっても素敵ですっ!」

「……じゃ、行ってくるね」


 そして現在、私はジャカジャカ自転車を漕いで、目的地に向かっている。荷物はカゴで跳ねるアルミホイルに巻かれたおにぎりのみ。お腹すいたら食べてねって餞別だってさ。そんな距離ないのにね。


 いやぁ、自転車でちょうどいい距離だね。仕事帰りや買い物に歩く人々に二度見されたり敢えて視線を逸らされたりしてるけど、私は気にしない。気にしていたらアイドルできない。ハハハ、私がアイドル草生える。


 でもこれ、アイドル目指したんじゃないんだって。レディースっていう女版暴走族を目指したんだって。ハハハ。ふーん。そういえばそんなものに憧れてたって言ってたね。モヒカンにされなくてよかったよ。そして格安品ばかりとは諸々の費用はどこから出たんだろうね。お財布やカード明細見るのが怖いなー♡


 ともあれ、現実逃避第二弾おわり。目的地に着いちまったい。


 時間はちょうど。死神情報網通りに、就業後のターゲットが会社から出てきたところだ。


 さて、行くぞ。私。私は御手洗花子じゃない。私は……私は……一体誰なんだ⁉


 サングラスの下で目をパチクリさせていると、なぜかターゲットが私に近づいてくる。え、ちょっと待って。私まだ自転車から下りてすらないよ!


「……もしかして、御手洗さん?」

「ちがああああああうっ!」


 違うもん。私は御手洗花子じゃないもん。御手洗花子でもこんなダサ派手な格好する趣味ないもん。


 ターゲットはいつになく眉をしかめて心配してくる。


「ど、どうしたの? 今日、体調不良で急遽有給もらったんでしょ? 病院行ったの? 頭の」


 やめて! そんな哀れな目で見るのはやめて! 違うの、あんたに虐められたから頭おかしくなったわけじゃないの! あ、でもそういうことにしておいた方がいいのかな。そもそも、こんなことする諸悪の根源はこいつだよね。


 そうだ、津田真愛! 全部あんたのせいなんだっ!


 私は覚悟を決めて、カゴの中にぽつんと入ったおにぎりを手にする。そして今までの恨み辛みを込めて、全力で津田さんに投げつけた。


「結婚、おめでとうっ‼」

「え?」


 津田さんの赤いウールコートのウエストベルトに当たったおにぎりが、ポトッと地面に落ちる。ベルトはリボン巻にされているし、津田さんは痛くないだろうな。


 私とおにぎりを見比べた津田さんが、おにぎりを拾う。


「えーと……落としたよ?」

「あげたの! ライスシャワー!」

「らいす……それ挙式後の後にするやつだよね? あの……御手洗さん知ってる? ライスシャワーって、炊く前のお米を投げるんだよ?」


 知ってるわ! いくら結婚と無縁の私でも炊いた後の柔らかいお米を投げるとは思わんわ! 投げたけど! しかも握ってあるやつ投げたけども! 


 津田さんは長いまつげをパチパチさせた後、小首をかしげる。


「ねぇ……私、結婚するって話した覚え、ないんだけど?」


 ……………ですよね。誰も勝手に死神パワーであんたの半生覗き見て動画化しようとしててそれを面白くするために殴り込みに来たとだなんて知りませんものね。説明したって信じてくれませんよね。


 あー冷たい汗ばかり掻きすぎて寒くなってきた。もうなんで私がこんなことしなきゃいけないんだ。もう死神くんのせいだ。あんな美味しいラーメン作るから。イケメンのくせに。ミハエル様にそっくりのくせに。ずっと同じ音楽ばかり聞いている変人のくせに――


 そんな死神くん出会ったせいで! あんたのせいで、死神くんに出会ったせいで!


 もう私はパニックだ。


「バカにしないでよっ!」

「え?」

「全部そっちのせいなんだからね! 私悪くない! 悪くないもん!」


 もうやだもうやだ。なんで私がいじめられなきゃいけないのよ。


「なんなのよ、気分次第でいじめるだけいじめてくれて……」


 今も昔も。

 あんた幸せじゃん。そりゃあ、キャビンアテンダントにはなれなかったかもしれないけど。好きな相手とは結婚できないかもしれないけど。


 でもお父さんとお母さんずっと仲いいじゃん。お父さん死んだりしてないじゃん。名字だって途中で変なのに変わったりしてないじゃん。義理の父親とか半分血の繋がった妹に気を使ったりする必要ないじゃん。大学途中でやめることになって取れるはずの資格取れなかったりしてないじゃん。立派な大手の正社員じゃん。


 なんか……悲しくなってきちゃったじゃん。


「私ばかり、いつも……」

「みた……花子ちゃん?」


 やめてよ。泣いたからって、昔みたいに呼ばないでよ。惨めだよ。私とっても……。


「あんたなんて、勝手に幸せになればいいんだっ!」


 私は返されたおにぎりを、再び投げつける。今度はしっかりと受け止めた津田さんは、やっぱり長いまつげをパチパチさせてから、眉をしかめた。


「えーと……大丈夫? 何しに来たの? 具合悪いなら、おうちに帰ろ? 家まで送った方がいい? それとも病院付き添おうか?」


 何しに来ただああああああ? 知るか! そんなもん知るか! 

 坊や……じゃない。お嬢さんや、いまさら優しい言葉なんかかけないで。


「私やっぱり、私やっぱり……」


 ぐすんと鼻をすする。頭が熱い。もう限界だった。


「帰るわねっ! アデュー‼」





 私は跨いだままだった自転車のハンドルをぐいっと曲げて、慌ててそこから立ち去った。


 その後一人になった津田さんは、まわりをキョロキョロ。誰もいなかったことを確認しては、カバンの中をゴソゴソしていた。取り出したのは――古臭いデデニーキャラクターのキーホルダーだ。なぜか同じものが二つ付いている。


『結婚おめでとう……かぁ』


 そして津田さんは目を拭い、おにぎりのホイルを剥いた。出てきた白いおにぎりを数秒見つめて、パクっとかじりつく。


『うっま!』


 そこで、動画はフェードアウトしていく。「バカにしないでよ‼」とイキっていたBGMがあえて音量をあげた中、黒い画像の前で首だけの死神くんがようようと喋っていた。


『それじゃあ、拙者らもこの辺で! 花子氏、最後のコメントは?』

『死にたい……』

『面白かったらチャンネル登録、ぐっとボタンをお願いします。それではまた次回。アデュー☆』


 死神くん自信作の動画を見終わって、私は部屋で悶絶していた。

 そんな私に、死神くんはニヤニヤ話しかけてくる。


「どうですかでどうですか。僕の渾身の作品は? 何よりラストの花子氏の台詞に合わせたBGMが至高だと思うのですが?」


 あああああああああああああ、バカか? バカは私なのか私だよね⁉


 よりにもよって、なんであのエンドレスBGMの歌詞みたいなことを言った? 若干会話になってなかったよね? あれか? これが刷り込み効果ってやつか? 私はひよこか? なんで三歩歩いて忘れてくれなかったの?


 私はすくっと立ち上がる。もう死のう。今すぐ死のう。


「花子氏、どこへ?」

「ちょっとあの世へ」

「そんなあなたにはこちらっ! でででんっ!」

「へ?」


 思わず見やると、死神くんの後ろから見事なケーキが出てくる。ホールを四分の一にカットした通常の一人用には大きいサイズ。だけど一人でも食べれちゃう絶妙贅沢サイズ。白い生クリームとの間には赤いジャムが挟まっているようだ。


「ここここ、これは……」

「もちろん僕が作りました。やっぱり台所の奥にホットケーキミックスがありまして。残っていたジャムとチョチョイのチョイです」


 うちの台所の奥にはどんな楽園ができているんだ……という幻想は置いておいて。


 ケーキは甘味の王様だ。甘味は嗜好品だ。私は自慢じゃないが貧乏だ。


 つまりわかるな? フラフラと引き寄せられるのはむしろ必然。


 そして語るまでもない。


 苺だけとは思えないジャムの旨味と、ホットケーキミックスとは思えないふわふわのスポンジ、幸せしか詰まっていない生クリーム、イケメンのマリアージュを食してしまったら――どんなBGMが流れていようとも、女は今日もたくましく生きるしかないのだ。





 あの歌は、自立した女性を歌った曲なんだと思う。


 恋人と喧嘩して飛び出してきた女性が、車トラブルで男性と怒鳴り合うストーリー。だけど結局、お互いカッと来ただけだと気が付いて、その女性は恋人の元へと帰っていく。


 一人でいることだけが自立なのではない。

 自分で選択した道を、自分で進むからこそ、カッコいいのだ。


 たとえそれが誰かの隣に居続けるという選択でも。

 そのために、自分から頭を下げるという選択でも。

 




 だからある意味、この女もカッコいいんだと思う。


「わたし、別れたから」

「は?」


 数日後、私が出社すると津田さんから飲みに行こうと誘われた。しっとりパーマにひざ丈スカートの小柄女子から放たれているとは思えない威圧感に、着いて行くしか選択肢の取れない私。


 それは駅前のオシャレ感の一切ないチェーン居酒屋で、私がウーロン茶を一口呑んだ時だった。


 津田さんはジョッキビールを一気に煽る。


「だーかーらー。結婚、やめたの。一応、報告だけしとこうと思って。せっかくお祝いしてくれたのに、ごめんね」


 いやぁ、あのおにぎりアタックはお祝いに入るのかなぁ……?


 そして、津田さんは気まずそうに枝豆をつまむ。


「それと……こないだはごめん。結婚でずっとイライラしてて、完全な八つ当たりだった。今日は奢るから。好きなだけ飲んで」

「それは、スプリンクラーのこと?」


 うーん。あのスプリンクラー事件のせいでこっちはまじで団地の屋上から飛び降りようとしたし、正社員雇用の道も閉ざされてしまったのだけど、それが一回のお酒でチャラか……正直、安くない? しかも私、お酒飲めないんだけどな。


 それが顔に出てたのか、津田さんのピンクベージュ唇が「むむむ」と尖る。


「しょうがないでしょ。わたしだってねー、奨学金の返済とかで毎日キッツキツなんだから! しかも今回の件で来年のデデニーの年パスは諦めることになったし! 勘弁してよね」


 いや、年パスなんて知らんがな。


 まぁ、別に何して欲しいってこともないからいいんだけどさ。素知らぬ顔で、私はお通しのクラゲみたいなのをコリコリ。こういう居酒屋料理はけっこう好き。


 でも、ちょっと意外だよね。


「津田さんもお金ないんだ?」

「は? 何、いけない?」

「いけなくはないんだけどさ……津田さん正社員じゃん?」


 頬杖つく姿は、とても読者モデル系女子には見えないよ? 会社の人いない? 大丈夫? 


 思わず私の方が心配しちゃうけど、当の本人はどこ吹く風だ。


「そりゃあ派遣よりはもらってるかもしれないけど……正社員言ったって、給料はたかが知れてるわよ。てか『も』て、何? あんたの家お金持ちなんだから、いくらでも頼れるじゃない」

「うちが金持ち?」


 私が首を傾げると、津田さんのご機嫌はますます斜めになったようだ。


「今更しらばっくれちゃってさぁ。小学生の時、あんた隣町の立派なマンションに引っ越していったじゃない! ご両親で新しく薬局とか開いちゃって――」

「あーあれ、潰れたよ」

「え?」

「確かに再婚当初は裕福だったみたいだけど、不景気だかなんちゃら改正やらで潰れてさ。私が大学生の時に潰れて、今でも借金返しているみたいだよ。家も団地に戻ってる」

「そ、それならなんであんたは派遣なんか……」

「六年制のところの薬学部を四年で卒業せざるを得なくなったから、薬剤師の資格取れなくなっちゃって。新卒で薬局事務してみたはいいけど、横領とか不倫に巻き込まれそうになって一年で逃げたらどこも正社員でとってくれなくなった」

「そ、そっかぁ……」


 別に不幸自慢をしたわけじゃないんだが、津田さんの表情が曇る。


「てっきり、ひとり金持ちよろしくしているのか思ってた……」


 はあ? 今も昔も金持ち自慢とかしたことありませんが。てか、それで昔もいじめてきたとかないよね? 親の経済状況でいじめられるとか、理不尽にも程がありますが?


 そんな時、ちょうど店員さんが頼んでいた焼き鳥やチヂミや津田さんのお酒持ってきてくれた。あぁ、爽やかな笑顔がとてもありがたい。


 そして途切れたつまらない会話は、変えるに限る。


「津田さんは、なんで別れることになったの?」


 わざわざ律儀に報告してくれたくらいだ。詳細聞いてもバチ当たらないよね。


 すると、津田さんは再び新しいビールを勇ましく呑む。  


「あのオッサンさぁ、デデニー婚ずっとバカにしやがって……こっちから振ってやったわよ。そんなささやかな夢すら叶えてくれない甲斐性なしなんて願い下げだわ」

「……そんなことで?」


 だって結婚式を挙げないわけじゃないんだよ? 新婚旅行だってロサンゼルス行けるし、結婚後は働かなくていいし、立派なマンションまで付いてくるし。


 だけど、津田さんはきっぱり言い切る。


「はぁ? 大事なことに決まってんじゃん。わたしまだ若いのよ? 妥協なんてしてやるか。イケメンでエリートでカッコいい男との結婚をデデニーのみんなからお祝いされるのだってヨユーだし」


 その後も、お酒のペースを上げながら津田さんのクダは巻かれ続ける。


 やれ、ずっと家にいるのも退屈だし。

 やれ、加齢臭がきつかったし。

 やれ、わたし可愛いし。だの。


 いやぁ、家でおしりボリボリしている女子が可愛いかなぁ……と動画の姿を思い出しながら、私の口は自然に動いてしまっていた。


「でもお父さんやお母さんは大丈夫だったの?」


 それにしまった――と後悔しても後の祭り。津田さんの目がスッと細まる。


「ふーん……あんたやっぱり親から聞いたんだ?」


 んんん? とっさに視線を逸したけど、これは良い方向性?

 津田さんはため息吐く。


「まぁ、お母さんおしゃべりだからなぁ。たまにあんたのお母さんとスーパーとかで会うらしいし……口止めしておかなかったわたしの落ち度か」


 幼馴染設定、ありがとおおおおおおおおお!


 そうですよ。お互い実家は地元のまんまですよ! 生活圏まる被りですもんね! そりゃあ小学校って親同士も面識あるだろうし? スーパーで会ったら挨拶くらいしてそうですもんね! うんうん、最近親に顔だしてなかったけど、今度お菓子でも持っていこう。


 私がニコニコしていると、津田さんが「何楽しそうにしてんのよ」と睨んでくる。とっさに「ごめん」と謝ると、津田さんはメニューを見ながら言った。


「オッサンがね、会社関係もうまくまとめてくれることになったみたい。お父さんの会社も当分は潰れなくて済むみたいよ。またいつまで保つか知らないけどさ」


 あのオッサン、本当に良い人だったんだなぁ。とウーロン茶をちびちび啜りながらしみじみ。どうか幸せになってくれ。たぶん津田さんはやめて正解だったと思うよ。


 だってお酒飲み始めて、なんやかんや二時間、


「ねぇねぇ、花子ちゃ~ん。ところでぇ……まだ処女なの?」


 酔いが回ってこんな絡み酒する女、サイテーだと思うの。





 そんなわけで、私はますます津田真愛さんが嫌いになったわけだけど。


 その翌日。課長代理佐藤さんからの話を聞いて、どうにもわからなくなる。


「御手洗さん、こないだはごめんね。契約、来期もお願いすることになったよ」


 私の契約は九月から半年だった。半年ずつの契約更新で、三月に切れることを覚悟していたのだが――また別室に呼び出した課長は苦笑する。


「こないだのスプリンクラーの事件ね、とある社員から自白の証言があったんだ。私がタバコを吸ってたのを、御手洗さんになすりつけたって。しかもその社員、スプリンクラーの定期点検の手配も忘れていたらしくてね。そのための設備不備として、御手洗さんは……上手い言い方がわからないけど、ただの被害者ってことになったよ」


 うん、『とある社員』て誤魔化してるけど、津田さんだね。こないだばっちり『真っ先に津田さんが報告した』って言っていましたもんね。


 だけど「信じてあげられなくてごめんね」と、佐藤さんが頭を下げてくるから。そんなことはツッコまず、私はとっさに「いえいえ」と両手を振った。


 すると、佐藤さんは言う。


「その社員は数ヶ月の減給処分が言い渡されたよ。しばらくは担当業務も外されるみたい。多分、夏のボーナスも彼女はカットされるんじゃないかな。クビにならなくて御手洗さんは不本意かもしれないけど……こんなもんで、御手洗さんも溜飲を下げてくれる?」


 つまり、これ以上この話を広めるな、ということだ。


 私はそれにコクリと頷いた。


 特に話すような友達もいないし。私の正社員雇用の夢も繋がったわけだし。


 昨日の飲み会で津田さんが散々「デデニーの年間パスポートが買えなくなった~」て泣いてたから、それで許してあげるよ。来月のガチャも安心して回せるみたいだしね。





 てなわけで、私の足取りは軽かった。しかもきちんとお給料も入り、あと数日で新イベントだ。課金が出来る。ガチャが回せる。あぁ、生きていて良かった。今後こそイベ限ミハエル様をお迎えするのだ!


 と家に帰ると、ミハエル様と前髪の束感が若干異なる死神くんがハグしてきた。


「聞いてください花子氏! 動画再生回数が百回超えました!」

「……ほう?」


 それはすごいのか? と首を傾げたくなるが、死神くんが「次作は『うぽつ』コメももらえちゃうかも」と浮かれているので、言わないでおく。


 ん、ちょっと待って。次作?


 それに気が付いた時は遅かった。


「そういうわけで、次作は誰をターゲットにしますか?」


 え、続けるの? 人生実況解説動画とやらを、これからも続けるの?


 今日も私の部屋からは謎BGMが聞こえ(曲が変わっている)、台所からは美味しそうな磯の香りがする。そして目の前では、足も影もない推しそっくりのイケメンがニコニコと至近距離から私を見つめていた。はう、イケメンバンザイ♡


 御手洗花子。二十四歳。薬品会社派遣社員。

 副業――死神くんと人生実況解説動画制作。


 団地の屋上からアイキャンフライする予定は、今の所ない。


                                    【完】

 



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本作がだれかの有意義な暇つぶしになることを願って

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