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歴史とDNA

フン族と欧州の伝承

作者: とびうお君

 何か情報が古すぎていらっとするってのが、未だにフィンランド=フン族の国って古い俗説がまかり通ってる。もちろん私のエッセイを読んでもらってる人は分かってると思う。これは同じモンゴロイドだが、遼河文明の人達だ。フン族の遺伝子も全く違うし、実際はフン族の地域でNは出る。そりゃそうだすべてのアジア系遊牧民に共通してでるハプロだから。


 だが高頻度で匈奴で特徴的なものはQになる。匈奴=フン族はまだ確定的でないが、それでもこれは俗説レベルの物じゃない。すぐに反論できるレベルの物じゃないって事になるし、最近はかなり東方からやって来た事が分かってきてるので匈奴説が濃厚になってる。今残ってる絵が大半コーカソイドなので混乱するが、実際別の絵を見ると酷いアジアンだって顔をしてる。中央アジア人と混血してるし、ベタなモンゴロイドじゃないでしょ?と思うのだが、醜悪に書く時のアジアンそのものの顔で描かれてる絵もある。


 以前書いたかもしれないが、フィンランドのフィンは本当にフィンと発音するローマの書物に書いてあった地方の風土紀のようなものが由来になっている。フンとフィンじゃ全然違うだろ!ってフィンランド駐日大使が公式に否定してるから。


 と私も笑ってみてた。ただ唯一気になるのは欧州でポツンとあるスウェーデンにあるQの高い集積地だ。フィンランドの隣?これがややこしいのだが、アジア系の影響が強いのはフィンランドとバルト3国とモスクワあたりのロシアになる。いやシベリアあたりのロシアは高くて当たり前なので。


 同じ北欧でもノルウェーとスウェーデンはある事はあるが薄い。トナカイの牧畜があるから影響があるんだけど。サンタの文化の一部って案外アジア発なんだよな…。トナカイ自体は欧州にいるんだけど、トナカイを牧畜するってのは遼河人の特徴だから。同じヴァイキングの国だけど半島も軽く分かれてるし、あっちはベタなクロマニヨン後継の古い欧州人のI系なんだよな。しかもがっつりR1Bも混ざって言語的にはもろ印欧語系。


 だからこそこのQがやたらと目立つ。以前これをインドから北上して東西で分かれたRとQのQの方の一派が西方にいった物だと書いた。これ違うかも…。ええやっぱフン族居たの?隣のスウェーデンと勘違い?そういうのありうるかもしれない。フィンランドはアジア系のウラル語なので全く違う。だからこそフン族の国に説得力がある。


 でも近いからこその勘違いで実はスウェーデンだった?私もこれは揺れ動いた。


 何故急に考えを変えたのか?と言うと以前書いたと思うが、ハプロにはいろいろなものがある。そこから総合的に見る。一番良いのは核DNAだけど、最近これにも欠点があると分かった。調べる場所が多すぎて、研究者が恣意的に決めないと整理できないらしい。研究者によって指標とするマーカーが違うってのを知って唖然とした。


 核DNA最高なのは変わりない。だが最高=100%ではなかった。そのためまだまだ別のハプロの存在する意味が出る。ある意味かなり恣意的なマーカーとして使えると言うわけだ。その偏りこそが別の角度で見る材料になる。


 JCウイルスといって、人間のDNAとは何の関係も無い。ほとんど発病し無い無害に近いウイルスが人間集団で伝染していく。無害に近いから遺伝するんだけどね。死ぬからね。以前も書いたと思う。これかなり難解なのでツッコミ過ぎないようにしている。他のハプロの知識があると多分混乱する。


 これ中国ネタを扱ってて最近また見直して、これ不味いなと思ってる。中国の中央アジアハプロはHLAだけで良いと思う。HLAハプロはかなり重要なんだ。欧州の初期アナトリア農業集団と中国の中原の集団って一致してるんだ。これはミステリーに見えるけど、羊の拡散がちょうどこれを繋ぐんだ。だから羊じゃないか?と見てるが、最近は小麦もありだなと見てる。


 後キビもその候補。キビも中央アジアから東西に広がった説があるから。中央アジアの初期農耕民がイランアナトリア農耕民だから。ただキビは東西2元論も同じぐらい支持されてるからなんとも言えないだけで、羊は一元論。


 難解だから扱いたくないけど、最初はJCVで中央アジア集団だと思ってたけど、どうも違うんだよね。多分インドと中東中央アジアであって、中央アジアインドじゃない。HLAは核DNAの調査と一致してる。中東中央アジアインドに広がったのが分かっている。


 インドってのは元々はC1のクロマニヨン人みたいな原住民にGJ2HL系の中東農耕民が農耕を伝えて、ここに戦車金属加工のR1Aのコーカソイドが侵入して出来上がったという全く欧州と似た構造を持っている。ちなみにI2が来る前は欧州もC1が最初の原住民だった。


 この流れだと思っていたら、どうもインドからの海岸ルートの流れだと分かってきた。初期のインドでC1が中央アジアに進出したのが分かってるから。インドから中央アジアに。


 最新の話しでDとかC1は中東にもいたけど、インド東南アジアからFが西に逆送したんじゃないか?となってる。これで上書きされて消えてしまったと。このウイルスが出アフリカと逆そうで共通してるから中東から中国中央アジアまで均一なまとまりになってるのじゃないか?と見てる。


 だからこれインドのC1の集団で見たほうが良いとおもう。そうなると次の段階で東南アジアのSCが関わってきて、これも古いCとかDじゃないか?となってくる。もっと言えば基本母子感染なので、mtDNAの古いタイプのものの流れじゃないか?と。ただ基本であって別にそうじゃなくても集団内で感染する。


 中国のインド集団ってのは、ちょっとずれてて中原と言うより渤海なんだ。東南アジアのSCと分岐した別集団の一部が海沿いに渤海に独立して住み着いたとなる。


 これに該当するのはもろO1B2になる。ただし、もっと前に渤海だけにすみついた南部集団がいたのかもしれない。これは分からない。これが広がっていかないのは、後に新モンゴロイドのCY変異が誕生するからになる。


 東日本のMY集団はこの間ぐらいに生まれた集団。縄文人といえば縄文人だが、これD系は一部でC2の集団じゃないか?と思う。理由はアメリカ先住民に多い変異だからになる。ちなみにアメリカ先住民の父系は欧州型のEUだと思われる。シベリア極北集団でたまにEU型がロシア人と無関係に発見されるから。


 これが青森のEU型の別分岐になる。ゆえにQ集団じゃなくて、C2集団のmt型かと。何故ならQ集団に多かったmtU系はアメリカ先住民で消えてしまってXだけしか残らなかったから。アメリカ先住民でEU型は多数派のアジアMY型が占めてほぼなくなってしまったんだと思う。混血が残りやすいのでいろいろ発見できるのだが、たまに皆無になってデータに出てこない事も多々ある。


 さてこれが前提になる。なんとスウェーデンのQの集積地からこのベタベタ古い東アジアのMYが出てしまった。要するにアジアと混血する前に欧州に行ったんでしょ?と予想していた私の考えを真正面から覆したのだ。


 あフン族???欧州のQ型はこてこてのアジア人だった。日本人にある意味近い。困ったぞまた訂正かよって思っていたら、ふとひらめいた。良く考えたら細目醜悪な顔のフン族だったらCYの方が強いんじゃない?または混血してるでしょ?日本もMYとCYが交じり合ってる。寒冷適応の集団とは別では?


 そうなると先住民が移り住んだ時期に西へ向ったシベリア集団が居るという話が繋がってくる。これが前回の周王朝のQ系に繋がってるわけで。西とはどこまで?


 これが結構難しいんだ。何故モンゴロイド北方ルートが否定されるべきか?で過去一度も北方からそんなハプロは見つかってないからだ。唯一の例外がインドから北上したC1系になる。日本のC1A1がひょっとしたらの可能性がここになるわけで。Q系1万年付近に逆送した記録なんて出ない。


 ただ考えてみるとかなり小さな集団がポツンと欧州にある。これが途中経過を残すだろうか?インド北上のC1はあっちこっちで見つかってる。これはそれなりに広がったのかもしれない。ある時期にピンポイントに固まった集団の足跡など追えるわけが無いんだ。ちなみに欧州にぽつんとあるそのハプロが分岐したのは15000年前以上になる。最終氷河期に西と東に分かれた予測する時期に一致する。


 スウェーデンのQはアメリカ先住民のシベリアに残った集団の一部が1万年前付近に欧州まで西に逆送したものだと思われる。時代的にフン族の末裔ではない。


 何が楽しくて私がコレを書いてるのか良く分かると思う。ミステリーを紐解く探偵の様なのが面白いんだ。


 追記:スウェーデンの高いQの集積地、ゴトランドの方が高かったです。ただMYが出るのはスウェーデン南部ではなく北部のQが高い一部だけ。さて、ここでゴトランドが最大の集積地と言う点で考え直さないといけません。ただし、逆送がかなりややこしくなります。寒冷適応したアジア人じゃないケースが重要です。ゴトランドからは寒冷適応した人骨が見つかってるのかもしれません。モンゴロイドの人骨が見つかったとあるのですが、その根拠が書いてない。


 取りあえず寒冷適応した人骨もあったとします。それは案外なんとかなるものです。現在においてはおそらくもうMYが出る事はないかもしれません。ですが、過去逆送した集団が中央アジアにおいてMYを維持していた可能性は十分にあります。逆走で欧州まで行ったのじゃなくて、エニセイ語族などと同様に中央アジアに留まって遊牧民としてゴトランドに住む事になったと見ています。


 じゃそれフン族だろ?となるとそう簡単じゃないんですよ。明確なモンゴロイドと断定できる人骨がフン族の時代からヴァイキングの時代まで維持できるわけないんですよ。フン族がまとまって住んでいたなら可能ですが、他の人骨は混血ばかりだったそうです。


 これは明らかに後の時代から来てるんですよ。この中央アジアの今だとBに変わってしまっただろう集団が当時持っていたMYをスウェーデン北部で残せたのじゃないか?と見ています。


 おおすべて解決したとなりません。最近の調査でフン族の頭蓋骨見つかったフクロアチア付近のハプロでゴトランドに多いL527が出るんですよ。古い人骨のハプロがなんだったか?は不明です。漠然と東アジアのDNAだったと書いてあるだけなので。


 考えられる可能性としては、フン以降も継続的に中央アジアのフン族が居た集団がヴァイキングを通じて欧州にやってきた。匈奴は東からその集団と合流したので一部のフン族から東アジアの遺伝子がでるのじゃないか?と見ています。そもそもフン族は出自がばらばらと言うのは遺伝子から分かっています。


 その中心グループとして匈奴が西に行った物だった可能性が見つかったとされてると言うだけです。今でも外との交流が少ないQ系の部族ならMYが出る可能性があるかもしれません。


 ゴトランドのQはフン族と断定できないが、欧州にちらばるL527はフン族の子孫である可能性は十分にあるです。ただし何度も書きますが、匈奴=フン族と言う単純な図式じゃないと思います。フン族の中に匈奴が居ただけで、中央アジアのエニセイ語族のグループだろうと思われます。


 そもそも匈奴がエニセイ語族かも?とは言われてますけどね…。エニセイ語族の一部がR系との接触で牧畜民になったのは古人骨の調査で分かっています。ただモンゴルで今は出ないんですよね。今出るのは中国でも多いM-120です。だから中央アジアでエニセイ語族と合流しただけで、匈奴がエニセイ語だったのか?はあやしいです。


 後ゴットランドに昔から住んでるは無いです。その理由は過去の人骨の調査がされてて、全く父母共にアジア系ハプロが出て無いからです。歴史時代のことだろうとその点推測できます。仮にフン族だったとしても、継続してモンゴロイドが住み着いてるので、後の時代で考えたほうが合理的かと思います。


 フン族であるとするのが不可解なのはやたらと島ばかりに残っていて、それらの島は大体ヴァイキングが侵略した島ばかりなのです。騎馬民族のフン族が船を使うだろう島ばかりってのは不自然です。


 ただローマ帝国を滅ぼしたフン族が一度故地に戻っていたなら、アッティラが率いたフン族の子孫だといえなくも無いです。その辺りは良く分からないです。ありえないとは思うのですが、当時のフン族がモンゴロイドの形質をたもったままヴァイキングの時代までゴットランドで生き延びていたなんて事があるのか無いのか…。


 私は一応フン族が元中央アジア居ただろう地域の集団が継続的にヴァイキングを通じて欧州でヴァイキングと共に戦っていたいたと結論付けています。

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