小林的我執信念
え?これを言えばいいんですか?早く?わ、わかりました。ええっと、これから書かれる内容は小林茂の勝手な偏見とそれに煽られる特別な人たちの滑稽本なので、気分を悪くする人は読まないでください。えっと、こ、これでいいんですよね?
・・・はい。お疲れさまでしたー。
燦燦と太陽はわれらを照らし、蝉がせわしなくあたりにわめき、先の地面を揺れる陽炎が立っている。
「この日、この時、われらは奴らに鉄槌を加える」
蝉の声を上塗りする、男どものむさくるしい熱き歓声があたりに響いた。
「場所は玉川スポーツセンタープール場。団員が全員到着次第、秘水の策を決行する」
むさい男どもは再び「おお」と叫ぶと我先にと巨大な土ぼこりを上げ、露と消えてしまった。
これから起こる争いはわれらにとっては日常のごとく起こり続け、皆はある信念のもと半ば宗教的信仰でこの争いを制覇させようとしているのだ。その争いはかの有名なハンニバルが活躍したと云われるポエニ戦争含め、赤壁の戦い、巌流島の決戦などに深く繋がっていると云われ、それが知らず知らずのうちに現代のこの争いまでつながってきているのだ。
そのような歴史ある神聖な争いでわれらはいったい誰と戦っているのだろうか。それはこの世界を生きる上では絶対的にぶつかり合う悪であり、人間の根源的な欲望やら執着やらすべてが混じり合った存在。それこそ、われらが死に物狂いで戦う「悪」の正体である。
なぜわれらが戦うのか。経緯や理屈などそれらを容易には説明できないだろう。それはわれらの抱く信念と直結しているのだ。
「総長、全員が位置につきました」
水着一丁の男の群れがプール沿いに幅広く横に広がっている。その圧巻の光景は万里の長城を彷彿とさせる。
私は無言でスピーカーを持った。
「プールの者たちよ」
目の前に広く広がるプールは瞬く間に静まり、全員が男壁へと振り向いた。
するとその中の一人が荒々しい声を上げた。
「何でここに居やがるんだ畜生」
「そんなの決まってるであろう。きみらのように優先された悦楽に浸るものを粛清しに来たのだ」
さえぎるように金髪のとぐろを巻いた女が「ばっかみたい」と言った。
私にとってその言葉は更に饒舌なる舌に力を与えた。私はスピーカーを強く握りしめた。
「自堕落なきみたちが何を言っているのだ。異性と遊ぶことしか興味のない不束者め。われらからすればきみたちのほうが本能的動物性に従ってるようにしか見えない」
プールの屈強な男たちは黙ってはいられずと鬼のように進軍してきた。
男壁は一瞬戸惑ったが私は話を続けた。
「もう一度言う。われらは君たちを粛清しに来たのだ。風紀を乱す輩をわれらが見逃すはずがない。諸君、合言葉を言え」
男壁は進軍する不束者らを前に高らかと唸った。
「天は人の上に人を創らず、人の下に人を創らずと云えり」
「放て!」
そそり立つ男壁は一斉に蠢き各人が水風船を取り出し投げた。人々の怒号が混じり合い、半裸の男たちで滅茶苦茶になったプール場はもはや右も左もわからぬ状態へと変貌した。
われらはいったい何者なのか。それはおそらく人生を最も厳しいものと思い自らの現状に満足せず一心に自らの信念を貫き通す修行者である。皆に信念を語るには、まず私の人生から語る必要があるだろう。
生まれたころの私は愛おしく愛らしくそして、誠に清らかであった。保育園、小学校と続き、「過保護の過保母」と云われた母のおかげでその瑞々しい純粋さは一遍もかけることなく、中学校へと上がっていった。
入った当時夢見る中学一年生であった私は徐々に時が経つにつれふと、ある違和感に陥ることとなる。それは今まで楽しく遊んできた仲間たちが女と遊ぶようになってきたからである。
当時の私を振り返れば若き高原を颯爽と走る馬のごとく満ち満ちた生命力に溢れ、肺活量多めな遊びを多々行っていた。そのためか女との遊びはどこか物足りないものだった。私は女と遊ぶ仲間を背に、あまり女と話さない限定された仲間と付き合っていった。
その時から私は女を女として見るようになってきたのだった。ふと始まった違和感は徐々に確定されたものとなった。今まで遊んできた一人が急に鼻につくようになったことや、態度と器が反比例する者、身だしなみだけがどっかのハリウッドスターを彷彿とさせる者、無駄にいい香りがする、など多数の不可解な現象が周りで起こったのだ。
気づいたころは女に遊びに誘われるか胸躍らす時期もあった。女子と遊ぶ、そして付き合うということは男としての真の名誉を獲得することにつながるのだ。興味のある女子を遠目から見つめ、あれやこれやと妄想を爆発させたこともあった。
しかし出会いもきっかけもなく、もてもせず、ある日カップルに踏まれる枯れたタンポポを見て、私は選ばれしものだけが真の名誉を得られるという自然の摂理を知った。あの頃の私は誠に阿呆であった。
その後、暗い自室で一人、私は寝台の上で悟りを開くこととなる。
今まで起こってきた不可解な現象、選ばれしものしか選ばれぬ自然の摂理、枯れたタンポポ。これは恥ずべきことだったのではないのか。
人は常にあるものと戦い続ける。それは欲望である。欲望は常に己に潜むものであり、イチャイチャしたい、というのもまた欲望の一つである。つまりカップルや女子と関係を持とうとする者は欲望に促らされた愚か者ではないのか。その欲望に勝ったとき私は真の哲人「漢」になれるのではないか。これからは常に自らの内なる欲望に負けず真の漢になって見せよう。
そして同時に私の頭の中に「風紀を正していこう」という言葉が雷鳴のごとく閃いたのだった。
これが先に言っていた「信念」の内容である。風紀を正し、欲望に負けず、ソクラテス並みの哲人になろう。われらの気高きスローガンである。
高校は鮮やかな青色に染まる魔の手が巣くう状態であった。私は高校に入学すると持ち味の饒舌なる弁舌をふるい、むさくもてない男たちを徹底的に教唆、説得し一大勢力を築き上げた。
一大勢力の名を「ぼくの日常がこんな非日常的なはずがない」通称「ぼくにち」と決定し風紀のためまごうことなき聖戦へと身を投じてきたのである。
「もう今月に入って五回目だぞ」
森田は椅子に座りながら髭の散らばる顎をさすった。
「風紀を正すっていう大義を掲げてもなあ」
「私は正義のことなら反射的に体が動いてしまうのです」
「ふーん」
森田は顎をさすりながら椅子を回し体をこちらに向けた。
「お前ももう高二なんだからさ、もう少し抑えるってことできないの?」
私は静かに首を横に振った。
森田は背もたれに大きくのけぞり「ふぅー」と巨大な溜息を吐いた。
「じゃあせめてほかの人に迷惑をかけねえレベルにしてくれや。明日から夏休みなんだから」
森田は体を机に向き直すと付け加えるように言った。
「あと今日の土手の祭り、先生たちが見張りに行くから勝手なことすんなよ」
職員室のドアを開け廊下に出ると山口が出迎えた。
「また呼び出されたな」
「連中がまた言ったんだろう」
山口はこの高校でできた唯一の良友である。彼も「ぼくにち」のメンバーであるがどのような人物でも友達にするという優れた能力を持つ男である。なぜぼくにちに入ったのか理由は定かではない。
「そういえば今日大きな祭りが土手で開かれるって」
「それなら把握済みだ。どうやら先生が来るらしい」
「まじか。あいつらめっちゃ意気込んでるけど」
「勿論やるさ。すこし時間を遅らせればいい」
放課後ぼくにちメンバーを招集した。
日照りの良い校庭で私は朝礼台に上った。
「今日、土手で開かれる夏祭り。それは至極沢山の不純な愛がはぐくまれる場所になるであろう。そんなことは決して許すわけにはいかない。今宵もわれらの手で祭りを起こしてやろう」
むさくるしい男たちの歓声が校庭に響いた。
「しかし、どうやら祭りには森田率いる先生陣が加わるらしい」
むさい男たちの歓声は一瞬のうちに寿命がなくなった蝉のように静まった。
「だがそれがどうしたというのだ。みなも思い出してみよ。今まで苦しめられた圧政の日々を。女子と喋らないだけでコミュニケーションの輪から外され、彼女を待たないだけで「人生不適合者」のレッテルを貼られてしまうのだ。しかし、われらには奴らには決して理解できない「信念」が存在する。山よりも気高く海よりも奥深い、崇高なる信念。それがわれらの胸に宿っているということを忘れてはならない。そして、この世界を天下安泰へと導くためには教師であってもわれらを止めることはできないのだ。諸君、もう一度立ち上がろうではないか」
私が言い終わるとともに男たちの叫びともいえる歓声は響き、皆は半狂乱のうちに土ぼこりを上げ、校庭から消えていった。
空に鎮座していた太陽は地平線の向こう側へと消えた。
蒸し暑い夏の夜に、人口密度が急激に膨れ上がった土手は異常な発熱を伴い、行きかう人々は常に汗とお友達であった。
はしゃぐ声と色とりどりの電球が土手を充満する中、私と山口は人ごみの中を押しつ押されつつ歩いていた。
私は天狗が富士の頂上で千里の人間らを見渡すばかりの遠い目で祭りを見ていると山口が言った。
「小林は女子と一緒に来たいとかないの」
「そんなもの一世紀前に置いてきた」
「はぁ、悪名高き小林君に出会いでもあればなぁ」
私は無言で山口をにらむと、何か重い感触が背中に響き渡った。
私は余りの衝撃に「うっ」と嗚咽を漏らし華麗ともいえる転びで堂々と地べたに突入した。
私は一体どこの横綱か、と思い後ろを振り返ると長髪の少女が地べたに腰をついていた。