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幕間 主にまつわるエトセトラ

※ラッセル視点



 この国で男爵というのは、主に高位の役人に与えられる一代限りの称号だ。

 稀に、国や高位貴族に対して功績を残したものに名誉として与えらえることもある。

 自分の父の場合は、後者にあたる。

 騎士であった父は、国家間の重要な会議に出席する予定だった貴人が道中で襲われた際、最後の一人になっても身を呈して守ったことで男爵位を賜ったと聞いている。

 そのおかげで庇われた貴人は会議に問題なく出席でき、国は不利益を被ることがなかった。

 どころか貴人の暗殺を企んでいた国を暴いて、かなりの益を得たとか。


 当時の自分は子供だったので詳細は知らないが、父が為したことのおかげで、私たちの生活の一部は守られたことになる。

 その時の傷が原因で父は騎士を退任することになってしまったが、それを悔いることなく「父さんは為すべきことをしたんだ」といつも誇らしげに語っていた。

 その姿が、とても眩しく見えた。

 強く、揺るぎない信念を持っている姿を頼もしく思ったし、自分自身も憧れた。

 いつか自分もそんな風に守れる存在になりたいと願うほどに。

 そうして自分自身も父の背を追うように騎士を目指し、父の伝手で王宮での騎士見習いになった。


 けれどそこで生活するうちに、いつしか自分が騎士を目指した初心を忘れてしまっていた。


 男爵というのは一代限りなので、自分自身はただの平民だ。

 けれど同じ平民のはずの同僚からは、「ラッセルは男爵子息だから」と揶揄される。

 自分達とは違う、特別扱いなのだろうと線を引かれた。特に父が功績ある立場だっただけに、確かに優遇はされていた。

 けれど貴族から見れば、「所詮は一代限りの男爵子息など、平民だろう」という扱いを受ける。

 それだけに留まらず、一部の貴族は平民の分際で優遇される自分の姿を見て、けしていい顔はしなかった。

 平民からは贔屓されていると距離を置かれ、貴族からは平民の分際でと侮られる。


 自分はどっちつかずの、中途半端な存在だった。


 それらが、無性に腹立たしかった。

 平民だの貴族だの、そんなことにかまけていることが馬鹿馬鹿しかった。それならば、誰にも何も言わせないぐらい強くなってやろうと思った。

 たぶん自分は、とても負けず嫌いなのだと思う。

 けれどそのせいか、いつしか気持ちは周囲の軋轢から歪んでいって、周囲を見返してやるという目的にすり替わっていた。

 そんな意地を持ったまま走り続けて、気づけば『近衛騎士』という立場に手が届くところまで来ていた。

 ただ現状、近衛騎士は王と第一皇子の為にあると言ってもいい。

 近衛騎士になることを最終目標に掲げてはいたけれど、どうしても王や第一皇子に仕えたいわけではなかった。

 実のところ第一皇子派でも、第二皇子派でも、どちらでもない。はっきりいえば、どうでもよかったのだ。

 このときには、自分が本当は何のために強くなりたかったのかも忘れていた。


 ──アルフェンルート殿下に会ったのは、そんな時だ。


 有力貴族の子息に近衛騎士になることを妬まれて、理不尽な仕打ちを受けていたあの時。

 指示されたことを出来ないと言えば、昇格に不利になることを上層部に言われて取り消されかねない。

 ここまで来たら最後まで完全にやりとおしてやるという、意地で動いているようなものだった。

 けれど熱で朦朧とする頭の片隅では、冷静に「なんでここまでしているんだろう」という気持ちもあった。

 たとえ近衛騎士になっても、王宮の気質は何も変わらないのだろうとわかっていた。

 それに近衛騎士は高位爵位の子息が占める。そんな中に自分のような存在が入れば浮くだけだ。今まで以上に軽んじられ、風当りが強くなる可能性の方が高い。

 更に一部の仲良くやっている平民の同僚との間にも、溝が出来るかもしれない。

 そう考えて、辟易して、もういいかと諦めかけた。

 そのときだった。


 なんの縁もない自分を、当然のように庇う細い背中に出会った。


 それまで王宮に本当にいるのかどうかすら疑われていたものの、近頃、医務室で姿を見かけるようになった第二皇子。

 いつも澄ました顔をしていて、滅多に人と目を合わせることもない。よほどのことがない限り、他人に興味を示さない変わり者。

 そんな人が率先して自分を助け、かつ庇ってくれたことには素直に驚いた。

 突っかかってきた上官は有力貴族の馬鹿息子とはいえ、この先王宮で王族として立つアルフェンルート殿下にとっては、迎合しておいた方がいい相手だった。

 少なくとも、何の益もない自分を庇う必要はどこにもない。

 それなのに躊躇いもなく、自分を庇って相手の前に立ちはだかった。

 単純に、相手が誰かわかっていなかっただけかもしれない。けれど、わかっていたとしてもアルフェンルート殿下は庇ったのだろうと思う。

 この人は自分の為に、人を売ったりはしない。

 弱者を見捨てたりもしない。

 見知らぬ誰かのために、仲が良くないはずの第一皇子にも頭も下げて力を借りようとする。

 手が足りなければ、自分も動いて助けようとしてくれる。

 理不尽を強いる者があると知れば呆れ、怒り、守ろうとしてくれる。


(……この人がいい)


 仕えるなら、こういう人がいいと思った。

 王族としては、甘いのだろう。それではやっていけないこともきっとある。

 それでも持っている力を、分け隔てなく出来るだけ守るために使ってくれようとする人なのだろうと、そう思えた。

 ただ、その力を持つ本人自体は、ひどく弱くて脆い。

 それならば自分が、この方自身を守りたいと思った。

 自分の両手では、一人しか守れない。けれどこの方を守ることで、結果として守られるものはきっともっと他にたくさんある。

 そう思えたから、仕えるのなら、この方がいいと思った。

 命を救ってくれたことにも勿論恩はあったけれど、そういう理由だけではなく。


 自分が何のために強くなりたかったのかを思い出させてくれた、この方がいいと思った。



  *


 だから後日、王に呼ばれた時に、内示を受けていた近衛騎士への昇進は断るつもりでいた。

 近衛になるということは、第一皇子を支持するということだ。そちらに付けば、アルフェンルート殿下と袂を分かつことになる。

 便宜上とはいえアルフェンルート殿下の騎士に任じられたのに、みすみすその立場を手放す気にはなれない。

 仕えるべきはあの方なのだと、既に心に決めていた。


「詳細はクライブから聞いている。アルフェンルートの騎士に任じられたそうだが」

「はっ。身命を賭して、お守りさせていただきます」


 だからこそ王に話しかけられた際に、はっきりとそう答えた。

 あの方以外に仕える気はないのだと、言外に告げたことは伝わっただろう。

 これでもう自分は近衛騎士になることはないのだと、疑ってもいなかった。


「そうか。自ら進んでやってくれるというのなら、私としても都合がいい」


 それ故に王にそう言われ、立ち上がった彼から剣を差し出されたことに心底驚いて目を剥いた。


「ラッセル・グレイ。貴殿をアルフェンルートの近衛騎士に任ずる」


 近衛騎士に昇格した上で、尚且つアルフェンルート殿下の護衛を任じられるなど考えられなかった。

 何か裏があるとしか思えない。


「それは、私にアルフェンルート殿下の監視をせよ、と仰られているのですか」


 思わず無礼にもそう訊いてしまった程には動揺していた。

 それぐらい、王が第二皇子であるアルフェンルート殿下を冷遇しているのは、周知の事実だったのだ。

 だがもしそういうつもりだとしたら、冗談ではない。

 いったいどういうつもりなのかと訝しむ私の前で、王は一瞬だけ目を見開き、滅多に動かさない顔を微かに面白そうに笑ませたように見えた。


「いや、それには及ばない。アレ自身はおとなしいものだ」


 そして驚いたことに、あっさりと否定された。


「それより少々アレの周りが騒がしくなる可能性がある。他意なくアルフェを護れる者が必要なのだ。その様子を見るに、ラッセルならば適任だろう」


 そう言うと、淡い空色の瞳が心の底まで見透かすように自分を見据える。

 任じてはいるものの、「どうする?」と問われているように感じた。

 騒がしくなる可能性があるという以上、相応の危険は伴うということだ。水面下では何かが起こっているのかもしれない。

 だが自分には知る由もなく、どちらにしろ自分が為すべきことは変わらない。

 むしろただ守ればいいのだというのならば、辞退するという選択肢はなかった。


「その任、謹んで承ります」


 深々と首を垂れ、剣を受け取った。



   *


 ──そうして晴れてアルフェンルート殿下の近衛騎士を拝命したものの、まさか皇女であるとは夢にも思っていなかった。


 当然ながら少年だと疑っていなかったし、その容姿は中性的とはいえ、少女らしさを感じたことはなかった。

 だがその裸を見てしまえば、疑うべくもなかった。

 華奢な骨格で、控えめとはいえ胸の膨らみもある。

 その姿を見た瞬間、騙されていたという驚愕より、皇女の肌を見てしまったという罪の意識の方が凌駕した。

 勿論驚きはしたものの、皇子だろうと皇女だろうと、仕える気持ちに変わりはない。

 その本質を敬愛しているわけだから、どちらであっても自分の意志は揺るがない。

 そう命懸けで訴えれば、近頃ようやく信用していただけたように思う。

 現状、その細い肩にそこまで重いものを抱えているのならば、余計にお守りしなければならないという気持ちが増しただけである。

 ここしばらく生活する様子を見ていれば、余計にその気持ちは増した。


(アルフェンルート殿下はどうにも無防備でいらっしゃる)


 一応、それでも本人は気を張っている。

 事前に王からは、人見知りが激しいとは聞いていた。特に擦り寄ろうとする者は徹底的に避ける傾向にある。

 その秘密を知れば、その行動も当然といえる。自分も最初の頃は事あるごとに護衛を辞退しろと言われたものだ。

 しかしながら困ったことに、アルフェンルート殿下は基本的に人が良い。

 それは長所でもあり、自分もそれに救われた立場だからあまり強くは言えないが、本人の立場を考えると困った部分でもある。

 自分でも一応わかってはいるようだが、困っている人を見ると咄嗟に見捨てきれないらしく、手を差し出してしまう。

 正に、今のように。


「何かお探しですか?」


 図書室に足を踏み入れるなり、困惑した顔でうろうろとしている人の姿を見かねて、溜息を吐いてからそう話しかけた。

 弾かれたように振り返った相手は、救いの主が現れたと言わんばかりに顔を輝かせた。


「お手を煩わせて申し訳ありません、アルフェンルート殿下。私は服飾を担当をしております」

「挨拶は結構です。要件をお願いします」

「はい。王が式典で着用される御衣裳の、発注履歴が記されている本を探しているのです。ボタンの一つが欠けてしまいまして、修理しようにも特殊な細工で王都では対応できないのです。ここ3年の履歴にはなかったのでそれ以前だと思うのですが、生産元を確認出来る資料があれば助かります」


 相手が名乗るのを遮って簡潔に尋ねるアルフェンルート殿下の素っ気なさにも、相手は嫌な顔をしない。それどころか、丁寧に詳細を告げる。

 しかし成人前の皇子相手に随分無茶な注文をすると思ったものの、アルフェンルート殿下は「それならこちらです」と言って歩き出してしまうから驚かされた。

 いくつか並ぶ本棚の間を歩いていき、「服飾関係はこの棚ですが」と手で示す。

 それだけに留まらず、その内の何冊かを手に取り、パラパラと頁を捲って中を確認してから「この辺りだと思います」と差し出した。

 差し出された相手は目を瞠って受け取り、手早く中を確認すると安堵の息を吐いた。


「こちらで問題なく処理できます。おかげで助かりました。感謝致します、アルフェンルート殿下」


 アルフェンルート殿下が長々とした挨拶や過剰な礼は好まれないというのは暗黙の了解事項なのか、相手は深く頭を下げると足早に去っていった。

 それを見送ってから、ゆっくりと歩き出すアルフェンルート殿下に話しかける。


「殿下はここにある本の内容をすべて覚えておられるのですか?」

「そんなわけないでしょう。だいたい置いてある系統の棚を把握しているだけです。たまたま今回の本は、最近興味があって読んだから覚えていたのです」


 それだけでも十分にすごいことだと思うのに、本人にとっては大したことではないらしい。「あの人は運が良かったですね」と呑気に言う。

 なぜ王族であるこの方が服飾に興味を持ったのかも気になるが、それはそれとして、注意しなければならないことがある。


「いつもお一人でこんなことをされていたのですか? 危ないではありませんか」


 自分が護衛に付く前は、一人で図書室を徘徊していたという。

 今更言ったところで遅いものの、苦言を呈せば小首を傾げられた。


「ここに入れるのは大抵高位の方ですし、そういう方が自分の地位を脅かすような行動をすることは早々ないでしょう?」


 考えすぎでは? と言いたげな反応をする。

 確かにそうではあるのだが、と頭を抱えたくなる。

 しっかりしているように見えて、時折王族の子供らしい育ちの良さのせいかマイペースな部分がある。

 それに加えて、女性であればもっと異性に対して警戒心を持つものだと思うけれど、男として育てられたからかその辺りの認識がかなり緩い。

 これが本当に男だったとしても、アルフェンルート殿下ほど整った容姿をしていれば注意していただきたいところだ。

 人気のない場所で二人きりという状況になれば、魔が差す人間が出てこないとも限らない。


(私の場合は殿下に懸想するなどというおこがましい真似、恐れ多くて考えもしないとはいえ)


 あくまで敬愛する主であり、半ば崇拝に近いものがあるのでその手の問題が出ることはない。だが当然ながら、自分のような考えの者ばかりではない。

 実は皇女であるということを差し引いても、もう少し自分というものをご理解いただきたい。


「害するという意味ばかりでなく、殿下に懸想してよからぬことをする者がいないとは限らないと言いたいのです」


 そう忠告すれば、深い青色の目を真ん丸く見開いて、ぽかんと間抜けな顔をした。

 けれどすぐに苦笑される。


「それはありえないでしょう。ラッセルは心配しすぎです。こんな子供相手に、何がどうなるというのですか」

「そういう子供が好きな方もいないわけではありません。さすがに殿下とわかっていて不埒な真似をする輩がいるとは思いませんが、万が一ということもあります」

「……」


 怖い顔を作っていえば、ふと遠い目をされた。

 徐々に口をへの字に曲げていき、「……心に留めておきます」と神妙に頷かれてしまう。

 その反応を見るに、身に覚えでもあったのだろうかと訝しむ気持ちが湧いてくる。

 それに気づいたのか、バツが悪そうな表情になって慌てて首を横に振られた。


「大丈夫です。私だってちゃんと人は見ています。厄介な人は……」


 そう言いかけて、ふと口を噤む。

 誰かが部屋に入ってくる足音が耳に届き、やけにうるさい音の方へと意識を向けかけたところで自分の袖が引かれた。

 そちらに目を向ければ、アルフェンルート殿下が顔を顰めて「静かに」と告げる代わりに立てた人差し指を唇に添えていた。

 袖を引かれるまま、入ってきた人物を避けて背よりも高い本棚の間を足音を殺して移動していく。

 そして入ってきた足音の主と顔を合わせることなく、図書室の扉からそっと外へ出た。

 どうやら今日はこのまま医務室行きに変更するのか、その足で中庭へと降りていく。

 澄ました顔でしばらく歩いていたアルフェンルート殿下は、人気のないところまで来ると自分を仰ぎ見た。


「こうやって、ちゃんと避けてますから」


 どうだ、と言わんばかりの表情に思わず苦笑いしてしまう。


「足音でわかるのですか? でも集中されている時は音に気づかれないでしょう」

「嫌な人の足音なら、集中していても気づきます。気配を殺して寄って来られると無理ですけど。……クライブとか」


 クライブ、と口にした時にアルフェンルート殿下の顔が僅かに顰められた。


「彼の場合は、確かに難しいでしょうね。でも仲はよろしいのでしょう?」


 あの後、色々と説明を受けて、実のところ第一皇子のシークヴァルド殿下とは仲が良いのだと教えてもらった。

 そうなると自然と、シークヴァルド殿下の乳兄弟で側近の近衛騎士であるクライブとも仲が良いことになるはずだ。

 実際、クライブはよく医務室にいるアルフェンルート殿下に声を掛けている。

 監視という名目だから特に誰も疑問に思わないようだが、アルフェンルート殿下をよく知るこちらから見れば、普通に会話をしている時点で彼をかなり認められているのだろうと感じる。


「仲は……良い、といえばいいのかもしれませんが。よくしてもらってはいる、のだとは思いますけど」


 だからこそ、アルフェンルート殿下が苦い顔で歯切れ悪く言うのは意外だった。

 その立場的に、あまり接近しすぎるのはよくない相手ではある。

 けれど先日、クライブが自分にかけた言葉を思い返す限りでは、彼はアルフェンルート殿下に対して好意を抱いている。

 アルフェンルート殿下の秘密を知ってしまってまだ数日という頃に、近衛専用の宿舎でクライブに呼び止められたことがあった。

 あのときのことを思い出す限りでは、それは間違いない。




『──近頃アルフェンルート殿下のお顔の色が思わしくないようですが、何か問題でもありましたか』


 言外に、お前が来たせいではないのか、と言われているように感じた。

 実際、そう言いたかったのだろう。

 自分より年下とはいえ、第一皇子の乳兄弟である彼は自分よりも遥かに経験を積んでいる。

 ましてや、内密に処理されているらしいとはいえ、第二皇子派からの暗殺は度々受けているという。そう考えると、踏んできた場数は自分とは比べ物にならないのだろう。

 一見すると優しげな風貌であるけれど、真っ向から対峙すれば相応の貫禄を感じた。

 柔らかい口調でありながら、僅かに笑んで細めれらた緑の瞳はひどく冷たい。

 ……正直に言えば、その眼差しにはゾッとした。


『近頃急に暑くなりましたから、暑気あたりだと仰られていました。氷を頼まれていましたので、そちらが届けば改善されるかと思います。ご心配をおかけしました』


 あの時は、笑顔を作ってそう受け流した。

 しかしその後でもしアルフェンルート殿下の顔色が改善されなければ、自分は排除されていたのではないかと今でも思える──。




「アルフェンルート殿下は、もしかして彼が苦手なのですか?」


 あの時のことを思い返してみれば、向こうは随分と心を砕いているように思えた。

 しかし、アルフェンルート殿下はそれを理解しているように見えない。

 見てきた限りでは、クライブが自分に向けたような目をアルフェンルート殿下に向けることはない。むしろ優しい。

 本来の少女という性別から考えれば、彼にそんな風に見つめられれば、もっと微笑ましい感情を抱いていてもよさそうなのに。

 だがアルフェンルート殿下は悩ましげな顔をしたままだ。


「苦手、といいますか。何を考えているのかわからないので……特に話すこともないのに毎回話しかけられても対応に困ります」


 途方に暮れたように呟き、長々と溜息を吐き出す。

 好意が全く伝わっていないように見えて、さすがに少し気の毒になってきた。


「でもあの方は殿下のことがお好きですよね」

「はっ!?」


 何気なくそう口にすれば、斜め前を歩いていた殿下が素っ頓狂な声を上げて振り返った。

 その拍子に、運悪くたまたま2段しかない階段に足が掛かっていたところだったので、足を踏み外して細い体が傾ぐ。


「殿下!」


 体勢を崩して倒れかけたのを見て、慌てて腕を掴んで引き寄せた。


「ちゃんと足元は見て歩いてください!」

「ラッセルが恐ろしいことを言うからでしょうっ」

「恐ろしいって……好意を抱かれているのならよろしいことではありませんか」

「いやでも、クライブですよ? あのクライブに好かれても……ちょっと」

 

 あのクライブ、と言わしめるだけの何かをされたのだろうか。

 普通に親愛の情のつもりで言ったつもりだけれど、少し赤くなった顔は違う意味に捉えているように見える。

 もしかして、男から好意を寄せられるのが不快なのだろうか。

 男として育てられたのなら、女性が恋愛対象になっていてもおかしくはないと思い至る。


「念のためにお尋ねしますが、殿下の恋愛対象は異性ですか?」


 思い立ったことを声を潜めて尋ねると、不思議そうに目を瞬かせた後で「一応は」と頷かれた。

 ということは、男から好意を寄せられることは許容範囲のはずだ。立場上受け入れるのは難しいとはいえ、そこまでクライブを警戒する理由がわからない。

 いや、確かに立場を考えれば好きになるのも、なられるのも厳しい相手ではある。

 とはいえアルフェンルート殿下の反応を見るに、恋をしている、という感じでもない。

 むしろ逆。単純に、彼が嫌いなだけなのだろうか。


「そもそも、私は元々あまり自分の恋愛には興味がないのですが……」


 そう独り言ちて、アルフェンルート殿下は渋い顔をした。

 暫し躊躇った後、「ちょっと耳を貸してください」と小さく手招きをされる。


「ちょっと訊きたいのですが、もしかしてクライブは、男の人が好きだったりしますか?」

「!?」


 引き寄せた体勢のままなので元々距離は近いが、言われるままに耳を傾ければとんでもない内緒話をされてしまった。

 愕然として息を呑み、けれどすぐに我に返って首を傾げる。


「そういう話は聞いたことがありません。なぜそんなことを考えられたのですか」

「クライブはやたら私との距離が近いので……そういう可能性もあるのかと思って」

「それは単に、殿下限定だと思いますよ。たまにご令嬢に話しかけられているのを見ますが、にこやかに応対されていますから。殿下が考えていらっしゃるようなことはないかと」


 一応、彼の名誉のためにそう弁解しておけば、殿下の表情がすっと無表情になった。


「……そうですか。やっぱり女たらしなのですね」


(おや?)


 好かれても困ると言っていた割に、見るからに面白くなさそうな様子になったことに驚いた。

 苦い顔をしていた時よりもずっと、今の方が拒絶している印象を受ける。


「殿下、どこでそんな言葉を覚えてらっしゃるのですか。少なくともそこまでではないと思いますよ?」

「そうですか。どちらにしろ私には関係ないことでした」


 それ以上は聞く気にならないのか、ふいと顔を逸らし、階段を下りて行ってしまう。

 クライブには何の義理もないものの、自分の失言のせいでアルフェンルート殿下との仲が悪くなっても困る。

 弁明するために慌てて手を伸ばして引き留めようとして、ふと視線を感じて顔を上げた。

 そしてその視線の主を視界に認めて、反射的にぎくりと体が竦む。


「!」


 目前に控えた訓練広場から、クライブが何の感情も窺えない顔でこちらを見つめていた。視線が合う前に目は逸らされたものの、表情がなかったことが何よりも恐ろしい。

 基本的に彼は、対外的にはいつも穏やかに微笑んでいる。

 けれど自分を見る顔には、それが、なかった。


「ラッセル? 置いてきますよ」

「アルフェンルート殿下」

「はい?」


 固まっている自分を振り返り、少し先を歩いて行っていたアルフェンルート殿下が不思議そうな顔をして足を止める。

 こうしてみる限り、整った顔はしていてもアルフェンルート殿下が少女に見えることはない。

 細い体は頼りなく、一部の者は庇護欲はそそられるだろう。だがやはり、お姫様には見えない。

 癖のない金の髪を下ろしている姿を見ればまた少し印象は変わるが、今のように後ろで一つに結んでいると少女らしい愛らしさを感じることはない。

 それでも。


(もしかしたら、彼は)


 この方が皇女だと気づいているわけではないだろう。

 もしわかっているとしたら、その立場上黙っていられるとは思わない。

 けれど。


(この方のことを、そういう意味で好きなのかもしれない)


 それはただの勘だ。

 けれどアルフェンルート殿下を見る目を思い出せば、彼女の困惑と警戒を考えれば、あながち外れてもいない気がする。

 けれどいっそそれならそれで、都合がいいとも思う。

 彼の立場上、秘密がバレてしまったら黙っていられることはないだろう。

 けれど男ならば、己が立場と、好きになった女の子を天秤に掛けた時。

 あそこまで心を砕いているというのならば、もしかして最後までちゃんと彼女を守り通すのではないだろうか。

 なんてことが、ふと脳裏を過っていった。



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