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幕間 これが僕らの愛しき日々(後編)

※クライブ視点 (8/14(水)…2話更新)

(注)飲酒は自国で規定された年齢に達してからお楽しみください。


 暫く待っている間に店内は一気に人が増えてざわめきを増した。誰もこんなところに皇女がいるなどと思うはずもなく、いつもの調子で騒がしい。

 普段は静かな環境に身を置いているアルト様は怯えるのではないかと思っていたが、慄く様子は見せなかった。どころか「どこも似たようなものですね」と呟くのが聞こえた。目を細めて周囲を伺う表情は、なぜか懐かしんでいるようにも見える。

 王都で生活していた際、昼間の大衆食堂に入った時のことでも思い出しているのだろうか。

 そんなことを考えていたところに、店員が今日のおすすめだという皿と麦酒を二つ持ってきた。ひとつはニコラスが受け取る。

 そしてもうひとつには、アルト様が満面の笑みで手を伸ばした。

 ……予想はしていたが、僕の考え過ぎであってほしかった。


「何をなさろうとしているのですか! お酒ですよ!?」


 アルト様の両手が木製のゴブレットを包むのとほぼ同時に、僕の手も咄嗟にそれを掴んで止めた。

 しかし焦って声を荒げた僕にもアルト様は怯まなかった。止める手を見て、恨みがましげな眼差しを向けてくる。


「私は今日、この国において飲酒の許される年になりました。何の問題もありません」


 手は離されない。それどころか奪われてなるものかと言わんばかりに力が入る。絶対に譲らない、という強い意志を感じてしまう。

 正式な成人の儀は年が明けてからではあるが、規定としては誕生日を迎えれば成人として認められる。だからアルト様の言う通り、問題はない。僕もシークも、誕生日に親から大人になった祝いだと酒を振る舞われた覚えもある。

 しかし、しかしである。

 いいのか? 皇女が、こんな場所で飲酒なんて許されるのか? シークが知ったら頭を抱えるんじゃないのか。陛下はここまで許したのか?

 ……駄目だ。想像してみたら、あの人たちは「規定に反していないのだから問題ない」と言いそうだ。単に僕の頭が固いのか? 視界の端ではニコラスが呆れた目で僕を見ている。


「クライブ。私は今日この時を、これまでずっと夢見てきたのです」


 僕だけが悶々とする中、アルト様はゴブレットを掴んだまま言い聞かせるように告げた。

 けして強い口調ではなかった。けれどその言葉は深い意味を持ってジワリと僕の胸に染み込んでいく。掴んでいた僕の手の力が僅かに怯んだ。


 ――アルト様が生まれてからの14年間。

 明日を迎えられるかどうかもわからない。そんな不安と恐怖と絶望の中で足掻いてきたことは想像に難くない。

 ふとした拍子に死の気配を纏わせていた時のことを、僕もよく覚えている。時折遠い目をする青い瞳に映る未来は、途方もない夢物語に見えていたようだった。

 ここに至るまでに彼女がどれほど足掻き、傷つき、犠牲を払ったか。諦めまいと、必死にもがいてきたのか。

 その様に心を打たれた人達が手を差し伸べて、ここへと繋いだ。

 それはきっと、どれか一つでも欠けていれば得られなかった現在だ。けして綺麗なものだけではない努力と、複雑に絡んだ愛情で形作られている。

 だからこそアルト様にとって今ここに存在すること、きっとそれこそが奇跡と呼べる。

 成人を迎えた日に祝杯をあげるという行為が、『夢』だったと言うほどに。


 そう思えば、そんなささやかな夢が叶うのを止める自分の方が無粋だ。

 ただ、なぜよりによって祝杯を上げるのにこんな大衆居酒屋を選んだのか、とは思ってしまう。でもきっとこれもアルト様なりに何かがあるのかもしれない。わざわざ今日という日に、男装までしてきたぐらいなのだから。

 そこまで考えて、諦めが滲んだ。止めていた手をゆっくりと離す。


「飲み過ぎては駄目ですからね」

「もちろん一杯だけです。お酒の匂いをさせて帰ったりしたら、メリッサに叱られてしまいます」


 アルト様は自分の前にゴブレットを引き寄せ、嬉しそうに顔を綻ばせた。嬉々としてゴブレットを掲げて、乾杯を強請る。

 ニコラスも、僕も酒ではないがゴブレットを掲げた。「乾杯!」とアルト様が弾んだ声を上げる。


「はっぴーばーすでーとぅ、みー」


 ゴブレットを口元まで引き寄せ、酒を口にする前にアルト様が小さく歌うように呟いた。

 言葉の意味は僕にはわからなかった。ニコラスも不思議そうな顔をしている。アルト様だけが知る、どこか異国のまじないの言葉だったのかもしれない。

 今日という日を寿ぐような。

 生まれてきたことを、誇るような。

 その音はとても優しく耳を擽っていった。



   *


 店の外に出るとすっかり空の色は濃紺に変わり、小さな星々が零れ落ちんばかりに広がっていた。城へと続く道には等間隔に蓄光石の街燈が立っているので、月と星明かりも手伝ってそこまで暗くは感じない。

 馬に向かっていくアルト様の足取りは、いつもに比べるとふわふわして見える。おぼつかないとまではいかないが、夢見心地と言いたげな足取りである。


「大丈夫ですか」

「大丈夫です。まさか、たったあれだけで酔うなんて……こんなはずではありませんでした。私はお酒に強いはずだったのに……っ」


 僕の手に支えられながら、アルト様が頬を上気させて心底悔しそうにぼやく。時々この方はこういう根拠のない自信を持っているから困る。

 半分も飲まない内に「あつい」と呟いて真っ赤になってしまったので、さすがに慌てて取り上げた。これに関しては僕は責められる立場にないだろう。

 それからずっとアルト様は釈然としないと言いたげだった。取り上げた僕に文句を言いたいわけではなく、自分の体質に納得がいかないらしい。


「陛下もとても弱いですから、そちらの血を受け継がれたのでしょう」

「嘘でしょう……? お酒に強そうな顔をされているではありませんか」

「以前も言いましたが、味覚や体質に顔は関係ありませんからね?」


 説明しても、不満、と顔に書いてある。ここまで素直に感情を出すあたり、やはり酔っていると思う。


「やっぱり馬車を呼びましょうか?」

「大丈夫です。見た目ほど酔ってはいません」


 話す内容はともかく答える声はしっかりしている。目元は朱を刷いて潤んではいるが、目線は揺らぐことなく真っ直ぐに僕を見つめた。

 潤んだ瞳で見つめられると誘われているようで心臓に悪い。しかしながら、今は少し離れたところからニコラスが護衛で付いてきている。おかげで下手なことが出来ないのが残念ではある。ニコラスなら、見ないフリぐらいしてくれそうではあるけれど。

 アルト様をまず先に馬に乗せ、その後ろに乗ってアルト様の腰に腕を回した。

 酔っていないと言っていたけれど、けだるさはあるのか素直に僕の胸に背を預けた。常ならばありえない甘えっぷりだ。


(可愛い)


 そんな場合じゃないと思うけれど。おかげで緩みそうになる顔を引き締めるのに必死だ。いつもこうならいいのに。

 いや、それだと僕の理性が持たない。ちょっと澄ました態度で僕の期待を躱すぐらいがちょうどいいのだと思い直す。


「ゆっくり行きますが、体調が悪くなったら仰ってください」


 念の為に声を掛けてから、ゆっくり馬を歩かせる。体に響く振動が心地よいのか、しばらくしてから不意にアルト様が小さく笑った。


「そういえば、以前もこんなことがありました」


 懐かしむように、アルト様が囁くような声で話す。


「初めてクライブの馬に乗せてもらった時も、こんな風でした。でも、あの時は気づかれたら殺されるんじゃないかって、気が気ではなくて」

「……申し訳ありませんでした」

「責めているわけではないです。それだけのことを私もしていたわけですから」


 思い返してみればとんでもない話のはずなのに、酔っているせいかアルト様は穏やかに語る。

 ドレス姿だと横座りになるので、馬に跨っている状態での二人乗りは確かにあの時以来だ。触れる場所からいつもより少し速く跳ねる心音が伝わってしまいそう。

 思えば、あの日もそうだった。

 しかし凭せ掛けられた体はあの頃より成長したように感じられる。細いのは相変わらずだが、少し丸みを帯びて柔らかさを増したように思う。

 今もこういう姿をするとまだ少年に見えてしまうけれど、こうして腕の中に包み込めば紛れもなく女性なのだと実感する。


「こんな日が来るなんて、あの頃は考えもしませんでした。夢みたいです」


 酔いが饒舌にさせるのか、珍しくアルト様が胸の内を零す。


「……時々、私がこんなに幸せになってもいいのか、と思うことはあります」


 静かな声が切なげな音を帯びて鼓膜を震わせた。


「いいに決まっているではありませんか」


 迷いを見せる声に即座に切り返し、反射的に腰に回していた手にぐっと力を込めた。

 ここに引き留めるように、強く。

 普段は見せないだけで、きっとその心の中には傷は残っている。衣服に隠された肩に残っている傷のように、いつかは薄くなっていくことはあるかもしれないが、生涯消えることはないのだろう。

 けれど彼女がここに至るまでに抗うことで抱えた傷もひっくるめて、愛おしいと思う。


「僕はあなたと幸せになりたいです」


 うまい言葉は言えない。彼女がここにいることを、万人が正しいと言うわけじゃないともわかっている。

 だから僕に言える言葉は、身勝手な願いだけ。

 他の人間がどう思おうと、僕が、あなたと幸せになりたい。

 肩越しに僕を振り仰いだアルト様は目を真ん丸く見開いた。まじまじと僕を見たあと眉尻を下げて目を細めると、「はい」と頷いて笑顔を見せてくれた。




 城に辿り着き、馬から下りようとしたところで「あれ……っ」とアルト様が狼狽えた声を上げた。


「どうされました?」

「紐がボタンに絡んでしまいました?」


 言われた通り、確認すると僕の上着のボタンに後ろで一つに髪を結んでいた紐が引っかかってしまっている。

 外してあげようとしたが、手元が暗くてうまくいかない。アルト様は解くのは早々に諦めたのか、手を伸ばして紐を引いた。するりと紐は解けて、癖のない金髪がさらりと肩を覆う。

 偽っていた頃は肩までだった髪は、今は背の半ばに届きそうなほど伸びた。男装していても、髪を解いて下ろしてしまえばちゃんと女性に見える。

 馬から降りると、アルト様は髪を結んでいた跡が付いてしまっていることが気になるのか手で伸ばしていた。

 その仕草を見て、ふと思いついた。


「こちらをどうぞ」


 ポケットから取り出した物をアルト様に差し出す。

 本当は今日、顔を見てすぐに渡すつもりが、男装なんかしてくるので渡しそびれてしまっていたものだ。

 街燈の光を反射して、連なった光沢のある白い粒が仄かに輝く。髪を纏める小さな装飾品は今こそ役立つ時だろう。


「髪飾りですか?」

「誕生日のお祝いです。受け取ってください」

「! ありがとう」


 予想していなかったのか、驚きに目を瞠る。それでも反射的にお礼を口にするところが、アルト様らしくてちょっと笑ってしまった。


「きれい……」


 差し出されたそれを手に取って感嘆の息を漏らす。あまり装飾品に執着されない方なので心配だったが、目を瞬かせて嬉しそうに眺めている姿を見て胸を撫で下ろす。

 今も過度に女性らしく装うことに抵抗を覚えるようだけど、髪飾りに喜ぶ姿は紛れもなく女の子だ。引け目があるだけで、装うことが嫌なわけではないのかもしれない。

 僕の前でアルト様は手櫛で髪を纏めると、さっそく髪留めを通す。くるりと僕の前で回ってみせる様はとても軽やかだ。


「どうですか? 似合いますか?」


 嬉しそうに口元を綻ばせ、それでも瞳は少し不安そうに僕を伺う。

 明るい金の髪には、光沢のある柔らかい輝きの真珠は思った通りよく似合う。


「とても可愛いです」


 笑顔で頷いてみせれば、アルト様が息を詰まらせた。

 酔いが残っているせいだけでなく頬を赤らめ、挙動不審に目を泳がせる。素直に愛でられることに慣れておらず、こうして狼狽える様すら可愛いと思う。

 だからつい、欲が出ても仕方ないことだ。


「ところでアルト様、キスしてもいいですか?」


 問いかけながらも、返事をもらうより早くやんわりと腕を引いた。細い体を腕の中に閉じ込めてしまう。抵抗されることはなかったが、アルト様はいちいち確認されたことが恥ずかしいのか恨めしげに僕を見た。しかし赤く色づいた目元では迫力がない。

 小首を傾げて返事を強請れば、不意にアルト様が唇を引き結んだ。次の瞬間には、両手が僕の胸倉を掴む。


「!?」


 えっ、と思う間もなく引き寄せられた。

 屈む形になった僕の唇に、背伸びしたアルト様の柔らかい唇が強く押し付けられる。

 押し付けるだけの拙いキスだけど、心音が一気に加速した。触れた場所から伝わる熱が胸の奥を甘く疼かせる。


(ほんとに、この方は!)


 こうやって予想外のことをしては、僕を驚かせるのだから。

 おかげで僕はいつも振り回されてばかり。いつまで経っても目が離せなくて、困った人だと思うことも多々ある。

 だけどそんな彼女と過ごす日々が、愛しくて堪らないのだ。


(きっとこういうのを、愛してるって言うんだ)





次回、終幕。


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