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1 やってやんぞ!

 ダン、ダン、ダン……


ボールを床に突く規則正しい低音が無人の体育館に響いている。

六月某日。五月の関東大会予選が終わり、まもなく夏のインハイ予選が始まる……そんな時期。


早朝の高校の体育館はまだ無人。

誰にも邪魔されること無くコート内を駆けられる爽快感が好きで、俺、五十嵐いがらし 北斗ほくとは、毎朝バスケ部の朝練開始30分前に来ては、このようにボールと遊んでしまうのが日課だった。


と、そこへ。


「おはよ、五十嵐いがらし


突然声を掛けられた俺は、びっくりして動きを止め、反射的に愛想の良い敬語で挨拶を返した。


「おはようございまーす!……って、なーんだ。井上いのうえかよ」

「人の顔見てがっかり感だすな。失礼だろ」


 声の正体が同じバスケ部員の一年生であった事を認識した俺はホッと安堵し、体育館の入口に向けていた視線を手元に戻した。手に持っていたバスケットボールをダン!と弾ませる。


「いや、がっかりした訳じゃ無くて。先輩かな!? って身構えたらお前だったから、拍子抜けしただけ」


 俺は弾ませたボールをキャッチしつつ、そのまま腰を落としてドリブルを再開する。

 でも同じ一年生のこいつが来たってことは、そろそろ遊ぶのを止めて、モップをかけ始めなきゃいけない時間ってことだよな。うし! そんじゃ、ラスト!


 俺はダムダムとボールを突きながら視線を前方斜め上のリングに定めると、そちらに向かってスピードを上げた。ゴール手前でキュッ、と止まりながらボールを構えて膝を曲げ、そこから軽く跳躍しつつ腕を頭上に持ってきて放つ……と、思ったら。


 バシィッ!


 いつの間にか前方に現れていた井上に、放った直後のボールを頭上から叩き落とされた。


「はあ!? お前、最後にシュート決めて気持ち良く終わろうとしている俺の癒しの時間に何してくれてんだよっ」

「……だと、思って。わざとだよ? ゴメンネ?」


 井上はニコリと清々しい笑みを浮かべた。

 カッチーーン。

 俺はすっ、と目を細めた。


 井上いのうえ りく

 ここ、私立S大付属高校男子バスケ部の、俺と同じ一年生だ。身長177センチ。すらりと伸びた長い手足は運動部男子らしく引き締まっている。茶色がかった柔らかそうな髪を所々跳ねさせ、愛想の良さげな垂れ目がちの瞳がチャームポイントのイケメンだ。


 中学では、チームの司令塔であるポイントガードでスタメンを務めていたらしい。確かに相手の動きを読むことや、全体をよく見ることに長けた頭の良い奴だ。右手左手のボールハンドリングも器用で上手い。


 つまり、である。

 身長高め。イケメン。バスケ上手い。頭良い。器用。よって結構モテる、という寸法……まさか世の中舐めたりしてませんよね? 友人の朝の密かな楽しみにわざとチャチャ入れて面白がったりしてませんよね? 俺のことわざといじってませんよね? ……と、時々確認したくなるような曲者くせもの、なのだ!


 俺は先程こいつに叩き落とされてテンテンテン……と転がっていたボールに向かって黙々と歩みを進めた。床に転がっていたボールを静かに拾い上げ、一回「ふっ」と苦笑すると。


「…………上等だゴルァ!」


 そう啖呵をきって井上に向かってドリブルを開始した!

 やってやんぞ!

 俺は挑むような鋭い視線で井上の双眸を捕らえた。


 井上は俺の視線を受け止めると瞳の中に面白がるような光を浮かべ、ペロッと唇の端を舐めた。そして俺の行く手を阻むべく両腕を上げて腰を落とし、構える。


 ハイ、始まっちゃいましたね、1on1!

 このままこいつを抜いて、シュートを決めたら俺の勝ち。こいつが俺からボールを奪ってシュートを決めたらこいつの勝ち、だ。俺は井上と適度な距離を保ちながら、ダムダムとボールを突き続ける。


 一撃速攻、だ。

 一発で決めなければ。体格でも体力でも井上に劣る俺は、長引けば長引く程不利なのだ。俺は瞳をキラリ、と光らせ息を止めた。

 ……行くぞ。


 キュキュッ!


 俺は素早く井上と距離を詰めながら姿勢を低くして、井上の右脇を通り抜ける! ……ふりをして急ブレーキをかけ、体を回転しながら井上の左脇を抜きにかかった。

 井上は一瞬右サイドに傾きかけた意識を直ぐに逆サイドに立て直し、俺を止めにかかる。


 この程度の振りは、こいつなら読むだろう、と思っていた俺は左脇を抜こうとしていた足をキュッと止め、再び視線をチラリと井上の右脇に向けてみせ、上半身を捻ろうとする。

 俺の視線と上半身の動きにつられて井上の意識が再び右サイドに向かおうとする……その刹那を見計らって。


 俺は視線を井上の右脇に向けたまま、捻ろうとしていた上半身をピタリと止め、腰を落とし。

 低姿勢で一気に加速して、井上の左脇を抜き去ろうとした。


 意表を突かれた井上は、思わず俺の肩をガッシと掴んだ。ファールである。


「わ!」


 肩を掴まれた俺は強制的な急ブレーキに耐えきれず、ドッターン! と床に倒れてしまった。俺の肩を掴んでいた井上も、一緒に倒れてしまう。


「……痛てててて〜……」

「わりぃっ……大丈夫か!?」


 井上は俺を潰さないように咄嗟に俺の頭の両脇に手を突いて突っ張り、上から俺の顔を覗き込んでいた。本当に心配しているのだろう。珍しく慌てた表情だ。


「ダイジョブダイジョブ」


 本当はなかなか痛かったが、特に怪我などはしていないようなので、俺は井上を安心させるように、両手をヒラヒラ振ってみせた。

 井上は安堵したように、ため息をついた。


「わりぃ、五十嵐。本気で抜かれるかと思って……一瞬、お前が女だってこと、忘れた」


 ピクリ。


 俺は目を見開いた後、その言葉の意味をじわじわと把握して……ニッコリと笑った。


「お前に一瞬でも、本気出させたということか。最高のほめ言葉だな」


 笑った俺の顔をしばしの間まじまじと覗きこんでいた井上であったが、不意にハッと我に返ったようで、上体を起こして立ち上がり、俺に向かって苦笑しつつ、右手を差し出した。


「男相手にムキになりすぎ。なんつー負けず嫌いなんだ? お前は」

「よく言われます」


 俺は井上の手を遠慮なく握り返して上体を起こした。

 一瞬、小学生の時の記憶が頭をかすめた。




「よろしくな、洋海ひろみ

「よろしくね、北斗ほくと




 俺は井上の右手を握り返したまま、動きが止まってしまっていたようで。


「どうした?」

「……あ。いや、なんでもない」


 井上の呼びかけに我に返った俺は、握っていた井上の右手を引っ張り、慌てて立ち上がった。

 ヨイショ……と。

 強か打ちつけてしまった肘やら膝やらがジンジンしていたが、まあ、大したことは無い。


 俺は転がってしまっていたボールを再び拾い上げ、床に数回突いた後、すっとみぞおちに構え、視線をリングに定めた。

膝を曲げて狙いを定めるように、一瞬動きを止める。そこから軽く跳躍しつつ両腕を頭上に持ち上げて手首を返し、放物線状に放つ。


ボールは綺麗に弧を描き、パサリ、とネットの中に吸い込まれた。


「ナイッシュ」

「どうも」


 俺はゴール下に落ちてきたボールを拾い上げてそのまま倉庫の籠の中にポスンとしまい、モップを二つ手に取った。

「ほい」と片方を井上に渡し、並んでモップがけを開始する。7時から朝練開始で、現在6時50分。そろそろ他の部員のみんなもやって来始めるだろう。


 朝練開始前のモップがけは主に男子バスケ部マネージャーである俺や、一年生部員の仕事だ。一応早く来た部員から学年関係無くかけ始めるというルールだが、もし先輩がやっていれば一年生が替わるし、そもそもなんだかんだで一年生は早めに来るし。


 んでもってマネージャーの俺は先程のようにボール遊びがしたい為、大体一番乗りでやって来ているので、モップをかけそびれたことは基本無いな、うん。

 俺と並んでモップをかけながら、井上が声をかけてきた。


「五十嵐、かなり上手いな。正直驚いた」

「中学の時やってたからな」

「なんでじょバス入んなかったの?」


 俺は一瞬、答えに詰まりかけたが、何事も無かったかのように、話を続ける。


「まあ、あれだよ。自分が表に立ってプレーをするよりも、誰かが夢を追いかけている様を裏で支えたい、という……」

「すっげ嘘くさいんですけど」


 ハハハ……。俺は我ながら胡散臭い微笑みを浮かべて井上の問いをうやむやにしようとする。

 そこへちらほらと部員の皆様方が姿を現し始めた。ナイスタイミンッ!


「おはよーっす」

「おはようございまーす」


 俺は皆様に明るくご挨拶をしながら、かけ終わった井上のモップを受け取って、そそくさと二本のモップを片付けるべく倉庫へ向かった。カチャン、とモップをフックにかけてふぅ……と息をつき、空になった右手を持ち上げてじっと見つめる。


 井上の右手は、俺よりもでかくて、力強い、男子の手……だったな……

 俺は右手をギュッと握り締めて、唇を噛み締める。先程の井上の言葉を頭の中で反芻はんすうした。


「なんでじょバス入んなかったの?」


 ……なんでだろうな。

自分でもわからないが、抗いたい……のかもしれないな。ひどく自然な、何かに。でもそれを、はっきりと言葉で説明することができない。俺は昔から、論理的に説明するのが苦手で、自分が感覚的に捉えたイメージを他人に説明するのは、いつも難しかった。


 こんな時、洋海ひろみなら、俺の気持ちを上手く拾えるのかな……

 そんなことを考えてしまい、俺はうつむいて、寂しげにクスリと笑った。


 綾部あやべ 洋海ひろみ

 同じ小学校、同じ中学で、ずっと一緒に過ごしてきた、俺の幼馴染だ。


小学五年生の一学期。新しいクラスになった初日に、俺の一つ前の席に座っていたのが洋海だった。一見女の子と間違えてしまいそうな可愛い顔をした少年に、俺が見惚れてしまい、俺から思わず声を掛けてしまったのが、二人の出会いのきっかけだ。


 俺は家から電車で10分程のところにあるここ、私立S大付属高校に進学し、洋海は家から自転車で通うことのできる、公立のT高校に進学した。

 まあ、二人の成績の開きを考えると予想通りではあったが、別々の高校に進学したわけだ。


 入学してからかれこれ二ヶ月が経過したが、高校生になってからは一度も直接会えていない。やはり学校が別々になってしまうと、何か口実でも無いと会うきっかけが掴めない。ただなんとなく会う、ということは難しいのだ。


 こんなふうに、少しずつ、洋海との距離が広がってしまったら、寂しいな……


 そこまで考えて俺は、自分がすっかり暗くなってしまっていたことに気付き、いかんいかんと頭を振った。


 うし! 朝練! 集中集中!


 俺はぺしぺしと軽く両頬を叩いて気合いを入れると、ボールの入った籠を出すべくキャスターをゴロゴロと押して、再びコートに向かった。


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