忍法ファストロープ。
才蔵の残留決定から二ヶ月が経過した。
六月半ば。
じめじめと蒸し暑くなる季節。
外にはしとしとと小雨が降っていた。
「5五歩」
「ポーンな」
教室で、才蔵とリンカーンの対局が行われていた。
「どっちが勝ってるの?」
チェスに詳しくないウイングヴィレッジが尋ねた。
リンカーンとよくつるんでいる男子。
小柄だが運動神経は良く、フットボール部の部員をしている。
「俺」
リンカーンが答える。
ウイングヴィレッジは得心した様子で
「才蔵はチェス弱いからな~」
と言った。
「将棋なら負けん」
才蔵は同級生を睨んだ。
「才蔵どのは、将棋も糞弱いですが」
才蔵の後ろに居た蛍火が言った。
勝負事において、才蔵は蛍火に勝った事が無かった。
「囲碁なら負けん」
「そうですか」
「囲碁って何だ?」
リンカーンが興味深そうに尋ねた。
「囲碁と言うのは……」
わいわいと盛り上がる才蔵たちを、マリーは横目で見ていた。
(何よ。すっかりクラスに溶け込んじゃって)
(ニンジャのくせに……)
忍者である才蔵はクラスの人気者。
彼に協力した自分は一人のまま。
内心マリーは面白くなかった。
そして、その時が来た。
二日後、ホームルームの時間。
担任のフォレストマウスがとんでもない事を言い出した。
「今日のホームルームは、夏期旅行の班決めをしてもらう」
「好きな奴同士、五、六人で班を作ってくれ」
マリーの頬を嫌な汗が伝った。
「す……」
「好きな奴って……?」
マリースチュアートは自らの才気であらゆる困難を切り抜けてきた。
そんなマリーの前に、人生最大とも言える難局が襲いかかろうとしていた。
秘奥義『クラスが奇数人だから先生と組みます』が使えない。
そのような難敵の存在は、マリーの頭脳をもってしても見抜きようが無かったのだ。
旅行の班決めとなると、皆お祭り気分になる。
狭い教室内がわいわいと活気づいていた。
「才蔵、俺達の班に入れよ」
リンカーンが才蔵を誘った。
「蛍火ちゃん」
一方で、蛍火に声をかける女子が居た。
「どう? 私達と一緒に」
クラスメイトのジニーだった。
蛍火は才蔵に対しては毒舌だが、クラスメイトに対しては礼儀正しい。
小柄で人形のような(女性的ではない)可愛さによって、結構な人気が有った。
「ダメよジニー。この子は才蔵君と行きたいんだから」
そう言って咎めたのはマーガレット。
長い赤毛は炎のようで、高めの身長も相まって、可愛いよりも格好いいという外見をしていた。
鼻が高く、迫力が有る。
男装をすれば似合いそうだ。
「二人って、やっぱりそうなの?」
ジニーが言った。
「そりゃそうでしょ」
マーガレットが即答する。
才蔵と蛍火はクラスの一部からはカップルだと思われていた。
それが、蛍火人気のもう一つの原因でも有る。
良家の子女が多い当学園において、異国人である才蔵は結婚対象にならない。
ある程度の身分が無ければ交際すら認められない。
外国人など論外だった。
そんな才蔵とくっついていれば、妬みの対象になりにくい。
他の男子を奪い合う危険が無い。
裏切る可能性の無い安牌。
それが蛍火の立ち位置だった。
さらに、才蔵とリンカーンは仲がいい。
それは蛍火とリンカーンの仲がいいということでも有る。
蛍火と絡んでいるとリンカーンと話す機会が増える。
蛍火に馴れ馴れしくする女子の11%はリンカーン狙いの女子だった。
「どうなの? 蛍火ちゃん」
当然、才蔵君とは良い仲なんだよね。
彼女たちの脳内では既に確定事項のようだ。
「才蔵どのは、私が居ないと、危なっかしくて仕方ないですから」
蛍火の答え。
才蔵と旅行に行くのかという問に対して。
「凄いね……」
「うん」
ジニーとマーガレットは顔を見合わせて赤面した。
蛍火には、二人の赤面の理由はわからなかった。
「待て」
才蔵の声がかかった。
「才蔵どの……」
「俺は危なっかしくなど無い。それに、ただの学生旅行だ」
「お前の好きにしろ」
「私は、才蔵どのと一緒に行きます」
即答だった。
女子達は思った。
コノヤロウ、と。
二十分が経過した。
「時間だ。大体決まったみたいだな。それじゃあ……」
「先生」
場をまとめようとするフォレストマウスに口を挟んだ者が居た。
「スチュアートどのがまだです」
才蔵だった。
「そうなのか? スチュアート」
「……はい」
マリーは俯いて答えた。
耳が真っ赤に染まっていた。
「じゃあ、スチュアートは炎魔の班で良いか? 蛍火も居るみたいだし」
(ニンジャの班……)
別に、旅行なんて三日だけだし、それも良いか。
少し安心した表情で、マリーは才蔵を見た。
何にせよ、早く話がまとまるに越したことは無かった。
「それは出来ません」
才蔵が言った。
教室中が静まり返る。
がたり。
音がした。
マリーが立ち上がった音だった。
マリーはゆっくりと、才蔵の前まで歩いて行った。
顔中が真っ赤で、手が震えていた。
涙ぐんでいる。
「ニンジャ……」
マリーが絞り出した声は、かすれ、震えていた。
「……」
才蔵は何も言わない。
ただ、マリーをじっと見ていた。
「私だって! あんたなんかと組みたくないわよ!」
吐き捨てて、マリーは走った。
出口へ。
静かな教室に、戸が開く音がはっきりと聞こえた。
最後には、足音が残る。
教室からマリーが離れていく音だ。
最後には、その音さえも無くなった。
教室は再び静まり返り……。
「才蔵君ちょっと酷くない?」「うん」
「だけどスチュアートさんの自業自得じゃない?」「あの子」
「私たちの誘いも断ってばかりだし」「でも……」
「あんなことが有ったんだし……」
「才蔵」
気がつけば、リンカーンが才蔵の前に立っていた。
普段はへらへらと笑っている男が、真剣な目で才蔵を見ていた。
「お前! どういうつもりだ!」
胸ぐらを掴まれ、才蔵は強引に立たせられた。
「何がだ」
才蔵はリンカーンから目を逸らす。
「彼女が……お前に何したって言うんだ……!」
その声には明確な怒気が含まれていた。
この男も怒るのだ。
才蔵は当たり前のことに気がついた。
苦しい。
喉元を締められている。
才蔵は問に答える。
彼女は……。
「俺に魔法を教えてくれた。恩人だ」
すっと、リンカーンの怒気が抜けた。
手が離され、才蔵の体がすとんと落ちる。
「恩人だと……?」
「ああ」
「恩義に報いるために、俺は一つの約束をした」
「忍者嫌いの彼女に、二度と近づかないと……」
「ばっ……バカヤロウ!」
「俺は馬鹿ではない」
「大馬鹿だ。お前は……」
リンカーンは眉をひそめた。
それは怒りでは無く、戸惑いと憐れみの顔だった。
「彼女は、忍者嫌いなんて言っても、お前と仲良くなりたいに決まってるんだ。だって。……っ!」
何かを言いかけて、リンカーンは口をつぐんだ。
才蔵の心中には疑問が広がる。
彼女が自分と仲良くなりたいなんて、初耳だ。
彼女は忍者嫌いで、自分は忍者。
仲良くなりたい理由があるものか。
「すぐに彼女を追っかけろ!」
呆然とする才蔵を、リンカーンは叱咤する。
追いかけたい。
そういう気持ちは才蔵にも有った。
「だが、約束が」
「約束が何だ!?」
「誓いの一つも守れないようでは、忍者失格だ」
「だったら」
「忍者ってのはクソの集まりだな!」
才蔵を睨むリンカーンの目は充血しているように見えた。
「もういい。マリーは俺が……」
がしり。
自分から離れようとしたリンカーンの腕を、才蔵は掴んでいた。
迷子の子が誰かの袖を頼るような、弱々しい表情。
「とっとと行け」
リンカーンは笑った。
忍者としては間違っているかもしれない。
だが、これは正しい選択だ。
才蔵はそう予感した。
「はぁ……」
学園の裏庭に生える木の根本。
マリーは座り込み、溜息をついた。
「教室なんか飛び出しちゃって、バカか。私は」
平静そうにしているが、目が赤い。
泣き止んだ痕だった。
「スチュアートどの!」
どこからか、声がした。
前からでは無い。
後ろでもない。
マリーには、声の出所がわからなかった。
何かが擦れる音がした。
「?」
上を見上げる。
忍者が降ってきていた。
「ひゃっ……!」
つま先からの着地。
驚くほど音がしなかった。
校舎の窓は開いていない。
屋上から降りてきたのか。
よく見ると、才蔵の手に縄が握られていた。
単に、それを伝って降りてきただけらしい。
「驚かさないでよ! バカ忍者!」
マリーは怒ってみせる。
「スチュアートどの」
怒声を気にせず、才蔵はマリーに近づいてきた。
「な……何よ? 笑いに来たの?」
ぼっち師範、ぼっちグランドマスターのこの私を。
「面目ない!」
才蔵は頭を地面にこすりつけた。
「な、何?」
才蔵の突然の奇行に、マリーは戸惑うしかない。
この男、落下の衝撃で頭がおかしくなったのかしらん。
「土下座だ」
才蔵は頭を上げて言った。
真顔だった。
マリーは笑いのツボを突かれたが、顔筋に万力の力をこめて堪えた。
「これがDOGEZA……。はじめて見た。じゃなくて、何故に?」
「話しかけるなという誓いを破った。すまない」
……うん?
「そういえば、そんなのも有ったわね」
すっかり忘れていた。
この二ヶ月、無視をされていると思ったのは、単にそういうことだったのか。
「む……?」
「ち、違くて、大事な約束を破ってまで、なんの用なの?」
「夏期旅行の班に入って欲しい」
「え?」
「だが、そうすると、俺は何度もスチュアートどのに話しかけなくてはならない」
「何度も何度も約束を破る必要が有る。それでも……」
「それでも?」
「色々と思う所が有り……」
「どうか、許して欲しい」
「そう……」
「良いわ。約束は無かったことにしてあげる」
「スチュアートどの……」
「ただし」
マリーは腰を曲げ、ぐぐっと顔を突き出した。
「む?」
圧迫された才蔵が半歩下がる。
「もう一個」
「む……?」
「だ、だから、代わりに、もう一個お願い、聞いてって言ってるの!」
マリーは言いにくそうにしながら、一気に言葉を吐き出した。
「……ダメ?」
俯く。
「ダメなわけが無い。聞こう」
才蔵の口元が綻んでいた。
「ありがとう」
マリーも笑った。
彼女の満面の笑みを、才蔵は初めて見た。
「……」
「ニンジャ?」
才蔵はマリーから視線を逸らす。
「ね、願いとは?」
首を真横に向けながら聞いた。
「うん。私の願いは……」




