2話
「甘いわね」
そんな声が聞こえてきた。何が甘いだ! 声から察するに、彼女は少し離れている様子だ。
ふっ、この距離で逃げ切れないわけが無い。
そして、俺はドアノブに手をかけて、飛び出そうとする。
このまま一気に階段を下り、校舎内に入れば俺の勝ちだ。だが、そんな俺の予想は一瞬で覆されてしまった。
馬鹿な……なんというスピードなんだ!
そう……彼女は既に、俺の左手首を掴んでいた。というか掴まれているところが痛い。
とんでもなく痛えええ! これは、振りほどくにほどけない。
「骨をつかませて貰っていますね? さぁ、招待を明かしてもらいますよ!」
春日さんは、勢い良く俺の頭にかぶせてあるブレザーを剥がした。
ばれたら仕方が無い。俺は表の仮面を装着する。
にこやかに、爽やかに!
「ごめんね? 驚かしちゃったかな」
あくまで、何も見てない、聞いてないを装う。だがそんな小手先は通じないことは重々承知だ。
「ええ、凄く驚きましたね」
全く驚いてないなその顔を、俺は注意深く見てみる。
確かに……恐ろしいほどの美女だ。
丁度腰に届かないほどの長い黒髪、その髪が春風に吹かれて舞う。
まるで絹のように触って無くてもサラサラなのが分かるほど。
吹かれた風と伴にフローラルなシャンプーの香りが辺りに漂う。
じっと俺と彼女は見つめあった、彼女はまるで俺を値踏みするように。
切れ長な二重がバランスよく見える小顔が、そして女の子にしては少し高めの身長が。
全体的に言えばクールという言葉が似合う。そして、年齢関係なく男子が好意を持ち、 同じく女子から憧れるのもよく分かる容姿だ。
勿論、俺も春日さんが美人なのは知っていたが、こんな近くで顔を見るのは初めてだ。
取り敢えずこのままだと、相手に飲まれる。……何か言わないと。
「見ましたね?」
俺が言葉を発そうとすると、彼女はそう呟いた。
「えいっ!」
不意に春日さんはスカートをたくし上げた。なんと、破廉恥な!
だが、甘い。俺は幼馴染のせいで、こういうことを避けるスキルがついてるんだよ!
「へぇ……美作君って……ゲイなの?」
「なんでだ!」
「だって、反応しないから」
「好きな子とか以外には、きょ……興味ないからね!」
精一杯虚勢を張る。嘘に決まってるだろうが!
だって男だし、今年で17歳だし。ただこれがあいつにばれた時……うおっ、鳥肌立ったから想像するのはこれでおしまいだ。
しかし、今のを目撃していたら俺はセクハラで完璧に死んでいた。
春日 桜……恐ろしい女だ。
「ふーん。じゃあ、えいっ!」
かわいらしい掛け声がしたので、横を向いていた俺は春日の顔に視線を戻そう……え?
周りが全てスローモーションになる。まて何が近づいてきてるんだ?
顔か、顔ですね。って…………待て待て、このままだと唇がぶつかってしまうよ?
俺の頭は完全に混乱していた。チュッと唇が触れ合う、何だこれは。
唇を触る、なんだか有り得ないほど熱くなっている気がした。
「は? えっ……kiss? why? 何で?」
「私の秘密……黙っといて欲しいの。もし誰かにばらせばチューした事を……バラし社会的に抹殺するわね?」
「そもそもばらした所で、絶対的な学校のアイドルにそんな顔があった! なーんて誰も信じないと思うんだよ」
にこやかに笑って、俺は必死に動揺を心の奥に隠す。
「分かっているわ。でも、可能性は1%も残したくないのよ。今回は見られた相手も相手だしね?」
にこりと完璧な笑顔……なんだか少しむかつく、だってまるで、それは自分と彼女の映し鏡のようで。
そして、目の前にいる彼女の笑顔はとんでもない作り笑いで、秘密が知られてもなお、仮面を装着しているのだ。
……まるで、いつもの大嫌いな自分を見ているようだから?
そんな考えが浮かふわふわと脳裏に浮かぶ。俺は自分を守るため否定を開始する。
辞めろ、違う。違うんだ。それは俺じゃない、信じて……!
「……君? 美……美作君ってば!」
俺はパッと我に返って、再び目の前にいる女の子を見た。
「その作り笑いとか、辞めてくれ。俺も辞めるから」
短く、それだけを目の前にいる彼女に言う。
「え?」
彼女はわけが分からないって顔を俺に向けた。そら、そうだよな。
「お前にどんな理由があったのかは知らない。だけど、俺の前でそれをしないでくれ……頼む」
胸が痛む。俺は自分自身を否定しているのとなんら変わらないことをしているのだ。
「あーそうですか」
そう言った彼女の言葉からは、面倒くさいと言った感情が込められていた。
「……全く、そんな命令男にされたのって、生まれて初めてよ」
屋上の柵に両手をかけて、俺に言う。
俺は、傷付ききった心を切り替るように、少し声のトーンを変える。
「悪かったな、俺が初めての男だ」
「ふふっ、セクハラよ、それ? じゃあしょうがいないわ、あなたと2人のときは猫被らないわよ」
「そらどうも。ってか、それがセクハラだったら、俺のファーストキスを返してもらわないとな」
「私もファーストキスだったの。でも、あんたみたいなゲス野郎にあげちゃったなんて最悪ね」
「何故、俺が罵倒されるのか説明を求めたい」
「気分? ま、しばらくはあなたを監視させてもらいますね? 2―1の虎太郎君?」
最後は可愛らしく猫を被り、俺に握手を求める。
「好きにしろよ。2-2の春日あああああ!」
こいつ足を踏んでやがる、踵で! 踵で!
「桜って呼びなさい、許可してあげる」
こうして俺と桜は妙な関係となったのだ。
目前には、2年で初めての行事の球技退会が迫っていた。