その名はノエル
セナ・ジークフリートは、愛用の魔導長槍を強く握りしめた。手のひらに馴染む感覚が、焦燥に駆られる心を辛うじて繋ぎ止めている。
「あと三時間……。おい、マコト、アルカナ。そんなバカげた話、信じるのか? 空飛ぶ戦艦だか何だか知らねえが、ここは魔物とシャードの蠢く辺境だぜ」
セナの声は尖っていた。だが、その瞳は修道僧の言葉を否定しきれていない。洞窟の奥から伝わってくる振動は、先ほどのゴーレムの足音とは明らかに異質だった。それは、巨大な内燃機関が脈打つような、規則正しくも暴力的な重低音だ。
「信じるしかないでしょう。私たちの直感が、これがただの妄想ではないと告げています」
アルカナが静かに、しかし断固とした口調で言った。彼の端正な顔立ちは、冷徹な軍師のそれへと変貌している。
「『青のシェルリィ』……現在も生きる、アルフの導師。もしこの修道僧が語るスペックが真実なら、その火力が放たれた瞬間、この洞窟どころか隣接する山脈までが地図から消えることになる」
「だったら、迷ってる暇はない」
マコトが修道僧の小さな手を引いた。修道僧の瞳は依然として虚ろだが、マコトの体温に触れている間だけは、その唇の震えが止まっていた。
「君、名前は? 案内してくれるかな。その『アレナディオ』の心臓部まで」
修道僧は、機械的な動作でこっくりと首を振った。
「……個体識別名、ノエル。アレナディオの外部観測用インターフェース兼、緊急停止キー……。マナの逆流を防ぐため、私を反応炉の直近まで連れて行ってください」
ノエルと名乗った修道僧は、ふらふらとした足取りで再び洞窟の闇へと向かい始めた。セナは「ちっ、貧乏くじだ」と吐き捨てながらも、翼を休めることなくノエルの斜め後ろを陣取る。マコトが修道僧の側面に寄り添い、アルカナが最後尾を固める。
クエスター一行は、再び腐肉の臭いと静寂が支配する洞窟へと足を踏み入れた。
洞窟の内部は、異様な変貌を遂げていた。
先ほどまでただの岩肌だった壁面には、血管のような淡い光を放つ魔導回路が浮き上がり、不気味な青白い光を放っている。
「これを見て……。岩が、金属に書き換えられている?」
マコトが息を呑んだ。ノエルが進むにつれ、周囲の景色は「自然」から「工廠」へと急速に置き換わっていく。通路は正八角形に削り出され、足元は鏡面のように磨かれた未知の合金に変わった。
不意に、通路の先で鈍い金属音が響いた。
暗闇の中から姿を現したのは、先ほどの岩石のゴーレムではない。全身を白銀の装甲で覆い、腕部が鋭利なブレードと化した防衛兵器――「ガーディアン」だった。
「来るよ!」
セナが叫ぶと同時に飛び込んだ。
ガーディアンの突進は凄まじかったが、セナは超感覚でその軌道を読み切る。
「どけよ、スクラップ!」
長槍の一撃がガーディアンの胸部を貫き、魔力核を粉砕する。激しい火花とともに機械兵が沈黙するが、奥からはさらに二体、三体と同型の影が滑るように現れた。
「ここは私が食い止める! マコト、アルカナ、その子を連れて先に行け!」
「セナ、無茶はしないで!」
マコトの叫びに、セナは不敵な笑みで応える。
「誰に言ってんだよ。俺はクエスター、嵐を呼ぶ男だぜ。こんなブリキ人形、一分で片付けて追いついてやる!」
アルカナが短く「頼む」と告げ、マコトとノエルの背を押した。激しい金属音と魔法の炸裂音を背後に聞きながら、三人はさらに深部へと駆け抜ける。
たどり着いたのは、広大な円形の空間だった。
そこには、そそり立つような巨大な白い影があった。
全長三百メートルはあるだろうか。それはまさに、天を突く剣のような形状をした巨大艦艇だった。外殻はまだ完全には形成されておらず、周囲の岩壁から抽出されたマナが、光の糸となってその船体に編み込まれている。
「これが……白のアレナディオ……」
マコトはその圧倒的な存在感に、膝が震えるのを感じた。これが浮上し、その「光子魚雷」とやらを解き放つ光景を想像するだけで、意識が遠のきそうになる。
「中央制御ユニットに到達。シャードの反応を確認しました」
ノエルの声が響く。彼が指し示したのは、船体の最下部、鼓動するように明滅する巨大なリアクターの塊だった。それは、かつて数々の冒険者が追い求め、そして多くの悲劇を生んできた「シャード」から力を得る超技術そのものだった。
だが、その結晶の前に、一人の人影が立っていた。
黒いローブを纏い、顔を深いフードで隠した人物。その手に握られた杖からは、禍々しい紫色の雷光が漏れ出している。
「……やはり来たか。調和を乱すクエスター共め」
低く、響くような声。アルカナが即座に太刀を構え、魔力の防壁を展開した。
「この異常なマナの集積、あなたの仕業か。アルフの遺物を目覚めさせて、何を企んでいるの? ダークレイス」
「企みだと? 笑止。私はただ、この腐り果てた世界の理を再定義するだけだ。アレナディオの光は、あらゆる不純物を消し去る浄化の炎。三時間後、新しい夜明けが来る」
「そんなのは夜明けじゃない、ただの終末」
マコトの叫びとともに、戦いの火蓋が切って落とされた。
黒衣のダークレイスが放つ紫の雷光が空間を切り裂く。アルカナの高度な防御魔法がそれを辛うじて受け止めるが、衝撃波で床が激しく揺れる。
「マコト、ノエル君を! 私はこの男を抑える!」
アルカナの指示に、マコトは頷いた。
爆炎の中、マコトはノエルの手を握りしめ、反応炉へと走り出す。
「ノエル君、どうすればいいの? この結晶を壊せばいいの!?」
ノエルは、無機質な瞳でシャードを見つめた。
「……破壊は不可能です。外部からの衝撃はすべてエネルギーとして吸収され、起動を早める結果となります。たった一つの方法を除いて」
ノエルがマコトの手を離し、一歩、また一歩と光り輝く結晶へと歩み寄る。
「待って、ノエル君! それをしたら、君はどうなるの?」
修道僧の足が止まった。
彼はゆっくりと振り返り、この場所に来て初めて、人間らしい、悲しげで、それでいて清々しい微笑を浮かべた。
「私は、アレナディオの一部。システムが解除されれば、インターフェースであるこの肉体も、ただの情報の欠片に戻ります」
「そんな……、そんなの……!」
マコトの瞳に涙が溢れる。救い出したはずの修道僧を、今度は自分たちの手で消滅させなければならないのか。
背後では、アルカナと黒衣の術者の魔法が激突し、空間が軋んでいる。
「マコト! 何を迷っている!この地の人々を救え!」
アルカナの悲痛な叫びが響く。
ノエルは優しく首を振った。
「マコトさん。私は……『怖い』という感情を、あなたに抱きしめられた時に初めて知りました。そして、その後に来る『温かい』という感覚も。……十分です。私は、人として消えたい」
ノエルがシャードに手を触れた。
その瞬間、洞窟全体が目も眩むような白光に包まれる。
数分後。
爆発音も、振動も、すべてが止んでいた。
そこにあった巨大な戦艦の影は、光の繭に包まれ休眠につき、ただの広大な空洞だけが残されていた。黒衣の術者の姿も、どこへともなく消え失せている。
マコトは、冷たい床に座り込んでいた。
その手の中には、先ほどまで修道僧の手が握られていた感覚だけが、亡霊のように残っている。
「……終わったか」
満身創痍のセナが、奥の通路から姿を現した。彼の翼は消え失せ、肩からは血が流れていたが、その瞳には確かに戦い抜いた者の光が宿っていた。
アルカナが静かに歩み寄り、マコトの肩に手を置く。
「彼は自らの意志で道を選んだ。それは、一つの魂としての決断だったわ。私たちがすべきなのは、その決断を無駄にしないことよ」
マコトは、涙を拭い、ゆっくりと立ち上がった。
足元には、ノエルが身につけていた古びたロザリオだけが、ぽつんと落ちていた。
「アレナディオ」
アルカナがポツリと呟いた。
その名の通り、この地に未曾有の災厄をもたらすはずだった遺物は、一人の修道僧の勇気とともに、静かに歴史の砂へと還っていった…と、思われたが。
瓦礫が動いた。先程のスペクターかと、アルカナが太刀の切っ先を向ける。
「すみません、生きてます」
ノエルは上半身だけで生きていた。
しかし、胴体の断面から内臓は見えず、チューブや金属製のフレームが顕になっていた。
「この不死身ぶりブレイクでなければ、説明がつかない。いや、機械の体はヴァルキリーか」
と、アルカナ。
ヴァルキリーとは、アルフの超技術で作られた、戦闘用の女性型ロボットである。亜空間に仕舞った古代の武装を自在に出し入れする機能を持つ。
アルカナは流石に驚いた。
「神威あれーーイドゥン」
アレナディオのリアクターから、光が差した、死者すら蘇生する加護イドゥンだ。
しかし、服までは治らない。ノエルの裸体は男性でも女性でもなかった。中性というか、むせい、背中には白いワシの翼が一対突き出ている。
天使だ。
真帝国の祭神、機械神によって作られた、神の寵愛を一身に受けた身だ。アルフの超技術で作られた、空をかける、巨大艦を操るユニットとしての機能を併せ持つ個体は非常に珍しいと、アルカナには思えた。外からは、クリスが呼んできた援軍の馬車の音が聞こえてくる。
差し込む夕日は、かつてないほどに赤く、そして優しかった。
「行こう。まだ、俺たちが守らなきゃいけない世界が続いているんだから」
セナの言葉に、マコトは強く頷いた。




