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7/23

突入

「……冗談でしょう、これは」

鼻をもぎたくなるような、むせ返る腐臭。アルカナは端正な眉を深く潜め、口元を白い手袋で覆うと、眼前に口を開ける不気味な洞窟を睨みつけて頭を抱えた。湿り気を帯びた風が、地下の冷気と共に死臭を運んでくる。それは単なる生物の死骸の匂いではない。奈落によって無理やり動かされる肉体が放つ、呪わしい腐敗の香りだった。

「どこの修道僧ですか。こんな地獄のような洞窟の中に、たった一人で籠もっているなど……。正気とは思えませんね」

アルカナが嘆息混じりに零したのは、先行してゾンビの群れを偵察させていた使い魔からの報告を受けたからだ。使い魔の視覚共有から戻ってきた彼の瞳には、知的な冷静さと、隠しきれない嫌悪の色が濃く滲んでいた。

「ゾンビの数は、大体百。群れを成して奥へと続いています。それだけではありません、さらに後方には、自然発生したと思わしきストーンゴーレムが三体。あれに狭い通路を塞がれると、少々厄介ですよ」

「落ち着けアルカナ。……その石の塊どもは、飛び道具を持ってるか?」

セナ・ジークフリートが、低く、どこか挑戦的な声を出す。彼の視線はすでに洞窟の闇を射抜き、獲物を屠る算段を立てていた。

「……恐らく、殴る蹴るの物理攻撃が主体でしょう。石を投げるような様子はないと、使い魔が報告しています」

アルカナはセナの問いに丁寧に答えながら、ようやく荒い呼吸を整えた。セナの不遜なまでの余裕が、彼に魔術師としての平穏を取り戻させた。

「なら話は早い。俺が空中からゾンビの頭上を超えていく。アルカナ、お前は俺がこの背に翼を出せるのは知ってるだろ?」

地上でマコトとアルカナが魔法を掃射してゾンビを蹴散らし、その隙にセナが上空を滑空して最短距離で最深部を叩く。それがセナの提示した、荒っぽいが効率的な解だった。

結界を張り、その内部に全員を収めて空を飛ぶという安全策も検討されたが、それにはリスクがあった。今回、後方で記録を担うクリス・メイナードPの安全を確保しきれないのだ。

「結界の外でも、私は飛べるかな。頑張ってみるわね……今度こそ」

小泉亮(コイズミマコト)が、自分に言い聞かせるように小さく呟いた。凛とした声の中には、未だ己の強大な力に対する一抹の不安と、それを乗り越えようとする強い意志が混ざり合っていた。

「――それは今はいいから。作戦会議は本当にお終いね。じゃあ、撮影開始!」

クリスが鋭い声でキューを出す。その瞬間、現場の空気は「作業」から「死闘」へと一変した。

セナの背中から、闇を凝固させたような漆黒のコウモリめいた影の翼が展開される。バサリ、と野性味あふれる重厚な羽音が洞窟内に反響し、彼は重力を嘲笑うように闇の中へと舞い込んでいった。

地上に残されたマコトとアルカナの前には、かつては山賊だったと思しき、魂なき男たちの群れが立ちふさがる。百近い死者の瞳に生気はなく、ただ侵入者を貪ろうとする本能的な飢餓感だけが漂っていた。

マコトとアルカナは互いの背後をカバーし合う密着した陣形で、慎重に、しかし力強く踏み込んだ。マコトは使い慣れた木刀を正眼に構え、アルカナは背負った太刀の柄に手をかけつつも、まだそれを抜かない。

アルカナの魔術の流儀は、刀剣を触媒(媒介)にして魔術の破壊力を爆発的に上昇させるものだ。しかしそれは、遠距離では魔術が拡散しやすく、必然的に間合いが短くなる「諸刃の剣」でもあった。彼は、確実に仕留められる距離まで死者を引きつける。

「念動衝撃ーー光よ!」

マコトが鋭く念じ、迫りくるゾンビの一団を指差した。瞬時に空間から編み出された光の糸が、網のようにゾンビたちを絡め取る。浄化の光に触れた腐肉がジリジリと灼け、絶叫なき悲鳴が洞窟に満ちた。

「ファイアブラスト!! 行きますよ……。ひとつ、ふたつ、みっつ……!」

アルカナが掌をかざすと、そこから数える間もなく無数の火球が生成された。彼はそれを熟練のジャグラーのように自在に宙で操り、優雅な円を描くように回すと、前方のゾンビの群れへと一気に叩きつけた。

ドォォォォォン!

鼓膜を震わせる大音響。爆炎が狭い洞窟内を真っ赤に染め上げ、猛烈な熱風が吹き抜ける。ゾンビの肉体は砕け散り、岩壁が激しく震えた。

「……っ!? なんですか、この威力は!」

アルカナは自身の掌を見つめ、珍しくうろたえた。想定していた火力の二割り増しはある。

「この地のマナが偏っているのですか……? 予想以上の魔力の高まりがありますね」

遺跡や古戦場が特別な意味を持って作られる場合、そこにはマナが異常に集中する「霊場」が選ばれることがある。通常は儀式の成功率を底上げする程度の恩恵だが、個人の魔法にここまで干渉するほどの規模は、極めて稀で異常な事態だった。

その頃、頭上を先行していたセナは、爆炎に照らされた最奥の景色の中に、異質な影を捉えていた。

うごめく死者たちのさらに奥、一段高い岩棚の上に、鮮やかな黄色い僧服を着込んだ子供の影が座っていた。その周囲だけ、空気が重く澱んでいる。

子供は虚ろな瞳で、祈るように、あるいは呪うように、たった一つの言葉を、幾度も、幾度も繰り返し口にしていた。

「アレナディオ……。アレナディオ……。アレナディオ……」


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