旅の始まり
「お帰り! ああ、無事で帰ってくると信じていたわ、私の愛しのセナ!」
薄暗い大聖堂の奥、古びた祭壇の前で待ち構えていたプロデューサー、クリス・メイナードが、まるで舞台役者のような大仰な仕草で両手を広げた。高級な香水の香りをなびかせ、弾丸のような勢いでセナ・ジークフリートへと飛びかかる。しかし、セナは眉ひとつ動かさず、最小限の予備動作でその抱擁をひらりと躱した。
クリスは勢い余って祭壇の縁にぶつかりそうになり、「つれないわねぇ」と唇を尖らせる。セナはその様子を冷ややかな、しかしどこか信頼の混じった眼差しで見守り、乱れた髪を指先で整えながら口を開いた。
「ただいま。心配をかけたのは認める。……だが、手ぶらで帰ってきたわけじゃない。有能な公認クエスターをスカウトしてきた」
セナが背後を促すと、そこには一人の少女が立っていた。
この厳かな大聖堂にはおよそ不釣り合いな、白いTシャツにネイビーのハーフパンツという極めてラフな格好だ。健康的な細い手足が大胆に露出しており、その腰には場違いなほど使い込まれた一本の木刀が、麻紐のようなもので無造作に下げられている。
「はじめまして、小泉亮です」
少女――マコトは、クリスの派手な身なりや威圧感に気圧されることもなく、静かに頭を下げた。手入れもせずただ伸ばしただけだという黒い髪は、胸のあたりまで届く滑らかな直毛で、彼女が動くたびにさらりと風に流れる。その飾らない佇まいはどこか神秘的ですらあったが、本人の放つ空気はあくまで淡々としていた。
「正直なところ、さっき道中で聞いた『公認クエスター』という言葉が何を指すのか、まだ正確には理解できていません。ですが、任された以上は精一杯務めさせていただきます。……ご安心ください、この木刀があれば、大体のものは斬れますから」
さらりと、まるで日常の挨拶でも交わすような口調で放たれたその発言に、クリスは一瞬だけ目を丸くした。
「……ちょっと、セナ。冗談でしょう? その格好、それにその『おもちゃ』で何を斬るっていうのよ。ここは過酷な撮影現場であって、近所の公園じゃないのよ?」
などという野暮な問いは、クリスの喉元で消えた。クエスターという人種は、いつだって本気だ。そして、クリスが長年培ってきた「プロデューサーとしての直感」が、目の前の少女から漂う、異常なまでの重心の安定に警鐘を鳴らしていた。胸元まで流れる長い直毛がわずかにも揺れないその立ち姿は、彼女が動けば周囲の空気すら一瞬で切り裂かれるのではないか――そんな錯覚さえ抱かせる。
「……面白いわ。その自信、嫌いじゃない。いいえ、むしろ最高にクールよ、マコトちゃん!」
クリスは即座に機嫌を取り戻し、パンと景気よく手を叩いた。
「じゃあ、セナ。これからのチーム編成だけど……『星影丸』の運用は、今後アルカナとのマッチアップを基本に進めていいかしら? もちろん、このピチピチの新人も含めた新体制でね」
その言葉が終わるか早いか、影から音もなく現れた人物がクリスの肩をどやしつけるように叩いた。
「話が早くて助かるわ」
そこにいたのは、本名不詳のクエスター・アルカナだ。彼女は鋭い視線をセナ、そしてTシャツ姿のマコトに走らせ、不敵な笑みを浮かべる。
「ありがとう。しかしセナ、本当に自力で厄介ごとを片付けて戻ってくるとはね。伊達に修羅場を潜ってないっていうか……ベテラン勢の底力、一味もふた味も違うわね。正直、感服したわ」
「よせ、俺一人の力じゃない。……それに、今回は別口からの頼みもあったんでね。詳しいことは言えないが、とにかく先生から『よろしく』とのことだ」
セナが言葉を濁しながらも、含みを持たせてクリスに目配せを送ると、クリスは鋭い察しの良さでそれ以上の追及を止めた。表沙汰にできない「先生」の影を感じ取り、ただ短く頷く。
「……いいわ、事情は飲み込めないけど 、その話はオフレコね。とにかく、これで戦力は整ったということかしら。素晴らしいニュースよ! それじゃあ、次の『撮影』の予定を伝えるわね」
クリスは手元の端末を操作し、立体投影された地図を広げた。そこには不気味な霧が立ち込める、未踏のエリアが映し出されている。
「次の舞台は、北西の地下遺跡。つい先日、偵察班が大量の『ゾンビー』を視認したわ。腐敗した肉体、尽きることのない群れ……画的には最高にエキサイティングよ。マコトちゃん、あなたの初陣にはぴったりな舞台だと思わない?」
クリスは残酷なまでのプロ意識を持って、3人に告げた。
「地下遺跡にゾンビ、ですか。服が汚れるのは少し嫌ですが……」
マコトは胸まである長い髪をさらりと後ろへ流し、自分の真っ白なTシャツの裾を少し気にする素振りを見せた。しかし、その手はすでに腰の木刀の柄に、吸い付くように添えられている。
「大丈夫です。汚れる前に、全部斬りますから」
少女のあどけない宣言に、セナは苦笑し、アルカナは愉快そうに肩を揺らした。
「出立は二日後。それまでに準備を整えておきなさい。地獄の底で、最高のパフォーマンスを期待しているわよ」
クリスの高らかな笑い声が、静かな大聖堂に響き渡る。地下遺跡の冷たい風は、すでに彼女たちの到来を、飢えたように待ちわびていた。




