死刑の執行はまた後ほどで
これは我らのご先祖様が、妖精達と共に暮らしていた頃の御伽話さ。
ある国の王妃様は大層な美貌の持ち主だった。
王様ときたら昼も夜も無くご寵愛なさり、ついには『何があろうと妃の体に触れた者を死刑とする』なんて、とんでもないお触れを出したほど。
これで王妃様が邪悪な女であれば、あっと言う間に国は滅んでいただろうけれど、幸いにもお美しい以上に本当に賢く、何より優しい女性であらせられたから、国はよく栄え、平和であったと伝わっているよ。
さて、王妃様には親友サデラがいた。
彼女はね、商人の一族マルケラの跡取り息子が水の妖精ウンディーネの一族から迎えた嫁御だったのだけれど、何と跡取り息子は我が子の顔を見る前に病で急死してしまった。
やがて父親の顔も知らずに生まれたのは双子の男児、これが死んだ父親に生き写し。跡取りを失って嘆いていた一族が、顔を見ると思わず笑ってしまうほどそっくりだったそうだ。
かくなる上は泣いてばかりではいられぬとサデラは奮起し、マルケラの商人達を立派に取り仕切って、双子が十になる頃には、マルケラ一族は『御用達』の看板を掲げるに至ったんだと。
このサデラ、目敏く気が利いて、姉御肌でさっぱりとした気性だったから、すぐに王妃様とも親友となった。
王妃様より一回り年上だったけれど、まるで生まれながらに労り合い愛し合う姉妹のよう。
それを目にしてたった一人、王様だけがずるいずるいと子供のように騒いだが、そこは名宰相コローが上手く宥めて要らぬ嫉みを引っ込ませた。
密かに片恋を抱いている相手のサデラに、こんなお邪魔な嫉妬で挨拶も出来なくなるのは知恵者コローだって嫌なものだからねえ。
ところで、その国では雨乞いの儀式を毎年行っていた。
全てが芽吹く月の満月の夜、男子禁制の聖なる湖に大船を浮かべ、その上で王妃様が雨乞いの舞を踊るのさ。
目映いばかりのありとあらゆる宝飾品と煌びやかな幾重もの衣をまとい、厳かながらも美しい舞踊を見るのは、民にとっては最高の見物だった。
前々日から場所取りをして、どうにかこうにか最前列で見ることが出来るくらいの大きな祭儀だったのさ。
踊った後で湖から王妃様は神聖な木から作った盃で水をくみ、それを聖なる湖のほとりの神殿に捧げて、儀式はお終いとなるんだ。
……つい先月に王の叔父が企てた、血生臭い争いもどうにか終結したので、誰もが安心して見物に行った。
もちろん、サデラも息子達や一族を連れて見に行った。
親友の晴れ舞台を見たくて仕方なかったそうだからね。
静かな湖に大船が浮かべられ、そこに王妃様が女衛兵を連れて乗り込んでいく。
同じ船の上、王妃様の背後に控える女楽士達が、王様の合図で聖なる音楽を奏で出すと、さあ、いよいよ雨乞いの舞が始まった。
大船の上を華麗に優美に舞いながら、見事、王妃様は務めを果たした。
とうとう最後に船縁から身を乗り出して、盃で水をくんだ。
民の口からは大きな歓声が上がった。
サデラ達も手を叩いて喜んだ。
これで今年も豊穣間違いなし。
ああ、良かった。
その瞬間だった。
ひゅうっと風を切る音がしたかと思うと、放たれた矢が王妃様の体をかすめた。驚いた王妃様は悲鳴を上げて湖に転落した。
後で下手人を王様がとっ捕まえたら、何と逃亡したはずの己の叔父の配下の一人がやった事だったが、今はそれどころじゃ無い。
誰もが悲鳴を上げて聖なる湖の周りは大騒ぎに陥った。
王様は慌てて助けに行こうとしたが、この聖なる湖は男子禁制、絶対に男が近づいたり触れたりしてはならぬ定めだ。
咄嗟に、船の上の女衛兵達に合図を送ろうとして――そこで王様も気付いた。
『何があろうと妃の体に触れた者を死刑とする』
……自分がとんでもなく馬鹿なお触れを出してしまっていた事にね。
船上の女衛兵達もそうだった。
すぐそこで溺れている王妃様を助けに行きたい、急ぎ助けたい。
だが、どうやって溺れている人間の体に触れずに助けられると言うのだ?
これで助けたら己を待っているのは死刑の末路だ。
ああ、そうなんだよ。
この頃、王様のお触れは絶対だったんだ。緊急事態だからって都合良く破ることは出来はしない。
だから王様本人にもどうしようも無かったんだ。
そうこうしている間にも王妃様は沈んでいく。
これがいつもだったら――王妃様だって多少は泳げたかも知れない。
大船から投げ込まれたものにすがりついて、浮かんでいられたかも知れない。
けれど今は儀式のためにありとあらゆる宝飾品を身につけ、おまけに重たいにも程がある豪華な衣を身にまとっていたのが災いした。
あっと言う間に水底へ沈んでしまったのさ。
――王様が王妃様の名を呼んで、とうとう湖のほとりにへたり込んでしまった時だった。
ざんぶ!と水をかき分けて、サデラが湖に飛び込んだ。
双子の息子達が後を追おうとしたのを咄嗟に一族の者が羽交い締めにして、その中の誰かが悲痛な声でサデラの名を呼んだ。何度も呼んだ。
だが彼女は止まらなかった。
元々がウンディーネの血を引く者だ、あっと言う間に湖の中に潜って、真っ青な顔色でぐったりとしている王妃様を抱えて浮かび上がってきた。
サデラは王妃様を王様の元へ連れて行って、そのまま囚われの身となったのさ。
さあ、王妃様は息を吹き返して、事情を聞いて半狂乱になった。
少し落ち着いた後で、泣きながら王様に助命嘆願をした。
これでサデラが死刑になろうものなら、この命ある限りに王様を恨みますとまで言ったらしい。
王様だって事情が事情だ、どうにかならぬかとコローに頼る。
知恵者コローは考えた。
徹夜で考えに考えぬいて、王様にこう申し上げた。
「確かに陛下はお妃様に触れた者を死刑にするとは仰いましたが、いつ死刑にするとは明言しておりませぬ」
王様は身を乗り出して、はた、と膝を叩いた。
そうなのさ。
物事には必ず抜け道があるものだ。
コローはさらに申し上げる。
「これにつきましてですが、大臣の皆様方、執行日時のお聞き覚えはございまするか?」
大臣達は声を揃えた。
「「否!」」
コローは深々と一礼して、
「よってサデラに対する死刑の執行につきましては、『また後ほど』と言う形で宜しいかと存じまする」
「うむ!」
と王様は満足そうに頷いた。
全く、それまでは針のむしろに座った顔をしていたのが、いきなりふんぞり返っちゃってどうしようも無い。
大臣達も呆れ半分に思ったけど、ここは黙っておくのが一番さ。
「それまでは家族との今生の別れをお認めなさるのが、陛下のお慈悲とお心の広さを示す事に繋がるかと」
「うむ、うむ、良かろう!」
……と言う訳で、あんたらのひいひいひいひいばあちゃんの命は助かったのさ。
これで御伽話はお終いだ。
ん?
知恵者コローとはどうなったのって?
さあねえ、ばあちゃんは知らないよ。
ただ、サデラの性格からして、もしも二人が頬を寄せ合うとしたら、きっと双子が育った後じゃないだろうかねえ。
とっぴんぱらりのぷう、と書きたくなる。




