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想いをつないだ先に

作者: Hiro

The初心者の作品です。

熱量消失の供養として投稿します。

「あっつい……」

 頬を玉のような汗が伝い、顎から滴った汗が、ぽたぽたと地面に黒いシミを作っていく。

8月の半ばにもなると、コンクリートがじりじりとした熱を持ち、道端のミミズもカラカラに干からびているのをよく見かける。

人であってもそれは例外ではないようで。

 この想外の街ですれ違う人々も、半袖に短パンの身軽な装いの人、逆に暑いのではないかというくらいに日よけの黒い幅広の帽子に、アームカバー、大きめのレンズのサングラスまでかけ、口元から首元に至るまでも完璧に覆われている。

それでいて体は華やかなワンピースに身を包んでいるのだから、何かおかしくて笑えて来る。

 都会は人が多くていけない。

ただでさえ暑いというのに、人の流れが絶えることなく続く。

暑苦しくて仕方がない。

「これからどうしようなぁ」

ぼんやりとそんなことを考えながら歩みは止めない。

ふらふらと入り込んだ公園の、ひときわ大きな木の陰へと腰を下ろす。

周りを見回してみても、あまりの暑さに人っ子一人いない。

シャワシャワシャワシャワという蝉の鳴き声だけがうるさく耳に入り込んできていた。

 ようやく少し落ち着いて、ふぅっっと息を吐いたその瞬間、首筋に、ピトッと何か冷たいものが触れる。

「うひゃあ!」

思わずそんな情けない声を上げた。

「やっほー、夢斗!」

「え……?」

聞こえた声の方をばっと振り返ると、見慣れない女の子が、両手にペットボトルを持ちながら立っていた。

その女の子は、真白なワンピースで全身を包み、頭には大きめでいて、涼しそうな目の大きい麦藁帽の下からは、甘く、優しい秋を煮詰めたようなクリーム色の髪が覗いていた。

筋の整った鼻立ちに、柔らかく少しでも触れたらはじけてしまいそうで水分をたっぷり含んだ唇の両端は引きあがり、見つめられると委縮してしまうようなキリっとした切れ長の目はぱちぱちと瞬き、その真ん中に見える薄水色の瞳と目が合う。

キレイだと思った。

 どこかで見たことがあるような気もするが、誰だったろうか。

「こんなとこで、何してんの!」

「…………?」

「ねぇ! ちょっと! 聞いてんの!」

 見た目では全くわからなかったが、しばらく声を聴いていると頭の中にある一人の人物が浮かんできた。

「……お前、…………結華か?」

「そうに決まってんでしょ! 幼馴染の顔忘れんなっつーの!」

「忘れたわけじゃねぇよ! ただ……」

 顔が一気に熱くなる。

「ただ、なによ」

「な、なんでもねぇよ!」

「ふーん」

何かごまかしたのを感じ取ったのか、にやにやと楽しげに笑う彼女は、想逸結華。

小学校からの付き合いで、中学生になってから親の都合で隣の区へと引っ越してしまうまでずっと一緒に過ごしていた。

今も、同じ公立高校に通っているため、結局十二、三年の付き合いということにな。

楽しそうに、けらけらと笑いながら、両手に持っていた緑色のフィルムのついたペットボトルの、片方を俺の横に置いた。

よっこらせと格好に似合わない発言をしながら、俺の隣に腰を掛けると、もう片方のふたを開け、口をつけた。

いつもと違う結華の姿に、どきりとした。

「何? どしたの?」

ちらりとこちらを見た結華がそういうと、なんだか急に恥ずかしくなった。

「何でもねぇって! そっちこそ、なんの用なんだよ!」

「いや、さっき駅前で見かけたとき、この世の終わりみたいな顔しながら歩いてたから」

「余計なお世話だな」

「何よそれ、せっかく心配してお茶まで買ってきてあげたのにー」

「頼んでねぇし」

「あっそ、ねぇ、夢斗。もしかして、あんたお父さんとまた喧嘩したんじゃないの?」

「……っ」

「図星みたいね、一切どんな進路にするかも決まってないの夢斗くらいだ。って先生いってたもんね!」

「だから?」

「あんたさぁ、家帰れないんだったら、うち来ない?」

「は?」

「だーかーらー! うち来ないかって聞いてんのよ! おばあちゃんも、最近あってなくてさみしいって言ってたし!」

「もう、いいって」

「良くない! ほら! 行くよ!」

「お、おい。ちょっと待てって!」

そんな風に文句を言う俺の手を、強引につかみ、引っ張っていこうとする結華。

ちらりと見ると、少し頬が赤くなっていることに気がつき、引っ張り返そうとしていた手の力を抜いた。

また焼けそうに暑い夏空の下へと引きずり戻されていった。



しばらくじりじりと焼かれるような暑さに耐えながら、歩いていると見覚えのある住宅街が見えてきた。

目の前で、上下に揺れる麦わらが動きを止めた。

「ここは……」

止まった麦わら帽子が傾く先を見上げると、ひどく懐かしい立派な木造の門。

そこには『想逸』という表札が掲げられている。

懐かしさに浸る暇なく、結華に再び手を引かれて歩き出す。

「さ! 行くよー」

「お、おい! ちょっと待てって! あと、もう離せよ!」

「ダメ―」

「話きけよ!」

強引な結華に手を引かれるまま、門をくぐり抜け、ずんずんと屋敷へと進んでいく。

昔から訪れるたびに思っていたが、本当に二人暮らしなのだろうか。

そう思うくらいにこの家は広い。

こんなに広い庭が荒れることなく整備されているのだから、他の使用人みたいな人がいたとしても不思議ではない。

しかし、改めてこうして訪れてみても、人の気配は全く感じられなかった。

古い木造の平屋に、屋根の瓦たちがまるで歴戦の英雄のように鎮座していた。

数十年前、最後に訪れたときと何も変わらないはずなのに。

何か圧倒されるような感覚に襲われた。

そのうえ、こうして結華に手を引かれていると、小学生の頃にも同じように、ここに連れられてきたことを思い出し、改めて懐かしい気持ちが湧き上がってきた。

「おばあちゃーん! ただいまー!」

結華は、ガラガラガラッと勢いよくガラス戸を引き開け、家の中へと叫ぶように話しかけた。

………………。

しかし中からは何の返事も返ってこない。

「おばあちゃーーーーん!!!! ただいまーーーー!!!!」

 もはや近所迷惑だろ、と思いながらもまだつながれたままの右手を見る。

「はーーーーい。開いとるんだから自由に入ってくればいいがね」

そんな声とともに、右側の廊下からパタパタと軽快な足音が近づいてくる。

「おかえりぃ」

「ただいま、おばあちゃん」

「……ん、隣にいるのは誰だい?」

「……こんちは」

「えーー? やっだなぁ! おばあちゃん、夢斗だよ、夢斗!」

「ん? なんだって? もっかい言ってくれるかい?」

「だーかーらー! ゆ・め・と! 昔、よく会ってたでしょ!」

「…………え? あーあーあー! 夢斗君かい!」

「……お久しぶりです」

「なんだいかしこまっちゃって! それにしても、大きくなったねぇ! 全然わからんかったわ」

 そう言い、しわしわの顔がきれいに崩れた。

にこにこ笑う結華の祖母、タエは、彼女の性格をそのまま色にしたような優しげな淡い薄紫色の割烹着を身にまとっていた。

「さぁさ! 上がって上がって!」

「え、あの、いや……」

「ほらー、はやくきてよー」

「はぁ……。お邪魔します」

「お邪魔されますー。んふふっ」

 一足先に、タエが出てきた方の廊下へと進んでいった結華が、ちらりと顔をのぞかせた。嬉しそうにしているのその顔を横目に、こうなったらどうにでもなれと、さっさと靴を脱ぎ、結華を抜かすようにして、右側の奥の部屋へと早足で進んでいく。

 約六年ぶりだというのに、この家の構造は自然と頭に思い浮かぶようで、大して迷うこともなく、奥にある結華の部屋の障子を勢いよく開ける。

 高校生にもなって、同世代の異性の部屋に、許可もなく、ずかずかと踏み入っていいものか。

襖を開けるだけ開けて、部屋の前で固まっている俺の背中を誰かがぐいぐいと押してくる。

「なに固まってんの、さっさと入ってよ! ドア狭いんだからさ」

「ん……、ああ、わかった」

 結華に背中を押されるまま部屋の中へと入る。

木造の部屋には木のいい匂いと畳の匂い。

何かの花の香りだろうか、甘く優しい匂いであふれ、それまで張りつめていた気持ちが落ち着き、思わずフッと笑みがこぼれる。

「どっか適当に座って!」

「ん、わかった」

 部屋の真ん中の見覚えのある、年季の入ったローテーブルへと向かうと、昔のように足を伸ばして座った。

「おばあちゃんのこと、手伝ってくるね! 夢斗はここで待ってて!」

 それだけ言うと、俺の返事を待たずにバタバタと慌ただしく、結華は部屋を出て行った。

 同年代の女子の部屋に入るのは初めてで、何となくそわそわとしながら自然とあたりを見回してしまう。

「ん?」

 太陽の優しい光が差し込んでいる窓際に見覚えのないものが置かれていて、思わずその何かをじっと見てしまう。

 部屋の角に置かれた透明な四段ケースに透けて見える色とりどりの糸。向こうの比較的新しい、もう一つの低い四つ足の机。その上には、赤、黒、白の糸が途中まで何かを編んでいたのか絡まった状態で置かれている。

「あれ……、なんだ?」

「それはね、結縁紐っていうんだよ」

 いつの間にか、結華と一緒に部屋へとやってきていたタエさんがコップの乗ったお盆を持ちながらそう答えた。

「結縁紐?」

「そうだよ、私ら紡士が誰かの想いを形に残すために、依頼されて編む紐なんだ」

「ほうし?」

「ん?」

「え?」

「結華? 夢斗君にあんたが今何やってるか、話してないのかい?」

「え? 話してないよー? 今から話そうと思ってたから」

「はぁ、ごめんねぇ。夢斗君、大事なことは後回しにする結華のいつもの悪い癖が出ちまったみたいだよ」

「うふふふ」

「笑ってんじゃないよ! っったく誰に似たんだかねぇ」

 結華が誰に似たかなんてあんた一択だろと、心の中でツッコミを入れる。

「今から説明する予定だったのー!」

「どうだかねぇ」

「説明? なんのだ?」

 突然、真剣な表情を見せたかと思うと、今までよりも低いトーンで結華が口を開いた。

「あのね、私は今、おばあちゃんの仕事を受け継いでいこうと修行してるの。あそこに置いてある結縁紐も私がおばあちゃんに教えてもらいながら途中まで編んだの」

「それで?」

「そう、それでね。今まで、おばあちゃんと一緒に仕事に行かせてもらってたんだけど、そろそろ一人で仕事してみないかって言われてたの」

「おう、それが俺にどう関係するんだ?」

「一応、基本は教えてもらってるけど、やっぱり不安なの。だから付いてきてくれないかなー……って」

「は?」

「ねぇ、いいでしょー? あんたもなんか事情ありそうだし、仕事手伝ってもらってる間は家に居ていいからー!」

「そんな強引な……。そもそもタエさんの許可は?」

「私は全然構わないよ。長い間二人だったから、にぎやかになっていいんじゃないかい? 仕事の方も夢斗君が一緒なら安心だしね」

 やはり、孫が孫なら、祖母は祖母のようだ。

そろいもそろって俺の扱いが雑過ぎる。

まあ結華が言っていた通り今俺が行ける場所なんてない。

正直、この提案はありがたかった。

「でも、手伝いってなにすんだよ」

「別に何も?」

「は?」

「まあ、荷物持ってもらうとか、それくらいかなぁ?」

「それ、俺いる?」

「いるよ! 安心するって言ったじゃん!」

「わかった、わかったよ。うるさいからデカい声出すなって」

「わーい! やったぁ! ありがとー夢斗!」

「わっ、ちょちょ、くっつくなって! うっとうしいなぁ」

 俺の答えなどわかっていたかのように、言い終わった瞬間に結華が飛びついてくる。

 いつもと何も変わらないはずなのに、抱き着いてきた結華からは何やら花のような優しい香りがして、思わず抱きしめそうになる。

「相変わらず仲良しだねぇ」

 隣でタエがほほえましそうに見ていることに気が付き、まだ抱き着いている結華の両腕をつかみ、慌てて自分の体から引きはがす。

「ぶー、別にいいじゃん! 減るもんじゃないんだし! むしろ感謝してほしいくらいなんですけど! まあそれはそうとして、明日から早速よろしくね! 夢斗!」

「ああ…………、ん?」

 目の前でにこにこと笑っている結華。

先ほどの発言を思い返し、一瞬思考が停止する。

「んふふ」

結華の表情が、にこにこからにやにやへと変わり、むかつく笑い声が聞こえてくる。

「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」

三人しかいない広い平屋建てに、俺の叫び声が響く。

ジリリリリリリリという喧しい蝉の声が、共鳴するかのように、外から響いていた。



 翌日、俺は見慣れた家の家先に、結華と二人でなぜか立っていた。

 くすんだ白い壁に、オレンジの屋根がやけに目立って、恥ずかしい。

改めてまじまじと自分の家を眺めていると、不意に隣にいた結華が放った大声に、ハッと我に返る。。

「今日の依頼者の家はここだ!」

「は? お前、だってここ……」

「さ! 行くよー」

 問答無用といわんばかりに、結華は躊躇いもなくインターホンを押すと、ピンポーンという音が聞こえ、しばらくすると中から男性の声が聞こえた。

「……はい」

「すみませーん、ご依頼で来ました! 紡士の想逸結華と申します」

「え……、あ、はい」

「ご依頼者の心葉さんですね? ご依頼の内容や制作方法など説明させていただければと思いますので、一度上がらせていただきたいのですが」

 結華の口から聞いたこともないような敬語の数々が聞こえてきて、目を白黒させているうちに、いつの間にかインターホン越しの会話は終わっていたようで、玄関から四十代くらいの男性が顔を見せた。

「もっと年配の女性が来るもんだと思ってたが……、こんな、お嬢さ……ん……が?」

「よお、クソ親父」

「夢斗! お前! どこほっつき歩いてたんだ!」

「うるせえな、どこへ行こうが勝手だろ!」

 今にもつかみかかってきそうな剣幕で大声をあげた俺の父、心葉源氏を睨みつけた。

「まぁまぁ、今の夢斗には私のお手伝いをしてもらってるんです。とりあえず外で立ち話も周りの迷惑になりますから、その続きは家に入ってからということにしませんか?」

「いや、だが……」

強引な結華に狼狽する父は、今からどこかに出かけるところだったのか、それとも夜勤明けで帰ってきて、そのまま寝ていたのか。

上は夏によく見かける、薄手で涼し気な淡い空色のワイシャツに、下はあの男の心をそのまま抜き出し、染色され作られたかのような、季節外れで暑苦しい黒のズボンといういで立ちだった。

とても医者とは思えない。

正直、父と顔を合わせることさえ嫌だったが、結華の頼みを引き受けてしまった以上、ここで仕事を投げ出し、帰るのは非常に気分が悪い。

あくまでも自分は結華の手伝いに徹しようと、何も発することなく結華の後ろについて、なじみのあるわが家へと足を踏み入れた。

数日ぶりに足を踏み入れた我が家は、一言でいえばひどい有様だった。

玄関には脱ぎっぱなしで、そろえられていないままの靴が散乱。

向こうのリビングにある机の上には、普段父が食べているところなど見たことのない、プラスチックの弁当容器がそのままにされていた。

たかが二日いなかっただけでこんなことになるのかと、思わず悲しい気持ちを感じた。

そんな家の中を見回しながら、向かい合って話ができるようにダイニングテーブルへと三人で腰を下ろした。

「それで、ご依頼の内容ですが……」

「ちょっと待て! その前に夢斗がいる理由を説明してもらいたい」

 どんなことよりも先に、俺に対して文句を言いたいらしい父は、結華の話を遮った。

ちなみに父は結華の顔を知らない。

近所に住んでいた時も、父は働きづめで、小さかった俺をタエさんに適当に預けて、振り返ることなく、駆け足で車に乗り込んでいた。

いわゆる父子家庭で、母は俺が小さいとき心臓の病気で亡くなったらしい。

だから母さんの顔はいつも変わらない、笑顔の遺影でしか知らない。

自分の子供を預ける家庭のことを知りもしようとしないで、何が父親なのだろう。なるとしても、こんな父親にはなりたくないといつも思っていた。

「まあまあ、落ち着いてください。お仕事のお話をしましたらご説明いたしますので」

 結華が、若干ひきつったような笑顔を浮かべ、ちらりとこちらを見る。

 いつもそつなく学校でも交流していた記憶があるが、こいつにも人の対応で困る事なんてあるんだと、思わず吹き出しそうになるのをぐっっとこらえる。

「今の俺は、結華の付き添いです。結華の話が終わるまではあなたとお話しすることはありません」

ところどころ語気を強め、あの男を睨みつけながら、結華の話を聞くように促した。

「お前! 何を言ってる、早くこっちへ来い! いろいろと説明してもらおうか」

「何度そのようなことを言われても、俺が、今のあなたとお話しすることは何もございません」

 何度かそのようなやり取りを繰り返すと、相手もようやく観念したのだろうか、大きく一つ。

フゥとため息をついた。

「……早く仕事の話とやらをしてもらおうか」

「承知しました。それではお話させていただきます」

 付き添いとは言え、事前にほとんど何も聞かされていなかった俺は、結華の口から語られたことに耳を疑った。

「今回、ご依頼の紡士の仕事ですが、ご依頼者様本人から聞き取りをさせていただいたあと、その場で糸をゆわせていただき、一度仕事場の方へその糸を持ち帰ります。一日お時間をいただきまして、翌々日に改めてこちらに伺わせていただき納品となります」

「そんなにすぐできるのか……?」

「もちろんです。個人的な意思として、何か込めたい思いがある場合は、本日聞き取りの際におっしゃっていただければ、対応いたします。しかしながらいくら願いを叶えるといいましてもご自身に対しての願いや、個人の範疇を大きく超える壮大な願いなどは叶えることができませんので、ささやかな願いをもって望まれることをお勧めいたします」

「わ、わかった」

「では、さっそく聞き取りを始めましょうか! 夢斗、悪いんだけど一応メモとっててもらってもいい?」

「わかった」

「それでは、源氏様その方に対する思い出などお聞かせいただけますか?」

「そうだな…………」

 家に来てほんの数分で質問されるとは思ってもいなかったようで、父は深くうなりこんだ。いったい誰の思い出を思っているのだろう。こんな父でも叶えたいことがあるとは驚きだ。

 それにしたって、結華が言ってた結縁紐ってのは、いったいどんなものなんだろうか?

そんなものがあるなら、もっと昔に俺に教えてくれていたってよさそうなのに、そんな話を聞いた覚えは一度もない。

「わかりました、それではまた後日お渡しにあがります」

「では、話を聞かせてもらおうか? 夢斗」

「別に、話すことなんかねぇよ」

「……なんだと?」

「俺は、しばらく結華の家で世話になる事になった。よかったな! 嫌いな息子に合わなくなって!」

「ちょ、ちょっと……、夢斗」

「お前! 何を言ってる! 進学はどうするんだ!」

「うるせぇな! そんなもん俺の勝手だろ!」

「勝手じゃない! 俺はお前の将来を心配して……」

「だから余計なんだよ! 別にてめぇに心配されなくても何も問題なんかねぇよ! 鬱陶しいな!」

「なんだ! その言い方は! 親に向かって!」

「はぁ!? 小さいガキ隣のばあさんに預けて自分はかかわりもせず、夜遅くまで仕事仕事仕事! 都合のいいところだけ父親面すんな!」

「夢斗……」

「もういい、こんなとこ二度と戻ってこねぇよ! 行こう、結華」

 一通り洗いざらい言いたいことを言い終わると、結華にそう声をかけ、返事を待つことなく玄関へと歩き始めた。

 父の顔を振り返ることはしなかった、どうせ不快な思いをするだけだ。

家を出てしばらくたち、その影が見えなくなってからもしばらく俺たち二人の間には沈黙が流れた。

「ねぇ、夢斗?」

「…………」

「なんでそんなにお父さんのこと嫌いなの? 話し合わないと分からないこともあるよ……?」

そんな結華の落ち着いたもの言いに、何故だかどうしようもなく怒りがこみあげてくる。

「うるせぇな! さっき隣で聞いてたからわかんだろ! あいつは俺を置き去りにして仕事仕事仕事って、ろくに親父の顔なんか覚えてねぇよ。今更何か話してどうするってんだ? ごめんなさいして、ハイ仲直りってか? バカかよ」

 不意に結華と目が合う。

 大きな彼女の瞳がウルウルとし始め、八ツと我に返る。

これではまるでガキだ、自分の納得できないことに大声出して怒鳴り散らして、わめけば誰かがわかってくれると勘違いしている、ただのガキではないか。

結華はただ俺のことを心配してくれているのに……。

「すまん結華、先に帰っててくれ、俺ちょっと頭冷やしてから帰るわ」

「え、ちょ、ちょっと……ま」

 後ろの方から待ってというか細い声が聞こえた気がするが、あのままあの場に居たら、きっと俺はまた結華を傷つけてしまう。

 心を整理する時間が欲しかった、一人になりたかった、最後に見た結華の泣きそうな表情に胸の奥がナイフで刺されたかのようにズクリと痛んだ。



 しばらく歩き続けていると、ある古い公園に行きついた。

 ゆく当てのない心を抱えたまま、かつての思い出の中の景色と変わらない、公園の中へと歩んでいった。

 奥の方に見えた、ひときわ古ぼけたベンチへと足を向け、その目の前で立ち止まる。

「ここも変わらないな」

あたりを見回し、かつての悲しかった思い出に浸る。

「夢斗! こっちこっち!」

「…………」

「なにふてくされてんのよ!」

「……別に」

「お父さんのこと?」

「…だから、別になんでもないって」

「わかった! お父さんと一緒に遊べなくて怒ってるんでしょー」

「は?」

「でもダメだよー、お父さんはきっと夢斗のために頑張って働いてるんだよ! そんなことでふてくされてたらダメ!」

 そう言い、このベンチで満面の笑みを浮かべながら、俺に子供ながらも小言をべらべらと話しかけてくる結華の顔が浮かぶ。

 思い返せば思い返すほど、かつての自分と今の自分が何も成長していないかということを思い知らされる。

 結華はタエさんにいろいろと教わって、自分の力で何かを残していこうとしているというのに、俺はただ何となく生きて、自分の感情のままに反抗して、家を飛び出て、小さいころから一緒にいて自分のことをずっと心配してくれている幼馴染に対してもガキのように声を荒げて。

 自分がなんて成長のないみじめな存在かありありと感じさせられてしまう。

「帰るか…………、結華のところに……」

 ふと公園の時計を見上げると、とっくに昼の一時を過ぎ、腹の虫が情けなく声をあげた。

 公園の入り口までふらふらとした足取りで進むと、向こうからきょろきょろとしながら結華がこちらへ歩いてくるのが見えた。

 結華はこちらに気が付くと、目を見開き、動きにくそうなワンピースにも関わらず、こちらまで猛ダッシュでかけてきた。

「ゆめとぉぉぉ!!!」

「うわっととと、どうした?」

「ごめんねぇぇぇぇ、無神経なこと言って!」

「どうした? 急に」

「へ? 私が変なこと言っちゃったから怒ってどっか行っちゃったんだと思ってぇ」

 そう情けない声を上げながら話す結華の目元は真っ赤に腫れていた。

「別にそんなんじゃねぇよ。てかなんでお前が泣いてんだよ」

「だ、だってぇ」

「まあ、何だ。ありがとな、結華」

「へ? 何? どうしたの夢斗?」

「な、何でもない! 帰るぞ! まだ仕事あんだろ!」

「……うん。わかった!」

 なんだか急にこっぱずかしくなって強い口調になってしまう。

 結華は元の笑顔を見せた。

「ん!」

 そう聞こえ、振り返ると後ろを歩いていた結華が、こちらに向かって手を差し出していた。

「なんだよ」

「んふふ、私を泣かせた罰です。家に帰るまで手をつないでいなさい」

「は? 何言ってんだよ! そんなこと、す、するわけないだろ!」

「えー? 私、夢斗が心配でなーんにもできなかったのに、夢斗はひどいなぁ……」

 そういい隣でニヒヒと笑う彼女は、先ほどまで泣いていたとは思えないほど強かで、数分前と同じ女性とはとても思えなかった。

「こうしてこの時間に、二人で歩いてると、昔を思い出すね! さっきの公園もだったけど……! 懐かしいねぇ!」

「そうか?」

「そうだよ! 小学生の頃は、あの公園でこれくらいの時間まで遊んだ後、いっつもこの道を通ってうちまで帰ってたじゃん!」

「そういえばそうだったかもな」

「何その言い方! いっつも泣きながら歩いてたから、慰めながら歩いてたんだよ?」

 昔の恥ずかしい記憶を、べらべらと楽しそうに話し続ける、彼女の横顔を眺めながらゆっくりと歩いていく。

「ただいまー」

「いや、昔から思ってたけど、玄関開ける前にそれ言い始めるのはおかしいだろ」

「え? 何が?」

「いや、タイミング……」

「細かいなぁ、こういうのは相手に伝われば十分なんだよ。細かいこと気にしすぎ!」

「いや、絶対聞こえてないし」

 なぜか自信満々といった表情で答える結華は、そのまま、靴を脱ぎ捨てるようにしてどんどんと中へ入っていった。

若干気まずい感じになるとかでもなく、自然と3人で夕食を済ませ、何故か一番風呂に入らされ、気がつけば夜も更けた。

次第に耐えられない眠気に襲われ、いつの間にか意識を失った。

次に目を覚ました時、トイレに行こうと襖を開けると夏の夜だと言うのに少しひんやりとした気配が入り込んで来た。

ササッと廊下へとでて、トイレを済ませて部屋へと戻ると、廊下の奥、結華の部屋から光が漏れ出ていた。

こんな遅い時間まで何をしているのかと不思議に思い、部屋の主に気づかれないように息を殺した。

足音にも気をつけつつ部屋の前へと進み、少しだけ空いていた襖をもう少し、ゆっくりと開け、ちらりと中を覗き込んだ。

覗き込んだ襖の隙間から結華の姿は見えなかった。

昨日、部屋に入った時に見た、あの机の所にいるんだろうと思い、少し胸の奥がチクリと傷んだが、ばれないように少しずつ頭を部屋の中へと入れていった。

思ったよりも深く入っていたようで、廊下の音が聞こえづらい。

「そんなに覗き込んでどうしたんね? 夢斗」

いきなり頭の少し上から声をかけられ、口から心臓が飛び出そうになる。

結華にバレる訳にはいかないと、咄嗟に唇を強く噛んで、今にも出かかっていた絶叫を喉の奥の方へと追いやった。

「結華が仕事しとるとこ見るんは初めてだったかね?」

「え、あ、そうですね」

小さい声で話しかけてくるタエさんに合わせるようにして小さく答える。

「あの子、あんまり自分の仕事しとるとこ人に見せたがらんのよ」

「え、なんでですか?」

「わからんがねぇ、でも今回の仕事に気合い入っとるのは、帰ってきてからずっとわかるよ」

「そんなに真剣にしなくてもいいのに」

「そう言ってやらんでね、あの子は誰にでも優しいから夢斗にとって嫌なことは何とかしてあげたいと思ってるんよ。きっとね」

いつもガキのように言い争っていた結華の、普段とは違う側面に不覚にもドキッとしてしまった。

「でもなんで俺のためにそんなになってくれるんでしょうか?」

「そんなもん本人に直接、聞いたらいいがね」

戸惑ったままの俺に、若干笑いを含ませながらそう答えるタエさんに、文句を言おうとする。

不意に、背筋を何か不吉なものが続々ッと伝うような感覚を覚えた。

嫌な予感がして前を向いた俺と、いつの間にかすぐ側まで来て、こっちをジッと見つめていた恐ろしい顔した結華と目が合った。

「あ、ま、まだ起きてたんだな……。何してたんだ? こんな夜遅くまで」

「……まだ起きてたんだな、じゃない! 何ひとりでコソコソしてるの? えっち!」

「え? ひとり? タエさんもそこに……」

さっきまで気配がしていたすぐ後ろを振り返るが、そこには影も形もなかった。仙人か何かか? と思ったが、そんな考えは詰め寄ってくる結華の迫力ですぐにかき消えた。

「何見てたのよ!」

「いや、トイレいったらお前の部屋から明かりが漏れてたから……」

「漏れてたから……? 何それ、馬鹿なの?」

「は? バカじゃねぇし、お前こそこんな時間まで何してたんだよ」

「仕事だけど?」

「お前、何でそこまで真剣なんだ?」

 いつもは聞けないはずのストレートな疑問が口をついて出た。

すると、結華はきれいな薄水色の目を見開き、少し戸惑ったような気配を見せた。

何で戸惑うんだ? と一瞬思ったが、それよりもなんでそんなに仕事に打ち込むのかということの方が重要だった。

「そ、それは……」

「それは?」

「人の想いってそう簡単に測れないの、たとえそれまでにどれだけ話を聞いていても」

 わけがわからなかった、人の想いが測れないからという答えは、仕事に取り組む理由には何も関係していないように思えた。

 きっと今度は俺が、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしているのだろう。

「私は、今、人の想いに触れてる。誰よりも近いところで、だから私は仕事を真剣にするの」

「この仕事だから、そんなに?」

「ううん、この仕事だけってことじゃないと思う。きっとこの世界にあるいろんな仕事は、誰かの想いとつながってて、それに向き合ういろんな人たちも真剣に仕事をしてるんだよ。たまたま私が触れるのが早くて、仕事の内容が少し特殊ってだけで、ほとんど他の人と頑張ってる理由は変わらないんだと思う……」

 妙に大人びた結華の受け答えに、俺の胸はほとんど本来の役目を終えたなまくらのナイフで刺されているかのようにぎりぎりと痛んだ。

「どうしたの?」

「い、いや! なんでもない」

「変なのー ふふふ」

「なんだよ」

「やー? 別にぃ。 にひひ」

「なんだよ、気になるな。教えろ!」

「やぁーだー」

「言えって」

 のらりくらりと躱されながらそんなやりとりをしばらく続けていると、

「夢斗はさ、お父さんのことどう思ってる?」

「は? なんだよ急に」

 突然挙げられた、嫌な話題に一瞬言葉が荒くなる。

「いや、なんでそんな毛嫌いしてるのかなーって気になっちゃって」

「それは前から話してるだろ、あいつは母さんが死んでからずっと、俺の気持ちなんて無視して仕事に、外出。どうせ外で女でも作ってたんだろうけどな」

「それお父さんに聞いたの?」

「いや?」

 そう聞く必要なんてないのだ、二人で話しているときでさえ、あの男は俺ではなく、誰か別の奴のことを考えているのだ。

 そんなやつをどうして好きでいられるというのだろうか。

 きちんと向き合ってもくれないような親と真剣に話し合ったところでらちが明かない。

時間の無駄だ。

いつものようにぐちぐちと自己満足のように小言を繰り返す父に嫌気がさし、家を飛び出した。

これが、あの地獄の窯の中のような空の下、でふらふらと街をさまよっていた理由だ。

きっとこれからもあいつと相いれることはないのだろう。

「話さないと分からないことってたくさんあるよ。きっと夢斗は、もっと素直にお父さんと話し合った方がいいんじゃないかなぁ」

「は? お前までそんなこと言うのかよ!」

「夢斗、声大きいよ」

「それは! ……お前がまた変なこと言うから」

「夢斗のお父さん、きっと夢斗が思ってるよりいろんなこと考えて、悩んでると思うよ」

「何で…?」

「何となく! きっとお父さんも夢斗もちょっとずつ言葉が足りないんだよ、だから少しずつ歩みよってみないと、夢斗もね」

 やっぱり俺はガキだな……、結華にはっきりといわれてハッと我に返った。

 知らなかったんじゃない、知ろうとしていなかっただけなんだ、と。

 そう分かった途端、胸の奥を優しくなでられているようなこそばゆい感覚に襲われた。

「お、おれ、もう寝るから! おっ、おやすみ!」

「何それー、ふふっ、変なのー、おやすみ夢斗」

最後の声が聞こえるか聞こえないかのところで、俺は部屋を飛び出した。

なんだかドキドキしてしまって、すっかり目が覚めてしまっていた。

これからどうしようかなと、考えても仕方のないようなことばかりがぐるぐると頭の中を回っていた。

「夢斗! そろそろ起きなさいよ!」

そんな聞き覚えのある声に目を覚ますと、朝のあまりにまぶしい光に目がくらっとした。

 あれこれと考えているうちにいつの間にか眠ってしまっていたようだ。

 なんとなく布団の上から起き上がるのがだるくて、そのままごろりと身を横に投げ出した。

 なんだってあんなことを言ってしまったのだろうか。

 改めて思い返してみても本当に恥ずかしい、穴があったら入りたいくらいだ。

 いたたまれない思いに支配された心から目を背けるようにして、目の前の枕にボフンと顔をうずめた。

「夢斗! おばあちゃんの声聞こえてたでしょ! 返事くらいしなさい!」

 スパンッと部屋のふすまが勢いよく開かれ、怒涛の勢いで結華に小言を言われる。

「今起きたんだよ、ほっとけ……」

「ひとことぐらい寝起きだって返せるでしょ! 心配させない!」

 何もなかったかのように平然と話し続ける結華に、若干戸惑う。

逆にこいつ何も考えてないんじゃないのかと一瞬不安が頭をよぎる。

「はいはい、なんかふてくされてないで、起き上がって準備して!」

「準備ぃ?」

「あったり前でしょ、今日また夢斗のお父さんに依頼されたものを渡しに行かなきゃなんだから」

 そうだった、そういえばそんな仕事だったなと思い返し、昨日の夜から数十倍も重くなってしまったような重い腰を上げ、よたよたと動き始めた。

「ああ、夢斗おはようね」

「おはようございます」

 一足先に朝食を済ませているのだろう、タエさんがズズッとお茶をすすった後声をかけてきた。

「今ご飯用意するでね、先に顔、洗ってらっしゃい」

よっこらせと声をあげながら動き出すタエさんは心なしか、今の俺の足取りよりも軽快に見えた。

蛇口をひねりジャーーーと水を出す。

目の前に存在して俺を睨みつけてくる平行線の自分をジッと見つめる。

ひどい顔だ、この世の終わりのような顔をしている。

この世の何を知っているのだろうか? ただ諦めて、ガキのように駄々をこね続けた結果がこの今なんだろうなとぼんやり思ってしまう。

「夢斗! いつまで顔洗っとるんね? はよご飯食べんと、結華に置いてかれてしまうよ?」

 外からそう呼びかけられて、ハッと我に返り冷たい水を我慢して勢いよく手のひらに救い上げ、バシャバシャと顔に二、三度かけるとごしごしと乱暴に顔をぬぐい

洗面所を後にした。

 用意してもらった朝食を、急いで食べ終わると、急いでさっきの部屋まで戻って服を着替えた。

「夢斗――? まだーー? もう行くよーー?」

「わかってる! そんなに時間厳しいなら先に行っててくれ!」

「えー、だめだよ! そんなことしたら夢斗来ないかもしれないじゃん! ちゃんと見張ってないと!」

 コイツ……、俺を何だと思っているのだろうか。

「夢斗! 行ってらっしゃい。気を付けてねぇ」

そう居間から顔をのぞかせたタエさんに軽く返事をすると、すぐに玄関から飛び出した。

「悪い、遅くなっ……」

 そういい結華のほうを見て謝ろうとしたとき驚きのあまり声がつながらない。

2日前、あの日俺と会った時と同じ格好をした結華がそこにはいた。

全身を真っ白なワンピースに包まれ、軽めのサンダルを履き、大き目で幅の広い麦わら帽子をかぶった結華は、さながら夏の女神様のようだった。

思わず見とれてしまった、一生の不覚だ。

昨日と同じ道を、昨日と全く同じ並びで歩く。

 斜め前から降り注ぐ日差しが少し鳴りを潜めてきたこととは、反対に、なぜか自分の量頬は痛いくらいに熱を帯びている。

 昨日のこともあって、なかなか話し出せないまま時間だけが過ぎていく。

「なっ、なあ……」

「夢斗! 着いたよ!」

「あ、お、おう」

「ん? 何か言った?」

「い、いやっ? なんでもない」

「そう? ならいいけど……」

ピーーーンポーン

結華がインターホンを押し、呼び出し音が鳴る。

別に、元気だったわけでもないのだが、一気にズーーーンと心が沈み込んでいくのを感じた。

「はい?」

「おはようございます! 昨日お邪魔致しました、想逸です。」

「どうぞ」

ブツッ

素っ気なく手短にやり取りを済ませたようだ。

結華はあんなに頑張っていたというのに、その苦労も知らずにこいつは何様なのかと、イラつく気持ちが湧き上がってくる。

「夢斗―? 行くよー?」

 いつの間にか玄関前までたどり着いていた結華が、こちらに手を振っていた。

「失礼します」

「っっどうぞ……」

 まさか昨日の今日でまた俺が付いてくるとは思っていなかったのだろう。

 俺を見るなり苦虫をかみつぶしたように、気まずそうな顔を見せた父は、すぐにリビングの方へと引っ込んでいってしまった。

「んだ、あいつ」

「こら、今は私の助手なんだからけんか腰はダメ、依頼主さんなんだから」

「へいへい、わかりましたよ」

「ふふ、わかればよろしい!」

 なぜか嬉しそうだ。

 すると結華はスッと真剣な表情に戻り、先に進んでいった俺の父を追いかけるようにして、俺の前を歩いて行った。

「で、頼んだものは?」

「はい。こちらになります」

 仕事を頼んでおいて、あまりにも不愛想なこの男の口ぶりと対比するかのように、結華の言葉づかいは丁寧で落ち着いていた。

「これが……」

 そう言い、結華が差し出した一本の美しいミサンガのようなものを、大切そうに眺める。

 しばらくその紐を眺めた後、突然父が口を開いた。

「夢斗、これをお前に」

「は?」

 意味が分からなかった。

 なぜ俺に? なんのために? 今更なにがしたいんだ? 

様々な感情が頭の中でドラム式洗濯機で洗濯されているように、ぐるぐると回り続ける。

「な、にを」

「実はな、父さん癌なんだ」

「は?」

「いいんだ、お前と母さんを置いて仕事ばかりだった俺に、バチが当たったんだろうさ」

「は? そんな素振り一度も……」

「すぐ家から出てたし、なかなかお前とも会わなかったからな」

「い、いつから……?」

「去年の夏ごろだ」

 思い出した。

去年の今頃、突然父に大切な話があると居間に呼び出されたのだ、どうせ再婚か何かだろうと思った。

どうせ邪魔になった俺を捨てていくのだろうと思っていた。

だから俺は、その話を無視して家の外へと飛び出したのだ。

結局、二時間ほどあの公園で時間をつぶした。

明かりがついていないのを確認してから、ばれないようにこっそりと部屋へと戻ったのだ。

「そんな……、う、うそだ。だってあんたは、母さんも! 俺も! ほったらかしにして仕事仕事って」

「すまなかったな、夢斗」

「なんだよ、それ。ふざけんなよ!」

「夢斗!」

「いいんだ、結華ちゃん。ゴホッゴホゴホゴホ!」

「父さん!」

「おじさん!」

 どうやらウソではないらしい。俺や母を苦しめたこの男は、もう余命いくばくもないようだった。

 俺の心を、激しい後悔が貫いていった。

 遠くで誰かが俺の名前を呼んでいる気がする。

 やめてくれ、知りたくない、認めたくない、そんなわけない、きっと何かの間違いだ、だって、だって!

「夢斗!」

 ムギュっと両側から頬を押さえつけられ、目線を上げる。

目の前に、今にも泣きそうな結華の顔が広がっていた。

「夢斗! 夢斗ぉ」

「な、なんでお前が泣くんだよ」

「だって、だってぇ」

 また、泣かせてしまった。

一気にこの世に引き戻された気がした。

「わかった! わかったから! 泣くなって! な?」

ズズズッと鼻を鳴らしながら結華がこちらを見あげた。

はぁ、惚れた弱みと言うやつなのだろうか、昔から結華の涙にめっぽう弱い。

「親父、俺はあんたが嫌いだ」

「夢斗!」

泣き止んだ結華が、俺の発言を遮ろうとしたところで、

「結華ちゃん、いいんだ」

父が、その結華の声を遮り、続けるように促した。

「あんたが、嫌いだ。母さんがなんであんなことをいってたのか、ずっとわからなかった。小さい頃から周りの友達のお父さんと遊んだと言われることが、苦痛で仕方なかった。俺と遊んでくれる父親だったらどんなによかったか、なんどもなんども考えたよ」

積もり積もった思いが堰を切ったように溢れ出して行く。

少しづつ失っていた、誰かへの期待や感情を、取り戻しているような、そんな感覚だった。

そんな、俺を見ながら結華はずっと不安そうな顔をしていた。

だけど今だけは言わないと、言わなければならないと何となく感じていた。

「だけど、やっぱり嫌いにはなりきれなかった。何でも褒めて欲しいと思ってしまう、愛されたい、愛されたい、愛されたい! 誰にも認められず、一人孤独だと思っていたところに出会ったのが、結華だった」

「夢斗......」

「もし、ここであんたを許さなかったら、多分............、俺は、俺の事が、もっと..............嫌いになる。そんな状態で結華の隣には立てないから、だから......そんな泣きそうな顔すんなよ............父さん」

「夢斗!」

バッと、父の体がソファから浮き上がったかと思うと、突然強い力で縛られたような感覚に襲われた。

「っすまない............、すまない......」

初めて”父親”というものを味わっているような気がして、なんだかむず痒い気持ちになった。

ドンっ、

後ろから鈍い衝撃が響く。

「夢斗ぉ、よかったよお、よかったぁぁ」

結華がぺしょぺしょになりながら背中に抱きついてきたのだった。

よりいっそうこっぱずかしくなって、思わず声を荒げた。

「おい! 引っ付くなよ! 揃いも揃って!」


しばらく経って2人ともようやく落ち着いたようで、気になっていたことを聞いてみた。

「で? 父さんは、結華にいったい何を頼んだんだよ?」

「あ、ああ! それはね......」

 結華が何か言いかけた、その時だった。

バタンッ!

後ろから、誰かが倒れるような音がした。

バッと後ろを振り返る。

そこには倒れた父の姿があった。

「父さん!」

「おじさん!」


ジャワジャワジャワジャワジャワ

「あっついなぁ」

ジトーっとした、生暖かい汗が制服のワイシャツを染めていく。

噴水のある広場まで辿りつき、噴水の縁にどっかりと腰掛ける。

「もはや異常気象だろ、これは」

 あれから一年が経った。

 あのあと父は、すぐに病院に運ばれ、帰らぬ人となった。

 父が何を思ってこれを依頼したのか、真意はわからないままだ。 

 遠くから呼ぶ声が聞こえてくる。

 声の聞こえる方を見ると奥の方から結華が手を振りながらかけてくるのが見えた。

「夢斗〜! おまたせ!」

あの日と同じ、真っ白なワンピースからのぞく、真っ白な肌に思わずどきりとする。

思わず顔を背けると、視界の端で麦わら帽が揺れた。

「どうしたの? 夢斗」

「な、なんでもない! 早く行くぞ」

「はーい」

 俺は今、あのときのまま、結華の仕事を手伝っている。

 もっとも、あのあと、大学に進むことにした俺は、押しつぶされる程の量の勉強に忙殺され、あまり手伝えてはいないのだが。

あのとき父がどんな依頼をしたのか気になって、結華に聞いてみたりもしたが、今は言えないとはぐらかされてしまった。

何だか、これからも教えてくれないような気がしている。

「おじさん、夢斗は頑張ってます。きっと幸せになります。だから、見ててくださいね」

「何してんだ結華! 行くぞ!」

「はーい」

 足元のスミレが、厳しい日差しの中でも、強く咲き誇っていた。


趣味程度に書いた作品です。

忙しさで手が付けられないでいるうちに熱量がなくなってしまい、やや推敲も甘いところがあります。ストーリー設定もだいぶ甘いと思われますが、最後まで読んでいただきありがとうございました。

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