井伊次郎法師(1552〜1553年)
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2024.9.27改訂
信行と勝家は刈谷で加藤光泰と合流して三河・遠江を経て駿河に入った。国境で小競り合いが続いているので西三河は兵士の姿が多数見られた。
「あれは付け入る隙は有りそうだな」
「色々あるのでそれを利用すれば」
「監視だけは怠らないようにしよう」
三カ国共に今川による施政が上手くいっている様子だったが、三河については今川に従属した松平家からあぶれた浪人集団や一向宗門徒が不満を抱いている事からキッカケがあれば乱れる可能性を秘めていた。
駿府に到着した一行は定宿の旅籠に入り得意先回りを始めた。信行は手代、勝家は用心棒として光泰に同行して駿府商人に愛想笑いを振りまいた。
「駿府の北外れに曰く付きの御仁が居られる噂はご存知ですか?」
「存じませんね。因みに曰く付きと言いますと?」
ある商人が世間話と称して光泰に興味深い内容の話をした。遠江の豪族が今川義元の介入によって腹を切らされ一家離散したという。
「今川義元も下手を打ったな」
「喧嘩両成敗で済まさなかった事でしょうか?」
「そういう事だ。裏を取るなり双方から話を聞くのが定石だからな」
信行の依頼を受けた光泰が得意先を通じて詳細を聞いたところによると、井伊家で当主と家宰の間で揉め事が起きて家同士の対立に発展した。家宰側が駿府に出向いて今川義元に讒言したが、取次役に賄賂を渡して口添えを要請した。取次役に上手く丸め込まれた義元は当主側に責があると一方的な裁定を下して腹を切らせる沙汰を下したという。
「これは使えるぞ」
「どのように?」
「明日になれば分かる。光泰、明日は別行動を取らせてもらうぞ」
「承知致しました。成果を楽しみにしております」
*****
信行と勝家は龍潭寺という山寺で尼僧と対面していた。男二人が名指しで訪ねてきた事もあり、尼僧は不信感を顕にして嫌そうに対応した。
「尾張熱田の商人、加藤家の手代で勘十郎と申します」
「今日はどのようなご要件でお見えになられたのですか?」
「お得意先で次郎法師様の噂を耳にしまして」
尼僧は井伊次郎法師といって今川義元に腹を切らされた井伊直盛の一人娘である事から事実上の当主といってもよい立場にあった。
「私を今川義元に差し出すつもりですか?」
「そんな馬鹿な真似は致しません。織田家で保護させて頂きます」
井伊家の正統後継者である直虎は東海地方を攻める時に今川の非を世間に知らしめる存在となる。次郎法師を尾張で保護した上で然るべき時に遠江・駿河に檄を飛ばして関係者の蹶起を促す目的がある。
「織田が私を保護すると言うのですか?俄かには信じられません」
「私は織田家に伝手がありますので心配ありません」
依然として疑いの目を向ける次郎法師に対して信行は説得を続けた。ここまで疑われるなら最初から織田信行だと名乗った方が良かったかもしれないと後悔していた。
「今川を倒した後はどうなるのですか?目的を果たしたので用済みと言われるのでは?」
「それは無いとお約束致します。井伊家には遠江一国を委ねる考えでおります」
「遠江を丸ごと任せると…」
遠江そのものを任せると言われて次郎法師も折れるしかなかった。この段階で拒むようなら織田は手を引いて独自で動く算段を始めるだろうと。真摯な態度で接している勘十郎という男を信用してみようという気持ちになった。
「話は大筋で理解しましたが、素性を明かして頂かなければ協力は出来ません」
「やはり気付いてましたか。私の名は織田勘十郎信行、当主織田信長の弟です」
「因みに手を差し伸べようとしたのは何故ですか?」
「一つ目は今川を潰す為の協力者を欲していた事、二つ目は次郎法師様に興味を持った事ですかね」
次郎法師は一族の井伊直親を婿に迎える予定だったが、義元の介入が直親に及ぶ事を恐れた親族によって甲斐に逃がされた。直親は逃亡先で嫁を迎えて子供が出来たので次郎法師との婚約は破棄となり、次郎法師の立場も宙に浮いた形になっていた。話を聞いた信行は直親の態度にカチンと来たので自分の手で次郎法師の婿を探してやろうと考えた。
「面白い方ですね。赤の他人のためにそこまでされるとは」
「私も家族絡みで嫌な思いをしましたので、それを見たくないと」
「そこまで考えて頂ける方の申し出をお断りすれば失礼に当たると思っておりますので宜しくお願い致します」
【登場人物】
今川義元 1519~
→今川家当主
井伊次郎法師 1536〜
→駿河の尼僧、井伊家当主
井伊直親 1535~
→武田家臣、直虎の元許嫁