無礼討ち②(1556年)
ご覧頂きましてありがとうございます。
ご意見・ご感想を頂ければ幸いです。
信行が襖を開け放ち部屋に入ると酒の匂いが充満しており、泥酔状態で大の字になっている者や信行に気付かず博打に夢中になっている者が多く居た。
「想像以上だな。庭に放り出せ」
「はっ」
秀隆と成政ら母衣衆が部屋になだれ込んで、茶坊主を次々と縛り上げて庭に放り出した。中には抵抗する者も居たが母衣衆の相手にならず痛い目に遭っていた。
「役目の最中に酒と博打とは良い身分だな」
「下衆共が舐めた真似を」
「御館様が見れば何と言われるか」
外に集められた茶坊主は逃げられないように囲まれて、監視している母衣衆から罵倒されていた。母衣衆の中には茶坊主を蹴る者も居たが、信行は止めようとせず無表情で眺めていた。
「これはどういう事でしょうか?」
奥の部屋から数名の茶坊主が現れその中の一人が信行に問い掛けた。口調は平静さを保っているように見えるが、信行や勝家を睨み付けている事から憤激しているのは明らかだった。
「同朋衆に用があって来てみればご覧の有様でな。職務怠慢として全員拘束させてもらった」
「誰の許しを得て」
「兄上や家老が不在なら弟である私に決定権がある。同朋衆でありながらそんな事も知らないとは驚きだな」
「まさか尾張介…」
「尾張介様を呼び捨てにするとはどういう了見だ!」
勝家が刀に手をかけた状態で茶坊主に近付こうとしたので肩を掴んで強引に押し留めた。
「止めておけ。私の顔を知らないなら仕方ない」
「申し訳」
「お前たちに何も期待していない。それに名乗らなくても分かっている。お前が十阿弥だな」
信行から同朋衆など不要だと言われている事に気付いて十阿弥は身震いした。
「前田利家に難癖を付けた理由を話せ」
「幼女を嫁に貰って手籠めにするのは鬼畜の所業」
「誰からその話を聞いた?」
「前田家の関係者です」
「勝家を護衛に付けてやるからその関係者とやらを連れて来い」
「何故でしょうか?」
「私が直々に尋問するからだ」
「お断り致します」
拾阿弥は信長の庇護を受けていると信じて強気の態度に出た。信行が何を言おうとも信長の一言があればひっくり返せるという考えがあった。
「私の命令に従えないのか?」
「御館様の命令しか従えません」
「仕方ない」
信行は刀を抜いた。代理とはいえ当主の命令に従わない家臣は処断するのが当然の話である。
「城内で刀を抜くとは乱心だ!」
「私は至って正常だぞ。勝家はどう思う?」
「この茶坊主の方が狂っています」
勝家はしたり顔で答えた。自分の手で十阿弥の首を刎ねたかったが、信行に止められたので刀を抜くのを我慢していた。
「失礼ではないか!」
「茶坊主如きに失礼と言われる筋合いは無いわ!」
「ひっ…」
影で鍾馗と渾名される程強面の勝家に怒鳴られて十阿弥は腰を抜かしそうになった。
「素直に認めればよいものを。まあ認めたところで許すつもりは無いが」
信行が刀を握り直して拾阿弥に近付こうとしたら背後に人の気配がした。信行が振り返ると帰蝶が侍女と共に中の様子を伺っていた。
「昼間から騒々しい」
「義姉上」
「奥方様…。助かった!」
帰蝶を見た拾阿弥の顔に安堵の表情が浮かんだ。拾阿弥は信行の横をすり抜けて帰蝶の前に膝まづいた。
「奥方様、お助け下さい」
「これはどういう事じゃ?」
「信行様が」
「貴様には聞いておらぬ。勘十郎、答えよ」
「その茶坊主が前田利家を陥れる不埒な真似をしたので追求しているところです」
「不埒な真似とは失礼な」
「黙れ。誰が口を開けと申した?」
帰蝶に睨まれて十阿弥は渋々口を噤んだ。蝮の娘である帰蝶の怒りに満ちた目は信行ですら恐怖を覚えるものだった。
「も、申し訳ございません」
「勘十郎、証拠はあるのか?」
信行は懐から手紙の束を取り出して帰蝶に渡した。手紙を受け取ると侍女に読み上げさせて帰蝶は黙って聞いていた。帰蝶と信行に挟まれた形の拾阿弥は逃げ場を失って顔は血色を失っていた。
「拾阿弥以下同朋衆は兄上の力を利用して家中を乱しております」
「お前ならどのような処分を下す?」
「斬首以外あり得ません」
「その手紙は誰かが書いた偽物で」
追い詰められた拾阿弥は縋るように帰蝶の羽織を掴んだ。
「戯けが!」
帰蝶は手に持っていた鉄扇で拾阿弥の顔を殴り付けた。
「茶坊主の分際で妾に物を申すな!」
「痛い…」
「貴様は利家を陥れようとしただけでなく、物を盗んだな」
「な、何を証拠に?」
「貴様が他人に自慢していた笄は妾が松に与えた物だ」
拾阿弥は母衣衆が宿直を務めている部屋に無断で入って利家の刀から笄を抜き取り自分の物にしていた。それを信長から下げ渡されたと偽り同朋衆に自慢しているのを帰蝶の侍女に目撃されていた。
「これは拾ったもので」
「下郎が!」
帰蝶は拾阿弥の胸倉を掴むと再び鉄扇で殴り飛ばした。
「妾が命じる。同朋衆全員の首を刎ねよ」
「承知致しました」
床に這いつくばっている十阿弥は勝家に担ぎ上げられて外で縛られている茶坊主と共に連れて行かれた。
「勘十郎、あのようなフリをするのは疲れるわ」
「あまりの迫力に義姉上が蝮殿に見えました」
「待つのじゃ、妾は禿げていない」
帰蝶は笑いながら頭を指差して髪の毛がある事を主張した。確かにその通りだと信行も笑った。
「今回の件は私が独断で動きましたので兄上にはそのように報告致します」
「妾も同席させてもらう」
帰蝶に命じられた侍女は慣れた手付きで部屋の粗探しを行うと拾阿弥の文箱から件の笄を見つけた。
「これを利家に渡してくれ」
「承知致しました」
「妾の侍女を見て不思議に思ったか?」
「そうですね。中々の手練れだなと」
「孫六の配下じゃ」
帰蝶の侍女は全員甲賀忍で固めており、不穏な動きがあれば即時対応出来るようにしていた。控えている侍女はそれを纏める立場の上忍だった。
「この事を知っているのは近しい者だけじゃ」
「心得ておきます」
*****
信長が城に帰ると同朋衆が全員首を刎ねられた事を聞いて驚いた。その件に信行と帰蝶が絡んでいる事を聞いたので二人を呼び出した。姿を現した信行はあらましを掻い摘んで説明した。
「これらの事を踏まえて処断致しました」
「であるか…」
信行から事情を聞いた信長は納得したが、不機嫌な表情を隠さなかった。
「今回は兄上にも原因があると思います」
「言うな」
「この件については某と長秀が何度も申し上げましたな?」
「分かっている!」
信行だけでなく政秀からも苦言を呈されたので信長は苛つき始めた。やり取りを黙って見ていた帰蝶が不意に笑い出した。
「己の不注意で招いた事で癇癪を起こすとは情けない」
「何だと?」
「政秀が言うように茶坊主の横暴を放置した御館様に今回の原因がある」
「…」
「拾阿弥は御館様の名を騙り松を犯す企みをした痴れ者」
「何っ!詳しく聞かせろ」
利家との縁談が決まった事を信長に報告する為に一計は松を連れて城に来た際、十阿弥が松に目を付けた。松を嬲り物にする事を企み同朋衆と共に動いた。最終段階で信行や帰蝶に知られて未遂に終わっていたが、実行されていたら信長もタダでは済まない事態になっていた。
「儂が全面的に悪かった」
事情を知った信長は愕然として頭を下げたが、予め話を聞いていた信行を除いて全員衝撃を受けていた。家中統制が乱れる前兆だとして厳しくする必要に迫られる事になった。
「利家は鳴海に連れて帰ります。松の件は兄上の指示で私が動いた事にして収めますが、それで宜しいですね?」
「全てお前に任せる」
信行は後始末を済ませると篠原家と前田家を訪ねて事の顛末を説明したが、松の件は一切伝えなかった。