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『癌』

作者: shiro

 



 生きる理由なんてものは、「死後が今より幸せか分からないから」程度のものだって、もう自身の中では決まってる。

 だから、今更、もう「何で生きてるのか」なんて思わない。



 しかし、俺はどこに向かっているんだろう、とは思う。

 こんな孤独で、独りで、世界について考えて、自分のことでも苦しんで、「こうすれば救われる、ああすれば救われる」だなんて独りで考えて、その救われるという策に必死に縋り付くだけ。

 そこに、一体何があるんだろうって。何が残っているんだろうって。




 救われる救われるって、まるで、目の前に人参ぶら下げられた馬が、それを手にすることもできないのに、必死に取ろうと永遠に走り回っている様な、そんな状況にしか思えない。




 時間が経てば、社会での位が変われば、何かが手に入るはずだと思って生きてきた。何かが変わるはずだって。中学でも、高校でも、大学でも。

 でも、そんなことなんてなくて。




 まあ、でも、そんな希望なんて、今更なのかもしれないけれど。

 だって、中学時代、不登校になった時に、自分で自分を決めつけていたじゃないか。呪っていたじゃないか。

 あの時は、あからさまに自暴自棄だった。将来に希望なんてなかったし、味方なんてどこにもいなかった。親ですら。

 



 どうにでもなれなんて思っていた。というより、とにかくもう死にたかったし。

 そんな風に思って、呪ってきたのに、今更幸せに生きていけるなんて思い上がったのが馬鹿だったのかもしれない。

 あの時に、自分に、楔として打ち付けられたんだろう。その宿命(しゅくめい)が。




 景色変われど、本質は変わらず。少し上等な知識と、言い回しが増えただけだ。

 この穴も、渇望も、悩みも、自身のなさも、何も変わっていない。

 そう、思わされる。




 馬鹿らしくなってくるよな。何してるんだ自分って。もう、この渇望と、満たされなさ、もやもや、手に入らないじれったさ、それらがずっと消えない。まるで自分が捕らえられたかのように。




 この状況から抜け出す為には、もう自暴自棄に暴れるしかないように思えてすらくる。

 世界への仇討ちを。

 何もかも破壊して、めちゃくちゃにして、もう誰も何もかも、全部壊して、後戻りできない、取り返すことも、元通りにもならない状況になるまで、落ちて、殺して、周りから同情されるくらい、壊して、もうそうすれば、この牢獄から抜け出せるんじゃないか。本当の顔でスッキリと笑えるんじゃないかって。




 夜、暗い部屋で、独りで叫んだって、いっぱしの歌詞を弄したって、何も変わらない。

 センチメンタルが高じて、動物たちに、他者に、散っていく花たちに、同情してみたりなんかもして。(笑)

 その瞬間は、少し変わった様な気がして、やってやったって気がして。でも、翌朝目が覚めたら、その気持ちはもう、どこにも感じられない。

 そして、学校に向かって外を歩いている時には、もう言いようのない苦しみに逆戻りしている。




 負けた様な感覚だ。この人生という暴虐に。この鬱屈さという怪物に。うるさいぐらい青い空に睨まれて、俯いてアスファルトを見て、下げたくなくても自然と視線が下がってくるもんだから、一生懸命顔を上げるのに必死な日々。




 通学途中長い道を歩きながら、目の前の遠い道のりを見て思うんだ。何してるんだろうって。どこに向かってるんだろうって。どうせ、何もないのに。

 下らない、分かりにくい、面倒臭い先生の話聞くだけなのに。自分で勉強した方が早いのに。




 愛されたいという寂しさを埋める為に、愛する人を見つける為に、少しでも多くの人に愛されている為に、行く。それしか目的がない。

 何してるんだろうって。こんなごっこ遊び。おままごとにすらなり得ないレベルだ。

 笑いすら起こりゃしない。




 公園の、滑り台のある遊具の上で、女の子とおままごとで遊んで、その最中、ふと、下で鬼ごっこして遊ぶ子供達を見ていた、あの情景を思い出す。

 それを度々見ながら、「お兄さん役ね〜」とか、「お父さん役ね〜」とか、おままごとをやっていた。 




 あの時の演技には、その未知と、未来に対する希望・期待が含有されていたことが思い出される。

 ああなんだろうな、こうなんだろうなって。

 今となっては、そんなの、もうどこにもない訳だが。お兄さんも、お父さんもどこにもいないよ。




 暑苦しい空気と太陽に照らされて、アスファルトを睨みながら、頭垂れて歩く惨めが学生がいるだけだ。

 どこにも向かっておらず、ずっと街中を彷徨っているようにすら感じる。学校に向かっている時ですら。




 自分が迷い人にすら見えてくる。誰か教えてください。俺は、僕は、どこに向かえばいいんですか。どうすればいいんですか。愛はどこにあるんですか。

 そうやって、問いたくなる。問いというより、助け・叫びに近いかもしれないが。




 そんな自分を、情景を空想しながら、結局何もできずに、また相変わらず洋服を着て、アスファルトを踏みつけながら、学校に向かうだけだ。




 叫ぶことも、助けを求めることも、落ちるとこまで落ちることもできない。

 ただ、ここから、この牢獄から抜け出したいと思いながらも、結局何もできずに、生きるだけだ。

 いや、もうそれは生きてるとは呼べないのかもしれないが。




 そうやって、頭垂れて歩く自分の姿が見える。その横顔が見える。まるで他者から見ている様な視点で。

 同情しちゃうよ。自分なのにな。まるで自分じゃないかのようだ。

 そんなんだから、変わらないのかもな。




 自分自身が、自分の叫びに気づいていない。苦しんでいるのに、未だに尚それを分析して、憐れむだけの傍観者でい続けている。

 繋がっているのは、その感情・苦しみを感じている点においてのみ。

 実際の行動にはうつせない。自分を幸せにすることを半ば放棄しているのだろう。




 ある意味、なんてサディスティックなのだろう。苦しんでいるのにも関わらず、胸の痛みを感じているのにも関わらず、人前では、まるでその自分の感情が、他人事かのように笑っている。




 その笑顔には悲しみすら覚える。






 そして、そんなことを書いているのも、全く、他ならない自分自身なのだけれども。





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