1. プロローグ
遅ればせながら、秋の歴史企画参加作品です。
本日は2話更新します。
携帯が鳴った。
液晶の表示は「エージェント」。悪い予感しかない。
「はい。斎木です」
「仕事だ。――今回は少し面倒だ」
あいかわらず、挨拶も前振りもない。機械で処理された声で、感情どころか性別すら分からない。もしかしたら本物のAIなのかもしれない。
とにかくこの相手――「エージェント」は得体が知れない。
しかも、
「今回は? 少し? いつもじゃないですか」
ここの仕事は、100%いつも、徹頭徹尾、ものすごく面倒だ。
「――指導内容は、10歳の天才少女を手なずけること。期間は1か月。その後、定期的に彼女を訪問し、50歳で亡命させる」
そしてこの、会話のキャッチボールの無さ。業務関連の質問・報告以外はまったく成立しない。
「ストーーーーップ! 10歳の天才少女? 定期的って?! つか、後半、なに言っちゃってるんですか? 亡命って、それもはや家庭教師の仕事じゃなくないですか?!」
「君は、クセのあるタイプから懐かれる傾向が強い。幼少期に誑し込んで、絶大な信頼を植え付けろ」
「いやいや、ムリですってっ! あと誑し込むって、言い方!」
「無理と断定する根拠が不明だ。データを分析したうえで、適任と判断した」
「はぁ……。あ、いえ、もう少し詳細が分からないと、お受けするかどうか、判断ができかねます」
いろいろあり得なさ過ぎて、冷静さが戻って来た。
「エージェント」とはビジネスライクに会話しないと、返事すらしてもらえないのだ。
「妥当な要求だ。今、詳細のファイルを送った。――指導先は住み込みを希望しているが、我々は通いを推奨する。時間のズレについては、君の希望どおりに調整する。これは特例だ」
特例。初めて聞いた。
「エージェント」にそんな概念が存在するなんて、驚くより先に不安しかない。イヤな汗が背中をつたう。
「それだけ面倒な案件ってことですね」
「――」
スルーですか。はい、答える必要ナシってことですね。
「ファイルを検討のうえ、承諾を期待している。返事は12時間後に。また連絡する」
ぷつっと電話は切れた。
急いで添付ファイルを開いて、目を剥いた。
これ以上驚くことなどないと思っていたのに、「エージェント」の依頼内容は、あれでもほんのさわり程度だった。
「わあ、古代ローマ! エジプト! あ、そっかなるほど、ヘローね! 懐かし~……」
まずい。好奇心が騒ぎ出している。
「いやいやいやっ。あのエージェントが面倒っていう案件だよ? これまでだってエライ目に遭ってきたじゃん! 好奇心は猫も殺す! だめだめ!」
ファイルを読みつつ、わたしは悶絶した。
悶えてばかりもいられないので、自己紹介すると、わたしは斎木桂南。
フリーでプロの家庭教師をしている。
わりと評判はいいほうで、最近は、口コミのお客さまの紹介だけで、じゅうぶん生活が成り立つようになってきた。
そんなわたしには、特殊能力がある。
能力、じゃないな。なんの努力もしてないし――、体質?
タイムワープができるのだ。
特に準備も覚悟もいらない。行こうと思って手近なドアを開ければ、目的地に着く。
ただし法則があって、時空を超えるのは、家庭教師の依頼を受けたときだけ。
最近では、古今東西あちこちからオファーがある。
ありがたい話だけれど不便なこともあり、現代の家庭教師と思って受けたら全然違う時代・国の場合もあって、自分が行った先が「いつ」「どこ」なのか分からないまま、何か月も過ごしたこともある。
学生時代、アルバイトで家庭教師を始めて、最初にタイムワープしたときは仰天した。
ドアを開けたら、知らない場所にいたのだ。とても現代日本人とは思えない人々に囲まれたのに、言葉は通じたし、変な格好だとも言われなかった。
最初は悩んだけれど、どこかの扉を開けたら、予告もなく、どっかに跳ばされているのだ。悩むだけムダだし、「体質」と割り切ることにした。
会社を辞めて本格的に家庭教師を始めたら、タイムワープも頻繁になった。
タイムワープ案件が増えてきたころ、いきなり携帯にかけてきたのが「エージェント」だった。
「エージェント」は、とにかくナゾだ。
とりあえず分かっていることは、タイムワープする存在を管理しているらしい、ということ。
個人でふらふらタイムワープしていたわたしは彼らの網に引っかかり、勝手にうろつかれるよりは管理下に置いたほうがいいと判断されて、スカウトされた。
自分では、ブリーダーに拾われた野良猫みたいな感じ、と理解している。基本は放置されているので、地域猫に近いかもしれない。
彼らは、タイムトラベラーの身の安全と引き換えに、時たま「依頼」をしてくる。
「エージェント」が提示する報酬は破格だ。最初のうちは、喜んで受けていた。
けれど、彼らの案件はとにかくトラブルが多い。表向きの指導内容のほかに、それは家庭教師の仕事じゃないだろう! という依頼が隠されていることが多く、たいていヒドい目に遭う。
これまでの経験で理解したことは、3つ。
「エージェント」は悠久の時間を管理している。過去4000年くらいまでは体験したけれど、この分だと未来のほうも4000年くらいプラスできるのかもしれない。そんな先まで人類世界が存続しているのなら、めでたいことだ。
二つめ。行ったら最後、「エージェント」の助けは期待できない。よく言えば、わたしの裁量に任されている。つまり、依頼したあとは投げっぱなし。
だからこそ、今回アドバイスをくれたり特例を設定したりは、異例なのだ。それだけハードな案件なのだと想像がつく。
そして、最後。なんだかんだ言っても、最後にはどうせわたしは「エージェント」の依頼を受けてしまう。いつもそうなのだ。これほどエキサイティングな経験は、めったにない。
覚悟を決めてファイルを読み込み、夜中の電話で依頼を受けた。