我儘
小学生が描くような甘いプロポーズの話です。
暇つぶしにどうぞ。
空高く佇む上弦の月が自分の不甲斐なさを表しているようだ。
薄暗い夜道を急く足をさらに速める。
最悪だ。まさかのプロポーズのために自分が予定した日に顧客の身勝手な言い分に振り回されて残業が長引くなんて。
薄暗さの先には荘厳な回転扉が待ち構えていた。今時回転扉なんてあるなんて。そんなことを考えるくらい頭は冴えていた。脈打つ鼓動がその明晰さを際立てる。
あたりは水を打ったような静けさに包まれていた。見上げた先には星空をかき消すように輝くビルがそびえたっていた。ライトアップされた夜桜はどこかよそよそしさを感じる。
冷えた頭が乱れた服装を正せという。言われた通りにだらしなくずり出たシャツを直す。
こんなところに息を切らしながら入るのは憚られ、息を整える。
さっきよりも高くなったような気がする月がその判断をほめるように輝きを増す。呼応するように夜風が桜を散らす。間違いなく平安時代なら名句が出来上がるような景色だ。
勇気を振り絞り回転扉をこじ開け、目的の階へと向かう。
携帯を開き、メールを読み返す。
遅れることを伝えたメールの返信はわかりました。気を付けてください。の二言で締められていた。
怒った感じはないが少しの失望は感じられた。
目的地に着き、深紅の絨毯を踏み締めにたような回転扉を通り抜ける。
彼女は窓際で何をするでもなく月光に包まれていた。僕をほめてくれていた月は彼女に浮気していた。
彼女は僕に気づき、軽く笑みを浮かべながら手を挙げる。
暗闇と月光、人工的な薄明かりとのコントラストの中に溶け込む彼女は落ち着いた青色のドレスを着ていた。
自分の中に身をひそめる彼女との契約を確かめ、答えるように手を挙げる。
怒ってはいないようだ。席に着き謝罪の言葉を述べた後でも彼女の微笑は崩れることなく労いの言葉をかけてくれた。
窓から見下ろす夜桜は先ほどの美しさはなかった。理由は簡単。それよりも美しい人物が夜桜よりも近い距離で私の目の前にいる。
見蕩れている僕に気づき、彼女は照れながら「なによ」とつぶやく。胸元に光るネックレスは負けじと役目を全うしている。
一通り食事を終えた僕らは食後の美酒に酔いを回され薄明かりに飲み込まれている。
彼女が闇にさらわれてしまう前に僕の元に引き留めよう。
そう思った僕は彼女に手のひらほどの小包を見せる。
彼女も覚悟していたらしくそれほどの驚きは見られなかった。代わりに月が驚いてくれた。差し込む光が増す。さっきからあの月は僕の味方に思えてしかたない。
僕の言葉を待つ彼女は時が止まったように美しい。
「結婚しよう」
彼女は眼を濡らし僕の我儘にうなずいてくれた。
見えるはずのない夜桜が祝福の花弁を舞わせている。
高校の時友達に教えてもらった句をイメージして書きました。
想像のなかでなんとなく春にしました。




