第七話 「鎌鼬」
ホールの出入り口におっさんが立っていた。手招きしている。
「どうしたよ、おっさん」
「演奏、最期の十分間ぐらい聞いたよ。すごいねえ」
「これだから素人は。ま、褒められて悪い気分はしねえがな。で、何か用か?」
「お昼、一緒に食べない?」
「いいぜ」
食堂の前まで行くと、初菜とクソガキ流架がいた。俺はおっさんに目で問う。どういうことだよ、これは。初菜と流架も鋭い目つきでおっさんを睨んでいる。
「いや、君たち、個室でしょ。だから、たまには皆で食事を摂るのもいいかなーっと思ってさ。誰かと一緒に食べると、ご飯だっておいしくなるし」
「おい、おっさん。この面子で飯がうまくなるだと? 何の冗談だ?」
「僕も同感です。これなら、個室で食べた方がよっぽどいい」
初菜は黙っている。
「お前はどうなんだよ」
「別に」
どうでもいい、というわけか。俺も流架も丸井のおっさんも眼中にないのだろう。
「とにかく、看護師さんには食堂で食べるって連絡しておいたから、君たち、ここで食べないと、昼飯抜きだよ。食べようよ」
午後を空腹のまま過ごすのは、嫌だ。お盆を持って、レーンに並ぶ。今日のおかずは、シーザーサラダ、豚の生姜焼き、切り干し大根、味噌汁、アサイーヨーグルトだった。
一人、一人別々の場所へ行こうとする俺らをおっさんがかき集め、空いている机に四人で座る。いただきます、と言って食べ始めるが、当然、会話はない。
「初菜ちゃん。鉄也君は今、戦闘医になるべく頑張っているんだよ。何かアドバイスとかない?」
おっさんが気を遣って話題をふる。
「ありません」
「あと三十連勝ぐらいで戦闘医になれるんだけど」
「そうですか」
初菜は目を閉じて、味噌汁をすすっている。
「鉄也君は初菜ちゃんに訊きたいこと、ない?」
「ねえよ」
おっさん、分かっただろ。この女はコミュニケーションをとる気がねえんだ。
一方、流架は食べ物を口に詰め込んでいる。一番食べるペースが速い。
「流架君、もっと良く噛んで食べないと駄目だよ」
「なぜですか? 僕の時間は限られています。だったら、食事の時間はなるべく削って、好きなゲームをする時間を増やした方がいいと思いますけど」
反論におっさんは口ごもった。
「お前の言い分にも一理あるけど、おっさんが正しいよ」
「そう言う根拠は何ですか? 正しさなんて相対的なものだとおもいますけど」
「ソウタイテキ?」
「すみません。難しい言葉を使ってしまって。でも、高校生にもなって、相対的、も分からないなんて恥ずかしいですよ」
俺は箸を握り締めていた。この箸でガキの目玉をくりぬいてやろうか。
「鉄也君、キレちゃ駄目だよ」
おっさんが耳打ちして来た。わーってるよ。
「流架君、ゲームの対戦相手、探していたでしょ。鉄也君や初菜ちゃんが対戦してあげるって言ってるんだけど、どうかな?」
「言ってません」
初菜が即否定した。
「俺も言ってねえな」
「頼むよ、二人とも」
「嫌です」
「同じく」
俺らが押し問答を繰り返している内に、流架は昼食を食べ終え、席を立った。
「お先に失礼します」
引き止める間もなく、走って食堂を出て行った。
おっさんがため息をつく。
「どうしても駄目かい?」
「あのガキが頭下げて、対戦してくださいって言ったら、考える」
「私、午後からも対病魔戦ですから、無理です」
「今、何連勝中だ?」
俺は初菜レベルの強さになる目安を知りたかった。白血病魔を倒すには、初菜やキスシア以上の強さを手に入れる必要があるのだ。
「数えてない」
「数えとけよ、馬鹿」
「あなたに馬鹿って言われたくない」
「どういう意味だよ?」
「そういう意味よ」
「あ?」
「は?」
おっさんが手を振って、俺と初菜の間にある空気を散らす。
「ストップ、ストップ。喧嘩しないでよ。仲良くしよう」
仲良くするためには、黙らざるを得なかった。話すとどうしても喧嘩になるから。初菜も分かっているようで、静かに食事を続けた。おっさん、わりいな。仲良くなんて無理だわ。
食事を終えた俺は、自室に戻って、パソコンをつける。
正式な戦闘医になるには五十連勝必要で、俺は現在に二十連勝中だ。あと三十。けれど、弱い病魔ばかり倒しても、強くはなれない。強くならなければ、白血病魔は倒せない。
インターネットからアマチュア戦闘医サイトに行き、依頼掲示板を見る。患者名、病名、病魔の強さなどが並んでいる。ある依頼に目を留める。気管支喘息、病魔の強さはBランク。かなり強い。プロの戦闘医なら倒せるだろうが、アマチュアならほとんどの者は敗北する。
でも俺は依頼承諾のメールを送った。Cランクの敵には飽きてきたところだ。Bぐらい倒してやるよ。
戦闘医ヘルメットから伸びるケーブルをパソコンにつなぐ。依頼主から返信が届いた。あちらも準備ができたようだ。俺はヘルメットをかぶり、電脳フィールドに飛んだ。
装備は変わらない。メリケンサック二つと鉄バットと釘バットだ。敵の姿を拝むまで武器は出さない。
空間が歪み、黒い穴が出現し、中からイタチが現れた。前足と尻尾が鎌になっている。鎌鼬か。おそらく速いスピードで翻弄するタイプだ。バッドでは間に合わないと踏んで、俺はメリケンサックを装備した。
「こいやー」
鎌鼬が視界から消えた。敵を見失った場合、まず警戒すべきは己の背後。俺はファイティングポーズを崩さず、振り返る。が、何もなかった。くそったれ、上か、と思った瞬間には、右腕を持っていかれていた。
「ってえ」
痛みに気絶しそうになる。アバターの肩から血が滝のように出た。やばい。そう思っている間にも足先の感覚が消えた。アバターの体が徐々に崩れていく。強い病魔は菌を飼っていて、菌はアバターを食らう。防ぐにはまんじゅうを食べて病魔耐性値をあげるしかない。
今の状況を整理すると、片腕消失、足元瓦解。遅くとも二十秒以内に勝負をつける必要があるが、敵の動きを捉えられない。俺は死角を作らないよう、体の向きをこまめに変える。
風の音がした。
途端、右足がなくなっていた。
「デザートッ」
俺は叫んでいた。Desertの意味は、逃亡する。システムが音声入力を認識するまでのコンマ数秒かかる。早くしろ。敵の鎌が目の前に迫っている。
視界が真っ暗になった。
Desert Success. と文字が点滅した。逃げ切れた。これで、今までの連勝は途絶えない。もし戦闘フィールドからの離脱に失敗していたら、アバターは殺され、身体能力値と病魔耐性値がゼロに戻っていた。
アバターの損傷は激しい。回復までに二時間以上はかかるだろう。
Bランクの病魔と戦うだけの力はまだないか。
俺は依頼主に謝罪のメールを送って、すぐにパソコンを閉じた。ベッドに倒れて、強くなるにはどうすればいいか、考える。地道にCランクやDランクの病魔を倒していけばいい。けれど、問題は時間だ。今も白血病が俺の体を蝕んでいるのだ。近道や効率のいい方法があるなら、知りたい。
もはや手段を選んでいる余裕はない。強者から助言をもらおう。初菜より強くなるために、初菜からアドバイスをもらうなんて矛盾してるようだけど、身近にいる強い戦闘医なんて初菜だけだから、仕方がない。俺は初菜を探して院内を歩き回った。